俄然、燃える

 家……宮殿に帰ると、どこからとなく笛の音が聞こえてきた。七歳の頃から何度も聞いた、藤の笛の音だ。やはり彼女の笛の音は心が癒される。


 音に誘われて、体が勝手に彼女の部屋に向かおうとするのを無理矢理止める。大人になった今、理由もなく彼女の元へ行くことは許されない。帝は藤のことを母と思えと言っていたのに。


 仕方がなく、自室へと戻り彼女の笛の音にしばらく耳を傾ける。

 笛の音が止んだところで、俺も懐にしまっていた横笛を取り出す。元服の前日、別れる時に藤から渡されたものだ。きちんと『奏技』が扱えるものだ。


 それを手に取り笛を吹く。

 発動させる『奏技』は【思念交流】。

 二人が同じ音を演奏することで実際に合わずとも話ができるというもの。言ってしまえばテレパシーのようなものだ。


『遅い!いつまで待たせるつもりなの!』


 演奏が終わると、無事『奏技』が発動したのか藤の声らしきものが頭に響いた。


『ごめんなさい。少し遅くなりました』

『許せないわ、許してはおけないわ』


 実際に会ってもいないのに、彼女が頬を膨らませて文句を垂れているのが容易に想像できてしまう。


『そんな可愛いことを言うんですね』

『む、実際に会わないとこうも強気なのね。今度わからせてあげないと』

『それは……勘弁してください』


 十二歳になった今でも、彼女にありとあらゆる面で叶う気がしない。それなりに経験豊富な自信があったが、いつでも彼女に手玉に取られていた。


『それで? どうだったの、お嫁さんとは』

『可愛い方でしたよ。正妻として迎えてよかった』


 これは本心だ。最初こそどうなるものかと思ったが、接してみれば大切に育てられたことがわかった。兄の元へと嫁がせるために育てられたと言っていたのもよくわかった。


『さっそく私だけのモノじゃなくなってる……』


 藤が悲し気にそんなことを言う。しょんぼり、という擬音が似合いそうだ。


『元々貴女だけのモノでは……』

『それでも、やっぱり独り占めしたくなるのよ……身分が身分なのもわかっているのにね』


 そういう彼女の雰囲気はどこか自虐に似たものを感じた。会えないのがもどかしくてたまらない。もし会うことが叶うのならば、今すぐに駆けつけて抱きしめたいのに。


『……藤。俺、帝になります』

『え……?』

『貴女に会うためにはやっぱりそれしかないと思ったので』


 ハーレムを築くため、という目標は伏せておくことにした。実際これも大きな理由なので嘘はついていない。


『……どうするつもりなの?』

『決まっていません。ただ、確実にこのままではいけないということはわかっています』

『……そう、わかったわ』


 案外すんなりと、藤は俺の野望を聞き入れてくれた。その胸中を察することはできないが、反対されなくてよかった。


 ふぅ、と息を吐く。


『それで、そちらは?』

『言おうか、悩んでいたのだけれど……アナタが帝になると決めたのなら、言うべきかもね』


 少しばかり深刻そうに、藤が話し始める。


『帝様は、その地位を降りた後は私と隠居するつもりだそうよ』

「は?」


 思わず、口に出てしまった。

 そんなバカな。確かに藤は帝から確かな寵愛を受けているとはいえ、正妻ではない。

 隠居するのなら、てっきり正妻である弓徽ゆきと一緒とばかり思い込んでいた。


『なんで……』

『さぁ、なんでかしらね。どうして、私は――』


 何かを言いかけて、やめた。何を言おうとしたかはわからない。けれども、一つだけわかる事実がある。


 藤が、完全に手の届かなくなる存在になるまで、残された時間は少ない。


 そして場合によっては、父に手をかけなければいけないことになるかもしれない。


『わかりました。それが知れてよかった』

『え?』


 ハーレムへの道のりは厳しいことは分かっていたが、こうも厳しいとは。


『愛しています、藤』

『な、ちょ、ちょっとまっ――!』


 最後まで聞く前に俺は一方的に【思念交流】を切った。


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