10
魔物というのは、人里離れた場所に生息している。
魔物は人間を見かけると襲いかかってくるため、人間は対抗し、魔物を討伐しまくった。
その結果、魔物は人里から遠く離れたところに棲むようになった。
とはいえ、魔物としても人が住むような気候温暖、資源豊富な土地は魅力的なようで、時折人里近くに現れることがある。
そんな魔物は魔特兵が討伐してくれるので、普通に生活しているだけなら魔物と遭遇することはまずない。
よって、魔物が学院内に現れるなどとは誰も考えたことすらなかった。
魔物が学院内に入り込んだ原因、経緯、理由……まだ何一つ解っていない。
学院には厳戒態勢が敷かれ、休暇で帰省中の生徒たちには「自宅待機して各自自習」を命ぜられた。
学院に残った生徒も、寮での待機を余儀なくされ、授業再開日時は未定という通達があった。
学院の先生たちは魔特兵ギルドへ出向いて学院内はもちろん事、学院のある街全体の警備強化を依頼しに行ったりと忙しい。
一部の武闘派の先生は自力で魔物討伐をすると息巻いていたが、それは院長先生が止めていた。
自宅待機十日目、休暇延長五日目。結局、魔物が学院に入り込んだ原因はわからずじまいだったが、周辺に魔物はいないと判断され、学院が再開した。
休暇で帰省していた生徒たちの中には魔物を怖がって、当面の間は自宅学習を選ぶ人もいたが、八割くらいは学院に戻ってきた。
シャールは戻ってきた方だ。
「久しぶり。元気だった?」
「ああ。ローツェこそ大変だったな」
「僕は治癒魔術を暴走させただけだよ」
「何だそれ」
僕が魔物に襲われた人を治療し、眩しくしてしまった件を話すと、シャールは口と腹を思い切り抑えて笑いをこらえた。
ここがいつもの教室ではなく、練習室やシャールか僕の部屋だったら、大声を上げて笑っていただろう。
「くくく……ち、治癒魔術ってそんな、輝く人って……ぷはっ、だめだ、苦しい」
僕は必死だったというのに、失礼なやつだ。
人目があるところで話してよかった。
シャールはまだヒィヒィ言ってる。
「笑い過ぎだろう。後でシャールにも掛けてやるよ。一時間くらいで光は消えたらしいから」
「やめてくれ、俺が輝くとか……想像しただけで笑える、もうやめてくれ」
僕はわざと追い打ちをかけてやり、シャールは一限目の授業に全く集中できなかった。
流石にかわいそうだったので、後でノートを見せた。
「教室では話せなかったんだけどさ、こっちは色々あったよ」
授業後、休暇前と同じようにいつもの練習室へ入るなり、シャールが打ち明けた。
「俺も、魔物に襲われた」
「なっ!?」
シャールはけろっと言ってのけたが、僕は思わず立ち上がった。
「落ち着け、俺はこのとおり無事だ。他に被害も出なかった。俺の魔力量、知ってるだろう? 魔物くらい倒せる」
「でっ、でも……」
例えば、今ここに魔物が現れたとして、僕だったら魔物を倒せていたかどうか、怪しいところだ。
実戦で攻撃魔術を使ったことはないし、緊急時にちゃんと詠唱できる度胸や自信はない。
僕の魔力なら詠唱を途中で噛んだり、省略しても魔物を吹き飛ばせるかもしれないが、魔力制御に難有りの僕のことだ、周囲を巻き込んで、魔物より酷い惨劇を生み出す可能性だってある。
「ローツェ、ここに魔物はいないし、今も周辺を魔特兵が見回ってる。ここは安全だ。悪い、いきなり驚かせすぎたな」
「う、うん……僕も驚きすぎて悪かった」
僕が座り直すと、シャールは魔物と遭遇したときのことを話して聞かせてくれた。
「俺の家は学院から馬車で三時間程だから、ローツェと別れた日の夜には家に着いたんだ。で、しばらくは何事もなく過ごしてた。……そういや、学院に魔物が出たのも、休暇五日目だったな」
「まさか、シャールのところにも?」
