「アンナ・プルナに会ったのですか? 彼女は入学直前に病を患ってしまって、休学しているはずです。本当に本人ですか?」


 職員室でそう教えてくれたのは、学年主任のモーネ・ヴェロッテという女性の先生だ。

 入学式のスピーチ騒動の時に、会話をしたことがある。

「プラチナブロンドにピンク色の瞳で、小柄な女の子が確かにアンナ・プルナと名乗りました」

「間違いなさそうですね。一体どういう事でしょう……と、あなた達に言っても仕方ありませんね。彼女は何をしたのですか?」

 僕が彼女にクッキーを貰ったことと、クッキーに過剰な魔力が込められていたことを掻い摘んで話した。

 ヴェロッテ先生は話を聞き終わると、苦渋に満ちた顔で眉間を揉んだ。

「先程も言いましたが、彼女は休学中で、自宅で療養しています。今朝も、まだこちらへ移るだけの体力がついていないと連絡がありました。あなた達から見て、彼女はどういう具合でしたか?」

 僕とシャールは顔を見合わせた。

「病気だなんて思いもしなかったです。元気そうでした」

「彼女、寮の僕の部屋にやってきて、僕の侍女に僕のことを聞き出そうとして、『授業は?』と問われたら泣きだしたそうです」

 ヴェロッテ先生の眉間のシワが更に深まった。

「食物に過剰な魔力を、しかも悪意あるものを込めるなど、言語道断です。プルナ家に確認を取っておきますね」

 記憶を掘り起こす魔術は「悪意あるもの」と認定されるようだ。




 ヴェロッテ先生と話をした次の日、教室へ行こうとすると、手前にある2組がなんだか騒がしかった。

 2組と言えば……。


「ローツェ君!」


 騒ぎの中心にいたプラチナブロンドが、僕の名前を叫んだせいで、その場に居た全員に注目された。


「お、おはよう?」

 曖昧に挨拶すると、アンナは僕に駆け寄ってきた。

「クッキー食べてくれた?」

 アンナの表情は無垢で無邪気で、それがどこか怖かった。

「ああ、うん、その……」

 またしても曖昧に答えると、アンナはぱあっと笑顔を輝かせた。

 周囲の男子の視線が超痛い。

「よかった! また作ってくるね!」

 アンナは笑顔を振りまくと、2組に入っていった。浮ついた様子の男子がぞろぞろついていき、女子がやや呆れた顔で続いた。


「おはよう、ローツェ。こんなところに突っ立ってどうしたんだ」

 後ろから僕の肩を叩いたのはシャールだ。

「アンナ・プルナがいる」

 見たことをそのまま伝えるしかなかった。

「は? え、昨日の今日で復学したってのか?」

「僕にもよくわからないよ」

「そうだよな……。で、何かあったのか」

「アンナから話しかけられて『クッキーを食べたか』って聞かれたから、うん」

「なるほど」

 濁した返事をしたことを、シャールは正確に読み取ってくれた。


 1組の騒ぎは、アンナが教室へ入ったことですっかり落ち着いている。

 僕とシャールが教室へ入ると、クラスメイト達に囲まれた。

「さっきの美少女誰!?」

「知り合いなんだろう? 紹介してくれよ」

「クッキーって、手作り?」

 矢継ぎ早に質問された。

「知り合いっていうか、向こうが一方的に僕を知ってるみたいで、僕もよくわかってない。クッキーは確かに受け取った」

 僕が返答をまとめると、クラスメイトからは悲鳴やため息が上がった。

「ずっと狙ってたのに」

「先を越されたわ……」

「2組の子可愛かったなぁ」

「やっぱり美少年と美少女は運命の赤い糸で」

 皆好き勝手言いたい放題だ。

 確かにアンナは美少女と呼ばれる部類に入るだろう。

 だけど、カンジュから聞いた会話の内容や、例のクッキーの件を知っている僕としては、彼女だけはやめとけと強く思った。あれはきっとヤンデレ彼女になる。

 皆との会話を適当にかわしているうちに授業の時間になり、一限目を終えた頃には騒ぎの余韻もすっかり消えていた。

 さすが優等生の集う1組。みんな切り替えが早い。


「やあローツェ。先程の子を紹介してくれないか? どうやって知り合ったんだい?」

 こいつのことを忘れていた。

