年上幼馴染系ヒロインは大体えっちぃ

 来た道を戻ればいいだけだ、そう決めつけて俺は廊下を疾走を始めた。

 廊下が曲がり角を迎えた時、不意に人影が現れた。全力疾走を決めていた俺は急に止まることができず、そのままぶつかってしまう。


「あいたっ!?」

「あらっ?」


 しかしながら、七歳の小さな体に小さな力。ぶつかった相手は倒れることなく、俺だけが尻もちをつく形になってしまう。


「いたた……」


 痛むお尻をさすりながら、ぶつかった相手を見上げる。

 可愛らしい女の人だった。身長からは年齢は十代後半くらいかそこらかとも思われ、その雰囲気はまだ少女を帯びている。腰にかかるほど長い黒い髪をしている。端正な顔立ちをしている。綺麗な人だ。


「あら、あなたはもしかして光の君?ごめんなさい」


 おっとりとした声で彼女は俺に謝る。手を優しく差し出してくれる。

 差し出された手は透き通るほどに綺麗で、触ると驚くほどに柔らかかった。

 一目惚れだった。

 この世界に来て初めての、初恋。

 前世で様々な美少女と出会ってきたけれど、これほどまでの人とは出会ったことがない。

 俺が七歳という子供でなければ、即刻お付き合いを申し出るところだ。


「……」

「あ、あの、なにか?」


 俺が見惚れていると、彼女は困ったように笑って首傾げる。傾げた時に垂れた髪が色気を醸す。


「いえ……その、あなたの名前は?」


 前世で女の人に名前を聞く時にはなかった緊張が、今の俺にはあった。

 心臓の鼓動が速くなる音が聞こえる。声を出してから何秒、何分、何時間経ったかわからない。


「私?私の名前は藤。藤よ」


 藤は、急に名前を問われたことで少しばかり訝しむような表情を一瞬だけ浮かべて、そう答えた。


「ふ、藤」

「ふふっ、あら、いきなり呼び捨て?」

「あ、いや、ごめんなさい」

「いいわよ、噂には聞いていたけれど、本当に綺麗な顔をしているのね、貴方」


 藤はしゃがんで俺の顔を覗き込んでくる。必然的に、目と目が合い、綺麗な顔が俺の目の前いっぱいに広がる。纏う甘い香りが俺の鼻口をくすぐる。


「い、いえ……あっ、あなたのほうこそっ」


 俺は見つめていられなくなって明後日の方に顔を逸らして少し雑に言い放ってしまう。


「ふふっ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」

「お、おせじとかじゃ」

「わかってるわよ、私、この顔で帝様の寵愛を頂いたんだもの」

「え」

「……?どうかした?」


 今、絶望的なことを耳に入れてしまった気がする。帝の寵愛?それってつまり、この人は親父と……ダメだ、これ以上考えたくない。


「あぁいえ……そうだ、俺、この本について父上に聞きたいことがあるので……っ!」

「待った!」


 それでは、と立ち去る前に、藤に首根っこを掴まれ、捉えられてしまう。

 俺七歳、あまりにも弱すぎる。


「その本、私でも教えられるわよ?」


 ふふん、と自慢げに笑う藤がまた可愛くて、さっきの衝撃的な事実さえなければと思わずにはいられなかった。


「しかし、その歳でもう書を学ぼうだなんて、なかなかやるわね?」


 俺は藤に連れられるままに彼女の部屋に入れられた。


「あ、あのぅ……ここって、俺みたいなのが入っちゃいけないんじゃ」

「大丈夫、あなたは特別よ。帝様も許してくれるわ」


 藤が口元に人差し指をやって微笑む。本当に可愛らしい人だ。


「さて……この本にはね、奏技について書いてあるの」

「奏技……?」

「えぇ、演奏する技能と書いて奏技」


 それはただ単に演奏するだけでは、という疑問が浮かんだ。ただ演奏するのとは何か違いがあるのだろうか。


「それって火が出たり?」

「それができるかどうかは、貴方次第ね」


 そう言うと藤は、部屋にある棚の中からひとつ横笛を取り出す。


「これが奏技に使う道具。ただの笛じゃないわよ、ちゃんと力の込められたものじゃないと奏技は発動できないの」


 言いながら、藤は横笛を口元へとやって一曲ばかり笛を吹く。

 心地のいい音色だった。聞いていて落ち着く、安心する笛の音。それと、体が少し暖かくなったような……


「どう?」

「とっても心地のいい音色でした……」


 先ほどの音色が頭に残って、離れない。俺はぼんやりと返事をする。


「これが奏技よ。今のは癒す類のもの。別に笛を使う必要はなくて……この書にある通りの音を鳴らすことで特別な力が扱えるの」


 俺が持っていた「まじないの書」を開いて指を置く。なるほど、さっき読めないと思ったのはこれが楽譜だったからか……いや気づけよ。


「まあ、これ以外にも僧侶様が使う“祈祷”なんてものもあるけれど……出家をしない限りは、関係ないわね」


 そこまで言ってから、藤が持っていた横笛の口元を拭いて俺に差し出す。


「さぁ、やってみましょう?笛はこれしかないから、嫌じゃなければこれを……」


 藤が少しばかり恥ずかしそうに、目を逸らして言う。意外と俺に対してそういう意識をするらしい。


「じ、じゃぁ……」


 俺はおずおずと笛を受け取り、口元へとやる。さっきの拭き取りが甘かったのか、笛の口がほんのりと濡れているような気がした。

 俺は先ほど藤が演奏した曲を思い出して、笛を吹く。前世で音楽の経験などないはずなのに、思っていたよりもうまく吹くことができた。もしかしたら、この体自体がそう言う才能を持っているのかもしれない。


「美しい音ね。私、気に入っちゃった」


 演奏が終わると、藤がふっと微笑みを浮かべながら、そう評してくれた。


「源様ー、源様ー?」


 そうしていると、廊下から俺を呼ぶ声がした。桐が亡くなって、俺の母代わりに乳母としてここまで育ててくれた人の声だ。


「あら、時間みたいね。また会いましょう」


 藤もそれを悟り、別れの挨拶をくれた。

 少しばかり残念だ。もっと彼女と話をしたい。奏技を教えてもらいたい。

 だが、これ以上ここに居残ろうとしては、彼女に迷惑がかかってしまうかもしれないし、なによりここで無理に居残ろうとして彼女に嫌われてしまうのも嫌だ。


「あ……はい、ありがとうございました。笛は返しますね」


 そう言って俺は笛を机の上に置いて、書を取り、部屋を後にする。


「えぇ……また」


 部屋を出るときに彼女がそう呟いた声が聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る