第7話 ばあばが島にいる理由
7月27日、結衣が輝石島に来て3年が経過した。1年も輝石島で暮らさないといけないのかと落胆していた結衣だったが、そんな影は全くない。結衣は、悠生が帰った後も、潮浜診療所で看護師として働いていた。何せ若いのに飲み込みが早い。ベテラン看護婦長泰子も大喜びだ。
泰 子「いずれは、私を継いで看護婦長にな
るわ」
結衣も、毎日が充実していた。忙しい日々のためか、康史や悠生の事はすっかり忘れていた。
8月1日18時、診療所から帰宅した結衣。
結 衣「ばあば、ただいま」
家に入り、自分の帰宅を告げるが、たゑ子の返事がない。不審に思い、外に飛び出す結衣。
結 衣「ばあば、どこ?」
ばあばと叫びながら、家の周辺を歩き回る。しかし、人気はない。結衣は、ご近所を訪ねてまわる。
結 衣「すみません。祖母のたゑ子を見かけ
ませんでしたか?」
近所A「見かけないわよ」
結 衣「ありがとうございます」
結衣は、別の近所の家の戸を叩く。
結 衣「すいません。祖母のたゑ子は知りま
せんか?
近所B「知らないねぇ」
結 衣「ありがとうございました」
ご近所も、たゑ子を見かけていない。結衣は、巻浜地区を管轄する潮浜駐在所に駆け込む。結衣は、駐在所の警察官に祖母たゑ子がいなくなったことを伝える。
その夜、警察官や近所の人、自治会の人々が集まり、たゑ子の捜索が始まった。結衣も一緒に探す。たゑ子が行きそうな畑やお店、そして、捜索範囲は拡大して、参加者は懸命の捜索を行なった。
翌8月2日9時、結衣のもとに、たゑ子が発見されたとの知らせが届く。自治会長が結衣を訪ねてやって来た。
会 長「結衣ちゃん。たゑ子ばあが見つかっ
たそうだ」
結 衣「どこにいたんですか?
会 長「巻浜地区から北15キロ先の仲井間地区にある
ある集落跡に横たわっていたそうだ。仲井間地区の住民が、たゑ子ばあが歩いて
いるの目撃していたらしい」
結 衣「そんな遠くまで」
会 長「よかったな、結衣ちゃん。たゑ子ばあは、今、潮浜診療所にいるようだ。行って
きなさい」
結 衣「本当にお世話になりました。会長さん、本当に感謝します」
自治会長に頭を下げる結衣。家を出ると、捜索に当たった人々がたゑ子宅の前に集まっていた。
結 衣「皆さん、本当にありがとうございました」
近所B「早くたゑ子ばあのところに行ってあげてな」
結衣は、集まっていた人々に深く一礼すると、潮浜診療所に向かう。
同日10時、結衣は、潮浜診療所に到着した。結衣は、ベテラン看護婦長泰子に声を掛ける。
結 衣「祖母が入院していると聞いたんですが」
泰 子「たゑ子さんは、205号室の個室で安静にしているわよ。無事見つかって良かっ
たわね」
結 衣「ありがとうございます」
結衣は、泰子に一礼すると、205号室へ向かった。
結衣が病室に入ると、たゑ子がいた。憔悴しきった様子。結衣が声を掛ける。
結 衣「ばあば、ワタシだよ、結衣だよ。わかる?」
たゑ子は、ゆっくり結衣を見て、
たゑ子「ああ、お尋ね申します。ウチの士郎を見てませんか?探しても探しても、どこに
もおらん…。昨日漁に出たっきり帰って来ないよ、どけ行ったん?」
たゑ子の変貌ぶりに驚く結衣。
そこへ、看護婦長泰子が入ってくる。
泰 子「たゑ子ばあ、ここに来てから、こんな調子なの。古藤先生が認知症が発症したん
じゃないかって言ってたわ。しばらく様子を見たほうがいいわね」
たゑ子を再び見る結衣。たゑ子は、誰かを探して呼びかけている。
