第二章 三、男根

 優雅にも紫のスペクトル連なる空を見ながら帰り着いた私は、夜になりネットの世界に身を投じた。ネットの世界はいい、自分という茫漠たる動きが、社会的な存在として安定化できる。そこで私はいつもの日課を始める。まずはチャットでご挨拶。


 こんです。何の話してましたか?


 すると“いつものように”レスポンスがつく。


 まーた来たよ


 中二病のクソガキ今日も元気?


 あーあ


とまあ、こんなふうである。私はムキになって応戦する。


 元気です。中二病とは何ですか?明確に教えてください。私は中二病という概念に妥当する定義や要素を知りません。わからないんです、本当に。。。


 私はこの場でムキになり、3日後に思い出してムキになり、1年後もムキになっているタイプである。だから、その場でやり返そうとする。しかしそれは慣れたことなので、早速自己顕示欲を満たす目的を大真面目に自覚しつつ配信を始める。生配信のURLを貼り付け、そこの人たちに見てもらうのだ。


「どうも元気ですよ私はええ。じゃあ早速」と言い、私はおもむろに下半身を出す。パンツごと完全に脱ぐ。そしてから上半身も脱ぐ。お決まりである。「ほらほらどうどうどうだどうだアヨイヨイ」といった掛け声とともに、私はちんこを見せびらかす。このちんこには歴史がある。


 まだ幼稚園の頃、母親ともうまくいっていなかった私は、ある日母親に連れられ弟とともに洋服店に入った。そこに飴玉のクレーンゲームがあったので、私はそれをしたく、また、飴が欲しいと母に言った。母は私が取ってあげると言い、彼女自ら操作した。しかし、飴玉は1つしか取れなかった。不満な気持ちで受け取ったが、次にその分弟にも取ってあげるということで、母はその分も行った。すると大量に取れて、それは弟の分となった。私は腹を立てて店内の洋服の陳列された狭い通路で泣き喚いた。私は飴玉を隠した。母がやってきて私に「飴はどこにやった?」と聞いてきたので、「捨てた!」とわざと嘘をついた。すると母は私のちんこを思いっきり靴で蹴り上げた。そこではじめて私はまだ飴を持っていることを打ち明けた。しかし、なにかヒリヒリとちんこが痛かった。その後すぐに家に帰ると、私はいつもの習慣でパンツを脱ぎ棄てて二階のトイレに行った。尿を出した瞬間、激痛が走った。何事かと思ってお母さんに、「お母さん!」と助けを求めに言ったら、弟が私のパンツを覗き込んでおり、それを手に取った母が血相を変えだした。そして私を追ってきたので、私は母から逃げた。結局私の今でも続く性質で、捕まる前に自分から諦める姿勢を見せるということで、病院に行くことになった。最初の町医者で私は台に寝かされてちんこの皮を捲られた。泣き叫んだ。そこでは処置できないということで、近くではあるがより大きな病院で手術されることになった。引き立てられる雄牛の如く怯えていた。病院に着くと、早速麻酔もなしに処置が始まった(麻酔は子供にとって毒にもなるかもしれないが、せめて薬として使ってくれたらよかったなと思う)。そうして、一刺し一刺し、激痛のなかの縫い合わせの作業が行われたようだ。台に複数人の大人に押さえつけられた情景が今でも思い起こされる。しかしその情景は、ただ漠然たる情景で、故にこそ明瞭な相貌の描けない夢の中でこそありありとする感情のように、私に強い無意識的情動をもたらしているようだ。一刺し、そして、一刺し、縫う、縫われる。そうしていると家族が到着した。長い、長い、今では、どれくらいの時間だったのか判然としないが、途中で家族が来て、さらに続いたという記憶から推察するに短くはなかっただろう。しかしそれは、誰にも褒められない受動的な苦痛で、しかもそもそもご褒美に対して母へ嘘をついた私の罪を発端とする汚れた男根の苦痛で、なればこそ私は永遠の渇きを、復活なき精神の死を宣告されたのである。私は悪魔とともに荒野に繫縛された。もうだめだと思う。

 ようやく解放された私は、病院から家族ともども家に帰り、その日は寝た。翌朝、塗り薬をちんこに塗ると小便をした。痛くなかった。男根に平安があった。食堂で母と話した。

「お母さんちんちんバカ!」と言った。母は「ごめんね」と言った。その日から私の口癖は、今に至るまで「お母さんちんちんバカ」である。ともかく、その後しばらく私は母に向かって「お母さんちんちんバカ」を連呼していたと思う。そういえば、ああ、母は私の男根を蹴り上げた事実を隠蔽しようとしていたのか?最悪なナンセンスの隠蔽。皆は母の行動に「異議なし!」と叫びを上げるのだろうか。見よ!この人である。


 私はおもむろに空のペットボトルを手に取ると、そこに放尿し出した。私はどこまでも構われるのが嫌いなので、真剣に求められたいのだ。構われる、というのは、両親の良心のような行為なので、嫌いである。私は良心が嫌いだ。かと言って皮肉を言う醜悪な心も大嫌いだ。良心と皮肉は健常な、つまりイコール醜い心が生み出す同根の根性である。その奢り高ぶった悪辣さには死滅を願うのだ。だから、私はどこまでもやむなさのなかを真剣に生きる聖人が好きなのだ。聖人はどこにいるか?監獄に。私は叫ぶ。大いなる父に扮した憎しみの子は高級な血を民衆の肥やしにする。子は両親を永遠化するほどに弱い。子は永遠に子である。親は人の子で、親の親は人の子である。生命という系の中の衝撃。それが自己にほかならず、アクシデント発生というほかない。何かがエマージェンスしたのだ。そう考えると、幼年期はあまりにも特殊すぎる。仮構をこしらえなければならない要請がどこからきたのか明確になる。弱弱しい僧を勇ましい侍が斬り殺す。侍は覚悟の上、彼の心理構造の赴くままに成し遂げる。神の悲劇は不死身の定め、その自由とは然りなり。


 ちんこを仕舞い、夜は明けて、日差しの中の寝床に就けば、ただ動かざる峰の伏流。

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