大罪人と波乱の日々⑤
卒業まで隠し通すのは無理かもしれない。
そんな当たり前のことに今更気付くのが、ノエルがノエルたる所以である。
『いっそのこと打ち明けてしまえば早いんじゃないか。なんとかなるだろ』
澄み渡る空の下、どこまでも希望的な感想が脳内に響く。
五番街は一般に、王都の玄関口として知られている。その理由は全く単純に、南西にある巨大な建造物――駅舎の存在に求められる。アウローラ駅舎、あるいは女王陛下の名を取ってメアリ駅舎と呼ばれるその駅には、帝国内の要所を結ぶ国内鉄道と大陸横断鉄道、二本の線路が敷かれており、毎日山のような荷物と一緒に、たくさんの来訪客が運ばれてくる。
外の人間はまず五番街に降り立つ。ゆえに玄関口というわけである。
そんな五番街のもう一つの顔が、アウローラ屈指とも謳われる、商業区としての花めきである。二十年ほど前に駅舎ができて以来、とにかく人の出入りが激しくなった五番街は、自然と旅人向けの宿屋などが増え、それに伴って常設の店棚が軒を連ねるようになったのだ。今では商人と旅人こそが五番街の住人であるとまで言われ、その華やかさに惹かれて、居を構える人間は後を絶えない。煉瓦造りの建物が多いのは、そういった新興の途上にあることの表れなのだった。
学院のある二番街が魔術的な最先端であるとするならば、五番街は商業の、そして流行の最先端を行く街と言える。サイモンが上の空な物言いになるのも、まあわからないではないのだけれど、進退のかかったノエルからすれば、帽子や外套と自らの人生どっちが大事なのかと、声を荒げずにはいられなかった。
「そんな適当に言わないでよ」
珍しく、そこには明確になじる響きがある。もっとも、相手が悪かった。
『物分かりは良さそうに見えたがなあ』
もはや独白に近い。ノエルは諦めて肩を落として、
「そりゃ、ほかの人よりは広いだろうけどね、懐」
アデールは善悪功罪を重視するタイプではないし、ラッセルはあれで正当な事情さえあれば融通の効く方だ。此度の一件について、詳らかに説明すれば、黙認してくれる可能性はある。しかし、所詮は可能性。学院から追放――つまり退学という名の破滅と天秤に掛けるには、見るからに軽過ぎる。
『そうは言うがな、スュランのガキには確実に怪しまれてるぞお前』
「……やっぱりそう思う?」
『態度からしてな。ラッセルといったか、あの男から睨まれるのも遠くはあるまい』
学院でも指折りの二人だ。疑心が確信に変わる日は、サイモンの言う通り遠くないかもしれない。となれば、それまでに手を打たねばならないが。
「なんかいい方法ない?」
丸投げするも、サイモンの反応は芳しくなかった。自称大魔術師の英知を結集しても思い付かないのか、返答もないまま、一秒二秒三秒、
「サイモンさん?」
また何かに気でも取られたか。内心で毒づくノエルに、
『ん、ああすまんな。だけどもう少し目先のことを考えた方がいいと思うぞ』
「どういう意味さ」
『いやそのままだよ。誤魔化す言い訳を探すよりも先にやることがありそうでな。お前、つけられていることに気付いているか』
寝耳に水だった。こちらの反応で察したのだろう、彼は軽く笑って、
『そうこわばる必要はない。相手は完全な素人だ。おそらくは、今日が初めての尾行だろう。てんでなっちゃいない』
こわばる必要はないと言われても、尾行される理由など、首飾りの一件しか心当たりのないノエルである。到底落ち着けるわけもなかった。後ろを振り向きたくなる気持ちを必死でこらえ、
「でも、大丈夫なの?」
『さあな』
「さあなって」
『命の心配はあるまい』
確かに日はまだ高い。天下の往来もまだまだ盛んだ。手を出される心配は低いだろうが、
『そうではない』考えるような間を挟んで、『身体を少し貸してはくれぬか』
「身体を?」
いつかの約束通り、サイモンはノエルの身体を使う時、こうして許可を取るようになっていた。今のところ悪さを働いたことはないし、用さえ済めば返してもらっているので、気安く承知できる程度には慣れて久しい。
