第6話 東京からやって来た結衣の新たな許婚
10月23日朝、今日は康史が亡くなってから49日目、四十九日になる。結衣の気持ちもようやく落ち着きを取り戻した。遺体を見た時は、身体中がズタズタにされ、時折、嗚咽するあまり、息ができなくなった。そんな結衣の様子を見た周囲にいる人々は、慌てて大丈夫と声をかけたが、心情を察すると、それ以上多くを語らなかった。巻浜集落の外れに、結衣と康史の秘密の場所、希望の丘がある。結衣は、康史の葬式の後、頻繁に希望の丘を訪れ、記念碑に手を合わせると、しばらくぼっと記念碑を見つめていたが.,.突然涙が溢れて止まらなくなる。そして、嗚咽する。そんな日々が続いていた。それ程に、彼女にとって、康史の死は辛い出来事だった。そんな結衣も、四十九日が近づく頃には、徐々に冷静さを取り戻していた。
同日10時、輝石島仲井間港にフェリーが接岸された。タラップがフェリーと港の間に架けられ、船から多数の乗客が降り立つ。その中に、レイバンのアビエーターを掛け、上下をアルマーニのスーツで決めたワイルドな紳士と、サラサラした髪質の髪を中わけした髪形に、白のジャケットと白のパンツの清潔感溢れる服装でバッチリ決めた、SnowManの目黒蓮そっくりな若者が1人、港に降り立った。
そのあまりの場違いなオーラに、港にいた人々は、我を疑い一瞥している。ワイルドな紳士は、結衣の父、崇。そして、もう一人は…。
同日12時30分、巻浜集落のたゑ子宅では、たゑ子と結衣が静かに昼食を取っていた。二人は、会話も交わさず黙々とご飯を口にする。ご飯と味噌汁と焼き魚の、素朴な昼食をたいらげた2人は静かに緑茶を
ふと、玄関の引き戸が開き、先程港にいたワイルドな男が姿を現した。
崇 「おい、たゑ子さん。元気か?」
たゑ子と結衣が、声がする方向を見た。そこには、結衣の父、崇の姿が。
たゑ子「
結 衣「パパっ、どうしたの?なんで島に来たの」
突然の崇の来訪に、妙子と結衣は、ひどく驚いた。
崇 「今回は、急用があって島に来た。連絡せずに済まない」
そう言って、サングラスを取った崇は、深く頭を下げた。
崇 「ところで、結衣。島の生活には慣れたか?」
結 衣「ええ。島の生活を楽しんでいるわ」
結衣は、自分が少し前まで不幸のどん底にいた事を知られまいと気丈に振る舞った。
しかし、崇は、東京にいた時より痩せこけ、若々しさがなくなり、大人の女性に変化している結衣を見逃さなかった。実は、妙子から聞いていたのだ。結衣には恋人ができていたことを。そして、土砂崩れで恋人を失ったことを。
崇 「二人とも、聞いてくれ。紹介したい男がいる。おい、悠生君、どうぞ中へ。
さあ」
崇が外に向かって呼びかけると。1人の若者が中に入って来る。結衣は、驚いた。まさにSnowManの目黒蓮ではないか。結衣は、東京にいる時、目黒蓮の追っかけだった。三度のメシより目黒蓮が好きだった。部屋には、目黒蓮のポスターやグッズが多数飾られ、毎日目黒蓮を想いながら、眠りについていた。その、最愛の目黒蓮が目の前に立っていた。結衣は、身体中が熱くなるのを感じた。
たゑ子「この子は誰ね」
たゑ子は尋ねる。
崇 「彼は大宮悠生と言う。ワタシの若い頃にそっくりなイケメンだ。結衣、驚い
ただろう。お前の大好きな目黒蓮にそっくりだろう」
結 衣「瓜二つすぎて、びっくりしたわ」
崇 「さあ、悠生君。挨拶、挨拶」
崇が促すと、悠生は一礼し、話し始める。
悠 生「はじめまして。大宮悠生と言います。28歳です。東京大学を卒業後、日本の
医療福祉を発展させたいという思いから、厚生労働省に入省し、現在、医療
政策の仕事に携わっております。どうぞよろしくお願いします。」そう言う
と、悠生は、深々と頭を下げた。
崇は、結衣を見て、
崇 「結衣、お前、中野康史という若者と付き合っていたらしいな」
結 衣「どうしてそれを…」
崇 「たゑ子さんから聞いたんだ。しかし、この間の台風で亡くなったそうだな。
かわいそうにな。しかし、亡くなった者は二度と帰ってこない。諦めるん
