休暇中、僕は学院の魔術練習室で魔術の自主練に明け暮れていた。

「若様、昼食のお時間です」

 カンジュが頃合いを見計らって、食事を運んでくれる。


 練習室はほぼ僕が独占しているが、時折別の生徒が使いに来る。

 交代のタイミングや、つい夢中になって終了時間を忘れる僕を呼んでくれるのもカンジュの仕事だ。

「ありがとう」

 僕はもう、開き直って侍女カンジュが相手でも、普通にお礼を言うことにした。

 初めは僕が侍女に頻繁にお礼を言うことに、シャールや他の生徒からも「え?」という顔をされたが、僕が「なにかしてもらってお礼を言うのはそんなに変なことか?」と言い続けたら、まずシャールが「それもそうだよな」と受け入れてくれた。

 それから徐々に、広まりつつある。

 と言っても、結局学院に侍女や侍従を連れてこれるのは伯爵家以上だから、絶対数は少ない。

 僕の現代知識チート、こんなもんなのかな。


「若様、本日は座学の勉強です」

「そうだった」

 いくら魔術や魔力制御が不得意だからって、普段の勉強を疎かにするわけにもいかない。

 週に三日は、座学の勉強をする日と決めていた。

 練習室へ向かおうと準備していた僕は、慌てて机に向かい、教科書をめくる。

 この体の頭は本当に出来が良い。

 覚えたいと思うことは、一度読めばあっさり覚えることができる。

 今日の分、と決めたところまでの予習と復習を終えても、まだ昼前だった。

「詰め込みすぎです。適度な休息も大事ですよ」

 今日は長期休暇5日目。毎日勉強していたら、カンジュに止められた。

 そういや、休暇は休むものだもんな。

 前世の記憶を他人の物のように感じたのに、こういうところは社畜体質が微妙に残ってる。


「学院の外へ行ってみようかな」

 貴族学院生は授業時間中以外、基本的に外出自由だ。授業後、とくに女子は連れ立って街へ行き、買い物やお茶を楽しんでいるらしい。

 魔力制御の練習が必要な僕はともかく、シャールのその時間を奪ってしまうのが申し訳ないとシャールに言ったことがある。

「必要なものは侍女たちが買ってきてくれるし、街をふらつくにも護衛がぞろぞろ付いてくるから、好きじゃないんだ。だから気にするな」

 だそうだ。


「それは宜しいですね。お供いたします」

「うん。カンジュは何か必要なものや欲しい物はない?」

「ありません」

 日頃のお礼に何かあげたかったのだけど、予想通りの「不要」の返事だ。

 ちょっと良さそうな喫茶店に入って、カンジュにも一緒してもらおう。




 貴族学院の周辺は、思ったより静かだった。

 主な利用者の学院生がほとんど帰省しているのだから、当然か。

 店の方も、扉やカーテンが閉まっているところが多い。

 空いていたのは、日持ちする食べ物がおいてあるお店や、飲食店がいくつか。

 筆記用具や雑貨を売っているお店は殆ど休業中だったが、一件だけ見つけた。

「ペンがもう何本か欲しい」

 前世の世界と違って、こちらのペンは羽根ペンか万年筆が主流だ。

 羽根ペンは本物の鳥の羽根だから脆く、しょっちゅう先を削る必要があるし、万年筆は金属の精度が低いのか、丁寧に扱っていてもすぐサビたり曲がったりする。

 そんなに安くないものなのに、鉛筆やシャープペンの芯ばりに消耗品なのだ。

「あとインクと……ノートも欲しいな」

 ペンの事情は厳し目なのに、紙に関しては前世と同じように安価で高品質なものが出回っている。ちぐはぐだ。

「若様、私がお持ちします」

 開いている雑貨屋に入ってかごを手に取ったら、カンジュに横からかごを奪われた。そこへ、僕がちらっと見ただけの品物をどんどん突っ込んでいく。

「ちょ、ちょっとカンジュ。そんなに買うつもりじゃ」

「折角だから買っておきましょう。勤勉な若様は筆記用具を沢山お使いになられますので。旦那様からは学用品用として資金をたっぷり預かっております」

「うーん、ま、腐るものじゃないからいいか」


 結果、在学中は困らないんじゃないかというくらい、大量の筆記用具をカンジュが抱えることになった。

「重たくない?」

 ペン類はともかく、ノートは意外と重い。僕が持とうとしたらカンジュに頑なに断られてしまった。

「問題ありません。次はどちらへ?」

「えーっと……。あのお店でお茶したい」

「畏まりました」

