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「何よ何よ何よ何よ……私以外……私とローツェ以外みんなモブのくせに……どうしてヒロインの私がこんな目に……」


 貴族の子女が通うルズコート貴族学院と聖キングヒル大貴族学院を擁する国、シュマルド王国。

 その王城の地下牢の中でも最奥の、重罪人が入れられる牢に、アンナが入っていた。

 かろうじて命を繋げられるだけの水と食料は与えられるが、寝床と厠の間に仕切りはなく、周囲は壁ではなく金属製の格子で覆われている。

 アンナの両手両足には枷が着けられ、自分で自分のことがやっとできるほどの長さに調節された鎖で繋がれていた。

 本人の自己申告によれば、この世界のありとあらゆる魔術に加えて、この世界に存在しない魔術も使えるとのことなので、枷と鎖には魔力を封じる効果も着けられている。


 一日置きに繰り返される容赦のない尋問と、惨めな極限生活によって、アンナの精神力は限界まですり減っていた。

 尋問のない日は一日中寝ているか、今のように一日中ブツブツと独り言を垂れ流している。


 プルナ家で生まれ育った記録はないが、プルナ家の住人は皆、アンナを家族と信じ切っていた。

 催眠か洗脳の魔術を、アンナが施していたのだろうと考えられている。

 当初、アンナは病気を理由に学院へ通うことを拒んでいた。

 学院へは、興味があって忍び込んでいたわけではなく、自分と同じく主人公格の人物を探していたのである。

 それがローツェ・ガルマータだった。

 決め手となったのは容姿だ。


 アンナの前世もまた、ローツェと同じ世界、同じ国だった。

 転生のきっかけは死だが、ローツェの前世のようなものではない。

 スマホを弄りながら軽自動車を運転していて、前の車に追突し、打ち所が悪かったのだ。

 記憶が蘇ったのは、学院入学の一年前。

 そしてアンナはこの世界を無理矢理、前世でハマっていたゲームに見立てた。


 だから、自分好みの容姿であるローツェが自分の運命の相手と信じて曲げず、こちらに興味を向けないローツェに魔術を施そうとしたのである。

 記憶を掘り起こす魔術を込めたのは、ローツェも前世で同じゲームをやっていたはずだと信じ込んでいたためだ。

 実際には、前世のローツェはゲームが遊べる環境ではなかった。女性向けのゲームは、友人や知人にプレイしているものもおらず、全くの無知である。


 何より、この世界はアンナが想定しているようなところではない。

 アンナの行動範囲内でもそれは十分に理解できるはずであるのに、アンナは頑なに認めようとしなかった。


 結果、アンナはこのまま、もうしばらくすれば、絞首台に立つことになっていた。



 黴臭い石造りの地下牢の中に、カツカツという靴の音が響く。

 牢番や兵士たちの靴は底が厚い革でできているため、音を立ててもペタペタ、ドスドス、というものである。

 踵の部分が木軸やある種の金属で出来た靴を履けるのは、貴族のような身分のある者のみ。

 地下牢に似つかわしくない音は、アンナが入っている牢の前で止まった。

「おい、女。アンナといったか。顔を上げろ」

 牢番は一日に三度変わるが、アンナは長期間牢に入れられているため、全員の声を覚えてしまっている。

 その誰でもなかった。

「顔を上げろ。聞こえているか? 言葉は通じているよな?」

 うるさい、と苦情を口にしようとしたアンナは、声の主を見て、開いた口が塞がらなくなった。

 ローツェにも匹敵するほどの美形が、不敵な笑みを浮かべてアンナを牢越しに見下ろしていた。

 年齢は二十歳程だろうか。白に近いシルバーブロンドに、金色の瞳は王族の証だが、アンナは知らなかった。

 隣にも男がいて、同じ色をしている。こちらは背が高すぎる上に筋肉質で、アンナの好みではなかったため、アンナは意識していなかった。

「魔物を使役できるというのは本当か」

 美形に問いかけられても、アンナは呆然と男を見つめていた。

「おい」

 隣の男が低い声を出した。アンナは尋問のせいで、低い声には反射的に応えるようになっている。

「は、はいっ」

「もう一度だけ尋ねるぞ。魔物を使役できるというのは本当か」

「はい、できます。魔術で……」

「そうか。ならば、俺に仕えると誓うなら、死刑を撤回させ、ここから出してやってもいい」

「え……?」

 アンナはまだ、自分の最期について、何も聞かされていなかった。

 どうせ死ぬならと何も喋らなかったり、嘘を吐かれたりするのを防ぐため、伏せてあったのだ。

「わ、わたし、死刑?」

 自分で口にしてから、体が震えだした。

 震えは全身に伝わり、指一本動かすのも恐ろしくなった。

「死にたくなければ、俺のいうことを聞け」

 そんなアンナを、美形は楽しそうに眺めながら、言い放った。隣の男は黙したまま、二人のやりとりを見守っている。

「わっ、わかったっ! わかりました! なんでも、なんでも言うこと聞きます! だから、助けて!」

「大きな声を出すな。イゼー」

 イゼーというのは大男の名前らしい。イゼーは懐から鍵を取り出すと、アンナの牢の扉を簡単に開けてしまった。

 続けて、枷を外そうとして美形に止められる。

 美形はアンナの頭上に片手を掲げた。

 手に魔力が集まり、赤紫色に輝いている。

「その前に、契約だ。お前は俺の言うことを聞く。聞かなかった場合、お前は死ぬより痛い目に遭う。そういう契約をする魔術を掛ける。この魔術はお互いが納得していなければ発動しない。もし発動しなかったら、お前はこの場で死ぬことになるからな。覚悟しておけ」