だ。そして、パパは、その男が亡くなってから、来る日も来る日も泣き叫ん
でいる結衣の話を、たゑ子さんから聞いていた。お父さんも結衣に早く立ち
直って欲しいと願う日々を過ごしていた。ある日、私が勤める大学病院に厚
生労働省のホープが研修に来た。それが、この悠生君だ」
そう言って、崇は、悠生の肩をポンと叩いた。
10月8日17時、東京大学医学部附属病院総合研修センターには、研修を終えた若き厚生労働官僚大宮悠生と、センター助教の中川崇が談笑している。
悠 生「今日は大変いい勉強をさせていただきました」
崇 「いやー、驚いたよ。たった数日で専門研修プログラムを完全にマスターする
とは。君は、東大医学部を主席で卒業後、厚生労働省にトップの成績で合格
し入省した超エリートだそうじゃないか。将来が楽しみだ。これからどうす
るんだね?」
悠 生「入省後、医政局に配属になり、日本の医療制度に関する法制度の整備に携わ
ってきました。次第にへき地、特に離島医療の整備に取り組みたいとの思い
が強くなっています。そこで、上司に東大病院で研修を受けた後、離島で研
修医として勤務し、ナマの離島医療を学びたいと嘆願したところです」
崇 「実にしっかりした将来展望だな。感心した。ところで、実は、私は、鹿児島
県にある、輝石島の出身なんだが、輝石島で研修医として働く気はないか?
今、私の娘も向こうで暮らしている。早く結婚させたいのだが」
悠 生「先生の娘さんなら、さぞかし品性のある方でしょう」
崇 「いやいや、SnowManの目黒蓮の追っかけをする娘だ。まだまだ未熟者だ
が、最近島で付き合っていた男がいたらしいが、事故で亡くなったそうで、
かなり落ち込んでいるようだ。娘の人生はまだこれからだ。ぜひ君の力を貸
してほしい」
崇は、悠生の両手を取って、強く握りしめた。
悠 生「わかりました。この研修後に2年間、離島に赴任することになっています、
輝石島を希望しますと上司に進言してみます」
崇 「そうか。ぜひともよろしく頼む」
崇は、良かった、これでようやく結衣を立ち直らせると安堵し、悠生と固い握手を交わした。
10月23日19時、結衣、たゑ子、崇、悠生の4人は、島の南端の潮浜地区にある、しおさい浜やというレストランに来ていた。しおさい浜やは、島の地域おこし協力隊が発案して始めたレストランだ。11時にオープンし、夜は20時まで営業している。お店のメニューは、麺類と定食がメインだ。中でも、おススメは、とびきり辛いが絶妙にうまい激辛坦々麺と、島で獲れた新鮮なお魚を使った、海鮮定食だ。
崇 「うまいなコレ。実に絶品だ」
悠 生「本当ですね。魚め新鮮でおいしいです。東京では、こんなの食べられないで
すね」
崇と悠生は、海鮮定食の新鮮な刺身を味わい、満面の笑みを浮かべた。
たゑ子「よかった。気に入ったようだね」
たゑ子も嬉しそうだ。
結 衣「パパ達は、いつまで島にいるの?」
崇 「パパは、明日の船で東京に戻る。」
結 衣「そんなに急いで帰らなくてもいいんじゃないの」
崇 「スマン。仕事が忙しくてな。今回も無理言って休みをもらったんでな。だ
が、悠生は、島に残る。明日から、潮浜診療所に研修医として2年間赴任
する。結衣のお世話も頼んである。何なら一緒になってもいいぞ」
結 衣「いきなりそんな事言われても…」
崇 「そうだよな。前の恋人を忘れるのはツラいだろう。しかし、この悠生がきっ
と結衣の心のキズを癒してくれるはずだ」
崇は、結衣に悠生との結婚の条件を飲まそうと、諭すように語りかける。側から悠生も添えるように語る。
悠 生「結衣さん、僕はすぐに結婚しようとは思っていない。研修医としてやる事も
ある。こちらに来る前に、お父さんから恋人を失って酷く落ち込み体調を崩
していると聞いた。島にいる間は、僕ができる事は何でもする」
そう語る悠生の瞳を、結衣は見た。瞳がキラキラしていて、やはり目黒蓮だ。結衣は、つい我を忘れ、そのイケメンの話に心酔してしまった。
崇 「よし、決まった。私もこれで安心して東京に帰れる。頼んだぞ、悠生君」
