第4話 男たちよ、賢者であれ


「……なんでここに…ていうかその表情やめてください。なんでこのタイミングで来るんだみたいな。こっちのセリフですから」


「…………」


「ああ、なるほど。そういうことですか。確かにここならネタには困らないでしょうけど…そういうことは家でやってください。換気していいですか? なんかちょっと」


「待て待て待て待て。いや別に賢者タイムとかじゃないから。ほんとにちょっとどういうリアクションしたらいいか分からなかっただけだから。え、ちょっとなんでゴミ箱漁ってんの?かぴかぴになったティッシュとかないから。だからその嫌悪に満ちた顔やめて!?」



「読んだよ。お前の小説」


 あれからしばらくして。俺と北綾瀬はなぜか相対するように、部室の中央にポツンと置かれた机を挟んで座っていた。


「そうですか……どうでした?エロ本よりも、面白かったですか?」


「……そうだな。まあ青年誌の限界と言われているヤングサイクル2019年10月号の『ギリギリ限界!男たちは地平線を超えられるのか!』には負けるけど………………でも、面白かった」


「……そうですか。それはよかったです。この作品、まだ誰にも読んでもらったこと無かったから。勝手に読まれたのは業腹ですけど、その感想に免じて許してあげます」


「それは、どうも……」


 俺がそう返した瞬間、吹奏楽部のチューニングが朝の西棟の静寂を破った。ああ、そういえば今日は土曜日だったな。授業に遅刻しないで済むことに今更ながら胸を撫で下ろす。

 …………嘘だ。

 本当はそんなこと、どうでもいい。


 今はこいつと-------北綾瀬と話がしたい。

 あの違和感はなんだったのか。

 俺がどうにも安心できない理由を、それを

 知りたい。


「どうして北綾瀬は、小説を書こうと思ったんだ?」


「はぁ? いきなりなんですか藪から棒に。

 …………………まあ、ただ少し文を書くのがうまくて、自分では上手いと思ってて、それで文章を書くのが好きで、何かを書きたいと思ってる。小説書く理由なんてそれで充分じゃないですか……………やっぱ今のなしで」


「今すごい名言っぽいこと言ったな」


「私もそう思いました。なんかに使えますかね、これ」


 そう言って彼女は、何やらメモし出した。

 まさかさっきの自分のセリフを?

 「なんかに使える」の「なんか」はおそらく小説のことなのだろうが…。

 それにしてもすごく真剣に書き込んでいる。


 ……と。


「メモするんです。小説書く時はいつも。それで、溜まったメモから少しずついらないものを削ぎ落としていく。そうするとだんだん見えてくるんです。自分が何を書きたいのか。わたしは今、何を思っているのか」


 彼女はそこで言葉を切った。そして少し考えるようにしてから、再び言葉を紡ぐ。


「この小説は部停になってる間に書いて、昨日ここに持ってきたんです。でも、世に出すつもりはなかった。人が折角評価してくれた作品を貶すのは褒められたことじゃないけど、でもこの小説は読者のことなんか何にも考えずに書いたものだったから。ただ自分の胸中をぶちまけただけの小説とも言えない何かだったから。

だから」


 にこりと、彼女は微笑んだ。


「だから、この作品を読んでくれて、わたしの思いを受け入れてくれて、ありがとう」




 その晴れやかな笑みは--------ああ、そうか。

 俺は。


 

 突如。バンッ、と。勢い良く戸を開ける音がした。


「二人きりの時間に水を差して悪いけど。生徒会執行部副会長九段下夜宵……この口上、長くて面倒ね。まあいいわ。これよりこの部屋は生徒会が差し押さえる。異論は、認めない」




 努力が報われるかどうかは運次第。

 努力が必ず報われるなんていうのは、どうしようもない戯言だ。

 多分それは正しい。

 でも間違っている。

 俺がどうかは知らない。世界がどうかは知らない。でも、彼女が報われないのは間違っている。

 九段下は言っていた。

「あなたも被害者じゃないの?」と。

 一体どんな事情があって部停になっていたのか、やはり俺は知らない。わかることはただ一つ。

 彼女も理不尽に打ちのめされようとしている人の一人だということ。

 でも、俺の同類ではないということ。

 まだ彼女は諦めていないということだ。

 彼女が好きなことを続けることを。


 だから、間違っている。


 そうだ。本当は気づいていたはずなんだ。

 でも、ずっと逃げていた。

 簡単な誰もが知っているようなことから。


 努力が報われるかは運次第であっても、

 それが報われなかったとしても、

 そこで諦めるかどうかは自分次第

 だということ。

 努力する意味は、そこにあるということ。


 もしそれが間違いだというのなら俺は、

 全力でそれを否定してみせる。なぜなら。


「待ってくれ。副会長」


 それは俺に、確かな希望を見せてくれる

 ものだから。

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