13

 しかし所詮、フォートはフォートなので、実害は殆どなかった。



 二年生になって最初の授業が始まってすぐ、フォートは先生に体調不良を訴えた。

「臭い。変な臭いがして気分が悪い。耐えられない」

 だそうで。

 僕を忌々しそうにガン見しながら鼻を摘む。

 あまり程度の良くない貴族が、魔特兵にする態度そのものだ。


 少なくとも2年1組の他の生徒は、僕が1年生の後半、何をしていたか知っている。

 1年生の間に自宅学習を止めて学院へ戻ってきた生徒の中には、わざわざ僕にお礼を言ってくる人もいた。


 そもそも僕は、まだ一度も魔物と直接相対したことがない。

 全て結界魔術で倒し、後始末はカンジュがやってくれたのだ。魔物を倒した後は入念に身体を洗っていたので、僕は母上に相談して、カンジュへ肌に優しく質の良い石鹸や化粧水を差し入れている。

 更に、フォートが学院に帰ってきてしまったので、カンジュは奴の視界に入らないよう努めている。

 臭いが「魔物」のことなら、どこにもそんな要素はないはずなのだ。


「臭いですか。皆さん、何か臭いますか?」

「いいえ」

「しませーん」

「自分が臭いんじゃないの?」

 先生が皆に話を振ると、フォート以外は「臭い」を否定した。

「他の人は臭わないと。では貴方自身の問題かもしれませんね。気分が悪いのでしたら保健室へ行きなさい。……っと、クラス長は貴方でしたね。一人で、どうぞ」

 先生も先生で、フォートのあしらい方に慣れている。

「き、貴様」

「先生に向かってなんて態度ですか。いくら貴方が『公爵令息』でも、ここが学院である限り、貴族位は関係ありませんよと、何度も教えているはずです」

 先生は「公・爵・令・息」のと一区切りずつしっかり強調するように言い聞かせた。

 もう何度も見ている光景であり、フォート以外のクラス中が白けている。

 早く2年の授業というのを受けたいのに、本当に邪魔なやつだ。

「ぐっ、で、でも本当に、魔物の体液の臭いが」

「具体的にどんな臭いですか?」

「だから、魔物の……」

「魔物の体液の臭いとは、どういうものですか? 近い臭いに例えられませんか?」

 この先生は魔物の臭いがどういうものか、知っているのだろう。

 だけど「例えようのない悪臭」が正解だから、フォートが当てずっぽうで答えても、当たってしまうのでは……。

「そ、そりゃあ、腐った肉のような……」

「ではそれは、魔物の臭いではありませんね。ネビス君、一度医者にかかることをお勧めします。今は保健室へ行ってピスカ先生に症状を訴え、最適と思われる行動をしてください」

 フォート、まさかの不正解を叩き出す。僕は吹き出すのをどうにか堪えた。隣のシャールや他の生徒も、似たような動きをしている。

「う、うう」

 フォートはそれでも納得がいかない様子で、まだその場から動かなかった。

「ほら、気分の悪い人は保健室へ。他の生徒の授業に差し障ります」

 先生が冷たく言い切ると、フォートは歯ぎしりしながら僕を睨みつけて、教室から足早に出ていった。

「では授業を始めます。新しい教科書は手元にありますね?」

 その余韻に浸ること無く、ようやく授業がちゃんと始まった。




 他にフォートがやったことといえば、僕を徹底的に避けることだけだった。

 授業が終わると何故かラウンジにいたフォートは、僕を見るなり鼻を摘んでどこかへ行った。

 次の授業が始まると、最初の授業と同じ茶番を繰り返そうとして、先生がさくっと保健室送りにする。

 授業のたびにフォートだけが臭いを訴えるものだから、最終的に保健室へ軟禁され、公爵家へ連絡が飛んだ。


 公爵は、1年の時に息子や自身が起こした騒ぎとその顛末を覚えていないらしく、院長先生や他の先生との話し合いの場に僕を呼び出し「魔特兵と同じ教室など息子には耐えられない」等とのたまった。