崇は、満面の笑みで、悠生の肩を叩いた。
崇 「よかったな、結衣」
父崇の強引な展開に、戸惑う結衣。
10月24日、潮浜診療所に、新人研修医が3名赴任して来た。研修医になるには、最短ルートは、18歳で高校卒業後、6年間の医学部在籍し、医師国家試験を受験。国家試験をパスすれば24歳で研修医となる流れである。悠生は、24歳で医師免許を取得後、厚生労働省に入省したため、異例の28歳の研修医である。後の2人は、24歳の若さである。
泰 子「まあ、今年も優秀な先生方が来られて、診療所も賑やかになるわ」
ベテラン看護婦長泰子は嬉しそうだ。
古 藤「皆さん、ようこそ塩浜診療所へいらっしゃいました。ここでは、外来研修、
入院研修、それから、この診療所は、レントゲン、CT.エコー、透析等、主
要な医療設備が揃っていますので、それらの操作も学んでいただきます。充
実した2年間になりますよ。楽しみですね」
診療所の責任者である、古藤医師は、温かい笑みを浮かべながら研修医達へ語りかけた。
泰 子「ここは、なんと言っても、大自然に癒されるし、食べ物が美味しい。いいと
ころだよ」
ベテラン看護婦長泰子が、古藤医師が話している横から堰を切ったように話し出した。
古 藤「そうそう。いいところですよ」
泰 子「古藤先生なんか、あんまりこの島が好きになりすぎて、この間なんか、海に
泳いでいるバショウカジキにキスしようと海にダイブしたんだから。いくら
独身で欲求不満だからってそれはないわな」
古 藤「婦長さんだって、夜な夜なバーに入り浸って男を釣っているってウワサじゃ
ないですか」
泰 子「そうそう。最近は不漁でね。困ったもんだよ。ガクン」
古藤医師とベテラン看護婦長泰子の掛け合いに研修医達から笑いが起こった。
古 藤「ところで、悠生先生は、厚生労働省のキャリア官僚から志願して、輝石島に
研修医としてやって来たという異色の経歴の持ち主だそうじゃないか。何で
また輝石島に来られたのですか?」
古藤医師は、悠生に興味深々に尋ねて来た。
悠 生「私は、以前厚生労働省の医政局でへき地医療対策の仕事をしていました。仕
事をしていく中で、離島の医療体制の不備を痛感し、いつか離島医療に関わ
りたいと思っていました」
古 藤「そうですか。期待していますよ」
古藤医師は、嬉しそうに答えた。
悠 生「それと、大事な使命がもうひとつあります。」
古 藤「大事な使命?」
悠 生「それは、結衣さんの心のキズを癒すことです」
悠生の告白に、診療所内はざわついた。結衣も、突然の告白に驚きを隠せない。顔が紅潮するのを感じた。告白を続ける悠生。
悠 生「結衣さんには、この島に恋人がいました。しかし、この間の大型台風の犠牲
になり亡くなったと聞きました。そのショックは計り知れない。体調を崩す
日々を送ってきたと聞きました。実は、お父さんに頼まれたんです。娘の支
えになって欲しいと。私は、この島にいる間に、彼女を元気にしたいと思っ
ています」
一同から、おおーという歓声が起こった。
泰 子「いっその事、結衣ちゃんと結婚してあげたらどう?」
ベテラン看護婦長泰子が、茶化すように言った。
悠 生「私は、それでもいいと思っています」
悠生の発言は、さらに場を盛り上げる。
古 藤「そうですか。では、私から提案があります。結衣さんをこの診療所で、看護助手兼受付として働いてもらうのはどうでしょう。悠生先生の側で働くことで結衣さんのケアになるし、悠生先生も助けがあった方がいいでしょう」
研修医「古藤先生、悠生先生ばかりに
女性研修医から反対意見が起こった。
泰 子「まあ、いいじゃないですか。ウチも
人手が欲しいところでしたし。先生
もいい人をみつけたら紹介してね。
ウチで雇ってあげますから」
ベテラン看護婦長泰子がそう返すと、女性研修医は赤くなって黙り込んでしまった。
古 藤「結衣さん、よろしく」
古藤先生がそう言って、結衣の肩をポンと叩いた。
結 衣「ワタシでいいんですか」
泰 子「良かったわね。しっかりね」
