第17話 わたしのほうがすき
ラジエーション値が上がっていきそうな物体。
触れる前に磯貝さんが意外なことを言った。
「ミオちゃん、そんなに怖がらないで。この食べ物は『
「即死しそうな名前の食べ物ですね……。口が溶けたりしませんか?」
「大丈夫よ。まあ味は、そうねぇ……お世辞も美味しいとは言えないわ。ただし効果は折り紙つき。なんと人間がこの実を食べると一時間、妖怪になる事が出来るのよ! ただ、食べてみないと、どんな妖怪になるか分からないのが難点なんだけれどね」
緑に発光している呪結塊をくんくん嗅いでいたおこげが、『おぶっ』っと一声上げて店の端っこまで退散して行った。前肢で鼻をしきりにひっかいている。
だめじゃん。
山であからさまな毒キノコを発見した気分だ。
磯貝さんはさらっと言ってたけど、食べると妖怪に変わるだって?
冗談じゃない。断固として受け取るのを断ろう。
「さ、ミオちゃん。どうぞ」
有無は言わせないらしい。しっかりと包みなおし、磯貝さんは超笑顔で手渡してくれる。
「は・い・ど・う・ぞ」
俺は筋肉に屈するのか……くやしい、びくんびくん。
「あ、ありがとう、ござい、ます」
NOと言えない日本人代表、氷室澪。
よし処分だ。家に帰ったら新聞紙で厳重に包み、どこか見つからないところで燃やしてしまおう。
「さてと、後もう一つ、お仕事のお話をしないとね」
そうだった。俺は姿勢を正し、磯貝さんの方へ向きなおる。
「うふ、そう固くならなくても大丈夫よ、この前やってもらったお仕事よりは遥かに簡単だから」
人、それを伏線と呼ぶ。もう大体君たちの習性というか、無軌道ぶりは理解してきたからね。何があっても驚かんよ。
俺がおしぼりで顔を拭いていると、
「今回のお仕事はミオちゃん達だけに任せるわけじゃないの、きちんと助っ人を用意していたのよん♪」
と、思いもよらない事を伝えてきた。
助っ人……?
こんな不条理な活動に身を投じる物好きな人物がいたのか。
あるいは俺と同じように、『知ってしまった』人間なのだろうか。
「はい、それじゃあこっちにいらっしゃい」
磯貝さんは従業員室の方に向かって、大声でその人物を呼ぶ。初めこの場所に来た時と同じくらいの緊張が走った。
呼び声から少し間をおいて、従業員室のドアがガチャリと音を立てて開いた。
中から出てきたのは、磯貝さんと同じくメイド服を着用した、杏とことりだった。
「今日からアナタたちと一緒にお仕事をする、ことりんよぉ」
どう、可愛いでしょ? と言わんばかりに二人の横にまわって片膝をつき、両手を上に挙げ、手のひらをピラピラと振る。
杏とことりは顔をうつむかせて、自分の足元に視線を落としたきりだ。
微動だにしてないのが恐ろしい。
確かにものすごく似合っている。
杏の髪型をツインテールにしたところなんて、初めて見た。こんなん反則級の可愛さだよ。
ことりもボサボサだった髪を切り、ショートボブにまとめている。
二人とも相当に恥ずかしいのだろう、フリルのついたスカートを、ぎゅっと両手で押さえて、顔を上げない。心なしか微かに振動しているようにも見える。
お前らさ、どうしてこう危険球ばっかり投げるんだね。
「あー……杏、ことり。久しぶり」
「……笑いなさい」
「いや、別に笑うだなんて」
ほら、杏は既に臨界状態だし。
「ミオ、ボクを笑ってよ! ねぇ。いっそ辺りが揺れるほどにさ! かえって清々しいよ、その方が。ほら、笑いなよ!!」
ことりは、そのくりんとした丸い目のすみに、大粒の涙を抱え、うがー! と食ってかかってくる。
「いや、なんかごめん」
俺は彼女たちをこれ以上刺激しても何の得にもならないと考え、磯貝さんに話を振る事にした。
「磯貝さん、ちょっとはしゃぎすぎじゃないですかね。冒険するにも手順があると思うんですが」
「この格好は、二人が受ける罰だからいいのよん」
「罰って……俺をぶったたいたっていうアレですか? 叱られるぐらいって聞いてましたが」
「ノンノン、妖怪の禁忌はそんなに軽いものじゃないの。ミオちゃんは知らないと思うけれど、雪女とデュラハンの里の長老達が集まって、このまま人間界にいさせていいものかどうか、話し合ったみたいなのよね」
割と大事だった。犬又の情報網はまだ甘いようだ。
「里に戻るくらいだったら、ある意味文字通り里帰りじゃないですか。何もそこまでおおげさな事ではないでしょう」
「そうねえ、でもそこに子孫断種の掟があったとすればどうかしら」
「え、断種……ちょっと重すぎませんか」
磯貝さんから聞いた話をまとめると、次のようになる。
妖怪は人間界と一定の繋がりをもっていないと、存続して行く事が難しいほどに少子化が進んでいる。
昔話にあるような、力強くて恐ろしい妖怪像は遥か彼方へ。必死に人間界に適応している最中だという。そんな中で人間に妖力を振るったとすれば、まさしく一大事だそうだ。
