何か
下校はいつも一人だ。
朝一緒に登校している夕凪は委員会の仕事で放課後まで残り、俺はバイトをしなければならないので早めに帰っていた。
バイトは住む街から少し遠くの本屋でしている。ここらのコンビニだと同じ学校の人が来て気まずい思いをしそうだったからだ。クラスメイトでも来てみろ、たちまち俺がバイトしていることが広がり、職場に迷惑が掛かってしまう。陽キャじゃないから起こらないかもしれないが、戸田とだって話すし陰キャというわけでもない。念には念を入れておいて損はないのだ。
家で少し休み、身支度を整えてから自転車に跨る。
それからはマップを一度見て覚えた道を進み、時間をかけて目的地につく。
バイト先はパートさんが多く、同年代の子は一人もいない。周りと年が離れている為少しおばさんと世間話をするくらいで代替の時間は本の整理を黙々と行っていた。
午後五時から始めて十時まで。途中休憩を挟んで小腹を満たしたとは言えど終わった頃には腹がサイレンを鳴らしている。
「お先失礼します」
そう一声かけて裏ぐちから退出する。もう暗くなった曇り空を見て息を吐いた。
……どっかで飯でも食うか。
カバンを漁り財布を確認する。が、ない。
「は?」
変なところにでも挟まっていないかと探すが、どこにもない。冷や汗が出ているのが分かる。
「嘘だろおいおい……」
声を上げたところでないという事実は変わらない。俺は必死に今日の記憶を思い出す。
確か、家帰ってゲームして課題終わらせて……あ。
学校カバンの中に入れっぱなしだ。
がくりと肩を落とす。腹ペコで、暗い夜道を走らなければならないのか。
いや、家にあるとわかっただけまだましかもしれない。
取り敢えず、全速力で帰って適当に何か作ろう。確か家の冷蔵庫には冷凍チャーハンがあった筈だ。一度家に帰ってから外食する体力はないし時間もない。これが最適解だろう。
決めてからの行動は早かった。自転車を爆速でこぎ、如何に早く帰るかだけを求め、必要ならばいつもは通らない道も使った。
その結果俺は───
「どこだよ、ここ……」
───迷った。
人気のない住宅街。無音が支配するその場所は電灯のみが辺りを照らしている。幽霊やらなんやらを信じない俺でも気味の悪さを感じた。
スマホを使い、マップを開こうとする。しかし、何故か住宅街だというのに『圏外』という文字が小さく表示されている。
「どうなってんだよ……」
自転車から降りて歩く。
薄気味悪い場所だから一刻も早く立ち去りたいところだが、デタラメに走ったって着かないだろうしより迷ってしまうだろう。
「……何かのアニメとかなら、幽霊でも出てきそうだな」
怖い気持ちを紛らわす為に口を開いたつもりだったが、より変な妄想が鮮明に映し出されて逆効果だった。
なんで圏外なんだよ。人一人くらいいないのかよと現状の不満を漏らす。
されど状況は変わらない。数十分歩くと、もしかして変な世界に紛れ込んでしまったのではないかという思考が過るようになってきた。
そんな時だ。曲がり角を曲がると、またその先の曲がり角に何かが移動していったのが薄っすらと見えた。
誰かがいる。俺は自転車をその場に置いて何かを追った。
ヒタ……ヒタ……ヒタ……
何かが歩く音は徐々に大きくなっていく。心の中では嫌な予感がしていた。この音の正体を知ってしまえば、取り返しのつかないことになるかもしれないと脳が訴えていた。
されど、見なければ分からない。もしかしたら人間かもしれないという希望が強く、それらの訴えを『映画の見すぎ』と称して排除していってしまった。
だから、俺は後悔しているのだ。
「───────ッ」
雲の合間から顔を出した月に照らされて、体毛が黒く輝いていた。体の殆どが毛むくじゃらで、人間の形に猿を組み合わせたような歪な姿をしている。
長身で背筋を伸ばし立っているそれは、あまりにも威圧感が強く、また細長い顔に虚空から覗き込むような二つの紅い瞳がこちらを凝視していた。
腕が長く、手のひらが大きい。人一人軽々と持ち運べそうなその巨腕は誰もが圧倒されることだろう。
それはまた俺も同じである。
ヒュっと息が掠れ、顔が青ざめていく。これは夢なのじゃないかと疑いたくなるような非現実的な存在を前にして、数秒間呆気にとられていた。
「───────ッ」
パイプが鳴らすような重低音を響かせ、細身の怪物がこちらへ歩き出す。その様子を認識できた俺は叫ぶ暇もなく来た道を走って行った。
なんだよあれ!? なんの生き物だよあれ!? 意味がわからない!! 怖い! 幽霊? 怪物? 死にたくない。死にたくない! 死にたくない!!