『それが手っ取り早いのだ』
言われるがまま、身体をサイモンに明け渡す。眠りに落ちる瞬間のような、わずかな意識の断絶の後、ノエルは例の如く、深いところ――意識の水底にいた。
何も考えなければ真っ暗な闇、しかし、思考をすれば色々なものが見えてくる、そんな空間である。
意識を主観的な上部に向ける。ずっと向こうには水面としか思えない煌めきがあり、目を凝らせば、その中に鮮やかな雑踏を見て取ることができる。ノエルの身体が経験している現実が、少しだけぼやけて映し出されているのだった。
「どうだ」
『うん。問題ないよ』
「では今から追手を見せよう。意識を向けておいてくれ」
そう言うと、彼は道の脇で商いをしていた屋台の軒に入った。どうやら野菜や果物を扱っている店らしい。いかにも魔術師然とした風体に、店の主はちょっとだけ驚いた様子を見せたが、彼が売り物に手をかけると、商売用の笑顔を浮かべて、「どうです」
「中々の品質だな。これはどこで」
「すぐそこのモーリー区ですわ」
二、三、世間話を交わすと、彼は林檎を一つと野菜を幾らか買った。持参していた布袋にそれらを詰め、ノエルの財布から硬貨を取り出して主に代金を払う。
と、その一瞬の間に、ちらと横目で今来た道の方を覗った。
『あっ!』
「ありがとう。機会があればまた来るよ」
布袋を腕から下げ、彼は何でもない風に雑踏へと立ち戻る。
そして、ノエルに現実が返ってきた。
『すまんな。余計な出費をさせてしまった』
「いや、それはいいんだけど」
布袋はずっしりと重いが、大した出費ではない。しばらくパンだけの生活が続いていたので、今夜あたり、何か作るのもよかろう、なんて思いさえする。それよりも今大事なのは、
「あのさ、人混みにいたのって」
『さすがに目立ち過ぎるな。あの恰好と背丈では』
ではやはりサイモンの言う尾行している者というのは。
ノエルは水底で見た映像をもう一度、間違いのないように思い浮かべた。
「つけているのは、ラッセルさんとアデールだったんだね」
サイモンが楽しそうに鼻で笑った。『そのようだな』
理由は明々白々だろう。知人の様子がおかしいことに気付いたアデールが、跡をつけようと言い始めたに違いない。呆れとも敬いともつかない感情にぐるりと目が回る。
「追いかけてくるのは予想外だったな。サイモンさん、二人を撒けます?」
サイモンはため息を吐いて、
『普段のお前はそんなに敏感で機転が利くのか』
「……全然です」
『であれば何事もないように市を回って帰るのがよかろう』
何軒目かも知れない露店を離れたタイミングで、
『意外にしつこいな』
「まだいるんだ」
『気配がする』
ノエルにはさっぱり分からない気配である。ぐるりと首を巡らせるだけで、数十、いや百人以上視界に入るほどの賑わいなのに、どうして自分をつけ狙う存在を逆探知できるというのか。
『そうでもしなければ生き残れなかったからな。いや、結局死んではいるが』
「あーそういえばすごい悪い人でしたねサイモンさん」
慣れとは怖いものである。
『自慢ではないがな、当時は国境を越えて入国禁止のお触れが出されていたほどだ』
「どこで見つかっても牢獄行きみたいな」
『下手をすれば絞首台。そりゃあ気配にも敏感にも……』
そこでサイモンは不意に黙り込んだ。夜には遠く、夕暮れもまだ先で、それでも往来は幾らか落ち着き見せ始めた、そんな刻限である。ノエルは思わず足を止めた。後ろを歩いていた街人が、邪魔くさそうに右に避けて抜けていく。
『ノエルよ。どうにも、私はまだ寝ぼけていたらしい』
「はい?」
『追手はあいつらだけではないようだ。なるほど、私たちはかなりの人気者らしいな』
気の早いカラスが、どこかで鳴き声を上げた。
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