 まだ街へ出て一時間も経っていないが、僕は休憩を提案した。

 どうにかカンジュを説き伏せて、カンジュにもお茶とケーキを食べてもらうことに成功した。

「本当に宜しいのでしょうか」

 カンジュが珍しく動揺し、周囲をキョロキョロと見ている。

 店の雰囲気は悪くなく、他の客も貴族が多い。

 そんな中、主人と同じテーブルについている侍女は皆無だった。

 うーん、やっぱりこの世界の侍女や侍従って、立場が低すぎる。

「僕がいいって言ってるんだからいいの。ほら、食べて飲んで」

「は、はい。頂きます」

 お茶とケーキは普段食べているものと同じくらい美味しかった。

「美味しいね。普段カンジュが淹れてくれる紅茶も美味しいけど」

「恐縮です」


 休憩の後、一旦荷物を寮に置いてから、再び街の散策に出た。

 学院を出て大通りを抜けた先には、噴水広場がある。

「はじめてここへ来た時、馬車で通りすがったっきりだったから、一度来てみたかったんだ」

 少し強めの日差しの中だから、噴水は見ているだけで涼める。

 二人でベンチに腰掛けて、しばらくとりとめのない会話をした。

「あれから、例の女生徒とはどうなりましたか?」

「今までが何だったのかってくらい、何もないよ。僕やシャールの姿見て逃げるくらいだし」

「ディスタギール様の脅しが効いたのですね」

「うん。本当、シャールには助けてもらってるよ」

 その時、僕たちの前を物々しい装備を纏った一団が通り過ぎていった。

 彼らは、魔物特化傭兵、通称「魔特兵まとくへい」と呼ばれる人たちだ。

 この世界に魔力や魔術があるのは、生活を便利にするためだけじゃなく、魔物を討伐するためにあるとも言われている。


 彼らからは独特の臭いがした。真新しい血よりも生臭い、魔物の体液の臭いだ。

 どこかで討伐を終えて帰ってきたところなのだろう。


 魔物を相手にする彼らは、主に一般市民から尊敬の念を集めている。

 貴族はというと……残念ながら、他の貴族が侍女や侍従に対するものと同じだ。

 彼らは彼らの仕事をしているだけであり、それがどれだけ命がけであろうが、自分たちより下賤な者たちだという考えを改めない。むしろ血生臭さを嫌厭する貴族までいる始末だ。


 ふと、地面を見ると革袋がひとつ落ちていた。

 彼らの落とし物だろうか。

 拾い上げて、カンジュに一言告げた。

「追いかけてくる」

「あっ、若様!?」


 はじめのころはあれだけ苦労した魔力制御も、今ではかなり自在に扱えるようになった。

 と言っても、どうしてか攻撃魔術だけは未だに時折暴発してしまうが……。

 しかし魔術は攻撃だけじゃない。

 身体機能そのものを強化する補助魔術というものが存在する。


 僕は十歳児の身体に負担が出ないギリギリで補助魔術を駆使し、足の早い魔特兵たちの後を追いかけ、追いついた。

「待ってください! これ、落とし物じゃないですか?」

 僕が声を張り上げると、魔得兵たち以外にも、街の人達が何人か振り向いた。

「……あっ! 俺の耳入れ!」

 一番大柄な剣士風の男が声を上げた。

 耳入れというのは、魔物の討伐証明部位を入れる袋のことだ。小型の魔物の討伐部位は主に耳であることが多いことから、耳入れと呼ばれている。

「お前なぁ、大事なもん落とすなよ」

 別の、少し細身の剣士が肘で大柄な剣士をつつくと、大柄な剣士はガタイに似合わない照れた笑みを浮かべて、僕に近づいた。

「ありがとうな、坊主……いや、その身なりは学院生か。これは失礼を」

 剣士が膝をつこうとしたので、慌てて止めた。

「いえ、気にしないでください。いつも魔物を討伐してくださって、感謝してます」

 貴族にこうして話しかけられたら、魔特兵は最上の礼を取るなんていう風習まである。

 ほんと、やりすぎだよ。

 僕がそんな思いを込めて剣士に伝えると、剣士は腰を落としたまま、ぽかんと僕を見上げた。

「……ははっ、そう考えてくれるお方もいるんだなぁ」

 剣士はぽりぽりと頭をかきながら、やっと立ち上がってくれた。

「お前さんがそう言ってくれるのは嬉しいが、なんせ俺たちゃ魔特兵だ。あんまり仲良くしてたら、お前さんの評判に関わる。礼と言ったら何だが、魔物で困ったことがあったら、ここの魔特兵ギルドで『マデイラ』ってのを指名してくれ」

