第2話 康史が伝えたいこと

 8月1日10時、結衣と康史は、上輝石島かみきせきしまの大型スーパー、ビッグワンに来ていた。ビッグワンは、木材から食品までなんでも揃っている島唯一の大型商業施設だ。

 この上輝石島かみきせきしまと結衣の祖母たゑ子が暮らしている下輝石島しもきせきしまを合わせて輝石島きせきしまが構成されている。下輝石島しもきせきしまには、中型のスーパーが2店舗あるが、ビッグワンには品揃えにおいてかなわない。そこで下輝石島の人は、上輝石島行きの船に乗って、ビッグワンに買い物に来る。

 結衣は、祖母たゑ子に頼まれたモノを段取りよく大型カートに入れていく。その後をカートを押しあたふたしながら追いかける康史。

結 衣「何トロトロしてるの。もっとスピーディーに動けないの」

康 史「ハアハア、結衣ちゃんが速すぎるんじゃ。なんでこんな目に合わなきゃなら

    んのや」

 ハアハア息切れ気味の康史を冷ややかな目で見る結衣。


 ザマアミロ


 と思いながら、ふと一昨日お風呂の窓越しに覗く康史のいやらしい顔、そして、ガハハと笑う康史の顔や、投げたちゃぶ台を避けて、してやったり顔で投げキッスする康史の顔といった映像が結衣の頭に次々浮かぶ。再び結衣の頭に血が昇った。次の瞬間、結衣は、思わず息切れ気味の康史に右足で蹴りを入れてしまった。


 ドカッ


康 史「何すっとか。おいがなんか悪かこっばしたか」

 その言葉に、心の中で結衣は呟く。


 何って、お前は、ボクの裸をのぞいただろうが。このスケベじじいが


 しかし、そんな気持ちはおくびにも出さず、

結 衣「何でもない。あー、ノドがかわいたな。康史、なんか飲みたいなー」

と、康史、お前奢るよなという表情で、康史を睨みつけた。

 結衣がビッグワンに来てから康史に当たり散らしご機嫌斜めな理由をようやく察した康史は、

康 史「結衣ちゃん。わかった。上輝石かみきせきに最近出来たカフェがある。

    地元のやり手さんが古民家を改造して開いたんじゃっど。そこでよかけ」

 冷たい表情で康史をガン見する結衣。

結 衣「早く連れてって。アンタとは行きたくないけどね」

 康史は、苦笑いしながら、

康 史」じゃあ、さっさとお会計すませて行きますか、ハハハ…」

 結衣と康史はレジで会計を済ませる。結衣が康史に当たり散らすように、そこかしこにあった要らないモノまでカートに投げ込んだためか、荷物は大量になった。周囲にいた買い物客は、まあ、こんなに買い込んでと驚いた様子で2人を見ている。

 

 アンタ運びなさいよ。ボクの裸を覗いた罰ゲームなんだよ


 とココロでつぶやく結衣。康史は、無言で荷物をトラックに積む。結衣と康史を乗せたトラックは、ビッグワンから15分の、海沿いにある、キセキカフェへ向かって走り出した。


 同日正午、結衣と康史は、キセキカフェの海側の席にいた。

 キセキカフェは、以前は、高速旅客船が寄港する港の発券所だった。利用客の減少で、閉鎖された港の発券所の施設一式を、島で豆腐店を経営している、地域おこしに熱心な若者が買受け、カフェに改造した。カフェは、天井からシンプルなペンダントライトが下がっており、シーリングファンがゆっくり回転している。また、店内にはヴィンテージもののテーブルとソファがセンスよく配置され、ゆっくりくつろげる空間だ。カフェのイチオシは、島の海水から精製された塩を使った『きのすみるく』というさわやかな酸味のあるジェラートと焼きたて塩パンの組み合わせだ。結衣と康史もこの組み合わせを購入しトレイに乗せると、ゆっくり席に着いた。

