虚炎


 俺は壁にぶつかる度に何かを求めていた。


 親の仕事が忙しく約束していた遊園地に行けなくなった時は両親の仕事を何とか終わらせられないかと考えた。

 小学生の頃、図工の時間に作った作品が壊れてしまったことがある。当時下校中泣きべそをかいていた彼女の元気をどうにかして取り戻そうと夜遅くまで起きて夕凪の作った作品を真似て作った。

 中学に上がって上級生に絡まれて、必死に抵抗したことで全身を痛めつけられて挙句に有り金全部奪い取られた。当時は親に内緒でこっそり貯めた大切な金だったから、とても悔しかった。


 これらは結果的に全て失敗に終わったが、その度に思うことがあった。

 それが力だ。


 何かを変える力。何でもいい。頭脳でも、才能でも、暴力でも構わない。ただ今を変える力を欲していた。

 でも事実、俺は凡人だ。天賦の才があるわけでもなければ飛躍して賢いこともなく。得意な事はあれど実用性は皆無だし自分より上手い人間なんていくらでもいた。

 何もない。そう、何もないんだ。


 それが俺の人生。これから先運命に惑わされて凡人のまま生を終える。それでも諦められなかった。頑張っても無駄な事なんていくらでもある。そんな意地っ張りを続けても何もないと分っている。


 それでも抗いたかったのだ。なんて強欲な人間なのだろうとほとほと呆れる。


 ───でも、その諦めの悪さが今俺の命を繋いでいる。


 視界は白く揺らめく。体に視線を向けると先程までとは全く異なった格好をしていた。


 一言で言うならば炎の袴だ。まるで実体を持たないかのように揺れる着物はちゃんと質量があるようで皮膚に凄く軽い物がのる感覚がある。全身は袴により純白に覆われて、手首足首程しか肌が露出していない。

 極めつけは頭だ。息がやけに籠るなと思い手を顔に当てると仮面を被っていることが分かった。


 どうなっているのだろう。


 鈍い痛みも今は全くない。どこの部位もいつも通り、というかいつも以上に動かせた。完治したというよりは改善されたというほうがしっくりくる。


 脳は極めて冷静だ。この自分の衣装に驚くこともなければ目前で狼狽える長身の怪物に対して恐怖を抱くこともない。

 ただ、思考を支配するのは『生きて帰る』という目標。そして今までに感じたことが無いほどの全能感だ。


 この刀が……齎しているのか?


 美しき白刀は応えるように月の光を反射する。思えば、この刀は昨日骨董品屋で買った謎に包まれた刀だ。この現状を考えるに恐らく全てはこの刀が関係しているのかもしれない。

 だとしたら呪いの刀だ。今すぐ手放したいところだが───


 俺はその場で軽く跳び上がる。すると、俺は人間の垂直鳶の限界であろう高度をはるかに超え二階建ての家の屋根へと着地する。


「…………ははっなんだよこれ」


 意図せず言葉が漏れてしまうのも仕方がないというものだ。だって今俺は、漫画のような動きをしていたのだ。ただ跳んだだけで背丈の何倍もの高さへ移動するなんて大道芸人でも出来やしない。


 どうやら全能感は本物のようである。


 長身の怪物を見下ろす。さて、どうしたものか。

 この身体能力はまるで元々あったかのように染みついている。夢を疑うような不思議なことだが、それは今関係ない。


 問題はこの手に入れた力をどうやって行使するか。


 一つは逃げに徹する。この身体能力があれば逃げ切ることなど容易だろう。しかし問題は何処に逃げるかだ。恐らくだが、ここら一帯はあの不可視の壁によって囲まれているとみた。その根拠は壁の存在意義にある。