「わかりました」

 マデイラが、おそらく彼の名前だろう。気を遣ってくれる彼の意志を尊重して、僕は速やかにその場から離れた。


「落とし物でしたら、私が届けましたのに」

 ベンチに戻ると、カンジュが不服そうな顔をしていた。

「ごめん。でも、ちょっとだけ魔特兵に興味があって、話しかけてみたかったんだ」

 本当に単なる好奇心だった。

 前世でかろうじて読んだライトノベルによれば、こういう異世界には『冒険者』がいて魔物と戦い、或いは勇者となって魔王まで倒したり、最強に上り詰めて悠々自適の日々を過ごすパターンがよくあった。

 名前や立場は若干違うが、似たようなものだろう。

 それに、男として、そして十歳児として憧れたのだ。

 たったあれっぽっちのふれあいでは、解ることは少なかったが。

「そろそろ帰ろうか」

「はい」

 夕暮れの少し前だったが、僕たちは寮に戻った。




 僕は実家が遠方だからと寮に残ったが、寮に残る生徒は全体のおよそ十分の一程度。一学年に十人ほどだ。

 休暇に入ってからずっと静かだった寮が、なんだか騒がしい。

「何事でしょうか。見てまいりますので、若様はここで」

「僕も行くよ」

 どうせ待ってたって、騒ぎの原因は変わらない。

「若様……どうしてもと仰るのでしたら、お気をつけて。なにやら剣呑な気配がします」

 カンジュの瞳がいつもより鋭い。

 戦闘訓練を受けていたカンジュは、人の気配だとか殺気だとかいうものを感じ取ることができる。

「剣呑な気配?」

 カンジュはこくりと頷き、騒ぎの中心らしき場所へ目を向けた。


 よくよく見ると、そのあたりの床の色が赤い。

 寮の廊下は全面、ベージュ色っぽい木材が使われているはずなのに。


 僕とカンジュが駆け寄ると、生徒が一人血まみれで倒れていて、保健医のピスカ先生が治癒魔術を掛けていた。

「一体何があったのですか?」

 カンジュが周囲に聞いたが、取り巻いていた生徒たちも混乱気味だ。

「ままま真っ赤な、真っ赤な」

「違うよ黒かったよ!」

「どうしてあんなのがここに」

 僕は喧騒を押しのけて、ピスカ先生の隣に膝をついた。

 治癒魔術を受けている生徒の顔色が、良くないのだ。

 肩から胸の方へざっくりと刃か何かで斬られた痕があり、まだ血が滴り落ちている。

「先生、僭越ですが手伝います」

「! ああ、君が残っていたのですか、ガルマータ君。血は私が補いますので、君は傷口を塞いでください」

「詠唱は何を」

「〝繕い、綴じて、原風景を見せよ〟です」

 多分、最上級の治癒魔術だ。

 先生が魔力を血に替える魔術を詠唱したのと同時に、僕は傷口に両手をかざし、教わった通りに詠唱した。


「繕い、綴じて、原風景を見せよ」


 あえて制御はしなかった。一刻を争う事態に見えたのだ。

 治癒魔術ならば多少暴走しても、人体に影響は少ない。


 ……はずだったが、無制御の魔力は治癒魔術以外にも溢れた。


「ガルマータ君! もう大丈夫ですっ! 止めてください!」

「は、はいっ!」

 傷口は完全に塞がり、ぐったりしていた生徒は無事に目を覚ましたが……僕の魔力の余波のせいで、しばらく全身が光り輝く人になってしまったのだ。

「えっと、まだどこか痛むところ、ありますか?」

「ないけど自分が眩しい」

「だよね、ごめん……」

「ううん、助かったよ、ありがとう」

 彼は僕に丁寧に礼を言うと、ピスカ先生が着ていた白衣を頭から被せられた。

 眩しすぎて、僕も直視できないほどなのだ。


 やっちまったーと頭を抱えたい衝動を抑えてその場に立ち呆けていると、ぱたぱたと足音がした。

「魔物は討伐できたが、怪我人はどうしたかね」

 振り返ると、ついさっき嗅いだ臭いを漂わせた院長先生が立っていた。

「魔物!?」

「院長、ガルマータ君が治療をを手伝ってくれたので、怪我人は全快しました。ですが……」

 ピスカ先生が話をして、頭から白衣を被せられた生徒に目をやる。

 白衣越しでも、ぼんやり光ってる。僕の魔力、なんてことしたんだ。

「……ほっほっほ、なるほど。それはしばらくすれば元通りになるから安心なさい。彼は保健室で休ませてあげるといい」

 元通りになると聞いて、一番ホッとしたのは僕だったかもしれない。

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