人間界では妖気を抑え、余計な関心や復讐心を買わないように生きる。令和時代の妖怪に求められる必須スキルらしい。
雪女達は、自分達が妖怪である事を、必要最低限の人間にしか、教えてははならないとの事だ。
里と言うコミュニティを安全に維持管理して行くために、彼女達が必ず守らなくてはならないという。
「それでね、長老達が協議した結果、YSKで何か試練を与えてやってくれないかと頼まれたのよ、そしたらアタシ、もう股ぐらビンビンにひらめいちゃって。ウチの支部で面倒見てあげようって思っちゃったの。勢い余ってついお揃いのお洋服まで作っちゃうくらいにねぇん」
直角に肘を立てた腕を上下に振りながら磯貝さんは続ける。
「それで、新人の人間の子とカルテットでお仕事してもらったらどうかなぁって、ね。ミオちゃんはもっと妖怪の事が解ると思うし、二人のみそぎにもなるでしょう?」
「磯貝さん、助っ人が増えるのはいいんですが、二人は賛同してるんですかね。どうも納得してるようには思えないんですが」
体は磯貝さんの方を向きながら、横目でチラリと二人を観察する。
「意向も何も、おばあちゃん達がそう決めちゃったんだもん。ボクは仕事をする以外に選択肢がないんだよ。言うこと聞かないと、ネット回線切るって脅すし……」
「私は平気。でもこの女は邪魔」
「やんのかよ、雪ん子!」
「この泥棒首」
第二次妖怪大戦は磯貝さんの筋肉によって遮断された。氷を素手でブチ砕き、西洋剣を摘まんで止めるとか、もはや仙人レベルだった。
「じゃあ、ことりも俺たちと同じように、カードに印鑑を集めて行くのか?」
「集めないよ。ミオが印鑑を集め終えるまで一緒に仕事をするって感じ。これって懲役だよねー」
がっくりとうなだれて、肩を落とす。
「はぁ……収益化……ボクの夢が……」
まあ、嫌々なのはわかるわ。でもそこまで露骨にせんでもいいと思うよ。
「なあことり、俺達は今の生活を守るため、一生懸命仕事をしているんだ。こうなったら一蓮托生だぞ。定時までしか働きませんってのはナシだからな」
おこげの正体を知る前の自分が聞くと、憤死しかねない台詞を放つ。
「ちぇっ。でもま、ミオと一緒に居られるからいいかな。うざい雪女が邪魔だけどさ。あーあー二人っきりがよかったなー」
「生意気。凍る?」
ラウンド3、ファイッ!
「はいはい、二人ともそこまでよ。また私と遊んじゃうかしら?」
磯貝さんは、うっふんとしなを作りながら、二人の顔をじっくりと眺める。
こういう時の視線は、当事者でなくても怖い。スジもののそれよ。
「うふ、そうカリカリしないの。最初は不安でも、そのうちきっと息が合ってくるわよ」
「そ、そうだぞ。頑張ってミッションをクリアしていこうぜ!」
「ささ、それじゃあ三人とも奥のテーブル席に座ってちょうだいな。もうねえ、困ったチャンなお手紙が来ちゃって、どうしようかと思っていたところなのよぅ……」
その手紙とやらを持って来てくれるのだろうか、磯貝さんは喋りながら奥の従業員室へと消えて行った。
「杏、ことり」
「何?」
「ボク?」
二人がこの状況に不満を持っているのはよーくわかる。
だけど、このまま嫌な気持ちで仕事を受けるのは、それぞれのためによろしくない気がする。
だから、俺から先に謝る事にした。
「その、何だ……俺が間に割って入ったせいで、二人には悪いことをしちまった。ごめん」
「ミオは無罪」
「え、そこで謝られると……ボクどうしていいか……」
「よければおこげを安心させてやってくれ。心配してたんだぞ」
店の端っこで、未だに鼻をぐずぐずやっていたおこげに、杏は声をかける。
「ありがとう。いい子」
「ふえっくし、アンズも大変だぁねー」
「その、ボクが迷惑かけてごめん、おこげ」
「いんだよー。ご主人に友達が増えて、おいら嬉しいんよ」
おこげはくいっと頭をもたげ、ひょこひょこと俺達の足元までやって来て一言。
「で、どっちがご主人の彼女なん? おいらに教えて」
ピクン。
ピクリ。
お前えええええええっ!!
人が地雷撤去したっていうのに……そんなに流血が好きなのか!
「私よ」
「ボクだけど」
ラウンド4 ファイッ!
互いに頬を引っ張り合う、杏とことり。
そこに一枚の紙を持って磯貝さんが戻ってきた。
「はいはい、注目。お仕事の話をするわよぅ……喧嘩してないわよね?」
「何もなかったです。さあ、仕事しましょう!」
世界の警察、大正義磯貝さん。彼の前では武力は禁止だ。
「見て、これよ」
「なになに、川でしか泳いだ事が無いから、海に行ってみたい……だって?」
差出人は『河童』だった。
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