 ただ一方向のみに展開されている壁など何の意味がある。現在考えられる予想としては壁は一部分を外から隔離する為に設けられたのではないかということ。


 箱庭か、それとも闘技場か。どちらにせよ壁は分け隔てるものであることは確かである。


 ならばどうするのか。答えは簡単だ。


「逃げられないなら、相手がこちらに牙を向けるなら、俺はその対となろう」


 俺は刀を腰に差し屋根からひょいと降りる。着地した時の足への負担もなく、飄々とした態度を保って長身の怪物へと近寄った。


 視線は怪物の全身に、瞬きをせず。


 怪物の腕が届く範囲に入ったことで怪物は巨大な腕を横に振った。

 俺を吹き飛ばした攻撃だ。その威力は簡単に人を死に至らしめる。俺が生きているのは運が良かったからに過ぎない。


 俺はその一撃を、紙一重で受け流した。達人の如く、まるで巨腕の軌道を見切っているような……いや、見切っているのだ。


 心の中で沸々と湧き上がる激情。『生きる』という意志以外を省いた無駄のない動き。

 刀を構え、宙を掠る腕に斬りかかった。


 スゥっと無機物は生命を蝕み、落とす。


「────!」


 あからさまに狼狽える怪物、自分の短くなった片腕を見てこいつは何を思ってるんだろう。


 にしても、切れ味が凄い。普通こんなに生き物を斬れるか?


 雑念を浮かべている隙に怪物は斬られた腕で今度は振り下ろしをしてきた。

 それを跳んで避け、その勢いで背後へと回る。


 追随してきたもう片方の腕を刀で受け止め、衝撃を流すように距離を取った。

 怪物が突っ込んでくる。腕の攻撃は刀で流し、絡めとって地面へと逃がした。刀と地面に抑えられた腕は動くことを許さない。そのまま刃を入り込ませ続けてもう片方の腕も切断した。


「────ッ!」

「…………はは」


 悶える怪物にどこからか嬉しさが込み上げてくる。

 自分はあの絶望的な状況から生き残っているんだ。壁を乗り越えられる力を手に入れたんだ。


「俺は今までの俺じゃない」


 両手を失い、少し離れた場所でうずくまることしか出来なくなった化け物に近付く。あれ程恐怖した存在は何処に行ったのか。今目の前にいるのは食われる側へと変貌した哀れな負け犬だ。


「…………」


 こちらに瞳を向ける敵は、どこか寂し気だ。命乞いでもしているのだろうか。そんなことお構いなしにゆっくりと距離を詰める。


 ああ、そうだ。折角ならあれを使ってみよう。とっても非現実的な、あの技を。


 刀に俺の纏っているものと同じ白い炎を纏わせる。しかしよく見るとそれはどこか違う。白というよりかは透明に近いような、炎自体が曖昧に揺らめく具現した虚。


「────ガァッ!!」


 怪物が今までにない音を出して飛び掛かった。命乞いが通用しないと悟ったのか、近付いたところを嚙みついて不意の攻撃を仕掛けようとしたのか。


 まあ、勝利が確定した今ではどうでもいい。


 素早く、そして正確に。刀身を首に当てる。


「虚炎(きょえん)」


 ───シュッ


 その一言に反応し、怪物は焼き消える。それはあまりにも一瞬の出来事だった。首から炎が一気に燃え広がり、塵も残さず全てを焼き消す。


 虚炎とは、絶対の焼失である。たとえ相手が幽霊であろうとも、怪物であろうとも、等しく焼き尽くす。これは世界に宿った法則でありフィールドの上では逃れられない運命だ。対象は虚ろに成り代わり、世界の情報を書き換えられた。


 怪物が死んだことを確認した俺は、鞘に刀を仕舞い、一息つく。


 これで透明な壁が突破できるようになればいいが……


 そう思った時だった。突如空中に亀裂が入り、広がっていく。


 ピシ、ピシピシと音を鳴らして、最後には脆く崩れ去った。



「───あれ?」


 気が付けば俺は見知った道の前で突っ立っていた。自転車に跨って、服装もいつものままで。


 青信号の音を聞きながら、俺は呆ける。


 夢? いや夢だとしてもこんなところで寝るわけがない。……でもあんなの夢としか思えないよな。なんだよ虚炎って。馬鹿馬鹿しい。漫画の読みすぎか。


 きっと疲れていたんだ。ご飯もまだ食べれてないし、自分で思っているよりも相当疲労がたまっていたんだ。


 俺は断定して、深くため息を吐く。

 あの時の全能感が嘘っぱちだとわかったからだ。例えあのような妄想でも、自分が心から望んでいたものを獲られた感覚は忘れられない。


 家帰って飯食わないとな……。


 俺は自転車に足をかけて、違和感に気付いた。

 カチャリと音がして左斜め下を見る。


「……ははっまじかぁ」


 刀を差しながら自転車を漕いだのはきっと俺だけである。

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