第一章 四、言論

 2022年5月30日(ナザレの町にイエスが生まれてだいたい2026~2030年程度か)、その日の午後、私は先生の研究室にいた。―実を言うと、私は先生に対して1年の初めから視線を注いでいた。なぜなら、ツワモノだと聞いていたから。―

「はい、これあげる」

 それは、すぐには認識できなかったが、「あああ、ありがとうございます!」と言って受け取ってみると(―そこでようやく認識できたのだが―)、先生の新著だった。私は、基本的に人から嫌われるタイプなので、プレゼントを受け取ることも稀である。そのためもあり、権威ある人から本を贈られ、その瞬間―或いは認識した瞬間―から、もう虜になった。先生は、煙草をふかし始めた。ああ、これが世に言う「哲学の烟」というやつではないか。きっと先生の頭の中は日本よりも広いのだろう、或いは世界よりも広いのか?それとも、世界そのものなのか。いや、世界に広さという規定を付与すること自体が錯誤なのか?世俗の秩序を無にし、大いなる秩序を我が力とする、すなわち服従することによって征服することを実践しておられる。それでいて大いなる秩序のなかのゆらぎに生起する個のものを愛しておられる。それは誤解かもしれないが、そういった胸の大きさを感じて、私はますます先生に惹かれた。

 先生が私の最初の訪問で授けてくださったことは、「言葉を踊れ」というものだった。暗黒舞踏なる奇怪な何かを紹介されたのだが、いきなり言葉を捨てさせるのではなく言葉を踊るという不思議な凄まじさのある濃密な一言を下賜され、私は死(詩、師、私)に近づいた。だから、廊下に出て、ひとつ踊ってみた。


 理が混沌であるならば、酒は裂け目に生ける水。

 実のない体は土くれで、食べては死する身となるか。

 風吹く楽土にいのち咲く、みたまえ男の目の汗を。

 火にとこしえは閉ざされた、くたばる山羊を喰らうまで。


 これは踊りというよりも道化すら失格となるレベルだろうと思うが、こんな私でもお化けの絵くらいは持っているのである。階段を降りつつ、今夜は何時に寮に帰り着くかなと頭の中の時計の針を下げながら概算していた。そうして無駄に綺麗な廊下を、過去の方角へと歩きながら、中庭に出た。吹く風は裸足で歩くと痛そうな地面を抜け、私は人と人とが契りを交わすhome、すなわちサークル棟へと向かっていった。


 哲学思想サークル。この頃には既に昨年の4名から20名規模の学術系サークルに拡大していた。それは、ほとんど私自身のハンティングによるところが大きい。要するに、目についた人間をどんどん取り込んだのである。その結果、毎日BOXを開けるような活気あるサークルになっていた。今となっては本当に恥ずべき誤ちなのであるが、私はこのような地位において能力を発揮していることこそが私の本分であると信じて疑わなかった。いや、実は今も、より高いところで活躍する自分を信じて疑わない。なぜなら私だからだ。

 さて、そうしたことで、BOX棟の5階の一室のドアを開ける。

「よお!」

 そう言って右手を上げ、いつものように勢いよく飛び込む。私の座る席は決まっている。一番奥の、唯一長椅子ではなく独立した玉座、玉座…―私の座すべき…―、一人用の背もたれと肘掛けのついたソファに座る。今となっては、それは試金石だったのかもしれないと思う。人の身の傲慢(ヒュブリス)を唆す空しい、空の空なる座、崩壊の予示。

 私は席に着くと、始める。

「今日は何話してた?」

 部員が答える。

「そうだね、まあ対話の方法の話だね」

 私は興奮して返す。

「あー対話か!ディアレクティケーね!で、どういう方法を考えてるの?」

 別の部員が答える。

「対話が成立するためには前提の共有みたいなものが必要なんじゃないかという話だねー」

「そうか、確かに共通了解は必要だろうね。たとえ相対主義者のディアレクティケーでも共通了解を欠くことはできないよね。というのは、だって、痛みと恐怖の感覚を一切欠いた人がいたとして、その人に社会における暴力の議論をしてもどこか掴めなさがあるんじゃないかなとかね」

 こうして話は続く。疲れを知らない私にとってはこのような真剣な息抜きが何より楽しかった。まるで3日で終わってしまう祭りの夜がいつまでもどこまでも延長されたような気がしていた。こうしてソファの上で6人も7人もその場にいるメンバーの話を回しつつ自分もその展開に参加して、それはもう至高の時間だった。今でもそこで盗んだ知見と経験は大いに意義あるものだと考えている。夜になり、1人2人と帰り始めても私はまだいる。そして、最後の2人とか3人になってやっと帰るのである。電車乗り継ぎで1時間半の寮に向けて。


 正門の梢の下、煌めくペン先で所々を突いたような虚空の下を男3人で歩きながら、淡いライトに照らされた隣の顔をちらりと見つつその声に耳を傾ける。梅雨冷の風は薄らとした階段を一歩ずつ下りる私たちの間を寂し気に抜き去る。叢雲の間隙に月の胴体が見える。

「終わりってさ」

 誰かがつぶやく。

「人生の終わりってあるけど、終わりのない事物について考えてみない?」

 俺はその声に応答する。

「終わりのない事物って、現実的に検証できるのかな」

 もう一人が話し出す。

「いや、実験のような検証はできなくても、考えることによって検証ができるんじゃないかな。それは例えば、手の届かないところにあるものを見ることができるのと同じだと思うよ」

 私は、さあ、それはどうだろうとしばらく考え込んだ。階段を下りながらする肌寒い6月の怪談にしてはかなり縮こまる話だと思った。視線を感じる、後ろを振り返る。ただ銅像が立っているばかりで人の気配はなく、そうこうしているうちに前を向く頃には階段も終わっていた。

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