「これは異な事を仰る。ガルマータ君のお陰でこの学院の安寧は守られ、犯人の早期発見にも繋がったのですぞ」

 いつものゆっくりとした嗄れ声に、やや怒気を込めて反論をはじめたのは院長先生だ。

 学院を守ったのは確かだけど、犯人発見はシャール達のおかげであって、僕は影響していないのでは。

「彼には感謝すべきであり、忌諱など以ての外。もし彼を認められないと仰るなら、即刻、学院を去りなされ。それがご子息のためでもあります」

 院長先生は生徒をとても大事にしてくれる。この学院で1年過ごして解ったことのひとつだ。

 例えば成績のふるわない生徒がいたら「この本を読んでみてはどうかね」「君はこちらの方面が得意だね」と励まし、成績向上の手助けをしてくれる。魔術や武術の授業で怪我をした生徒がいれば、実習室へ駆けつけるか、間に合わなければ保健室へ見舞いに来てくれる。

 そんな院長先生でも、フォートやネビス公爵の言動は耐え難かったのだろう。

 全ての生徒に博愛の精神で接する院長先生が、事実上の退学を迫るなんて。

「それは……事情をよく知らず……」

「全生徒とその家族に通達したはずですが?」

 え、待って? 僕のやったこと、全生徒とその家族に知れ渡ってるの? 初めて聞いたんだけど。てっきり1年1組の生徒だけとか、魔物が出てた間も学院に残ってる人くらいしか知らないものかと。

「こちらも、忙しくて書類や連絡をその、よく把握しておらず……」

 ネビス公爵がしどろもどろになりながら弁明するが、院長先生の鋭い眼光は公爵閣下を射抜きっぱなしだ。

「ははあ、当学院を軽んじておられるわけですな」

「そのようなことは……も、申し訳なかった」

 ついに公爵が謝った。

 目を伏せて謝罪の意を表明する公爵を、フォートがもどかしそうに見つめる。

「父上! 公爵たる父上がそのような」

「馬鹿者! 聖学院に入学できなかったお前をどうにかここへ入れてやったのに、まだそんな……」

「ち、父上、それはっ」

「あっ」

 公爵が口走った事実に対して本人とフォートは慌てているが、学院中の人間が察してることだ。何を今更。

「さあ、どうなさいますか。残るのであれば私ではなく、ガルマータ君に謝罪を。そうでなければご子息共々お引取りを」

 院長先生が、ずい、と公爵に迫る。

 公爵は長身だが、院長先生は低めだ。院長先生が下から公爵を突き上げるように進退を迫ると、公爵は仰け反った。

「が、ガルマータ、伯爵令息よ、息子がすまなかった」

 仰け反ったまま、頭だけ僕の方へ向けて、形ばかりの謝罪をされた。

「はい」

 適当な謝罪なんて受け取りたくなかったが、これ以上面倒くさい事態になるのも御免被りたかったので、受け入れておいた。

「では、ついでにもう一つ。フォート・ベン・ネビス君は一年次から不当に1組に在籍しており、度々授業を妨害していると、担任や他の教師から苦情が出ております。これに関してはどう釈明なさいますか?」

「それは……フォート、お前に相応しいのは1組だと、自分で言っていたよな?」

 公爵、今度は自分の息子を盾にしたぞ。

「は、はい。俺……いや、私は1組の授業を受けるに相応しいと考えております」

 フォートは何故か胸を張って答えた。

「ほう。閣下は、ご子息の成績の書類も見逃しておられるわけですか」

「あ、あれは……何かの間違いで……そ、そうだ、息子の学力が高すぎて、学院の試験では測りきれ……」

「先程、聖学院に入れなかったと仰っておりましたね?」

「うぐっ、せい、それは、この学院で下級貴族の生活を見聞することによって経験を積ませるために……」

 よくもまぁ次から次へと言い訳がでてくるなぁ。

 ていうか、もう僕関係なくない?

