第一章 三、探求

 このとりとめもなくエントロピーの増大した一室は、しかしどこよりも広大無辺に感じられたが、同時に異様な狭隘化の予期を催しつつ、しかし不思議であるのは、加速度的に膨張しつつもここにしか自己の定常性の論理を見出せないこの精神。その洞窟こそアガルタの入り口であると、いかにも目を引き付け、唆していたので、私は一歩踏み入れた途端に言いようのない境地に立ったような気がして、これはそうに違いないと確信して、奥へ奥へと進んでいった。これこそが経験であると信じ、全方位から「進め」という声が聞こえていた。私はもはやそれを疑う余裕を失っていた。

―私がスケプシスならば(あの忌まわしいskepticismなどという自家撞着に陥っている語は使用しない)、私は私の思惟を出発点にすることもなく、千年の宙吊りさえも甘んじるべきなのか?また、共通感覚とは偽善であるか?すなわち天が自然に降格し、しかし人の本性がそこに依るのでないならば、(仮に依拠するのだとすれば、本能が宇宙の中心に没落していくように、、そのように運動する。)様態は、水が低きに流れ、人が高きに集まるような、そのようにして柔弱な傲慢が欠落した理を代替するのだろうか?―


 さて、私は4月に2年生になった折、先輩からの打診で哲学サークルの部長になっていた。コロナ禍が極まっていた頃はオンラインであったし、部室も開けられなかったのである。そこで、その頃の活動はその先輩を中心としたごく少人数での読書会形式であった。

 私たちのサークルは何か月もかけた挙句に

―以下を欠く―

というただの一言であっけなく終わってしまう書物を読んでいた。さて、いよいよ部室を開けられるというときになり私に順番が回ってきた。なので、わかった、よし、いっちょ、やってやるかと思った次第なのである。…メンバーを徐々に増やしはじめた。


 ところで、私は秋兎と話した後、本当にK先生の講義に潜り始めた。

飄々と差別や暴言を吐きながらも、疾風怒濤の箴言を繰り出す男がそこにはいた。ああ、これこそ私が求めていた、理想の人物像だ。そう確信した。きっとこのような熱のこもった生命を瀉血し続ける者は、philosopher’s stoneを隠し持っている錬金術師に違いないと直感した(―或いは、よからぬ契約でもしたのか?―)。感銘を受けたので、講義終わりに早速話しに行った。


「お疲れ様です。非常に面白かったですよ。しかし僕は言語でこそ進んでいきたいと思っているんですが…」

 先生は板書を消しながら、背中を向けて―そして真顔で―私に答えた。

「ふーん、無理だよそれは。」

「しかしですね、であっても何とか言語で思考して言語で根源に達し、それを表現したいんです。」

「それは今までやってきた人たちいっぱいいるけど一つもうまくいってないけどね。まあ頑張ってね~。」


 このように舐めた冷淡さでの対処であったのが実際のところである。しかし私は諦めず、鍵の返却のため階段を下り一階に向かう先生に話しかけた。大鹿が歩むように階段を下りる先生の横に、小鹿のような急ぎ足で追い付き、言葉を交わした。

 さて、そうした次第であったが、私は何としてでも先生の隠している石―或いは契約の秘密―を分捕るという心持で、翌日、火曜1限の先生の演習にも堂々と潜った。「感情の反復」というものがテーマで、その題材は、ギリシア悲劇の『オイディプス王』であった。先生はそれを精神分析と絡めてお話になった。またもや面白かった。終了後の時間、私は笑顔で言った(この私の笑顔というものは、果たしてどこまでが本物でどこからがつくりものなのか、自分でもサッパリわかっていないのだが)、

「今日も面白かったです!神経症と精神分析はいいテーマですね」と。

すると先生は笑顔でもって答えた。

「お前こんなものも面白いのか!」

「もちろん面白いですよ、何でも好きなんで」、そう答えた。続けて私が、

「僕自身神経症なので…」と言ったところで

「うん知ってるよ。だって言葉が神経症の言葉だもん」

下を向き資料を整理しつつ、真面目な顔で、そう言われた。

その顔は、人生の局面で度々出会う諸々の顔の一つとして、あの看護婦の顔のように、明瞭な表情をもって想起される。顔と声は、追憶の中の他者のエレメントであるが、その観念は常にぼやけた輪郭線と相貌となって私の心に去来する。夢の中の他者のように。

(人の子よ。神に全く似ぬ者よ。汝は人間の跳躍力を知らぬのか?それは精神の跳躍力だ。人間は唯一なる在る者をもその玉座から引きずり降ろし、道と真理を体現した顕現者として神にさえなれるのだ。玉座に座す権利ある者であるにせよ、もはや人間の跳躍は止めようもなく、その座の道を捨ててまでもより大いなる甘露の道に進むものなのだ。人間はそれほどまでに素晴らしい。なのに汝は、憂しと死したる者と真に目覚めた者とを同じくするのか?)


「だって言葉が神経症の言葉だもん」

 その会話の流れでしばらく廊下を歩きながら話したところ、「いつでも遊びに来るように研究室に来ていいんだよ」と歓迎の意を示された。その瞬間即決で、私は先生からできうるかぎり全てを学び取ることを決意したのである。こんな人がいるのかと、ああ、素晴らしい!人生捨てたものではなかったと、本心からそう思ったことを告白する。

 それはつまり、外部に座標軸を配置しない私の…―すなわち“メタモルフォーゼ”―が、衝突を契機として、宇宙のど真ん中で作動したのである。

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