結 衣「ありがとうございます」
結衣は、深々と頭を下げた。
かくして、結衣は、診療所の看護助手兼受付として働くことになった。悠生とともに。
翌日から、潮浜診療所は、活気に沸いていた。研修医は、3人3人に分かれて、外来診療研修と、入院診療研修を行っている。悠生は、診療に来た患者を、始動医の先生に付いて学んでいる。その横に看護助手の結衣が指導医の指示を待っている。急な腹痛で来所したその患者は、昨日食べた缶詰が腐っていたらしいと訴えている。しばらくすると、顔が真っ青になり、イタイイタイと叫び出した。結衣は、患者を急いでトイレに連れて行く。
1週間後、悠生と結衣は、入院研修に参加していた。ベテラン看護婦長泰子が病室を巡回する。その後を、悠生、結衣、2人の研修医がついて行く。103号室。ここには、巻浜集落で左官一筋80年のガンコオヤジ、咲造が入院している個室だ。
泰 子「咲造じい。元気しちょっか。」
ベテラン看護婦長泰子が、まるで友達のように語りかける。このような光景は、輝石島では珍しくない。まるで家族のようだ。しかし、島の人ではない結衣と悠生は、泰子のまるで肝っ玉かあちゃんのような変貌ぶりに驚きを隠せなかった。
咲 造「ああ、元気じゃっど」
そう言って、ベテラン看護婦長泰子、結衣、悠生に視線を向ける。
泰 子「今日は、東京から、研修の先生と若い看護師さんが来ちょっで連れてきたぞ」
咲 造「おいは、忙しか。体もどげんもなか」
咲造は、そう言って、結衣達に背を向けた。そこへ、さっと悠生が進み出る。
悠 生「咲造さん、今日から研修医として勤めることになりました大宮と申します。山下
さん、どうぞよろしく」
そう言って、悠生は手を差し出したが、咲造は拒否した。
その後から、結衣が進み出た。
結 衣「咲造さん。中川結衣と言います。体調はどうですか?」
結衣がそう言うと、背を向けていた咲造が、くるっとこちらを向いて、
咲 造「ああ、あちこち痛い。もうだめじゃ〜」
と言いながら、結衣に触れようとした。
見かねたベテラン看護婦長泰子は、新聞を丸めて咲造の頭を叩いた。
咲 造「アテっ」
頭を抑える咲造。
泰 子「調子に乗るなよ。咲造」
咲造を怖い目で睨みつけるベテラン看護婦長泰子。咲造は、シュンとして布団を頭から被って静かになった。笑うベテラン看護婦長泰子、悠生、結衣。
それから、潮浜診療所は、慌しい日々が繰り広げられる。診察室で患者から病状を真摯に聞く悠生。患者に聴診器をあてる。結衣は、古藤医師に付いて、注射を打つ。痛がる患者に、大丈夫ですよ、痛くないですよ、と言いながら、正確に注射を打つ。また、ある時は、救急患者が診療所に運ばれてくる。ストレッチャーで運ばれてくる救急患者に声を掛ける悠生と結衣。集中治療室で古藤医師の補助を行う悠生。
12月10日17時、秋はあっという間に過ぎ去り、二十四節気では、大雪の時季を迎えていた。輝石島は、珍しく雪が待っていた。輝石島は、例年滅多に雪が降ることはない。が、今年は東シナ海から強い寒気が流れ込み、3年ぶりの雪模様となっていた。悠生と結衣は、多忙な日々から一時的に解放され、佐々羅浦地区の公園に立っている。しんしんと雪が降り続き、幻想的な情景である。
結 衣「キレイね」
悠 生「まさかこの島に雪が降るなんてね」
結 衣「あっという間の1ヶ月でしたね。先生」
悠 生「本当に。でも、いろんな患者さんと出会えてすごく充実した日々だったよ」
結 衣「先生、これからどうするの?」
悠 生「輝石島での研修期間は、2年間だ。実は研修が終わったら、シンガポールに海外留学することになっている。その後は厚労省に戻ることになっている」
結 衣「すごいですね。先生は本当にエリートなんですね」
悠 生「結衣さんは、これからどうする?」
結 衣「ワタシ、何もなくて…。自分の未来が見えないの」
悠 生「僕と一緒に来るか」
結 衣「えっ?先生は、ワタシとは釣り合わないわ」
悠 生「そんな事はない。一緒に仕事していて、結衣さんが優しくて、細やかな人だって
わかった。僕の側にいて、支えて欲しいんだ」