同日20時、潮浜診療所の205号室には、結衣とたゑ子の姿。誰かに呼びかけていたたゑ子は、疲れたのか、ぐっすり休んでいる。たゑ子の横に付き添う結衣。
結 衣「ばあば、一体誰を探してるのかな…?昔の彼氏だったりして」
たゑ子が目を覚ます。
たゑ子「ワシにも結衣と同じように、好きな人がおった。士郎さん言うてな。漁師やっ
た。ワシが、丁度お前と同じ年の頃じゃ」
結 衣「ばあば、気がついたんだ」
たゑ子は、結衣に、自身の昔話を始める。
たゑ子「ワシは、士郎が嫌いだった。荒々しい性格で、何かとワシにちょっかいをだして
くる。士郎の一言一言がキツくてな、士郎の言葉を聞く度に嫌な気分になったも
んだ」
昭和31年8月1日、中浜地区御嶽集落。現在、集落は閉鎖しているが、この時期は15世帯の家族が暮らしていた。たゑ子22歳。士郎30歳。
士 郎「お前、22歳になって、まだ嫁に行かんとか?」
たゑ子「アンタに言われたくなか!アンタこそ
アンタみたいなのに嫁ぐおなごはかわいそうだけんが」
士 郎「何を!オレは、将来、二葉亭四迷のような、多くの人々を感動させる恋愛小説家
になる男じゃ。お前のようなそんじょそこらの女とは違う、美女と一緒になるん
じゃ」
たゑ子「失礼な!お前みたいな漁師が小説家になれるもんけ。頭がおかしいと違うか?」
士 郎「何を!この行かず後家が!」
たゑ子「何さ!このゴリライモ!」
睨み合うたゑ子と士郎。
同年10月1日16時、たゑ子には、輝石島に赴任している28歳の教師との見合い話しが来ていた。教師は、瀬津間尊大市から輝石島に赴任していた。教師が独身と聞いた村の長が、年頃のたゑ子を紹介したのだ。
たゑ子が幸せな様子で歩いていると、前から士郎が歩いてくる。
士 郎「おい。お前、結婚するんだって?」
たゑ子「ええ。相手は、先生」
士郎は、真顔で
士 郎「やめとけ。あの教師は、かなり女癖が悪いらしい。今までも問題があって、見合
が何度も破談になっているそうだ」
たゑ子「そうかしら?すごくいい人よ」
士 郎「お前は、男を見る目がないからわからんのだ。ヤメロ!」
たゑ子「余計なお世話よ。ほっといて」
士 郎「黙って見てられるか」
士郎の様子に、たゑ子はニヤリとする。
たゑ子「わかった。アンタ、ワタシにヤキモチ焼いてるんだ」
士 郎「違えよ。若い女が、いやらしい男の毒牙にかかるのは我慢できなくてな」
たゑ子「じゃあ、どうするの?」
士 郎「オレが悪い男からの身の守りかたを教えてやる。今から時間あるか?」
たゑ子「いいわよ」
士 郎「よし、オレについて来い」
そう言うと、士郎は、たゑ子を連れて、巻浜洞窟に向かった。
同日19時、士郎とたゑ子は、巻浜洞窟にいた。2人は、中浜地区の御嶽集落からかなり歩いた。たゑ子はクタクタになっていた。なんでこの男の誘いに乗ったのだろうと少し後悔していた。やっとの思いでたどり着いた海岸の先に洞窟があった。たゑ子は、巻浜地区の外れにこんな洞窟があるとは知らなかった。
洞窟にたどり着いた士郎とたゑ子。士郎は、どんどん洞窟の中を進んでいく。たゑ子は、慣れない場所に来て不安になっていたため、士郎の後ろを必死に着いていく。
士 郎「着いたぞ」
たゑ子は、目を疑った。眼前には、洞窟の隙間から差し込んだ月明かりに照らされた池がエメラルドグリーンに光っており、周辺には、鉱物が鮮やかなブルーの光を放っていた。こんな幻想的な場所が、輝石島にあったなんて…。
幻想的な光景に目を奪われていたたゑ子を後ろから抱きしめる士郎。
士 郎「お願いだ。結婚は辞めてくれないか」
たゑ子「士郎?」