 奴――そろそろ名前で呼んでやろう――フォート・ベン・ネビス公爵令息が、下心を隠さない下卑た笑みを浮かべながら、僕に擦り寄ってきた。

 若干十歳にしてその好色オヤジフェイスができるのもどうなんだ、お前。

「向こうが僕のことを一方的に知っているってだけだ。こちらから話しかけたことはないし、縁もゆかりもない。アタックしたいなら自力でなんとかしろ」

 僕がきっぱりはっきり言うと、フォートは目をぱちぱちさせて、それから笑みを深めた。

「そうか、そうなのか。よくわかった。ありがとう親友!」

 だから、僕とお前は親友じゃないっての。

 そして何がわかったのかは、この後判明した。


「俺はフォート・ベン・ネビス公爵令息だ。俺と付き合ってくれないか?」


 フォートのやつは昼休みのラウンジのど真ん中で、クラスメイトと共に「初めての学食」に訪れたアンナの正面に立ち、真紅のバラの花束を差し出しながら言い放った。


「はぁ? お断りです」

 アンナの反応が予想より更に冷たいと感じたのは、他の人も同様だったようだ。

 アンナの周囲にいた女の子たちも、若干引いている。

「お、俺は公爵令息で……」

「学院内で貴族階級を持ち出されても、意味ないです。邪魔だからどいてくれませんか」

 美少女の背後に、猛烈なブリザードの幻影が見える。

「いい……踏まれたい……」

 誰かの性癖が歪む声がしたが、どうか僕の関係者じゃありませんように。

 それにしても、可愛い顔して……いや、顔どうこうは関係なしに、フォートにあそこまで言えるとは。かなり気が強いか、世間知らずか、シャールみたく実は高位貴族だったりするのか。

「こ、後悔しても遅いんだからな!」

 フォートの方はアンナの態度に、目に涙を溜めて青ざめ、捨て台詞を残してラウンジから逃げ去った。

 アンナはというと、フォートなんて初めから居なかったかのように、周囲の女子たちに「おすすめは何かな?」などと呑気なことを訊いている。

「強いな、彼女」

「うん」

 僕とシャールはいつもの日当たりの良いテーブルで一部始終を見ていた。

 アンナは、今は僕に気づいていない。

「昼休み、彼女がここを毎日使うようなら、別の場所を探したほうがいいな」

「いつもの練習室はどうだ」

「いいのかな」

「いいんじゃないか? 駄目って言われたらその時考えよう」

 謎の言動をする彼女とは、できれば関わりたくない。

 クッキーの件を問い詰めたいという気持ちも失せて、今はただただ、僕にクッキーを渡したことをなにかの間違いであってほしいと願うだけだった。




 そんな願いも虚しく、僕はまたアンナと関わることになった。


 アンナが病気だというのは本当だった。

 普段は健康そうに見えるが、時折血液が逆流するような症状が起き、しょっちゅう気を失ってしまうのだとか。

 ようやく貴族学院に、しかも2組に入れることになったというのに、両親からは「学院の寮では心配だから家庭教師を」と言われてしまった。

 それでも学院に通いたかった彼女は、時折家を抜け出しては学院に潜り込み、あちこち見て回っていたのだそうだ。


「1組でトップの人ってどんな人かなーって、話を聞いて見に行ったら……もう、びっくりしちゃって」

 以上の話をしてくれたのは、昼休憩に練習室を使うことは認められなかったため、中庭のベンチでシャールと昼食をとっていたところへ現れたアンナ本人だ。

 今も、僕のすぐ右隣に陣取り、お弁当のサンドイッチを広げて寛いでいる。

 シャールやシャールの侍女は彼女にだけ紅茶を振る舞わないが、お構いなしだ。

「何がびっくりしたの?」

「だって……ええと、ほら、かっこいいから」

 かっこいいだけで、こんなにグイグイくるものなのだろうか。

「あのクッキーはどういう意図があったの? 実は手を付ける前に鑑定させて貰って、食べてないんだ」

「そ、そんなぁ……ふえぇ……」

 ピンク色の瞳から大粒の涙がぽろぽろと溢れる。

 被害者はこちらのはずなのに、何故泣くんだ。情緒不安定かな?