 僕が院長先生をじっと見ると、院長先生がこちらに気づいてくれた。

「ああ、すまなかったね、ガルマータ君。君は帰っていいよ」

「はい。失礼します」

 後ろでフォートや公爵が何か言っていたが、全部無視して部屋を出た。


 疲れた。




「ネビス関連で院長室に呼び出されたって聞いてな。何があったんだ?」

 寮の自室へ戻ると、シャールが来ていた。

 僕が説明している間に、カンジュがお茶を用意してくれる。

「……ってところで、なんとか脱出できた。あれ? このお茶……」

 いつも部屋で飲んでいるお茶ではなく、ラウンジで飲んでいるお茶の香りがした。ということは……。

「シャール様から頂きました」

「いつも美味いって言ってくれるからな。差し入れだ」

「やっぱりそうか。ありがとう、これ好きなんだ。カンジュも頂きなよ」

「しかし、良いのでしょうか」

「いいよね、シャール」

「お前にやったもんだ。好きにしてくれて構わないさ」

「だって」

「では、ありがたく頂戴します」

 シャールやカンジュとの何気ない会話や受け答えに癒やされる。

 公爵親子の話を聞いた後だと特に。

 普通に会話できることがこんなに幸せなことなのだと、気付かされた。

「どうしたんだよ、目を閉じて上むいて」

「いやー、あの親子の話聞いてると、頭の中がごちゃごちゃになるからさ」

「ああ。なんていうか、頭の出来が違うからな」

 シャールは「悪い意味で」という言葉をしっかりしまい込んだが、僕とカンジュにはちゃんと伝わった。

「で、用件はそれだけ?」

 僕が呼び出されたと聞いて駆けつけてくれたのは嬉しいが、だったら部屋で待つのではなく、院長室へ直接来るのがいつものシャールだ。

 シャールは僕の言葉に、カップをソーサーへと戻した。

「アンナ・プルナの話だよ。やっと色々吐いた。やつが『転生』って言葉を口にしたんだ」

 僕は身を乗り出した。



 視界が、脳がホワイトアウトした時に聞こえた声の内容や、あの女の言動から、薄々そうじゃないかとは思っていた。

 声の話を信じるなら、この世界にはあと何人か、転生者がいる。

 とはいえ、前世で僕と関わりのあった人間がピンポイントで同時期に転生してくるなんて、あり得るのだろうか。

 そもそも転生させられた意味も未だによくわかっていないのだ。

 世界を救って欲しいと言われても、今の僕には学院に結界を張るのがせいぜいだし。


「で、―――――っていうのが……今の、聞こえたか?」

「やっぱり駄目だ。それと転生が関係あるんだね?」

「ああ。ここは―――――のひとつで、あの女は主演女優、ローツェが恋人役というか、主演を愛し尽くす役なんだと」

「勘弁してくれ」

「全くだよな」

 本気で嫌だったので思わず茶化したが、僕には前世のラノベ知識がうっすら蘇った。

「なあ、もしかしてそいつ、ゲームとかラノベとか漫画とかって単語を言ってなかったか?」

 僕が言うと、シャールはポケットからメモ帳を取り出して、ぺらぺらとめくった。

「……そうだ、それ! 意味がわかるのか!?」

 この世界に前世でいうところのゲームやラノベや漫画はない。小説はあるが、本自体が高価なものなので、あまり出回っていない。

 あの女が口にした「ゲーム」は所謂テレビゲーム、パソコンゲームのことだろう。これも、テレビやパソコンはないから説明が難しかった。

「絵を動かす技術か、興味深いが今は掘り下げて聞いてる場合じゃないな。あの女は、ここはそういう世界のはずだって言ったんだよ」

「作品の名前は?」

「ええと……ああ、これだ。『ドキドキオンライン~百人の彼氏と溺愛中~』。副題と『ドキドキ』はなんとなく分かるが、『オンライン』が分からない。ローツェ、分かるか?」

 この世界にはネットがないから以下略。

 どうにかこうにか説明すると、シャールは持ち前の理解力でちゃんと把握してくれた。

「それは、なんだか夢の世界みたいな話だな」

「前の世界でも夢みたいなもんだよ。現実に影響がでるほどやり込む人もいたけど」

 僕はゲームをやり込める環境にいなかったが、学校では何人か、ゲームのやり過ぎで常に寝不足なやつとか、よくサボるやつがいた。

「なるほど。ローツェのお陰で俺は色々と理解できたが……他の人には話せないな。どうしたものか……」

「あの女が魔物を使役できた理由は聞けたの?」

「魔術だ」

「魔術?」

 人を操ったりする魔術は存在するが、悪用を防ぐために、一部の高位魔術師しか扱ってはいけないことになっている。

 魔物を操る魔術は、あるはずがない。

「できるわけないと思うだろう? 試しに、プチラットを生け捕りにして女の牢に入れたら、確かに魔術でプチラットを普通の小鼠みたいに大人しくさせたんだ」

 プチラットは最弱の魔物の一角だ。プチ、なんて可愛い名前がついているが、十歳の僕たちよりも大きいし、噛みつき攻撃を喰らえば牙の毒で即死することだってある。

「王宮魔術師が魔術の解析を試みたが、普通の人間にはない力で魔術を放ったようだと言っていたそうだ」

 普通の人間ではない存在。

 それが、転生者ということだろうか。

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