士 郎「オレ、お前の事が好きなんだ。お前が他の男の物になると思うと胸が張り裂けそ
うになる」
そう言うと、士郎は、たゑ子を押し倒した。そして、服を剥がす。
たゑ子「やっ」
抵抗しようとしたが、士郎の腕力が強く、抵抗できない。士郎の唇が、たゑ子の胸元を舐め回す。
たゑ子「あっ、あっ」
たゑ子は、激しい士郎の愛撫に抵抗する力を失った。そして、抵抗を辞めた。
10月2日7時、たゑ子と士郎は、巻浜地区にある丘にいた。地平線から昇る朝日を見つめる2人。
士 郎「結婚しよう」
たゑ子「いいの?こんなワタシで?」
士 郎「誰が他におるか。オレにはお前じゃなきゃ駄目なんだ」
たゑ子「いいわよ。士郎の嫁さんになってあげる」
士 郎「ありがとな。たゑ子。今日は、2人の門出の日だ。ここを希望の丘と呼ぼう。幸
せになろうな。たゑ子」
たゑ子「うん」
朝日を見ながら、愛を誓い合う2人。
12月2日、輝石島の海は、天候が悪く、海はしけていた。御嶽集落は、慌ただしい様子。集落には、出産を控えた妊婦がいた。朝、妊婦が苦しみを訴える。しかし、島には産婆もいないし、産婦人科めなかった。出産には、船で、本土に渡って産婦人科に罹らないといれない。
住民E「大分危ないな。もう赤ん坊が出てきそうだ。早う、船で本土の産婦人科に運ばん
と」
住民F「しかし、このシケじゃ、船も出せるか…」
困った様子の住民。
士 郎「オイが船を出すっで」
住民E「大丈夫か。海は相当荒れてるぞ。無事本土まで渡り切れるか…」
士 郎「そんな事言うてる場合か。このままじゃ母子ともにあの世行きじゃ。出るぞ、準
備を頼む」
出発の準備が始まる。出航の準備をする士郎。住民達は、苦しそうな妊婦を士郎の船に乗せる。そこへ、たゑ子が駆け寄ってくる。
たゑ子「気をつけて」
心配そうなたゑ子を抱きしめる士郎。
士 郎「何、心配はなか。無事、2人を送り届けてくっで」
船に乗る士郎。振り返ってたゑ子を見る。
士 郎「祝言も近い。戻ってきたら、また、あの丘に行こうな」
士郎の言葉に頷くたゑ子。
12月3日、士郎と妊婦を乗せた船は、消息を立った。昨日のシケは収まり、海は穏やかになっている。海上保安庁の巡視船と地元の漁師の船が合同で、士郎の船の捜索にあたる。
捜索は1ヶ月に及んだ。しかし、船の残骸も遺体も見つからない。
たゑ子は、士郎が必ず帰ってくるものと信じ、希望の丘から遠い地平線の彼方を見つめていた。
たゑ子「早う、帰って来いや。待ってるんだよー!」
希望の丘から地平線に向かって叫ぶたゑ子。たゑ子の声が虚しく響く。
1ヶ月経っても、1年経っても、士郎の消息は、わからなかった。士郎との祝言はなくなった。見かねた村の長は、言った。
村 長「士郎の事は、忘れた方がよか。先生がお前を嫁にめとりたいっち言うちょる」
たゑ子は、疲れていた。あまり深く考えずに、長の申し出を承諾した。
昭和33年1月7日、たゑ子は、教師と結婚し、同年5月、男の子を出産した。名前を崇と名づけた。
しかし、教師は、士郎が話したとおりの、女癖が悪い男だった。教師は、出張と称して、頻繁に島外に出掛ける。ある時、教師から、島外に妻と子供がいる事を告げられる。泣き崩れるたゑ子。
教師とは、約2ヶ月で離婚した。教師は、人事異動で、本土の小学校へ赴任する事になり帰って行った。
たゑ子は、教師との間に出来た子、崇を引き取り育てた。崇が成長するに従い、たゑ子は、崇に、してはならない、最愛の、行方不明になっている士郎の話しを度々した。多感な崇は、たゑ子が、自分の父親を愛しているのではなく、別の男を愛していたことを知って成長期は相当荒れた。崇は、早く島を出たいと思うようになっていった。たゑ子の事を、母さんではなく、たゑ子さんとよぶようになった。崇は、猛勉強をし、名門橋応大学医学部にストレートで合格し、東京で医師になった。
