第18話 おっきい

「いやっほおおおおおお! 海だっぺよおおおおおお!!」


 ふんどし一丁。遠近感がバグってるぐらい大きい胸には絆創膏。もう色々アウトな河童が吼えておる。


 彼女の耳は尖り、目は黄色く光っていた。

 夏場であれば、この砂浜は海水浴の客でごったがえしており、ビーチパラソルが所狭しと並ぶロケーションである。だが、今は俺達以外誰もいない。


 季節はまだ四月下旬。海で戯れるにはまだ早すぎるにもほどがある。

 せめて絶好の行楽日和であるならばまだ救われるのだが、生憎空は薄暗い雲で覆われていた。

 彼女—―河童娘の【水兎みと】はしょっていた大きなリュックサックをその辺に放り投げると、海に向かって突撃して行く。


「うっひょーー、水がしょっぱいべな! さすが海だっぺ。川とは一味違うのぅ!」

 ほぼストリッパー同然の河童娘は、海水を一口飲んでそう叫んだ。

 うん、まあ。嬉しそうで何よりだ。

 俺はおこげを抱っこしつつ、いつ来るかわからない警察の影におびえていた。


「海の家ってあるかのぅ!? おら一度でいいから、そこで焼きそばとかき氷食べてみたいんじゃ!」

 四月の海辺に営業してるわけがない。

 

 食べるとすれば海辺近くの食堂で注文するくらいなのだが、歩く18禁を連れていけるはずもなく。 


 河童である水兎はやかましい。

 だが意外と人見知りする性格で、海辺まで連行する間はとても大人しかった。恐らく電車が怖かったのかもしれない。

 

 あたりまえだが、水兎には厚手のパーカーやジーンズを着せ、麦わら帽子にサングラスと、絶対に顔をみられないように装備を厳選させておいた。


 そして今、全てを取り払った水兎の乱痴気騒ぎは、言葉を失うぐらいである。


「水兎、食堂は無理だ。その黄色い目で一発退場だよ」

 物を食べに行くのは無理だと言う事をやんわりと伝える。


 幸運だった事に、水兎はそこまで食べ物に執着していると言うわけではなかった。 引き続き「あひゃー」とか、「おほうっ」などと奇声を発し、牛みたいな胸をぶら下げてはしゃいでいる。


「おい、アイツどうすんだよ。ここから何をすれば依頼達成なんだ?」

 相棒の杏。助手のことり。マスコットのおこげ。

 今後の対策を聞いてみるが、誰もわからないらしい。


「遊ぶ?」

「寒くて死ぬって。海風がやばすぎるだろ、ここ」

「じゃあボク、ネカフェ行ってくるから」

「敵前逃亡は磯貝さんに報告するぞ。知恵を出してくれ」


「おいら、ターキー食べたいんよ。ごしゅじーん」

「おおよしよし、おこげは可愛いな。ほら、お食べ」


 冷たい目で見られているが、おこげは別腹よ。見逃してくれ。


「よーっし、それじゃあおら、ちょいと遠くまでひと泳ぎしてくるっぺよ!」

 水兎は海水をかき分け、バタフライで派手に泳ぎ始めた。

 えらく近代泳法を学んでるな、河童。俺はできないぞ、バタフライ。



「まあ楽しんでるからいいか。物陰に移って水兎が戻るのを待とう」

 春先特有の強い風が、俺達の間を行儀悪くすり抜けて行った。


「ミオ、大きいの好き?」

「何が……にもよるな」

「乳」

「ノーコメント」


 杏さんのジト目を回避して、俺はろくでもない手紙の内容を思い出していた。



 YSKに届いた一通のお便りには、切実でも苦しくもない内容が書かれていた。

『川は飽きたので、海に行きたい。でも着て行く服がないし、何をもっていけばいいかわからない。それに一人は怖い。きゅうり食べますか?』


 もう読むだけで眩暈がする。

 せめて夏場にしてくれんかなと、声を大にして言いたかった。

 

