第11話

 祖父を筆頭にして山を下りようと本殿を出ると、石段のところに女中が待っていて四人に向ってお辞儀をした。


「どうぞ、お足もとにお気をつけて」


 そう言うと先に立って提灯で祖父の足もとを照らした。


「うむ」


 祖父が頷くと暁はさっとその右側に並んだ。


「おじい、肩につかまってよ。危ないから」


「悪いな」


 暁と祖父がゆっくりと慎重に石段を下りて行くのを、匠と父親は見守っていた。


「お父さん」


「……」


「暁、優しいよね」


「……」


「暁が魔道の者なんて、おかしいよね」


「匠、暁がこの地を去るのはお前のためでもあるんだ」


「……え?」


「久遠寺の跡を継ぐのは匠一人。暁の力はお前の障害になる。ここにいればいずれお前を滅ぼす。だから暁が去る。双子が禁忌であるというのはそういうことなんだ。この地で生きられるのは一人だけ。一人は消えなくてはいけない。暁はそのことを本能的に知っている。自分が匠に害をなすということを……。だから何も言わないですべてを受け入れてくれるんだ。そのことを忘れてはいけない」


 それだけ言うと父親は石段をゆっくりと下り始めた。


 皆に続いて石段を下りながら、匠はどうして子供のままでいられなかったのだろうかと思っていた。子供のままでいられるなら、二人は一緒にいられたのに。


 山から戻ると母屋には母親と祖母が帰りを待っていた。


 女中に表座敷にお茶を運ばせて家族が揃うと、上座に座った父親が「ご苦労だった」と匠と暁を労った。


 不安な表情で母親が父親の言葉を待っている。その間、暁は菓子鉢に盛った蕎麦ボーロをぼりぼりと齧っていた。


 女中たちは台所に控えているらしかったが、その聡い耳がこちらの様子を窺っているのが分かった。掃き出し窓の細く開いているところから猫たちがスパイのようにこちらを窺っているのも。


「暁はここにはいられないことになった」


 父親は静かに告げた。途端、母親がうっと呻いて両手で顔を覆って泣き出した。


「暁も神々の裁定は聞いたな?」


「……」


「この地を離れ、お前は自分の力を見極め、磨き、学ばなければならない」


「……」


「しかし姫神様が仰ったように、お前のことは鷹住の神々がお守りしてくれる。どこへ行こうとも……。聞いてるのか?」


 返事のないことを不思議に思い、父親が暁の顔を覗き込んだ。


 見ると暁は蕎麦ボーロを一心不乱に食べていて、口の中をリスのようにいっぱいにしていた。


 呆気にとられている父親の横から、匠はそっと暁にお茶をすすめた。暁は無言で湯呑からお茶を啜り、口の中の物を飲み下した。


 匠は、暁が辛い気持ちをやり過ごす為に菓子を貪っているのが分かった。それも自分に下った裁定がつらいのではなく、母親が自分のせいで泣くのが悲しいのだ、と。祖母が母親をなだめるように、叱責するように声をかける。泣いてはいけない、と。しかし止めようもなく母親の啜り泣く声が部屋に満ちた。


「お父さん」


 匠は父親に向って言った。


「暁はここにいられないって言うけど、じゃあ、どこへ行くの? 一人で……」


 暁が匠を見つめる。まるで似ていない二人だが、瞳だけは怖いぐらいに同じだった。黒く澄んで、透明な光を宿す瞳だ。


「暁の行先はこれから一族で決めることになる」


「……」


「が、暁は魔道を学ぶ学校へ行くことになるだろう」


「学校?」


 驚いたのは暁だった。そんなものがどこにあるのか見当もつかない。魔道を学ぶって具体的にはどういうことなのだろうか。


 暁が尋ねようとしているのを察知したのか、父親はさっと立ち上がると床の間の違い棚に置かれた小箱を取って戻って来ると「これを」と暁に差し出した。この時父親は初めて微かにではあるが柔和な顔で笑った。


「昨日はごたごたしていて渡せなかったから」


「……」


「誕生日おめでとう、暁」


 泣きはらした目で母親が暁と匠の二人を見つめ「お祝いらしいこと何もできなくてごめんね」と詫びた。


「そんなことない。昨日ケーキ食べたよ、匠と」


 暁は母親を気遣うように言い、匠に向って「ね?」と同意を求めた。匠も頷いて返した。


 小箱は手のひらに収まるほどの小さなもので、繊細な金蒔絵きんまきえで菊花文様が描かれていた。


「きれいな箱。高そうだね。ありがとう」


「いや、箱じゃなくて」


「え?」


「中身、中身」


「あ……ああ、そういうこと……」


 艶々した漆塗りの蓋は微かな抵抗を伴いつつ、ぱかりと開いた。中には指輪が入っていた。


「わあ……」


 暁は思わず声を漏らした。匠も横から箱の中を覗き込んだ。


 小さな長方形の石がついている金の指輪は、不思議なことに一つの石の中に二つの色があった。右は薄紅、左は緑。その鮮やかな色が左右から中心に向って伸びあい、溶け合うように輝いていた。


「きれいだね」


 匠が言うと、暁は頷いた。


「西瓜みたいだね」


「……」


 言われてみると確かに薄紅と緑のコントラストが西瓜を思わせる。


 こんな場面でそういうことを言ってしまう暁のどこか間の抜けたところが、匠には嬉しいような気がした。暁の心のまっすぐさが表れているようで。


「嵌めてみなさい」


「ちょっと大きいみたいだけど……」


「いいから」


 父親の言葉に従って暁は指輪を左手の中指に嵌めた。


「あっ」


 大きかった指輪が暁の指に嵌められると、誰の目にも分かるほど瞬時にきゅっと縮んで、暁の指にぴったりになった。暁は目を見開いてまじまじと指輪を凝視した。


「縮んだ……」


「そう」


「え、じゃあ、匠が嵌めたら大きくなるの?」


「そうだ」


「匠もちょっと嵌めてみなよ」


 目を輝かせすぐに指輪を抜いて匠に嵌めさせようとするのを「匠はいいから」と父親が制した。暁は二色の石を天井の照明に翳してきらめく光に見入った。


「その石は神々と魔道の力の二つを表わしている。いわばお前の守り石であり、お前自身とも言える」


「……二つの力……」


「なくさないように大事にしなさい。その石がいつもお前を守り、導いてくれるから」


「……うん」


 暁はこくりと頷いた。匠も暁の指輪を見つめながら「どうか僕の片割れを守ってください」と胸の内で呟いていた。

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