指を噛む女の話

 私がまだ下級の官位で有りました頃の話です。

 容貌もこれといって美人ではありません女の元へと通っておりました。

 しかしながら物足りず、何かと偲んで別の女のもとへと通っていたところ、正妻ぶって嫉妬をするのです。


「まったく、わたしという女性がありながら、遊び歩くとはどういうお心積もりなのでしょうか」

「はぁ」

「なぜため息をつかれるのですか!」

「こんなに嫉妬深くなく、おおらかだったらいいのに」

「なんてことを言うのですかぁ!?」


 そんなやり取りを面倒くさく感じ取っているのとは裏腹に、私のような取るに足らない男を、どうしてこんなに尽くしてくれるのか、という気持ちもございまして、自然と浮気をしなくなりました。

 この女は、私が考えていなかったことでも、なんとか男の利益になることはと工夫をこらして、ダメな女と思われたくないのか、気遣いが行き届いておりました。


「わたしは、左馬頭様の妻でございます」

「おや、左馬頭様はいつの間にこんな美しい妻をお持ちに?」

「いやぁ、ははは」


 と、美しくない容貌でありながらも、不意の来客であっても、よそに見せても恥ずかしくないよう常に化粧をして、男に恥をかかせない。

 本当に悪くはない女だったので、嫉妬深い点には目を瞑り、親しくしていました。

 しかしながら嫉妬深い部分をどうにかしてほしかったので、一つ考えまして。

 なんとかして脅せば、嫉妬も和らぎ、意地の悪い性格も直るだろうと思い、本当に嫌になったから縁を切る素振りを見せればよくなるのでは、と。


「またですか? どうしてわたしという女性がありながら――」

「そんなに強情を張るのなら、宿世の深い契りでも、縁を切ってもう会わない。今回限りだから、いくらでも疑うがよい。先行き長い夫婦と思えば、多少辛いことがあっても、がまんして平静を保ち、僻み根性がなくなれば、わたしもおまえをいとおしく思うだろう。わたしも人並みに出世し、一人前になれば、お前も妻として並ぶ者なくなるだろう」

「……ふふふ」

「なんだ?」


 別れを切り出しているというのに笑うから、どうしたのか思っていると、女が口を開いた。


「すべて見栄えも悪く一人前にもなれない人をがまんして、人並みに出世するだろう思って待つのは、気にならず、いやではありません。夫の薄情な態度に堪えて、いつかは帰ってくるだろうと、あてのない年月を過ごすのは、とても苦しいので、お互いに別れるときが来たのでしょう」


 と、女が憎らしそうに言うのです。

 大変腹立たしいことで、私も思わず言い返しました。


「なんだと? まるで私一人前になれないとでも言うような言い方は」

「そうは言っておりませんよ。わたしはただあなたの薄情さに耐えきれないといっているのです」

「おまえ――いっだぁ!?」


 カッとなって言い返していると、がぶり、と女が私の指を噛んだのです。


「お、おまえ……こんな傷をつけられては、世の中に出ていけない。馬鹿にされた官位も、これではどうして人並みに出世できるものか!出家しかできない身になったっ!……さらばだ、今日こそ最後だっ!」


 噛まれた指を曲げて、私は退出しました。

 退出するときに見えた彼女の顔は泣いていたので、これで懲りたと思い、遊び呆けていましたが、とある夜更けの霙降るときに、帰る場所がなかったのです。

 宮中での宿直は気乗りがしないし、気どった女の家では気が寒いだろうと考えていると、あの女が思い浮かんだので、向かうことにしました。


「やあやあ」


 家に入ってみると、私を迎えるときの準備がしてあって、今夜は来るだろうと待っている様子だったので、やはり、待っていてくれたのかといささか自惚れましたが、本人がいない。


「おい、そこの。女はどこへ行った?」

「夜分に親の家に行きました」


 留守の女房に聞くとそう答えるのみで、それ以上は教えてくれない。

 洒落た文も歌も残さず、今までと打って変わって全く無愛想なもので、私は以前喧嘩したときのことを思い出して、腹立たしくなりましたが、いつもより心のこもった色合いや衣装仕立てが、素晴らしく、私が捨てたあとも、気を配ってくれていたのがわかりました。


 ですので、彼女が私を見限ることもないだろうと思い、手紙を送り、私に恥をかかせないようにと返事もくれました。

 手紙で、


『今のようなお気持ちでは、一緒に暮らすことはできません。お心を改めてくださるのなら』


 とだけ言っていたが、まさか私を見限ることもないと思い、もっと懲らしめてやろうという気持ちで、改めるとは言いませんでした。


 それを女はたいへん嘆いてあっけなく亡くなってしまいました。

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