 アンナはひゅっと息を呑み、それから目を閉じて、祈るように手の指を組んだ。

「わかりました」

 なにせ、自身の命がかかっている。アンナは記憶を取り戻してから初めて、物事を真剣に捉え、考えて行動した。

 美形の魔術は無事に発動し、赤紫色の毒々しい光はアンナの頭と心臓のあたりに吸い込まれて消えた。

「……これでいい。枷が外れたら、最初の仕事だ」

「はい」

 アンナは美形の言葉に肯定を返すことしかできなかった。

 そのため、美形の名前と立場を知るのは、だいぶ後のことになる。




*****




 大変なことが起きた、とシャールが言うので、練習室に入るなり防音結界を施した。

「どうしたの?」

 もうすぐ十一歳になる僕たちだが、シャールはいつも、年齢より大人びていて冷静だ。

 そのシャールが、授業後に護衛さんから何事かを耳打ちされてから、ずっと落ち着かないのだ。

「あの女……アンナが死んだ」

「えっ」

 シャールから聞いていた情報によれば、アンナは魔力封じの枷と鎖を常時着けさせられ、監視の魔術まで掛かっている。

 尋問して、必要な情報を取り尽くし次第死刑になるとは聞いていたが、自殺は封じられていたはずだ。

「死刑が早まったとかじゃなくて?」

「ああ。牢の中で、魔力を暴発させたような痕があったそうだ。枷の力が不十分だった可能性と、アンナが枷の力以上の魔力を突如得た可能性が考えられている」

「魔力を突如得た……って、あり得るか」

 僕がそうだもんなぁ。

「結局何も掴めなかったも同然だ。しかし、解せない」

「僕もそう思う」

 どちらの可能性にしろ、自力で枷から抜け出たのなら、死ぬ必要はないはずだ。

 そのまま牢を破って逃げることも出来ただろうに。

「えっ、じゃあ、まさか……」

「俺もその線を考えていた」

 口には出さなかった、もう一つの可能性。

 他殺だ。

 アンナが使役した魔物によって、幸いなことに死者は出ていない。

 魔物自体を疎んじる人は大勢いるし、その魔物を使役する人間なんて、殺しても足りないと考える人がいたっておかしくない。

「とはいえ、だとしても短絡的すぎる。それに、死体はもう処理、埋葬されてしまって、これ以上調べることも出来ないんだ」

 この世界は基本、土葬だ。伝染病に掛かった人や、人の恨みを多く受けている人は、例外的に火葬される。

 アンナは後者だとして火葬されるのは仕方ないとしても……。

「死んだのっていつ?」

「昨日だ」

「早すぎるね」

「ああ」

 罪人の死体を晒すようなことは行われないが、死後にしか暴けない部分を入念に調べてから、処理されるはずだ。

「うーん……」

 考えたところで、何がどうなったのか、分かるはずもなく。

「今後もアンナに関する調査は続ける。何かわかったら必ず知らせるよ」

「ありがとう、シャール」




 二年生になり、先日の件から、とうとうフォートは1組から去った。

 元々入るはずだった成績最下位から15人が集まる6組で、不気味なほど大人しくしているらしい。

 1組は、何かあればすぐ授業を中断させるフォートがいなくなったことで、座学も実技も捗るようになった。


「では次、ローツェ・ガルマータ君」

「はい」

 一学期中間試験で、僕は魔術を放った。

 火、土、水、風、光、闇、それぞれのLv2の魔術を完璧に放つと、他のクラスメイトからため息が漏れた。