中浜地区の御嶽集落は、限界集落になった。たゑ子は、集落から、士郎との思い出の地近くの巻浜集落に越して来た。そして、その地で90歳になった今も、最愛の士郎が帰ってくる事を信じて待ち続けていた。
8月1日23時、潮浜診療所205号室。
たゑ子「待ち続けてたんだよ。士郎の帰りを。来る日も来る日も、集落で。希望の丘から
海を見てたら、船が帰ってくるんじゃないかと思って…。気づいたら90歳だ
よ」
結 衣「パパは嫌いなの。教師の息子だから」
たゑ子「あまり好きじゃなかった。だけど、崇は、大人になるに連れてわかってくれたみ
たいだ。あの子は、大人になったんだ」
結 衣「パパの子供のワタシも嫌い?」
たゑ子「結衣は、ワタシの若い頃にそっくりだ。康史や悠生君を失って傷ついたしね。こ
の島にいたくないだろ?」
結 衣「そうかもね。でも、ばあばの話しを聞いて、ワタシ、この島にいた方がいい気が
してきた」
結衣の様子を見て、たゑ子は、安堵したようだ。
たゑ子「さて、お迎えも近い。しばらく休むか…」
結 衣「そんな事言わないで。まだまだばあばには元気でもらわないと」
たゑ子「ありがとね、結衣」
たゑ子が語った過去のこと、父崇や自分への想いが聞けて安心した結衣は、たゑ子の枕元で静かに眠った。
8月2日7時、結衣は、病室で目覚めた。
たゑ子は、静かに目を閉じて動かない。結衣は、たゑ子を優しく起こす。
結 衣「ばあば、朝だよ。起きて」
結衣は、たゑ子の体を揺するが反応がない。結衣は、悟った。たゑ子は、愛する士郎の元へ旅立ったのだ。
8月2日7時、中川たゑ子、永眠。享年90歳。
8月7日、中川家の墓。東京から急遽帰って来た崇と結衣が墓前に立つ。
崇 「大往生だったな。強い人だった」
結 衣「パパには、わからないわ。最愛の人を失う事がどんなに辛い事か」
崇 「そうだった。スマン」
結 衣「パパは、ばあばの事、許せた?自分の父親以外の男の事ばかり思い続けてたん
だよ」
崇 「許せるもんか。でも、オレの親父にも責任があるし、たゑ子さんが不幸になった
原因は親父が逃げたからなんだ。それから、オレは絶対幸せな結婚をして、不幸
な家庭は作らないと決めたんだ」
結 衣「ありがとう、パパ」
崇 「結衣も頑張れよ。待ち続ける女は不幸だからな」
結 衣「うん」
8月15日、結衣が輝石島に来て、3度目のお盆が来た。思えば、結衣は、多くの人生経験を積んだ。康史やたゑ子といった、かけがえのない人々を失った。
結衣は、希望の丘に来ていた。結衣は、康史が作った祈念碑の横に、たゑ子の祈念碑を建てた。
結 衣「ばあば、幸せにね」
結衣は、希望の丘から先にある地平線を見つめている。ふと、海から島風が。結衣には、心地よく感じた。
第7話、いかがでしたか?ばあばに、大恋愛した過去があるなんて驚きでした。皆んな、人には語れない秘密があるのかもしれないですね。人それぞれの人生があるのかも。考えさせられます。
次回は、いよいよ物語のクライマックスが訪れます。ワタシは、果たして島に残るのか、それとも、東京に帰ってしまうのでしょうか?
第8話「人と人を繋ぐ心の架け橋 前編」で会いましょう。
島風が好きになるなんて…。
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