そう言うと、悠生は、結衣を優しく抱きしめた。目黒蓮似の、エリート官僚、エリート研修医の悠生に抱きしめられ、戸惑う結衣。
悠 生「いいよね。結衣」
そう言うと、悠生は、結衣の唇に、自分の唇を優しく重ね合わせた。
雪はが深深と降り注ぐ公園で抱擁する2人の男女の姿は、輝石島に新たな愛が生まれたすが姿だった。新たなストーリーが始まる…。
月日は流れる。翌年7月3日、輝石島は、初夏の陽気が心地よい季節を迎えていた。
潮浜診療所にいた悠生は、電話で誰かと長い時間語っていた。受話器を置くと、古藤医師の元へ。古藤医師のいる診察室を3回ノックする。
古 藤「はい、どうぞ」
ドアを開けて、悠生が診察室に入ってくる。
悠 生「古藤先生。実は、厚労省から、とびラボのプレゼンターのオファーが来ました」
古 藤「とびラボって何だね?」
悠 生「厚生労働省が新たな取り組みとして始めた、所属の壁を超えた研修制度です。今
回研修のテーマに離島医療が掲げられ、私に講師のオファーが来ました」
古 藤「そうか。よかったじゃないか。しっかり離島医療のことをアピールしてほしい」
悠 生「ありがとうございます。当日は、厚労省と診療所をオンラインで繋いで研修をや
ります。是非ご臨席いただけたら嬉しいです」
古 藤「わかりました。楽しみにしています。診療所内にも声をかけておきます」
悠 生「ありがとうございます」
7月26日10時、厚生労働省の研修「とびラボ」が開会した。開催場所は、厚生労働省本省だったが、悠生が離島の医師代表としてzoomにより参加した。悠生は、医療従事経験はまだ少ないが、厚生労働省でのキャリアと医師経験があることを買われての異例の抜擢だった。悠生がzoomで参加する場所として、潮浜診療所の大会議が準備された。古藤医師の呼びかけで研修医達と結衣が集まった。幸いにも当日は急患もなかったため、結衣達は、悠生の勇姿を見る機会を得た。大丈夫。何かあれば、ベテラン看護婦長泰子が対応できる体制だ。悠生の出番が来るのを固唾を飲んで見守る古藤、研修医達、そして結衣。
司 会「それでは、ただいまから、とびラボ企画 離島医療のいまとこれからを開催しま
す。とびラボとは、厚生労働省の職員が関心のある政策分野に継続的にかかわる
こと及び厚生労働行政の政策分野における現場の支援者、当事者などと出会い、
現場での実践に関する学びを深めることを支援することで、職員の厚生労働行政
に関連する幅広い実践的な知識の習得および職務を行う意欲の向上を期待する、
職員からの発案に基づく企画です。本日の研修が実りあるものになりますようご
協力の程よろしくお願いします。早速講演に移ります。第1部は、「離島におけ
る医療の現状」と題しまして、厚生労働省より研修医として瀬津間尊大市輝石島
に赴任している大宮悠生氏よりご講演いただきます。大宮さん、よろしくお願
いします」
司会の合図を受けて、悠生はカメラの前に立つ。その姿を緊張感を持って見守る結衣達。
悠 生「皆さんはじめまして。ただいま紹介がありました大宮悠生と申します。私が赴任
している輝石島は、鹿児島県瀬津間尊大市の西方30キロに位置する、人口5,000
人の小さな島です。輝石島には、病院がなく、下輝石島には、私が勤務している
潮浜診療所のみです。これから、離島医療の現状について話しをさせていただき
ます」
それから、悠生により、パワーポイントを使ったプレゼンが展開された。スライドには、離島での医療サービス提供の様子や、課題、不足する人的、物的な資源等が説明され、最後に、悠生による分析が述べられた。
悠 生「以上で、私からのプレゼンを終わります。ご清聴ありがとうございました」
会場からは、拍手が湧き起こる。結衣をはじめ、潮浜診療所の参加者も優勢の素晴らしいプレゼンに拍手を送った。
司 会「大宮さん、ありがとうございました。研修医としての視点からの離島医療の課題
が良くわかりました。
参加A「大宮さんは、現状を踏まえ、厚生労働行政は、何をすべきと思いますか?」
