第5話 台風10号襲来、そして別れは突然に…

 8月31日に発生した熱帯低気圧11wは、9月1日に小笠原近海で台風10号ハイシェンになった。そして、台風10号ハイシェンはさらに発達し、9月4日3時には非常に強い勢力になった。台風10号ハイシェンは6日から7日にかけて、沖縄県の大東島地方から奄美地方に進み、九州に接近していた。気象庁は、接近時の勢力は過去最強クラスで最大瞬間風速秒速80メートルの猛烈な勢力に発達し、輝石島を通過、島に甚大な被害をもたらす恐れがあるとの警報を発表した。


 9月5日、輝石島は慌ただしくなっていた。島民は過去幾度となく台風の被害を乗り越えてきたが、今回は過去最強クラスの台風という。港では、漁師達が漁を取りやめ、増しもやいといわれる、港と漁船を繋ぐロープの強化を行ない、船が流されないよう台風対策を行っている。また、あるアパートの大家は、台風で窓ガラスが割れないように外から板を打ちつけている。そして、アパートのドアを次々に叩き、今回の台風は過去最強クラスです。以前の台風でウチのアパートは屋根が飛んだこともあります。是非避難することを勧めます、と言って回る。また、輝石島のスーパーでは、人々でごったがえしていた。定番の牛乳やパン類は売り切れ、店内の商品棚は、あっという間に品薄となった。

 午後になると、風が徐々に強まってきた。同日15時、輝石島のある瀬津間尊大市の行政支所は、警戒レベル4の避難指示を発する。住民達は、それぞれの地区の避難所へ向かった。


 結衣と康史も避難指示が発せられると、避難所となっている巻浜公民館へ避難した。2人は、離れないように手と手を握り合っていた。その姿を見て住民達はもう何も言わない。もちろん2人が巻浜洞窟で結ばれたことは知らない。しかし、夏祭りの一件を知っているから、2人が恋人になったとしても不思議ではない。住民達はいやらしい気持ちより、むしろ温かい眼で二人を祝福していた。

 2人が避難した巻浜地区公民館は、避難した住民でごった返していた。ある者は、テレビに食いつき、刻々と変化する台風情報に見入っていた。また、ある者は、今から通過する台風に、もうどうしようもない、諦めたとばかりに公民館の床に寝そべっている。そんな人々の中で、康史と結衣は、公民館の壁にもたれながら、並んで座っている。

若 夫「あっ、二人とも避難して来たんですね」

 その声の方向に康史と結衣が顔を向けると、夏祭りの時にいた若夫婦が立っていた。

康 史「ああ、この間はありがとうございました」

結 衣「お世話になりました」

 康史と結衣は、若夫婦に向かって軽く一礼をする。

若 妻「今回の台風は、すごく大きいみたい。奄美大島では、車が横転したそうよ」

康 史「そんなにすごいんですか。大変だ」

若 妻「いつもは、大丈夫だ。心配ない。オレは避難せん。とか言って家に閉じこも

    っている人なんかも避難してきたみたい。ほら」

 そう言って、若夫婦の妻が指差した方向には、頑固そうなオヤジ2人が喧嘩していた。集落一頑固者で有名な咲造と、その幼馴染の、何と結衣の祖母、たゑ子ばあだった。たゑ子も無事避難してきていた。

たゑ子「なんだ。おはんも来たとか。おはんみたいなロクでもないもんは、さっさと

    台風に飛ばされてどっかはっちけばよかとに」

咲 造「このクソばばあ、相変わらず口が減らんが。おはんこそ、台風に飛ばされて

    どっか遠くへひっ飛んでしまえ」

 たゑ子と咲造は取っ組み合いのケンカになる。周りは慌てて二人を止めに入る。康史と結衣は、その光景を呆然と見ていた。


 同日20時、公民館の周辺は、台風の轟音が鳴り始めて来た。

 ゴォー、ゴォー、ビュー、ビュー

 時折、公民館が揺れた。まるで地震が来たような凄まじい轟音が鳴り響き公民館の軋む音が響いた。避難した住民は、テレビやラジオの刻一刻と変化する台風情報を追っていた。台風10号は、下輝石島に再接近していた。


 同日22時、巻浜公民館の電灯が消えた。停電だ。公民館には非常用発電機がなく、住民達は諦めるしかなかった。そこへ1人の若者が嵐の中を潜り抜け、巻浜公民館へやってきた。 

