Case1 デュラハン娘の倒しかた
第7話 今日は危険日
初めて磯貝さんから電話がかかってきたのは、二日後の早朝だった。
寝起きだったので、あまり意識が働かないまま通話の操作をすると……。
「ミオちゃん、グッモーニーン。おめめは覚めたかしら? もぅ、アタシの声が朝から聞けるなんて、幸せ者なんだからん」
怖気が全身を這い回る。俺は一気に覚醒した。
俺的統計で、朝に声を聴きたく無い人物ナンバーワンの、磯貝さんからである。
それと気安く『ミオちゃん』って呼ぶの止めてくれ。俺は女性みたいな自分の名前が気に入っていないのだ。
「磯貝さん、おはようございます。どうしたんですか、こんな朝に」
言葉使いは丁寧になるよう努めたが、俺の顔面はきっと引き攣っている事だろう。
「ぬふ。実はね、早速ミオちゃんにお願いしたいお仕事を見つけちゃったのよ」
早いな、おい。
「今日の夕方……そうね、四時くらいにお店に来られるかしら? あ、もちろんおこげちゃんやアンズちゃんと一緒にね」
「あ、はい。土曜日なので大丈夫です。四時ですね」
「そう、それじゃあ待っているわよぉん。ぶちゅーぅん」
「うぷ、はい、失礼します」
胃液が逆流しそうになった。
電話口ですらこの破壊力なのである。
果たして俺は、今日の仕事説明に耐え切れるだろうか。
本能的に恐怖を喚起させるトーク。これも妖怪のなせる
――
そうだ、杏に連絡しておこう。もうすでにトリオとして認識されているようだから、一致協力していかなくてはいけない。
再びスマホを取りだし、杏に電話しようとして気づいた。
「あいつの番号、知らねえ」
どうしよ。磯貝さんから連絡は行っているのかな。もしかしたら現地でうまく合流できるかもしれない。そう考えて充電コードを刺そうとしたときに着信音が鳴った。
「知らない番号だ。これはシカトだな」
最近は詐欺が多いからな。放置するに限る。
だが鳴りやまない。ちょっと必死すぎじゃないかな。俺は根負けして通話をタップし、イラつきながら耳に当てる。
「もしも――」
「あんず」
「あ、はい」
なんで俺の番号知ってるの?
情報保護の観点から、今ではクラスでも電話番号って公開してないよ?
専用のアプリから連絡がくる仕組みだ。そもそもLINEで回ってくるので、あんまり意味ないんだけどもね。
「今日の四時」
「ああ、磯貝さんから電話あったね。一緒に行く?」
「行く」
「おけ、じゃあどっかで会おうか」
「今から行く」
ええ……まだ朝八時っすよ。
「あの、何しに来るの?」
「ごはん」
「いや、大丈夫だよ。うち両親共に働いてるから、朝ごはん作るの慣れてるし。今日も誰もいないから」
電話口で息をのむ気配がした。途端ものすごい勢いで何かをガサゴソと漁っている音が聞こえる。
「杏、何かドタドタ聞こえるけど、大丈夫か?」
「九時。行くから。絶対行くから」
「お、おう。わかった、じゃあ九時で」
用件だけを伝えて杏はあっさりと通話を切った。しかし、どうしてまたこんな早くに来るかね。おこげと遊ぶくらいしかやることないぞ。
いけね、おこげにご飯あげないと。
俺は突風に吹かれたような目覚めを振り切り、もそもそと着替えを始めるのだった。
―—
なんてことはない、番号流出の犯人は目の前でドッグフードをがっついている茶色い犬又だった。
「ご主人、おいらターキーアキレスも食べたいよ」
「駄目。お前勝手に番号教えやがって。なんで知ってるんだよ」
「ご主人、おいら新聞も見るしテレビも見るんよ。ご主人のスマホも触ってて楽しいし。あ、課金はまだしてなから安心していいよん」
犬が何に課金すんだよ。さらっと怖いこと言うんじゃない。
幼児とおこげにはメカニカルなものを渡してはいけない。俺は氷室家のセキュリティに関して考察をしていると、チャイムが鳴った。
「おっと、もう九時か。時間ぴったりだな」
玄関を開けると、やけに気合の入った杏がいた。
白いニットのカーディガンの下には、春の桜を感じさせる薄桃色のドレススカート。腰に巻いた茶色くて太いベルトはアクセサリーらしい。
大きなトートバッグを持って、ずいずいと氷室家の敷居をまたぐ。
「お、おはよう杏。なんかこう、雰囲気違うね」
杏は鼻をくん、と鳴らし、目で家の奥を観察している。
「一人」
「うん。まあおこげもいるけど、親はいないって言ったような」
頬がぴくぴくしてる。無表情だけど、何かを企んでいるような目だ。
「上がってくださいな」
「お邪魔します」
以前来た時と同じように、杏は音もなく移動して靴を脱いだ。君は雪女じゃなくて忍者ではないのかな?