悠 生「現在、厚生労働行政においては、その地域に生まれ育った人が生まれた地域で最
期を迎えるためのサポート体制「地域包括ケアシステム」の構築を進めています
が、この輝石島には、医療、福祉、介護の連携も整備されておらず、また医師、
看護師人員不足や必要な機器も不足し、急患への対応も深刻です。合わせて、急
患の島外への搬送体制もまだまだ課題がありますので、地域包括ケアシステムを
基本理念とした政策形成、法整備が今後必要と考えます」
参加A「素晴らしい考えですね。是非大宮くんには、本省で政策実現に邁進してくれる事
を期待します」
悠生の回答に、再び拍手が起こる。
司 会「他にご意見ご質問ございませんか?ないようですので、以上で、第1部を終わり
ます。ありがとうございました」
こうして、悠生による、輝石島の医療体制の現状についての発表は終わった。結衣は、知らなかった。自分達が携わっている医療が東京と比べて、全然充分でないこと。そして、地域包括ケアシステムという聞き慣れない言葉が、離島に住む人の生活に必要なことを知った。
8月1日、今日は、結衣の誕生日だった。結衣は、まもなく仕事が終わろうとしている17時頃、内線で呼び出された。
プルプル…。ガチャ。
受話器を取る結衣。
悠 生「大宮ですが、結衣さん、今、私の部屋に来れますか?」
内線を受けて、悠生の診察室にやって来た結衣。
悠 生「結衣さんは、今日お誕生日なんですね。どうです。ポクの家でバースデイパ
ーティは?」
結 衣「ありがとうございます。ワタシ以外に誰が来るんですか?」
悠 生「古藤先生、泰子さん、あと、研修医、それと、たゑ子さんも呼んでいます」
結 衣「そうなんだ。ありがとうございます。嬉しいです」
悠 生「じゃあ、19時に。ポクのウチに」
結衣は、嬉しかった。
私の誕生日なんかみんな忘れてると思ってたのに
ウキウキしながら、悠生の診察室を退出する結衣。
本日19時、悠生の家にやって来て結衣。研修医は、今まで潮浜診療所近くにあるアパートに入居してきたのだが、建物が老朽化したため、市が決断し、新築の1軒家を6棟整備した。悠生は、そのうちの1棟に入居している。この新築住宅は、実に恵まれていて、床暖房やセキュリティまで揃っている。
結 衣「こんばんは、結衣です」
ガチャと鍵が開く音がして、中から悠生が出てくる。
悠 生「いらっしゃい。どうぞ中へ」
悠生の誘いに応じて、家の中に入り結衣。
本日20時、結衣が来てから、悠生と結衣は、いろんな話しをした。東京の話や、父崇の話、結衣が輝石島で経験したことや、悠生の学生時代や厚生労働省での話、お互いの趣味の話、話は盛り上がり、気づいたら、20時になっていた。
結 衣「みんな、遅いわね。連絡とってみよ」
結衣がスマホをいじろうとすると、悠生は、結衣からスマホを取り上げた。
悠 生「みんなは、来ないよ」
結 衣「どうして」
悠 生「キミと2人きりになりたかったから」
結 衣「ウソだったんだ」
悠 生「ウソじゃない。ボクは、本気だ。キミを東京に連れて帰る。ボクは、来年3月
に、本省に戻る。キミと結婚したい」
突然の告白に戸惑う結衣。
結 衣「ワタシ、気持ちの整理が…」
悠 生「輝石島での経験はキミには必要だったが、深い傷も負ってしまった。あの男の事
は忘れさせる」
そう言うと、悠生は、自分の寝室に結衣を引っ張っていき、結衣を押し倒した。悠生は、優しく結衣の肌を唇で愛撫する。悠生は、慣れた手付きで結衣の服を脱がしていく。康史を失ってから愛情に飢えていた。結衣は、悠生の思うがままにされた。
翌朝6時、ベッドの中で、悠生と結衣は並んで目覚める。2人は、天井を見つめている。
悠 生「東京行きの返事待ってるよ」
結衣は、黙ったまま、天井を見つめている。
8月10日18時、結衣は、希望の丘に来ていた。東京に帰りたいが湧いていた。最愛の康史を亡くし、島にいる理由もなかった。それよりも辛くなるだけだった。悠生の優しさにも触れて、人生やり直す決意が生まれていた。
