第四章 二、爆散

 7月末、私が爆散した。折からの情緒の不安定がついに他人への攻撃に向かった。可哀そうなのは仁木義也君である。義也は、ついに狂った私に突如言葉の通り魔を受けたのだ。


 K先生との対談掲載やめようと思う


 前半部分だけ掲載ってのも悪くないと思う


 お前みたいな発達障害者の意見を採用したくないというのがある

 お前がいると全体の士気が落ちてみんな具合が悪くなる


 私は突如このような言葉を送信し、そこから唐突に他者との関係の破綻に向かっていった。そうすると、義也も可哀そうだが、一番可哀そうなのは私である。それは未だに事実だと思っているし、このような神話的悲劇もそうそうないと思っているが、そこで西洋的な救いのない悲劇で終わらないのが私で、私は何度でも甦るのだ。そうとはいえ、私はここでしばらく苦難を経ねばならなかった。復活の前に磔にされねばならなかった。

 私はそれを皮切りに次々と人に攻撃的文言を送り付けた。それが何よりの快楽だったからだ。私は死にたかった。しかし死のうとは微塵も思わなかった。私は生きたいからだ。人生はそういうものである。

 結局、この春学期、ただの一つもまともなレポートを提出できなかった。意気込みだけはあったのだが、結局、全て完成させられずに終わった。私は終わったと思った。だから生きようと思った。結局、語学の単位は全て落とした。だから生きようと思った。

 私には信頼が欠けているのだ。今の私は、多くの健全な馬鹿は基本的信頼の中で贅沢な不安に苛まれていると思っている。私は違う。いわば基本的不信の中で常に気が弱く不安なのだ。空気というものが悪くなるのがたまらなく嫌だし、人に言い返すということが基本的に、できない。気が弱すぎるのだ。この弱さは私の美徳である。弱さを売り物にするのを卑怯だと言うなら、彼は貧しい。今の私が寝たけりゃ寝る、次の予定はキャンセルする、そういう豊かな今を生きることが何より贅沢なのに。身体とは馴致された行為のことであり、決して鍛え上げられた肉体のことではない。我々の自由は、ただ今を肯定することにのみ存する、或いは、無鉄砲な否定の中にこそある。イイ、イイ、イイ。ダメダメダメダメダメ!これが真理である。だから、信頼の人も、不信の人も、いずれにせよこのアリナシのプロテウスに生きれば、そこにこそ自由意志があるのであり、決して物理世界を思い通りにできる自由がないように、人間など思い通りにできない。だから私も私のことを思い通りにできないという基本的不信があるのだが、しかし同時に「汝殺すべし」という天からの幻聴に「否」を突き付けることくらいはできる。すなわち私は自由だ。


 人と人が出会うのはなぜだろう?人と人が磁化し合うからかもしれない。すなわち反発するときは一瞬なのである。身をもって体感した身としては、それはひとえに人生と同じであるように思える。胎児がひとたび胎盤を離れるや、泣きわめき乳房を求める。犯した次の朝に男は離れていく。そしてまた赤子の泣き声が絶えない。諾否の螺旋、これを愛憎渦巻くと人は言う。結局、生まれてこない方がよかったのか。しかし生まれてきてしまったからには世界と没交渉ではおれない。ということは渦に巻き込まれざるを得ない。せめて愛に敏感で、憎しみに鈍感でありたい。凄惨な燔祭の代償のご褒美がチョコレートとはちょっと戦争と平和も、すなわちエロスとタナトスも粋すぎやしないかと思ったりする。私は粋よりも人情が好きで、好きで、たまらなく好きで、言ってしまえば地獄の果てまで追っかけて来てくれるような情が欲しい。かつ地獄の閻魔にも情けを求める。ちょっと我慢しろな、そしたら帰してやるからな。そういう人情である。

 悲しみは至る所に林立しているのに、喜びはレンズがないと探せない。

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