第一章 五、聾唖

 私は寮に住んでいた。住んでいた、というのは、落ち着きのない私にとって往復3時間の距離が苦痛で、2年の夏に大学の至近のビルに引っ越したからだ。その寮は地元出身者のための学生寮なのだが、寮では1年次の頃がオンラインであった関係もあって、善いと思える関係の者はいたし、今も関係している。一人は地元から東京大学文科1類に合格して上京した者である。しかし彼はあまり面白くない。とにかく頭が冴えないように思うのだ。いや、実は羊の毛皮をまとっているのかもしれないが…。

 もう一人は、こちらはたいへんに興味深く実力も相当程度のものを持っている才人なのだが、概ね全国でも通用するほどの進学校の上位者クラスの出身で、また概ね、なんでもできるし体力もある。私はこの者に非常な関心を示し、彼の数学という分野を妬み始めてもいた。私は数学ができない。

 都心を離れた起伏ある近郊地の空は、行く先々がそうであるように晴れ渡っているときにはどこよりも青く、曇っているときには視角が狭まるほどモノクロになる。風は西に望む世に似ぬ白峰よりその満面の霊気を湛えて吹き降ろし、毎日、私を乗せた10両編成の電車とともに東の街中へと至る。

 私は一人が好きな寂しがり屋なので、いつも人に絡んで人を疲弊させて自分は元気になっている。他者の霊気を吸い込み、私は霊で満たされる。すなわち、私は「いのち」の泥棒である。宇宙の気息と霊魂は私の為に奉仕するべき事物であるというこの観念は、霊峰を強盗の巣にしている奴共に対してさえ臆さず、敢えて奴らに強盗を以って報いるを業とす、といった次第である。しかし私は自らの政治的プログラムとして、自身を不滅の霊魂として後代に残すような悪辣なアカデミズムの野心は、生憎有していないので、なんら心配せずに「ほんとう」を試行錯誤し続けるのである。但しいくら格好のついたことを言っても飯が食えなくなるということはたいへんなことなのだ。配達の合間にラーメンを掻き込むおっちゃんのためにこそ政治があらねばならぬのであって、向こう側の世界のありもしない理想とその範型の造物のために政治があるのではない。このことははっきりと述べておくし、この点では進歩的文化人の飲む勝利の美酒よりも先のおっちゃんたちが激安スーパーのツマミをワリカンで飲むその酒の方がうまいに決まっている。酒は交歓である。神と、月と、自然と、先祖と、それらとの交歓の媒酌を酒自らが行う。だから酒は裂け目に生きているのである。人と人との間には事象の地平面があると考えた方がいい。しかし、酒は裂け目に生ける水なのだ。今日の日を摘め。飲もう。我々は明日死ぬから。今日逝く身なれば最高の自己形成をしたいではないか。だから「ほんとう」を試行錯誤したいのである。不幸に堕とされてもほんとうを試行錯誤し続けたいということは、何が何かわからないし副産物である幸いをエレメントとしなくても継起的に自己となり続けるということなのである。しかしなんせ飯は食いたい。ああでもないこうでもない、でありつつ、あれかこれかではない「あれもこれも」を望むのである。「命のパン」を食べつつも滴る血を啜り陶酔しまたポテチとコーラも食べること。これが私の生きる道である。


 ある日私は大学の友人とファミレスで話した。そしてその興奮のなか、俺は哲学の才能があると確信して寮の数学科の彼に都心から寮へと向かう列車の中で今晩話せるかと連絡を入れた。帰り着いて談話室で彼に私の思索(めいたものとしか言えない)を話した。彼は聞くところまでしっかり聞くと、笑顔で「は?」と返してきた。私はどうにも本気だったので、あれやこれやと説明しようとしたが、そもそもの思考にまとまりがないのでうまくまとまらない。そうして何やら話が進んだところで私は彼に、

「じゃあ、論理って何?」

と聞いた。

 すると彼は7秒間ほど、ただ上を見て、

「       」

と答えた。しばらくして解散の運びとなり、最後に彼は、

「途中から面白かったよ」

と伝えてくれた。私が、

「どういうところが?」

と問うと一言、

「喋れば喋るほど破綻していく」。

 私はその夜一睡もできず、同じサークルのメンバーと夜通し通話して朝を迎えた。なぜ私は破綻しているのか?所詮私など全てが間違っているのだ、適当も休み休みにしとけという程の人間なのだから、分を弁えて沈黙に徹した方がいい。私は彼の論考の前に軽々と蹴散らされたのだ。喩えれば我が国の領海で私の漕ぐ舟が私の操縦によって異国の空母に体当たりして当然の如く沈んだようなものである。轟沈して明くる月曜不眠に見た空は淀んでいた。しかし月曜2限の哲学と科学は私にとって生きがいであるので、その垂れ下がる目で、都心のキャンパスへと向かった。


 先生はいつも遅れて来る。仮に時間通りに始まった場合、それは天変地異の前触れであるから、よくよく注意するのがいい。私はエレベーターの前で先生を待ち構えた。もちろん昨日の始終を相談するのである。エレベーターが開き先生が降りてきて「おお元気か!」と言った先生に開口一番に相談を捲くし立てた。先生は廊下を歩きながら一言、「リセットだ。」と、それはどこまでも、桃色を思わせるような優しさで私に、その一言を贈られた。哲学と科学はしっかり受講した。なぜならそれこそが一番の楽しみだから。薄暗く風のない教室は、今日も激しい赤色光とともに嵐が起こる。竹に垂れ下がる笹の葉の合間を流れる沢の水はきっとおいしいのだろう。薄暗い部屋は今日も輝く。講義が終わる。今すぐにでも逃げ出したい。どこから?自分というところから。今の私から見れば、すなわち半年後の私から見れば、その当時の私はただ「ヌーメノン」としていればよかったのだと思う。すなわち、他者の顔が何かを宣ってきても関知するだけで感じなければいいのだ。それでいて死なないように、監獄にぶち込まれないように…。

 先生は、論理には様々な論理があり、言語に内在する論理と論理学の論理、数理論理学の論理、などなどは、それぞれ異なる論理だと仰られた。そこで、早速哲学サークルへと赴き、10月末の学祭へ向けて冊子を制作することを、そして、論理について共同研究を進めることを表明した。

 私は、0からのスタートを、そして、様々な論理に通底する何かを掴まんことを、構想し始めた。

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