「結衣ちゃん、よかどが。このカフェ」

 康史は、そう言って、塩パンを頬張った。

康 史「うまい。このさっぱりして、ふっくら感が病みつきになるんじゃ。ほら、結

    衣ちゃんも、ほれ、一口」


  こんな味もそっけもないパンがおいしいもんか


 と思いつつ、康史に促されて、結衣も一口食べてみた。

結 衣「…美味しい !!」

 塩のパンなんてと少しバカにしていた結衣だったが、ふんわり口の中に広がる塩味の素朴な味わいに、つい言葉が出てしまった。

康 史「この後に、きのすみるくでお口直し。」

 康史は、そう言って、きのすみるくを口に運んだ。

康 史「くうー。最高。生きてて良かった」

 結衣も康史の真似をして、きのすみるくを口に運ぶ。塩ばんの風味ときのすみるくのさわやかな酸味が合わさって、なんとも言えない至福の感覚に包まれた。

康 史「結衣ちゃん、昨日はすみませんでした。男としてやっちゃいかんことをして

しまいました。申し訳ない」

 そういうと、康史は両手をテーブルについて頭を下げた。

結 衣「もう金輪際、ああいうことはしないで」

 結衣の許しを得て、康史はホッとした表情を見せた。

康 史「ところで、結衣ちゃん。なんでまた、輝石島に来たとか?こん島は何もない

    ところじゃ。都会もんには寂しかと思うが」

結 衣「パパからばあばを東京に連れてくるように頼まれてきたの。ほら、ばあば

    は、もう90歳だし認知も入れば島に1人置いておけないでしょ。それが今回

    ボクが輝石島に来た理由」

康 史「それは無理だ。たえ子ばあは、この島の主じゃき。結衣ちゃんが10年説得

しても動きわせん」

 康史は、たゑ子が輝石島から離れない理由を知っているようだ。

康 史「結衣ちゃん。たゑ子ばあは絶対に島を出ない。だから、君も諦めてこの島で

オレと暮らさないか?」

 あまりにもストレートなプロポーズに、結衣は、頭に来た。そして、康史のプロポーズを跳ね除ける。

結 衣「絶対、ぜーったい、ばあばを東京に連れて帰る。誰かアンタなんかと一緒に

暮らすもんですか!」

 顔を紅潮させて、そう叫ぶと、結衣は、康史を睨みつけた。結衣の大声に、他の客は、何事かと結衣達に目を向けた。隣席のカップルは、結衣と康史のやりとりを見ていたらしくニヤニヤしている。周りの眼に気づいた康史は、

康 史「まあ、結衣ちゃん、落ち着いて。ひとまずココを出ようか」

 康史のプロポーズは、失敗した。先程の買い物疲れよりも、この結衣の断りの返事の方が何百倍もダメージだった。ひるむな、康史!

