大罪人と波乱の日々⑥

 喫茶店を出た後、つけられている気配を感じた。意識を向けて確信した。しかし、どうにも玄人という風ではない。ある程度場数を踏んでいる人間なら一発で気取れてしまうレベルの、拙い尾行。とはいえ、誰とも知れぬ相手に追われる身、念のため身体を借り細心の注意を払って確認することにしたのが先ほどの話。それでつけていたのが知り合いと判明したので、不必要に安心してしまった。

 そういうような弁解を、サイモンは悪びれもせず述べた。

『私としたことがな。ある種の平和ボケか』

 未だノエルは街中をうろついている。しかし、先ほどまでの物見遊山気分ではない。サイモン共々、どう対応したのか決めかねているのだった。

 このまま学院に帰るか、それとも。

『問題は後ろのバカ二人だ。私が気付いているんだ、奴さんたちも私たちに尾行がついていることには気付いているだろう。しかもその尾行がお前と同じ制服を着ているとなれば』

「このまま僕たちだけが安全な場所に逃げ帰るんじゃ、二人に迷惑が掛かるかもしれないってことだよね」

『そういうことだな。おそらくは喫茶店で茶をしばいた前後に見つかったのだろう。後ならいいが、前ならご友人様と受け取るのが自然だ。片や棒切れ振り回せばそれなりの大男、片や名門スュラン家を継ぐ魔術師。放っておいても問題はなさそうだが、さてどうしたものか』

 腕っぷしの強さであればラッセルは軍人顔負け、おまけに隣にいるのは稀代の天才魔術師である。ちょっとやそっとのことで怪我をさせられるような組み合わせではないという点に関して、ノエルは全く同意だった。しかし、必ずしも相手がちょっとやそっとで済ませてくれる保証はどこにもない。

 少なくとも、ノエルはあの夜死を覚悟した。

 少なくとも、首飾りの元の持ち主は殺された。

「ダメだよ。危険を擦り付けるような真似はできない」

『大した知り合いでもかなろうに』

「サイモンさん風に言うと寝覚めが悪いってやつだね。正直言うと、誰かを自分の身代わりにする度胸がないだけなんだけどさ」

 仮にこれがアーなんとかであっても、自分は同じ選択をしただろう。

 嘲笑とも冷笑ともつかない笑い声を、サイモンは洩らした。

『……ならばそれを尊重しよう。ところで、もう少し歩を緩められるか』

 言われて、ノエルは我知らず急ぎ足になっていることを知った。そこまで冷静になれば、胸の鼓動も、手の震えも、はっきりと自覚できた。

『安心しろ。面倒ごとは私の領分だ』

 サイモンの声は全く気負っている節がない。自らが負けること、失敗すること、それらがありえないと確信しているようだ。見ている世界が違うとノエルは思った。

『ただ、アホのふりをするのだけはどうも苦手でな。しばらくは頼むぞ』

 身から出た錆だ。ノエルは小さく首肯する。

 いよいよ空の端が染まり始めた。通りの人の数も、自由に動き回るには多過ぎるが、昼過ぎの身動きも取れないほどに比べればずっとましになっている。

 夜が来る。

 その前に蹴りをつけなければならない。

 サイモンの手足となって、ノエルは道を行く。驚くことに、彼は半日ぐるぐると歩き回っただけで、通ってきた道を覚えるのはもちろん、街の構造についても理解してしまったらしい。端然とした道案内は、本当に、今日初めて訪れた人間のそれとは思えなかった。

「ところでさ、つけてるのって、やっぱり例の夜の人たちの仲間かな」

 黙っているのが一番だと思いつつも、沈黙の圧に負けた。静かにしてろ、そう叱責されることを予想しながら返答を待っていると、意外にも気にした風もない軽口で、

『おそらくはな。他に心当たりはあるまい?』

 促されて、これ幸いとノエルは食い気味に答える。

「ない。何者なんだろう。ずっと張ってたのかな」

『だとすればかなりの入れ込みようだな。かれこれ半月になる。その間ずっと人探しをさせていたとなれば、それなりの出費になったはずだ。しかも、生半可な人間では太刀打ちできないことは、前回で身に染みただろうから』

「それは高くつくはずだよね」

『あの夜の三人も単なるごろつきからは程遠かった。雇い主が誰かは知らんが、まあまあ財力があって、かつ無頼の輩ではない、というところまでは自信を持って予想ができるな』

 ただ、

『首飾りが表立って探されている気配がないのが気になる。お前の予想したようにこれが盗品だというなら、正式に官憲に願い出るだけの話なはずだ。そうすれば大手を振って学院内も探せるしな。この辺りがどうにも引っかかる。首飾りの中身が私だった、ということも含めて』