 こんなふざけたお便りにも真摯に応えるのが妖怪生活組合、通称YSKだ。

 俺は必死だよ。ここで認められればおこげと離れ離れにならずにすむ。この案件、受けてたとうじゃないの。


 と、思った俺が甘かったのは言うまでもない。


 妖怪生活組合YSK。

 人間が発展させてきた、強い文明と科学の力によって、現代の妖怪たちは世間の隅っこに追いやられてしまった。

 彼らの生活・安全・保護・メンタルヘルスケアなど、多岐にわたって支援するべく、全国津々浦々、隠れるようにこの組織が潜んでいる。


 杏は黒のコートに黒のブラウス、黒いレザーのミニスカートと、全身黒一色で塗ったような出で立ちをしている。

 流石に漆黒の乙女を雪女と連想する人はいないだろう。いいチョイスだと、リツイートしておこう。


 問題はことりちゃんくんだよ。

 こいつ舞踏会にでもでられそうな、ロングドレスで登場したからね。ヴィクトリア朝からタイムスリップしてきたような、ひらひらのレース三昧に、俺は吐きそうなほど頭痛を感じたものだ。


「あー、コルセットきっつ」

 とか、海に行く人の台詞じゃない。


 二人とも、眺めているだけなら十人中十二人が振り返る美人なのだが、時々ネジがぶっ飛ぶんだよね。


 おこげはのんびりだ。

 暢気に前肢をペロペロと舐め、さっきまで食べていたターキーの名残を味わっている。行きの電車では、ケージの中に押し込まれていたので、少々退屈しているのだろう。普段運動不足なのだから、あちこち走り回ってくればいいのにと思う。

 

――

「ぬっはーー! 塩水っちゅうのは目に沁みるんじゃの! それに見た事もない魚っ子が沢山いるだよ! いやぁ、愉快な場所だっぺ」


 フリーダムに泳いでいた水兎が、肩をぐりぐり回しながら、海水をかき分け、俺たちのもとへ帰ってきた。


 ああ、寒いなぁ。早く帰りたい。もう十分遊んだよな? いいよな?


「水兎、随分気合を入れて泳いでいたみたいだけど、満足したかな?」

「んむんむ。貴重な体験じゃい」

「そろそろ寒くなってくるからなぁ。水兎が満足したんだったら、このカードに印鑑を押してくれると助かる」


 取り出したるは、YSKから渡された『妖怪貢献カード』だ。

 妖怪達からの依頼を達成して、五マスある黄色いカード一杯に印鑑をもらうと、晴れてYSKから卒業する事が出来る。

 今は首藤家からもらった一つの捺印しかない。俺がおこげと暮らすためには、何としても五マスを埋めなくては。


 YSK茨城支部の支部長を務めている、磯貝さん曰く。

『カードを完成させた人間は、妖怪に対して寛容な気持ちを持っている証である。きっと将来、お互いの友好の架け橋となるだろう』と。


「うんむ。満足じゃー。けんど、あと一つやりたい事があるっぺ。それが終わってからでええかのぅ」

「ほう、一体何を?」


「――スイカ割り!」


 おい、四月だぞ。他だーれもいない砂浜で、スイカ割りっすか。

 奥歯がうずくような鈍痛が頭まで響く。

 自分の額がピクピクしているのが解る。貼りつけていたはずの笑顔が剥がれ落ちそうだ。


「ワシの荷物の中に道具はそろっておる。いつでも始められるぞ」

 用意周到だな、水兎。やたらバカでかい荷物は、スイカが入ってたからか……。


 よろしい、いいだろう。どの道最後までつき合うしかないんだからな。毒食わば皿までさ。


「水兎が割るってことでいいんだよな」

「うむん、一発で仕留めてみせるんじゃ!」


 水兎はリュックサックから取り出した黒い樫の木刀を、ブンブンとスイングしてみせる。

 

「それじゃあみんな、一緒に誘導コールよろしく頼むぞ!」

 固い笑顔で振りかえると、二人と一匹は同時に顔を背けた。


「ミオ、好き」

「ボク今ガチャしてるから忙しい。ああああああ、またノーマルだぁぁ」

「ワンワン」


 杏、ごまかすな。目がバタフライしてんぞ。

 ことり、砂浜で課金ぶっこんでるんじゃねえよ。全部溶けちまえ。

 で、おこげ。なんか喋れよ。都合悪くなると犬のふりするのやめーや。


 くそ、孤軍奮闘か。仕方がない。俺がやるしかないのか……。

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