「ああ、うちに出たのも五日目だ。俺が魔術で倒したような言い方をしたが、正確には護衛が魔物の動きを止めている間に、俺が魔術を放ったんだよ。ところで、学院に出た魔物の姿はどんなのだったんだ?」
「僕は直接見てないんだ」
「……探ってきてくれないか」
シャールが下を向いてぽそりと呟くと、何かが動く気配がした。護衛の誰かに命令したのだろう。
「うちに出たのは赤黒い小型の翼竜だった。結構大きかったな。馬車くらいあった」
「よくその状況で、詠唱できたな」
「びっくりしすぎると、自分でも驚くほど冷静になるんだよ。あと護衛の一人が爪で斬られそうだったから、無我夢中だった」
「そっか……。無事でよかったよ、本当に」
僕がシャールの肩をぽんぽんと叩くと、シャールはニッと笑ってみせた。
*****
「ガッシャー公爵のところにもですか」
「うん。皆無事だったって」
寮の自室に戻ってから、シャールの話をカンジュに伝えた。
シャールは特に口止めしなかったが、話すのはカンジュだけにしておく。
カンジュは僕のカップが空になっているのにも気づかず、考え込んでしまった。
「カンジュ?」
「申し訳ありません」
僕が声をかけると、カンジュは慌ててカップにお茶を淹れてくれた。
「何か気づいたことあるの?」
「その……失礼ですが、シャール様との契約のことを考えておりました」
「うーん、シャールは本人が狙われたわけじゃないし、学校に現れた奴も僕は遭遇してないからなぁ」
何より、魔物は人間の言う事など聞かない。
大昔には魔物を使役しようとした人がいたそうだが、どれも挑戦した人が無惨な死に様を迎えて終わっている。
王位継承問題に魔物を使おうとするなんて、あり得ない。
「若様、明日から私も学院に入ります」
「えっ、でも」
シャールやフォート他、一部の生徒は学院内に侍女を控えさせている。
僕が今までそうしていないのは、連れてきた侍女がカンジュ一人で、寮の部屋のことをすべて任せているのにこれ以上負担をかけないようにするためだった。
「部屋の清掃や食事の支度だけでは時間を持て余し気味でしたので、問題ありません。若様をお守りしたいのです」
普段のカンジュは、自分の要望をほとんど言わない。ようやく言ったと思ったら、僕のために動くことだ。
「無理しない範囲でね」
それでも、侍女がなにかしたいのなら、許可するのが主人の役目だ。
「というわけで、連れてきた」
翌日から早速、カンジュを学院へ連れて行った。授業中は教室の侍女控室で待機しているが、授業中でなければ教室に出入りすることもできる。
シャールとは面識があるけれど、改めて紹介した。
「連れてきちゃったか……。お前、ちょっと疎いもんなぁ」
「何が?」
何故かシャールは頭を抱えた。
「ろ、ローツェ君、こちらの方は君の侍女?」
「そうだよ」
普段たまに口をきく程度の仲のクラスメイトが声を掛けてきた。
それから周囲を見渡すと、皆カンジュに目が釘付けになっている。
侍女なんて見慣れているだろうに、どうしたんだろう。
声を掛けてきたクラスメイトが、僕の肩に腕を回して、カンジュに背中を向ける格好になった。
「か、彼女に恋人はいたりするのか?」
「へ? どうだろう、ずっと僕に仕えてくれてるけど、そんな話は聞いたことないな」
カンジュが誰かと付き合う……想像がつかない。
「あのう、恐れ入りますが」
頭の上に疑問符を浮かべまくる僕と、「そうかっ!」と妙に喜ぶクラスメイトの前に、当のカンジュが割って入った。
「私は若様の侍女として生涯お仕えする所存ですので」
カンジュがきっぱりと宣言すると、クラスメイトはみるみる気落ちした。
「ああ、そうですか……失礼しました」
クラスメイトは背中に影を背負い、とぼとぼと教室の端の机についた。周辺の別のクラスメイトが、なにやら労ったり励ましたりしている。
「何だったんだ」
「ローツェ、カンジュの顔の造形についてどう思う?」