「なあ、あんた、えっと……」

 シャールが面倒くさそうな声で、名前くらいもう知っているはずなのに興味ない、邪魔だと言わんばかりの素振りで話を振った。

「ぐすっ……アンナ、プルナです」

「プルナ嬢。どういう意図があってあんな魔力をクッキーに込めたのか知らないが、あんたが泣くのは筋違いだろう。謝罪や弁明はないのか?」

 アンナは顔を上げ、真っ赤な目でシャールを睨みつけた。

「あなたには関係ない話です!」

「いいや、あるね。ローツェは俺の親友だ。親友が毒を盛られて黙って見てるなんてできない」

「ど、毒って、そんな、私、そんなつもりじゃ……」

「じゃあどういうつもりだったんだ」

 アンナは今度は口をつぐみ、下を向き、しばらくそのまま動かなかった。

 もうじき昼休みが終わる。

 僕はシャールに目配せして、早めに切り上げようと立ち上がった時だった。

「た……」

 か細い声が、僕たちを引き止めた。

「た?」


「食べてくれたら、よかったのに!」

 アンナは立ち上がって叫ぶと、テーブルに置いたサンドイッチの残りもそのままに、走って何処かへ行ってしまった。


「支離滅裂、無茶苦茶だな。シルビア、これを片付けて彼女の部屋へ」

「畏まりました」

 シャールの侍女のひとりがアンナの食べ残しをささっと片付け、女子寮の方へ向かった。

「クッキーを食べさせて、僕の記憶を掘り起こして、何がしたいんだろ」

 アンナが走り去っていった方を何となしに見ながら呟いた。

「向こうが言わない限り、こっちが知る由もないし、どうせ碌なことじゃないだろ。もし面倒ならあいつを退学させようか」

「え、それができるなら」

「奴はだめだ。公爵は難しい」

「そっかぁ……」


 アンナを退学させることはしなかったが、アンナは学院内で徐々に孤立していった。


 まず、シャールが「毒クッキー事件」の話をそれとなく流したのだ。

 食べても記憶が掘り返されるだけで死にはしないのだから「毒」は言い過ぎだと思うのだが、自白剤も毒のようなものだからと説得された。

 次に、僕自身が「親しくもないのにまとわりつかれて困っている」と周囲に漏らした。

 これは本音だった。僕は学業に専念したいのに、アンナは僕とイチャイチャしたいご様子なのだ。

 休み時間は居場所をあちこち転々としても見つかってしまうし、「邪魔だ」と追い返しても挫けず話に割り込んでくる。勉強のことや実のある話なら良かったが、彼女の脳内は端的に言ってお花畑で、よく2組に入れたなというレベルだ。


 先に堪忍袋の緒が切れたのは、シャールだった。

「お前、いい加減にしろよ」

 シャールが右手を上げると、騎士団のような制服を着た大人の男性が数人、音もなく現れた。

「シャール、誰この人たち」

「俺の護衛。王宮騎士団と同じ権限を持ってる。いいか、今すぐ俺達の視界から消えろ。次に俺たちに理由なく接触を図ろうとしてきたら、こいつらがお前を学院からつまみ出す。そして二度と学院に入れないと思え」

 椅子から立ち上がったシャールがいつにない剣幕で静かにアンナを怒鳴りつけると、アンナは唇をぎゅっと噛み、顔を真っ青にして逃げていった。


 アンナが遠くへ行ったのを見届けてから、シャールは椅子にドスンと座り直した。

 護衛の皆さんはいつの間にか気配すらなくなっている。

「ありがとう、シャール」

 僕が見様見真似でシャールの空いたカップに紅茶を注ぎ入れると、シャールは閉じていた目を半分開けて、にっと笑った。


 そしてようやく僕たちは平穏を取り戻した。



 そんなアンナも、ひとつだけ良いことをもたらしてくれた。

 フォートが僕に構わなくなったのだ。

 今度は僕を「恋敵」と認定した様子で、僕と無理矢理仲良くしようとする前の関係に戻った。

 厭らしい笑みを浮かべて擦り寄ってくるよりだいぶマシだ。




 こういった小さな騒動がいくつかありつつも、僕たちは学期末の長期休暇を目前に迎えた。

「ローツェはどうするんだ?」

 長期休暇は実家へ帰省する生徒が多い。

「帰らないよ。往復だけで半分以上潰れるし」

 長期休暇と言っても十日間だ。僕は比較的遠方からこの学院へ来ているから、移動時間が勿体ない。

「両親は寂しがらないのか?」

「予め了承済みだよ。手紙はこまめに書いてるし」

「そっか。俺は帰省するよ。シルビアを置いていくから、何かあったら彼女に伝えてくれ」

 シャールから数歩下がって後ろについているシルビアが、丁寧に頭を下げた。

「何かあったらって……ありそうだもんな」

「俺が想定していた事態とは少し違うが、あるだろうからな」

 僕とシャールはお互いに苦笑いを浮かべた。

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