 康史は、結衣の肩を押しながら、キセキカフェを後にした。


 同日14時、結衣と康史は、軽トラックに揺られながら、下輝石島しもきせきしまの巻浜集落に向かっていた。

 康史は、結衣の様子はどうなったかな、少しは機嫌が治ればいいがなと思い、結衣の様子を横目で確認した。

 ところが、結衣の様子がおかしい。顔が真っ赤になり、辛そうな顔をしている。

康史「結衣ちゃん。どうかしたか。気分が悪かとじゃなか?」

 結衣に声をかけるが、結衣は無言でぐったりしている。


 これはヤバい


と思った康史は、急遽、下輝石島しまきせきしま唯一の診療所に向けてトラックを飛ばす。下輝石島には、信号がないため、時速80キロで走る。康史は、心の中で、


 しっかりしろよ、結衣ちゃん、死ぬな


と必死で何度も何度も叫び続けた…。


 8月3日9時、結衣は、診療所の病床で目を覚ました。


 ボクは一体どうしたんだろう、確か康史とトラックに乗ってたはずなんだけど、あれ、ここ病院かな、どうしてココにいるのかな…。


 そこへベテラン女性看護婦長の泰子が入ってきた。

泰 子「よかった。意識を取り戻したんだね」

結 衣「ボク、どうしてここにいるんですか」

泰 子「中川さん、あなたコロナに感染して、凄い高熱で危なかったんですよ」

結 衣「ボク、コロナに感染したんですか」

泰 子「そうよ。あなたの彼氏があなたをおぶって、すみません、オレのフィアンセ

がスゴイ熱で意識を失ってます。どうか助けてくださいって駆け込んで来た

の」

結 衣「康史が…」

泰 子「PCR検査したら、コロナの陽性が出て、あなたは緊急入院になった。一時  

    は、デクターヘリで島外の病院へ運ぼうかって大騒ぎだったんだから」

結 衣「ボク、危なかったんだ…」

泰 子「でもね、その間、あなたの彼氏がずっと外来の受付で両手を合わせて祈って

    たわ。アタシや先生に度々、結衣はどうですか、助かりますか?オレにでき

    ることがあれば行ってください、なんでもします、結衣は東京育ちだから、  

    島に慣れずに疲れたんだろう、オレが連れ回さなければよかった、ああ神

    よ、結衣を救いたまえ、かなえたまえ、きよめたまえ、かむながら、まもり

    たまえ、さきわえたまえって、祈り出したの。ワタシ、あまりにも彼が取り

    乱して、泣きそうになっている姿を見て、失礼かもしれないけど、思わず吹

    き出してしまった」

 泰子が話す康史の様子に、結衣は、恥ずかしそうな様子。

泰 子「大丈夫だよ。彼氏さん。コロナは症状が重くなければ、1日か2日で熱は

    下がりますから」

康 史「婦長さん、お頼み申し上げます、どうかお頼み申し上げます」

 そう言って康史は両手を擦り合わせた。

泰 子「今日は、遅いから帰ってゆっくり休みなさい」

 康史は、心配そうにしていたが、ベテラン看護婦長泰子から促されると、診療所を出て行った。


 次の日の9時、康史は、また診療所にやって来て、外来の受付の椅子に座っていた。手に重箱を抱えて…

泰 子「どうしたの。その重箱は」

康 史「結衣に渡してください。早く元気になってもらわないと」

泰 子「彼女は、まだ目が覚めないのよ。そんなものは食べられないわ」

康 史「重箱は、2.3日は持つものばかりです。結衣が元気になったら食べさせて

    ください」

泰 子「わかったわ。渡しとくね」

 ベテラン看護婦長泰子は、戸惑いながらも重箱の包みを受け取った。そして、この男は、心底彼女に惚れているのねと勘づいた。

 ベテラン看護婦長泰子の話を聞いて、結衣は赤くなった。それを見て泰子は、

泰 子「彼、アナタのこと、本気みたいよ。大切にしなさいよ」と結衣につぶや

    いた。

 泰子が去り、1人になった結衣は、重箱の蓋を開けた。なんと、卵焼きやかまぼこ、黒豆、栗、数の子、イワシ、エビとまるで正月のおせちのように豪華絢爛な重箱だ。2段目には、赤飯のおにぎりが敷き詰められている。季節は夏なのにどこで材料を調達したんだろうと、結衣は驚いた。そして、中央に、結衣を形どった砂糖菓子の人形があり、かまぼこで作った扇に「早く元気になれ」という文字が書いてある。

 結衣は、嬉しくなった。

結 衣「アイツもいいとこあるんだ…」

 結衣は、1人病室で、噛み締めるように黙々と、康史の弁当を頬張る。


 8月11日10時、結衣は、コロナの待機期間を終え、診療所を退院した。康史に対する気持ちはすっかり変わっていた。結衣は、康史が来るに違いないと思い、ニコニコしながら診療所の入口で立ち、康史が来るのを待つ。

 そこへベテラン看護婦長泰子が来て、

泰 子「お嬢さん、お目当ての彼氏は、待っても来ないよ」

結 衣「何故ですか?」

泰 子「実は、彼も数日前、コロナの陽性反応がでて、あなたの隣の病室にいたの。

    だから、あなたより退院は数日後になるわ」

 結衣は、ボクのせいだと自責の念に駆られた。

結 衣「ボクが。康史にコロナ移しちゃったんだ」 

泰 子「彼にとっては本望かもよ。名誉の戦死かしらね。ふふふ」

 そう言うと、泰子は、思わず笑ってしまった。結衣も、恥ずかしそうにしている。

結 衣「婦長さん。お世話になりました」

 結衣は、泰子に深々と頭を下げて、その場を去っていった。

 結衣の背中を見送るベテラン看護婦長泰子。そして、呟く。

泰 子「お嬢さん、今度はアンタの番だよ」


 8月12日12時、康史が病室でテレビを見ていると、ベテラン看護婦長泰子が入ってきた。

泰 子「中野さん、ほら、彼女さんからプレゼント!」

 康史は、びっくりした様子で、慌てて泰子を見た。泰子の両手には、弁当箱が抱えられていた。

 康史は、泰子から弁当箱を受け取り、フタを開けた。卵焼きやタコウィンナーなどが美味しそうに並んでいる。康史は、結衣の手製のお弁当の眩しさに感動している。次の瞬間、康史は、箸を掴んで、神様に感謝すると、がつがつとお弁当を頬張りだす。

康 史「うまいうまい。最高だぁー」

 康史は、涙を流しながら弁当を噛み締めた。

泰 子「中野さん。あなたの伝えたいこと、

    彼女に伝わってよかったわね」

康 史「オレ、結衣ちゃんと結婚したいです」

泰 子「でも、彼女は東京の人だし、いずれ帰っちゃうんでしょ」

康 史「今から結衣ちゃんに、この島のよさをいっぱい教えて、この島で一生暮らし

    たいと思わせてやります」

泰 子「頑張ってね。お兄さん」

康 史「うまいわ。この弁当!うまいうまい」

 他のことには目もくれず、必死で弁当を頬張る康史。そのそばで、ベテラン看護婦長泰子は、ふふふと含み笑いをしながら、康史が結衣の手製弁当を食べる様子を見つめる。

 

 8月14日10時、康史は退院した。康史は、結衣の手製弁当を食べたせいか、以前より元気になっているように見える。康史は、ベテラン看護婦長泰子に頭を深々と下げた。泰子は、康史に向かって、右腕で力こぶを作る。それに応えて、康史はピースサインで返した。


 輝石島もすっかり夏の日差しが降り注いでいる。辺りは、ひぐらしの鳴き声が響き渡る。明日は、お盆。仲井間港は、島外からの帰省客でごった返している。


 いかがですか。スケベな康史に頭に来ていたボクも、康史がボクの事を本気で好きなのがわかって、ちょっと恥ずかしくなりました。

 ボク達のいる輝石島巻浜地区では、お盆に夏祭りと花火大会があります。そこでまた事件が起こります。ボク、康史にどんどん魅かれてしまう…。

 第3話「夏の夜に咲く結衣花火ゆいはなび」で会いましょう。


 島風が好きになるなんて…。


 


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