「やっべーな」

「これ魔術も1位だろ」

「両方1位の人って過去二十年いないらしいわよ」


 魔術を放ち終わり、試験会場である魔術練習場の隅へ引っ込むと、シャールが近寄ってきた。

「負けねぇぞ」

「やってみろ」

 ふふん、と不敵に笑い合う。こんなささいなやり取りすらおかしくて、僕たちは試験が終わるまで笑いをこらえる羽目になった。



 全ての試験が終わり、張り出された成績一覧の一番上には、座学と実技、どちらも僕の名前があった。

「おめでとう、ローシェ」

「ありがとう、シャール」

 シャールはどちらも2位。両方2位という記録は過去に例がないというから、僕よりレアだ。

「次は負けない、と言いたいところだが、お前と成績で張り合うのは何か違う気がする。全部満点取って、同点一位になるくらいしかないもんなぁ」

 僕はどう答えていいかわからず、曖昧に笑っておいた。

「ま、今日くらいはゆっくりしようぜ。たまには外へ行かないか? 美味い茶葉を使ってる店を見つけたんだ」

 紅茶に関しては人一倍うるさいシャールが言うほどだから、余程なのだろう。

 でも、いつものシャールならその茶葉を入手して、僕に淹れてくれる。

「それがな、業者向けにしか販路がなくて、子爵権限くらいじゃ買えないんだよ」

「公爵権限使えばいいのに」

「そっちを行使するのは緊急時のみだ。同じ茶が飲めるなら、行きつけの店のひとつくらい持ったってかまわないだろう」

 十一歳で行きつけの喫茶店か……。前世では考えられないことだ。

「シャールがそこまで入れ込んでるお茶なら、飲みたいな」

「よし、決まりだ」

 僕はカンジュに断りを入れてから、シャールと共に学院の外へ出た。


「ほんとだ、ついてきてくれてるんだね」

「わかるのか」

「うん」

 魔術の試験で一位を取れるくらい、魔力制御が上手くなった僕は、人の気配を正確に察知することもできる。

 以前シャールが「外出すると護衛がぞろぞろついてくる」と言っていたので、確認してみたのだ。

「視界に入らないようにしてくれてるから、そんなに気にならないじゃないか」

「まあ、そうなんだけど。気分的に窮屈でな」

「それでもそのお茶が美味しいんだね」

「そうだ。保証する」

 そのままなんとなく、気配察知しながら街の中心部から少し外れた場所まで歩いた。


 護衛さんではない人が僕たちを見張っているのに気づいたのは、お店まであと少しのところだった。

「シャール」

 僕は鞄から紙とペンを取り出し、護衛以外の人に後をつけられていることをシャールに伝えた。

 シャールはメモの内容を見て、左手で左耳を覆うような仕草をした。


 すると、護衛さん達の気配が散開し、ひとりが不審者のところへ到達。「ぎゃっ」とか「うわっ」みたいな声が上がり、しばらくすると静かになった。

「え、これ……」

 護衛さんは全部で七人。そのうちのひとりが、動いていない。

「シャール、護衛さんがやられた」

「何っ!?」

 僕が走り出すと、シャールもついてきた。

 細い路地に入り込んだ先で見たのは。


 血まみれの護衛さんの襟首を掴んだ、全身黒いローブ姿の、人間ではない何かだった。

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