「朝ごはんはもう食べたから」
ちょっと先手を打っておく。デカい荷物を持ってきてもらって恐縮だけど、これ以上は食べられない。俺は小食で、パン一枚と目玉焼きで朝は限界なんだ。
「うん。知ってる」
「ああ、じゃあ俺の部屋に……」
知ってる? なんで?
一瞬背筋がぞくっとしたが、まあ時間を考えれば普通は食べ終わってるころだろう。常人の予測の範疇にすぎないよね。
「飲み物持っていくから、先に上がってて。おこげも連れてくる」
「うん」
杏の会話燃費が良すぎて困る問題。
最終的にイエスかノーだけで会話できそう。
そんなアホなことを考えつつ、いつも通りに砂糖たっぷりのコーヒーを作る。おこげがさかんに欲しがっていたが、いくら妖怪だとしてもそれだけはできないよ。
「お待たせー」
両手がお盆とおこげでふさがってるので、足でドアを開ける。ドアノブ式ではなくスライド式のドアなので、これでも余裕で開くのだ。
「すやぁ」
「えぇ……」
そこは躊躇おうよ。いや、いくらなんでも同級生の男の部屋で、ベッドで寝るとかセキュリティ意識低くないかな。そんなに俺は安全だと思われているのだろうか。信頼の証ともいえる……のかもしれない。
そこでまあ驚いたね。唖然としたね。
「—―なんで脱いでるんですかね」
さっきまで着てたものがきれいにたたまれて、ベッド横においてありやがるの。
ちょっと妖怪って攻撃的すぎませんかね。とりあえずお盆とおこげを置き、俺は腰のあたりに手を当てた。
「おい杏。杏ってば。そういうのは自分が安くみられるからやめた方がいいぞ。いいから普通にしてくれ」
チラ。
「ぐー」
嘘つけ、こんちくしょう。めっちゃ起きてるじゃん。
「ご主人、杏具合わるいん? おいら心配だよ」
「ふむ、そのケースもあったな。おい杏、大丈夫か?」
突如布団がめくりあがり、杏ががばりと俺の足を捕獲した。
「うおっ、おい、待てっ!」
「好き」
「うおあぶねっ」
そのままベッドの中に引きずり込まれる。ずる、ずる、とじわりと掛布団の中に引っ張り込まれるのは、軽くホラーだ。
く、食われる。杏のひやりとしたてのひらが、がっしりと俺のスネあたりを掴んで引っ張っている。
「まて、頭ぶつかるから。やべえって!」
「好き」
ぷにゅ、っと足に柔らかいものが当たる。一瞬その天国的感触に気を取られたのが運の尽きだった。
「フィッシュ」
「うおおっ!?」
俺はおこげに手を伸ばし、助けを呼ぶ。
「お、こげ! 何とかしてくれっ!」
「ぺろりんこ。あまー」
こんの犬又、コーヒー舐めてやがる。主人の危機だってのに、そんな場合じゃねえだろ! 俺はかろうじて外に出ていた手を恋人つなぎで握られ、そのままベッドの中に収納された。
「あ、杏、まずいって!」
「今日、狙い目」
「もう狙ってんだろ。これ以上はちょっと俺もやばいからやめろって」
「今日、危険日」
ふぁあああああああっ!
俺の頭も危険日だよこんちくしょう。こんな通り魔のいる部屋にいられるか、俺は逃げるぞ!
「あむ」
あ、まて。耳は、まずいっす。
ちろちろと温かく湿ったものがなぞっていく。
誰か、誰か助けてくれっ!
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