第三章 三、動く

 2022年7月8日金曜日を私は一生忘れないだろう。それは記念すべき一日でありまた我々日本のひいては東アジアの民俗にとって海が尽きても尽くせぬ激情をもって思い起こすべき日であるからだ。安倍が撃たれた。それを知ったのは午後からの受講を控えた午前中に精神科への通院を済ませて大学へ向かう東京メトロ、旧営団地下鉄丸ノ内線で茗荷谷駅付近を走行していたその車内においてであった。重い荷物を背負っていた私は、しばしの休息として荷物を降ろして昼前の車内に座り、ひとつ息をついてスマホの画面でTwitterを見て、それを見た。


 特務機関NERV @UN_NERV 7月8日

【NHKニュース速報 11:42】

 安倍元首相 奈良市で演説中に倒れる

 出血している模様 銃声のような音


 私は興奮してそのまま電車の中で「えっ」と一度目は無言で、二度目は敢えて周囲に伝わるようにと「えっ!」と声に出して、驚いてみせた。10年間憎んできた連中複合体の象徴がやられたことは非常なたいへんな感激だったが、その前に私は冷や汗を経なければならなかった。驚きの興奮の次に去来し、同時並行で進行した思いは、(もし軽傷だったらどうしよう…)というものだった。もし軽傷だったら、十中八九そうだろうが、もし軽傷だったら、警備は途方もなく強化され、壁は遥か高く、また厚くなってしまう。ああ、終わった。俺の連中複合体撃滅計画、神話的名称を「田代討清」が、ご破算だ。クソが、どっかの馬鹿のせいでナポレオン帝政崩壊並みの革命のご破算だ。全ては、終わった。万事、休す。もうどうせ発砲されただけで大したことにはなっていないんだろう、方針変更だ、しかし祭りに乗っかるぞ。そんな気分で俺は電車の中で知り合いの自民党の衆議院議員に電話を掛けた。15秒ほど話したが、「大変なことになっているので」と話を切り上げられた。次に、後楽園駅のホームに降りてすぐ父に連絡した。

「安倍が撃たれた。今ニュースになってる」

 父は仕事中に営業用の車に乗っていたはずだ。父は鷹揚として応えた。

「おう当たり前たあやんか奴は撃たれようもん」

 私はさらに興奮して言った。

「もちろんそうだけど、犯人は何者だろうね?ね。それで、心配なんだよ」

「心配すんなあやんかと」

「いや、“安倍が軽傷だったらどうしようか”って心配なんだよ」

「いやこれでいい見せしめになったた、事務所帰ってニュース見てみる。そいじゃ」

 私は連中複合体の末端かつ殺さるべき象徴である我が父が死ぬほど嫌いでぼてくり殺したいのだが、ほんなごて劇場はまさに列島だった。そのまっぽし直球ど真ん中に私と“彼”がいた。続報が入った。安倍晋三心肺停止!この瞬間、事態が喉元でつかえたが、過半を飲み込んだ。やった!やったぞ!私は歓喜した。とうに大学の最寄り駅に到着していた私は、走って大学に向かった。その時の私は絶頂だった。次に明瞭なかたちで去来したコトバ、「撃ったのは誰だ?」。NHKのニュースをスマホの画面で最大のボリュームで流し、私は酔っていた。山羊を血祭りに!父親殺しの罪人は誰だ!?君は、誰?これは犯罪ではない!燔祭だ…。うまくやったか?めでたし、めでたしだ…

 大変な心理状態になっていたものだと思う。そのせいで向こう1か月私は完全なキチガイの人非人状態になるのだが、それは僥倖であり、鮮明に魚をブっ刺し羊を屠ったのだが、屠蘇のような生命の復活はない!安倍死んだ!我らは勝ったぞ!そう確信したいところだったが、しかし、しかし安倍の事だ、そして、俺達、俺達のことだ、事態はそう楽観視できなかった。それほどまでに俺達は虐待されてきたのだった。

 心肺停止の四字熟語が福音として宣べ伝えられても、まだ俺は己の疑惑を捨て去れなかった。俺は講義には出たが、或る一文字、その一文字、それをのみ眼前に映らんことを待ち望み、まともに受講できず付けっぱなしのスマホ画面をずっと見ていた。最前列でずっと見ていた。一文字、一文字の漢字だけ見えればそれでいいんだよ。じれったい。もう、結果は決まってるんだから。そう思い俺は受講を終えた後、BOXへと向かった。そして、自分のノートパソコンでNHKの報道を流していた。次々と部員がやってきてはその話題で持ちきりだった。ああ、早く早く。さあ早よ行くばいエンヤーエンヤー!山ん逃ぐっばい!そんなテンションだった。そういえば、授業前に軽く出た情報だと、容疑者―名誉なのだから「犯人」と呼ぼう―の名前は