若 者「誰が手を貸してくれ。キヌ江ばあが避難できずに家に置き去りになってい

    る」

 住民達からはザワザワとざわめきが湧き上がる。キヌ江ばあとは、巻浜地区の山の中に住む、98歳の老婆だ。足腰も弱くほとんど外を出歩くことはない。日中も居間のテーブルにちょこんと座り、じぃーとテレビを見ている。そんなキヌ江ばあもかつては地区の世話焼きばあさんだった。お腹を空かせた子供達に夕飯をご馳走したり、竹細工の動物や木製の人形等、手製のおもちゃを拵えて子供達を喜ばせる等、子供を喜ばせる天才だった。そして、成長して大人になった子供達は、暇があれば、キヌ江ばあの家を訪れ、一緒にお茶と菓子を頬張りながら談笑したものだ。しかし、最近では痴呆の症状が出始めたことや、お世話になった大人達も家のことで何かと忙しくなり、キヌ江ばあとは長く疎遠になっていた。キヌ江ばあにお世話にならなかった者はほとんどいなかった。

住民D「キヌ江ばあは逃げ遅れたのか…。困った」

住民E「しかし、この暴風雨の中では、どうしようもない…」

 その時、公民館の窓ガラスが突如割れ、外から雨風が室内に入って来た。

住民F「大変だ。窓ガラスが割れたぞ」

 住民達は、そばにあったベニヤ板で窓を塞ぐ。住民達は、キヌ江ばあを助けたかったが、この暴風雨に誰もが尻込みしていた。

康 史「よし、オレが行く」

 康史が立ち上がり、前に進み出た。結衣は、大丈夫なのという表情で康史を見た。

住民E「康史、やめとけ。この暴風雨の中を助けに行っても、キヌ江ばあは歳だし、

    連れ出せん。事故に会うだけだ」

住民F「そうだ、康史。悪いことは言わん。たゑ子ばあや結衣ちゃんのことも考え

    ろ。死ぬぞ」

 避難民達は、口々に康史が行くことに反対した。

康 史「みんなありがとう。心配すんな。オレは昔キヌ江ばあに助けられたんだ。オ

    レのオヤジとオフクロが離婚して、オレが置き去りにされていた時、キヌ江

    ばあがしばらく面倒を見てくれたんだ。オレは嬉しかった。こんなばあちゃ

    んが見ず知らずの子供を引き取って育ててくれた。今こそ恩返しがしたい。

    みんな止めないでくれ」

 康史の顔は、ある決意で満ち溢れた男の顔になっていた。その姿に避難民は悟ったよいだ。みんな黙ってしまった。

康 史「出発するぞ。キヌ江ばあのところに案内してくれ」

 康史は、嵐の中やって来た若者と公民館を旅立つ。去り際に康史は康史を見つめる結衣に向かって言った。

康 史「心配すんな。絶対キヌ江ばあを連れて帰ってくる。なあに、台風なんかに負

    けてたまるか」

 康史は、結衣を見つめ、優しく微笑んだ。結衣は思わず康史に向かい、康史に抱きついた。康史は、それに応えるように結衣を抱きしめ、頭を優しく撫でた。

康 史「よし、行こう」

 台風の中公民館にやって来た若者に促されると、康史は結衣を優しく離し、公民館を出て行った。避難民達は、康史の後ろ姿を見送りながら叫ぶ。

住民達「しっかりな、康史」

 康史は、住民達の方を振り向くと、ニコッと微笑んだ。そして、キヌ江ばあの住む家へ向かう。

 暴風雨は、さらに激しくなる。ひたすら康史達の無事を祈る結衣と住民達。


 同日23時、康史と若者は、山奥にあるキヌ江宅に到着した。暴風雨は相変わらず激しい。

若 者「康史さん。キヌ江さんは、居間にいて逃げようとしないんです」

康 史「キヌ江ばあ、キヌ江ばあ。おるかぁ。康史じゃ。おるか、おったら返事して

    くれ」

 康史は、大声で叫びながら、家の中に入っていく。すると、奥の居間のこたつテーブルにじっと座っている老婆がいた。キヌ江だった。

キヌ江「やかましかが。そんなに大声で叫ばんでも聞こえとるが」

 キヌ江は、落ち着いた様子で、お茶を啜っている。

康 史「落ち着いている場合か。今度の台風は今までにない大大台風なんじゃ。キヌ

    江ばあ、みんなも心配しとる。ほら、ぐっど」

 康史の話に聞く耳を持たない様子。キヌ江は応える。

キヌ江「ワシはもう年じゃっで。それに、最近足もかなわんようになってきて、炊事