手足をデタラメに振っているからかいつもより速度が遅い。しかしそんなことを気にしていられる程余裕はなかった。
得体の知れない何かと相対した時、合理性を必ず求められるわけでは無いのだ。
「助けてください!! 変な化け物に襲われています!! 開けてください!! 助けてください!!」
ある程度距離ができたところで民家のインターホンを鳴らし、ドアを叩く。近所迷惑だなんて考えてられなかった。
喚き、押し、力を込める。されど家の明かりはつくことはなく、ただ無常に距離を詰められる結果となった。
なんでだよ……!
恐怖で頭がどうにかなりそうだ。取り敢えず自分が今することは少しでもあの細身の怪物と距離をとること一点。
俺はただでさえ腹が空いて力が出ない中足が木偶の坊になっても走り続けた。細身の怪物は意外と移動速度が速い。
腕を地面につけ、四足歩行を行う光景は正しく『猿』。
走って、走って、走る。俺の頭の中には逃げることしか脳がなかった。これ程までに思考が統一した事があっただろうか。
やがて永遠のように感じた鬼ごっこは、最悪の形で幕を閉じることとなった。
「───ぁぐっ!」
突如、俺の全身に激突したような衝撃が加わる。それをモロに受け体が反発し尻もちをついた。
何にぶつかった? 目の前には道が広がっている。何もぶつかるものなどないはずだ。
そう思い手を伸ばしてみると、何か硬い壁のようなものの感触があった。ペタペタペタと他の場所も触るが、全て透明な壁で阻まれている。
「どうなってんだよ!! これ!!」
透明な壁を叩く。手から血が滲むのみで何も変化は無い。
「クソっ!!」
道を変えようと動いたところで、気付いた。
長身の怪物が、追い詰めたぞと言わんばかりに目の前に立っていることに。
「は……はは……」
俺は涙目になり透明な壁にそってしりをつく。股間に温かい感触が広がるが理解が出来なかった。
なんだよこいつ。なんで俺を追いかけてくるんだよ。食うのか? それともどこか連れ去るのか? 嫌だ……嫌だ。まだ死にたくない。生きたい。
長身の怪物は口を動かす。紅い瞳の下についていた小さな口は広がり、ヤツメウナギの如き歯を覗かせた。
「嫌だ……」
どうしようもない時、俺は自分に力を求める。
物事を解決する力を、危機から脱するアイデアを。
ふと、手に冷たさを感じた。
目を寄せると、見覚えのある刀が握ってある。
これは……昨日ぼったくられた刀?
刀なのにあまりにも美しい白い色。軽い重量。見覚えしか無かった。
その刀はこんな死の間際でも美しく……俺は、その気持ちが隔絶されたものであると直感した。
最後の勇気を振り絞り、立ち上がる。
足が覚束無い。今にも崩れ落ちそうだ。鞘を外して投げ捨て、そのまま両手で刀を握り、体に引き寄せる。
いつの日か時代劇で見た構えだ。
なんで刀があるかとかどうでもよかった。ただその武器にほんの少しの期待を込めただけ。
目指すは生還。
「う……うぉぉおおおおおぉぉぉぉっ!!!!」
俺は自分自身を鼓舞して長身の怪物に飛びかかった。リミッターが解除されたのではと思うほどの強靭な脚力で、頭部目掛けて振り下ろした刀は────
────届くよりも先に体が横から弾き飛ばされた。
吹き飛び、ブロック塀を壊して勢いが殺される。
「……ぁ……ぅ」
体が軋むように痛い。瞼は片方が重く開かず、胸元から上にかけて気持ち悪さが駆け巡っていた。
そして悟る。俺は死ぬのだと。
「死にたくない……」
一心の願いに応えるように長身の怪物は歩む。
「誰か助けてくれ。父さん、母さん、夕凪……こんなところで死にたくない。怖い。嫌だ嫌だなんでどうして……」
口から吐き出るのは本音。
先に旅立つ懺悔と望まぬ死への抵抗。喋るのなんてやっとな筈なのに、喋る度に激痛が走るのに。
それでもスラスラと出てきてしまう。
「あぁ……」
俺は願う。
「俺に生きる力があれば」
俺の怒りを果たせず終わるのか。
「短い人生だなぁ」
折角のチャンスを一瞬で逃がしてしまうのか。
「俺が死んだあとどうなのかな……」
終わらせない。憤怒を滾らすことが生き様だ。
「死にたくねぇよ……」
燃やせ、憎悪を、嫌悪を、不条理な世界への抵抗を!
「怖いよ……」
反逆を巻き起こせ。行動だ。行動しろ!! 死を克服してこその怒りだ!!
「どうにかして生き残れたら────」
怒りを糧とし消却へと導け!!!
────ああそうか。
俺は再度、刀を握る手に力を入れる。
生きる力がないなら……
「
────!!!!
刹那、刀から出た白炎が俺の体を侵食していった。
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