シャールがため息交じりに不思議なことを聞いてきた。
「顔の造形って。綺麗だなぁとは思うよ。……はっ!?」
自分で言うのも何だが、僕の今生の顔立ちは美少年だ。そして、カンジュもかなり美人の部類に入る。
美しい顔がもたらす効果や影響について、僕はあまりにも無自覚だった。
「うーん……」
顔立ちだけでこうも騒がれることが、いまいち腑に落ちない。
これは周囲が皆、貴族だからなのだろうか。
もし僕が平民として、この世界にこの顔で生まれ落ちていたら、どうなっていたのかな。……なんて、起きていないことを考えても仕方ないか。
「フォートが居なくてよかったな」
「それはそう」
フォートは、魔物怖いから学院行きたくない派で、帰省したまま戻ってきていない。
元々1組の授業についていけなかったばかりか、無理矢理クラス長になったくせに仕事は周囲に押し付け、皆の足を引っ張るばかりの役立たずだったから、先生も含めて清々しているくらいだ。
「カンジュ。僕を守ってくれるのは有り難いが、フォートが通学するようになったら奴にだけは見つからないようにしてくれ」
「畏まりました」
「なんとかなるのか、それ」
「なんとかしてみせます」
カンジュはやるといったらやる人だ。無事に逃げ切ってくれるに違いない。
そうやって、何事もなく学院は再開し、以前の日常が戻りつつあった頃、再び事件は起きた。
「魔物だっ!」
二学期の中間試験の最中だった。
遠くで男の先生が叫び、続いて破壊音、ぐしゃりという湿った音、カツカツと靴ではない足音などが続いた。
「試験中止! 全員、非常口から外へ!」
魔物だと叫んだ声の先生が1組にまでやってきて、明確な指示を出してきた。
皆戸惑いながらも立ち上がり、先生の誘導に従って、普段は閉まっている扉から外へ出る。
思ったよりパニックにはなっていない。
「外へ出すってことは、内部に入り込んでるのか。いったいどこから、どうやって……」
外へ出て、集合場所へと並走するシャールがぶつぶつと呟く。
「こっちは駄目! 戻って!」
今度は列の先頭から女の先生の声がした。悲鳴が伝播して、1組の皆はその場に立ち竦んでしまった。
「ローツェ、結界魔術の詠唱は覚えているか?」
「そ、そっか。確か……」
僕は目を閉じ、聴覚もなるべく閉じて、集中した。
詠唱は思い出すまでもなく、口から勝手に滑り出た。
「籠の鳥は護られて、籠は外界を断ち切らん」
体の奥からぶわり、と魔力が広がる。
僕を中心に、クラスメイトと先生二人全員を覆っても、まだ結界は広がっていた。
「ガルマータ君!?」
「ローツェ、すげぇ……」
魔力制御はできていた。
ただ、どこまで広げるべきか、迷いがあったのは確かだ。
いっそこのまま、魔物を学院から弾き飛ばしたい。
そんな気持ちが浮かぶと、結界は学院全体を覆った。
結界の端に、何かがぶつかったのを覚えている。
そいつは結界の中にいれてはいけないもので、しかし結界の中に無理やり入ろうとして、逆に結界に傷つけられていた。
きっと魔物だ。
僕は魔物とぶつかっている部分に魔力を集中させた。
「グォォオォォオオオオ!!」
悍ましい叫び声が上がってすぐに止み、辺りが静かになった。
「若様!?」
「ローツェ、大丈夫か?」
目を開けると、カンジュとシャールが僕を覗き込んでいた。
僕はどうやら寝転がっているらしい。
意識が徐々にはっきりしてくる。
背中の柔らかい感触はベッドで、身体にはシーツが掛けられていた。
部屋に見覚えがある。学校の保健室だ。
「あれ? 僕、どうなったの? 魔物は?」
「君が討伐してくれたよ、ローツェ・ガルマータ君」
僕の問いかけに答えたのは、院長先生の声だった。
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