結 衣「康史、ごめん。ワタシ、東京でやり直す…。ホント、ごめんね」
康史が立てた祈念碑に向かって手を合わせようとした時、祈念碑の下部に、小さな引き出しを見つけた結衣。今まで自分の事ばかりで、康史の祈念碑は注意して見たことはなかった。
結衣は、そっと引き出しを開ける。中から、沢山の竹の板が出てきた。竹の板には、炭ペンで書いた文があった。
手 紙「結衣と結婚したら、子供は5人にします。そして、マイホームを島に建てて、結
衣の好きな花を植えて、家族で楽しく暮らします」
手 紙「結衣と結婚したら、結衣と島中のみんなとバーベキュー大会をして楽しく暮らし
ます。」
手 紙「結衣との結婚式は、この希望の丘に、島中の人々を全部集めて盛大に行います。
ちょっと狭いけど、みんな幸せになります」
結衣は、涙が溢れて止まらなかった。康史は、結衣と洞窟で結ばれた後、結衣との結婚を真剣に考えていた。
結 衣「ごめんね、康史。ありがとう、康史」
希望の丘の夕陽が沈んでいく。悠生が輝石島に来てから、1年になろうとしていた。
10月23日10時、輝石島は、1年前と変わらず、日差しが照りつけている。仲井間港に、崇が降り立つ。1年前と変わらず、レイバンのアビエーターを掛け、服の上下はアルマーニのスーツである。
同日12時、たゑ子の家には、テーブルを挟んで、たゑ子、結衣、崇、悠生が座っている。
崇 「何っ。島に残りたいだと。どうしてだ」
結 衣「もう少し島にいて、自分の生き方について考えたくて」
崇 「お前、せっかく悠生君が、お前を嫁にすると言ってるんだぞ。東京に戻りたくな
いのか?」
結 衣「パパ、ワタシにもう少し時間をください。ワタシ、人生で初めて人が好きになっ
たみたい」
崇 「それが、悠生君なんだぞ」
結 衣「そんなに簡単なことじゃなくて」
崇 「お前は、悠生君と東京に帰って結婚する。簡単なことだぞ。たゑ子さんからも一
言言ってください」
崇に促されて、たゑ子は口を開く。
たゑ子「結衣、人生は長い。康史や悠生君の出会いや別れは、ほんに一瞬のことや。島で
気の済むまでじっくり考えなさい。まだまだこれからじゃっでな」
それを聞いて、結衣は、ほっとした。
結衣「ありがとう、ばあば」
崇 「一体、どうなってるんだ、全くどうかしてるよ」
お茶をすするたゑ子。悠生は、にこやかな表情で結衣を見つめる。
3月31日10時、仲井間港。タラップの近くには、悠生と結衣がいる。悠生は、研修を終え、東京に帰る。
悠 生「キミの心を掴めなかった。残念だよ」
結 衣「そうでもないわ。悠生がワタシを呪縛から解き放ってくれたのかも。おかげで元
気になりました」
悠 生「本当かな?ポクには、忘れかけてた亡霊にまた取り憑かれたように見えるけど」
結 衣「大丈夫。必ず自分の進む道を見つけてみせる」
悠 生「また、会ってくれるかな」
結 衣「わからない。神様が決めることだから」
悠 生「なんか、うやむやにされた感じだ。ボクは諦めないからね」
結 衣「ありがとう。頑張ってね」
悠 生「キミこそ、元気で」
結衣に別れを告げた悠生は、タラップを登る。
3月は別れの年。輝石島では、島立ちで島外に出る学生や、人事異動で島を出る人でごった返していた。東京から来た悠生も輝石島を旅立つ。結衣をはじめ、潮浜診療所の古藤医師や泰子看護婦長、その他関係者と悠生の間は、無数の紙テープで結ばれている。
ありがとうございました。輝石島の皆さん。オレは、必ず立派な官僚になります
遠くなっていく仲井間港を見つめながら、悠生は、心の中で、何度も何度も反芻していた。
いかがでしたか。第6話でした。目黒蓮に似た悠生にココロが揺れたワタシでしたが、康史の思いも知って、結局、東京行きを断念しました。まだまだワタシには、考える時間が必要です。
ところが事態が急変。ばあばが突然認知を発症してしまい…。
第6話「ばあばが島にいる理由」で会いましょう。
島風が好きになるなんて…。
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