第7話
帰省してきた手島と会うのは、長期休みの恒例行事だった。通っている大学の近くで一人暮らしをしている手島は、長期休みにしぶしぶといった感じで実家に帰省する。もともと手島の実家から大学まではギリギリ通えないこともない距離なのだが、軋轢のある父親とあまり暮らしたくないのだろう。帰省するのも苦にならない距離のはずなのに、何かと理由をつけては帰ってこない。帰ってきても、なるべく家にいなくて済むように、やたらと僕を遊びに誘う。僕も暇だから、構わないけれど。
駅のコンビニでペットボトルのカフェオレを買って、それを片手に改札の近くで待つ。改札の方が騒がしくなってきたから、恐らく電車が到着したのだろう。春休みといっても、大学生の春休みは高校生や中学生に比べて早い。下校時間に重なったらしく、まだ学校帰りらしき学生の集団で混みあっていた。僕はカメのように首だけ伸ばすと、人ごみの中からあの長身を探す。
サラリーマン二人組のすぐ後ろに、背後霊のようにぴったりとくっついて歩く手島が見えた。
「手島」
改札を出たタイミングで、向こうも僕に気が付いたようだ。大きめのショルダーバッグを持っていない方の手を挙げて、少し早足にこちらへ向かってくる。
「おっす、同窓会以来だな」
ラフなパーカー姿の手島に、僕は謎の安心感と物足りなさを感じた。最近は薫さんと出かけているから、どうにも僕の中の対外的なファッションセンスが磨かれたらしい。手島の出会ったころから変化のない格好に、物足りないという奇妙な感覚を覚えたのはそのせいだろう。
「なんだよ、ジロジロと」
「あ、いや……」
僕は苦笑いして誤魔化す。人の服装を値踏みするように見るのはよくない。だいたい僕だって、ファッションセンスは手島と同レベルなんだから。
視線を落とすと、手島の履いているスニーカーが目についた。大学に入る前から履いているもので、たぶん四年くらい経っている。足先が少し擦れていて、真っ白なゴム部分は初めから灰色だったみたいだ。けれど、きちんと手入れがされていて清潔感がある。
「手島って、物持ちいいよな」
手島は右足をわずかに持ち上げて、「だろ」と得意げに笑う。僕も自分の中の気持ちをかき消すように、笑ってみせた。
その後は、前から話していた映画を観て、ゲームセンターで少し遊べばすっかり夕食の時間になっていた。
「何食う?」
手島がスマホで近隣の飲食店が表示された検索画面を見せてくれる。僕は勝手にスクロールしながら、画面を滑り続ける食べ物を感動もなく視界にとらえる作業をした。
「手島は何食べたい?」
「肉」
食い気味な手島の発言に、僕は笑いながら検索ワードに「肉」を追加した。ステーキやハンバーグといった肉料理が、これどもかというほど表示される。店の外観の画像も表示された。その中の、妙に目を引くアメリカンな男性の看板をぶら下げた店の画像に目がいく。口ひげをはやし、チェック柄のシャツにデニムのオーバーオールを身に着けた、よくみる牧歌的なイメージをそのまま擬人化したような男性だった。片手でこれから食べられるとは毛ほども思っていなさそうな、のんきな笑顔の牛を抱きしめるように捕まえている。なんともブラックジョークがきいていて、手島に見せようと思った瞬間、男性のもう片方の手に視線をからめとられた。彼は、ミートハンマーを手に持っていた。
ミートハンマーを認識した途端に、つま先から頭のてっぺんまで、鳥肌がたつ。首筋に、ナイフのような冷えた指が絡みつく。僕の体内を巡る熱を持った血液の流れを断ち切ることのできる、あの手。
「ダメだよ」
「はっ」
気が付いたら、スマホを落としかけていた。僕は慌ててスマホを握り直す。
「大丈夫か?」
「あ、手島」
手島とはさっきからいたはずなのに、今この瞬間に突然会ったような感覚になっていた。異常に早鐘を打つ心臓の音が、頭まで届いてガンガンと響く。もはや心臓が、頭の中にあるみたいだ。
「どうした?具合悪いか?」
「いや、ごめん。ほんと大丈夫」
心配する手島に申し訳なさを覚えつつも、少し鬱陶しくなる。頭の中の騒音と、手島の声がぐちゃぐちゃに重なって酔いそうになった。
「あ、この店とかどう?」
「おー、いいんじゃね?」
手島は僕の提案に賛同しつつも、まだ心配そうに僕を見ていた。
「……調子悪いなら、言えよ?」
「大丈夫だってば」
調子は悪くない。それは本心だ。手島を心配させたくないのもあるけれど、ほんとうに調子が悪いわけじゃない。たぶん。
首の違和感は、まだほんの少し残っている気がした。
「じゃあ、帰るわ」
「うん、気をつけてな」
手島は「気をつけるほどの距離じゃないけどな」と苦笑する。たしかに成人した男を心配するような遠さの帰り道ではない。夜遅くでさえなければ、小学生一人でも行けるような近さの、簡単な経路だ。
「じゃあもっと帰って来なよ」
「やだよ、親父と顔合わせたくねーし」
お父さんと顔を合わせないほうが、僕と遊ぶより優先なんだ。喉まで、そんな言葉がせり上がった。僕の理性が、咄嗟に抑え込む。何を、言おうとしてたんだ。
「……どうした?」
手島が僕の顔を覗き込んだ。背が平均より少し小さな僕が俯くと、手島はかなり背中を屈めなくては顔を見ることもできない。彼は腰から折り曲げるようにして、そのヒョロリと長いナナフシのような体を屈めていた。
「いや……」
「ほんと大丈夫か?何か、あった?」
顔を慌てて上げた僕に、手島は不審そうに眉をひそめる。
──なんでそんなに、根掘り葉掘り聞こうとするんだよ。お前は僕のお母さんかよ。
いつもなら、そうやって茶化すことができた。僕と手島の関係性は、そういうものだから。話したくないわけじゃないけれど、別に話さない。お互い解決策を提案して欲しい時しか相談はしないし、共感を求めるオチのない話をすることはない。どこにでもある、普通の男の友人関係だ。
なんでそれが、こんなにも煩わしくて物足りないのだろう。察して欲しい、わかって欲しいという面倒な彼女みたいな気持ちと、手島の心配をどうしようもなく鬱陶しく感じる反抗期の子どもみたいな気持ち。二つがドロドロに溶けて混ざったソフトクリームのように、ベタベタと心を侵食する。
距離感が、上手く掴めない。僕は今まで、手島とどうやって接してたっけ。
「とにかく大丈夫だから。それより、電車来るぞ。また連絡するから!」
「あ、おう……」
手島は納得していないようだった。けれど僕の明るい声色に、問題ナシと判断したのか駅の改札口へ向かう。
駅の明かりに吸い込まれて消えた手島を見送ると、僕は街灯のまばらなバスロータリーの方へ歩き出す。バスも少なくなったこの時間は、人もいなくてうら寂しい。繁華街は駅の反対側だから、こちら側は存在を忘れ去られてしまったようだ。
蛾も寄り付かないほどわずかな街灯の明かりに照らされながら、僕は帰路についた。
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