 ヤマガミテツヤ

 とか言ってたな。調べても人違いだろう人しか出てこなかった。画面には、何度も何度も白煙の上がる様子が流れて、流れて、流れ続けていた。安倍は、何度も、何度も、その度ごとに倒れていたとでも言うのか。

 私は1996年9月20日、九州の佐賀県唐津市に生まれた。神功皇后の三韓征伐にまつらう伝説も残る地で、唐津神社では住吉三神が祀られている。秀吉は市内から少し半島に突き出た地を朝鮮出兵の拠点とし、今では日韓トンネルの計画がある。私の家は水主町という、唐津くんちという祭りの曳山を曳ける町にある。鯱を曳く。今でもこのように興奮すると出るものは、唐津くんちの笛の音、囃子掛け声親の声、鯱のまなざし溝のゲロ、そういうものである。唐津は典型的かと思われるほどに自民党的な、保守的な、ヤクザな街である。しかし彼の地の自然が大好きで、父方の、祖父の故郷田代の地は、今もさえずる鳥の声。焼ける落日東宇木。農協があり、朝の野焼きがあり、無駄な道路があり、原発から伸びる送電線が博多へと向かう。これが日本です。私の故郷はあの赤い落日の2014年にこそある。父方の祖母は、或いは祖母の家系の女性たちは、「生長の家」という宗教を信仰していた。私も小学2年生で初めての2泊3日の「練成会」に行かされた。親戚とともに行かされた、生かされた?殺された!帰ったら母が家出して二度と帰らなかったものだが、母との関係はピアノの習い事を強制されるなど良好なものではなかったし、俺が自閉症だったからな、療育に月一で連れて行くのも大変だったろうよ。知ったことか!俺は言い忘れたことがある、母に対して。生長の家の練成会では帰ったら親に「ありがとう」と言いましょうと言われていたので、腹が立った。よって帰ったら母に「バカバカバカバカ」と言うつもりだった。しかしその「バカ」は母がすい臓がんで苦しんで死んだがために俺の心の中を永遠にこだまするコトバになってしまった。なんちゅうことやおい戸塚!戸塚くたばれ戸塚!ところで生長の家の創始者は谷口雅春という名著述家である。実際に文筆宗教家としては優れていると思う。何冊か読んだ。だが俺は、ああ!思い出した!俺は三島由紀夫の首を取るぞ!しかしあいつは憎めない!わが友ヒットラー!結局平岡くんは少年を脱せなかったんだね。俺と同じだ。きっとニーチェを、ルサンチマンを、彼は脱せていない。そう思う。

 そんなこんなで形成された私の怨恨感情は、しかし価値を顛倒させるバカ左翼の逆アシストとは違い、どこまでも真剣に清和会に照準を定めていった。ああ、私はなぜこんなにも一個の運命なのか。この今の未だにそう思う。2021年に上京してすぐに「聖地巡礼」と称して独りの嫌儲民(ケンモメン)としてサンシャイン池袋のすぐ下の巣鴨プリズン跡の石碑を蹴り上げに行ったことが思い起こされる…。


 さて、十六時三十分からの五限は宗教学の講義だったので、しっかりと出席した。しかし当然ながら頭の中は「死」への渇望で満たされていた。


 晋三が心臓撃たれて死んだぞう


 おおなんと素晴らしいことか。早よ死なんかこんバカタレが。角栄さん!角さんやりましたよ!祖父の正嫡である私は―或いはそういう意識しかなかった私は―興奮し天下の閻魔様の名を頭の中で何度も何度も、ハレルヤ、ハレルヤと、羊のように反芻していた。


 諸人挙りて迎え奉れ 久しく待ちにし 主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり

 悪魔の人牢を打ち砕きて 捕虜を放つと 主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり

 この世の闇路を照らし給う 妙なる光の 主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり

 萎める心の花を咲かせ 恵みの露置く 主は来ませり 主は来ませり 主は 主は来ませり

 平和の君なる御子を迎え 救いの主とぞ 褒め称えよ 褒め称えよ 褒め 褒め称えよ

 アーメン

 山上徹也


 角栄の奇蹟、バプテスマの菅野、そして、山上徹也。僕はその日から山上くんのことを「山上くん」と呼び始めた。いや、私はずっと前から知っていた。兄弟なのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る