    場に行くのも張って行く始末。逃げるっちゅうても、足がかなわん。ここで

    終わりじゃ。放っておいてくれ」

康史は、キヌ江ばあに近づいて叫ぶ。

康 史「キヌ江ばあには、お世話になったもんがたくさんいる。オレは、キヌ江ばあ

    を絶対連れて帰るとみんなに約束したんだ。オレの未来の妻にもだ。そし   

    て、台風が過ぎたら、キヌ江ばあ、オレは彼女と結婚する。そしたら、キヌ

    江ばあも結婚式に出てれ。オレを育ててくれたばあばへの恩返しだ」

キヌ江「康史、おまえ…」

 キヌ江の目が開き、涙が溢れて来た。キヌ江は、まさかこの康史という若者がこんなにも自分のことを思ってくれていたのかと気づき、涙が止まらなかった。それに応えるように、康史は優しい笑みを返した。2人は本当の親子になっていた。

康 史「さあ、オレがおぶってやる。さあ」

 康史がそっと背中を差し出す。

キヌ江「すまんな、康史。おおきに」

 康史な背中に、キヌ江の体がすっと乗っかる。

康 史「いくぞ」 

 康史は、キヌ江をおぶってすっと立ち上がった。

 突然、家中をゴゴゴーという爆音が轟いたかと思うと、康史の横から大きな衝撃が襲った。康史は、何が起きたかわからない。ただ、大量の土砂に押しつぶされ、身動きが取れなくなった。息ができない。遠のいていく意識。そして、息絶えた…。


 9月6日9時、輝石島は、台風10号ハイシェンの暴風域を脱した。巻浜地区のキヌ江ばあ宅は、土砂崩れで家が押し流されていた。市役所職員と地域の消防団、さらには、漁師、建設会社の男性社員が総出で懸命の撤去作業にあたる。

 同日9時36分、土砂崩れの現場から、中野康史(30)今村キヌ江(98)西優樹(28)の遺体が発見された。死因は、いずれも心不全だった。

 康史の死は、巻浜公民館中に伝わった。誰もが涙を流さずにはいられなかった。早すぎる死だった。そして、幸せの絶頂にいた彼を襲った悲劇を、誰もが残念がっていた。

 結衣にも、その訃報が聞かされた。建設会社の捜索に参加した社員から、康史の遺体が発見されたとの事実が伝えられる。

 結衣は、すぐさまその場を離れると、人っ気のない場所へ走った。そして、思いっきり泣いた。結衣の頭の中を、康史との出来事が駆け巡る。雨の中をずぶ濡れになって泣きそうになっていた時にトラックで通りかかり送ってくれた康史。夜お風呂を覗きお湯をかけられ、翌日は、結衣がちゃぶ台を投げ、避けた康史。得意げに笑う康史。上輝石島に買物に行き、結衣にカートを引かされ参った顔をしている康史。結衣がコロナに感染し入院したとき、診療所に重箱を持っていき結衣を心配していた康史。花火大会で結衣に告白する康史。港にトラックを止めて二人でおにぎりをほおばる。うみねこにエサをやりながら楽しそうに笑う二人。そして、洞窟で体を重ね合いながら愛し合う二人。

 結衣は、涙が止まらなかった。そして、嗚咽のあまり、時折息ができない。


 台風10号ハイシェンは、輝石島に甚大な被害をもたらした。家屋の全壊103棟。半壊512棟。そして、死者3名。テレビでは、被災状況が流れている。

 それから1週間後、中野康史、今村キヌ江、西優樹の合同葬儀がしめやかに催された。その翌日、康史の墓石の前で、結衣は、静かに手を合わせる。

 

 今までありがとう、康史。


 結衣は、心の中で感謝の弁を述べた。そして、墓を後にする。

 

 台風が去った輝石島は猛暑に見舞われていた。ひぐらしが夏本番を歓迎するように激しく鳴いている…。


 第5話、いかがでしたか?幸せの絶頂、そして、突然絶望に落とされたワタシ。最愛のヒトを亡くしてしまいました。これからワタシは、どうして生きていけばいいんだろう。胸が張り裂けそうです。

 しかし、状況は一変します。ワタシを救いにsnowmanの目黒蓮がやって来た⁉︎

 第6話「東京からやって来た結衣の新たな許婚」で会いましょう。


 島風が好きになるなんて…。

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