 うむむと唸ってから、

『お前、元の持ち主から何か聞いておらんのか』

「全く」

 そもそもあの男の言葉は何一つ信用に足るものがなかった。あからさまに嘘で塗り固められた説明の数々、魔具の価値を判断できるとは思えない物差し。

「強いて言うなら切羽詰まった感じはあったかな。身なりが悪かったってのは前にも言ったよね」

『浮浪者のようだったというのは聞いたな』

 会話のあいだに、次の次の角を右に、と指示が飛ぶ。あまり街の中央部まで出かけることのないノエルではあるが、何となくサイモンの意図が掴めてきた。

 気付けば、通りを行く人足は、ぐっと目減りしている。

『切羽詰まった……。なあノエル、私にはどうも、そいつが全くの部外者で盗人だとは思えんのだ。これだけ躍起になって捜索するようなもの、しかも後ろ暗いところがあるような物品を、浮浪者紛いの人間にいとも簡単に盗まれる――いくらなんでもおかしな話だとは思わんか』

 確かにとノエルは思う。

 金と時間をかけてまで取り戻そうとしているのは、普通に考えればそれが大切なものだからだ。探し当てるのに費やすリソースに見合う価値があると判断しているからだ。一般に、そういうものは、まず盗難対策をする。金庫に入れるとか、他人の入れない場所に保管しておくとか。公にしたくないものであればなおさらである。これだけの金を割ける人間、モノであれば、対策もそれなりになるのが必然。

 一つあり得そうな可能性としては、内部犯という線があるけれど。

「使用人ってことはないと思う。そんな身分には見えなかった」

『しかし正当なる所有者にも見えなかった』

「うん。これ、そんな安いものじゃないよ。サイモンさんが宿ってることを抜きにしても金貨数十でも足りないかもしれないし、サイモンさん込みならまず値はつけられないだろうね。誰かの研究室か、帝国博物館か。もしかしたら女王陛下の七宝が八宝になるかもね」

『やはり単なる盗難とは考え辛いな。浮浪者とやらは一体どういう経緯で入手したのか。どういう立ち位置にいたのか。それになぜ公にできないのか』

「最後のはサイモンさんが宿ってるからでしょう? 魔術史に残る大罪人ですよ」

サイモンは冷静な声音で、

『いや、前にも言ったと思うが、私が覚醒したのはお前の手に渡ってからだ。その前の記憶となると生前まで遡る。私が宿っていると知っているのはお前だけでもおかしくないし、よしんばそういった文言が添えられていたとして、この首飾りには大罪人の魂が眠っている、なんて世迷言、どうして信じられる? 例えばお前、クリティアスの魂が宿る指環を買ったとしてそこまで信じられるか? 他人にはばかるほどに。それに、届け出る際に馬鹿正直にこれはサイモン・クロウリーが作り宿る首飾りですと言う必要はない。単にとても高名なる魔術師が作ったと伝え聞く翠玉の首飾りです、で済む話ではないか』

「それは、ごもっともです」

 サイモンの声の奥には、どこか火が燻っているような、かすかな興奮があった。

『私以外に何か理由があるのだ。存在を知った人間を消さなければならないような』

 そこでふっとノエルは思い出した。サイモン・クロウリーの大き過ぎる存在感ゆえに、忘れかけていた事象だった。

「そういえばサイモンさんが出てくる前にも、ちょっとした効能があったんですよ。いきなり感覚が鋭くなって。もしかしたらサイモンさんが出てくる予兆だったのかもしれないんですけど」

 痛いほどの沈黙が、一瞬だけあった。

『鋭くなるって、どのくらい』

「びっくりするくらいですね。あの状態だったら僕でも不自由なく魔術使えるんじゃないかってくらい。まるで世界と一体化するみたいな」

 ノエルの中でひらめきがあった。

「そうだ。価値が高過ぎるから公にできないって可能性はないでしょうか。何かの間違いでそういった首飾りの魔術的価値が明らかになってしまったら、自分の手を離れてしまう可能性があるから。世の中、美術品や骨董品のためであれば、一人や二人殺しても構わないという人間は多々います」

『ふうむ。現実に即しているようだが、それだと浮浪者の手に渡った理由がやはり説明できん』

「そもそも盗品で浮浪者は下手人の一人」

『盗人というのは往々にして盗品の価値を知るものだ。それに、そんな足が付きそうな売り方をするとも思えん』

 もっともである。ノエルとて後半は思い付きという自覚があったので、あっさりと引き下がった。

『どちらにせよ、こうもしつこいのであれば、あまり棚上げして生活するのはよした方がよさそうだな。今一度考え直す必要がありそうだ。さて、ここらでいいだろう』

 驚きはなかった。大通りから小通りへ。小通りから路地裏へ。まるで人を避けるように歩いてきたのだ。二重の追手。周囲に迷惑をかけない処し方。王都という特殊な環境における最適解を探せば、ノエルにだって想像はつく。

 袋小路。行き止まり。

 まるであの夜に至ったような、そこは女王の目の届かぬ、王都の死角だった。

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