第4話 私から言った

 翌日。俺は真面目に登校し、いつも通りに退屈な授業を受ける。休み時間は耳にイヤホンをさし、机に突っ伏して寝るのが日常だ。昨日の異常事態と比較すれば、かなり心が落ち着くポジションだと思う。

 そして昼休み。学食に駆けていくクラスメイトが先生につかまっては説教をうけている。さて、俺も購買でパンでも買ってくるかな。ラインナップに特別目を引くものはないのだが、惰性でなんとなく通い続けている。


 売り子のおばちゃんにお礼を言い、教室に戻って早速パンの袋を開ける。

 メンチカツサンド、ガーリックブレッド、そしてブルーベリーパイだ。甘いものが大好物の俺にとって、このパイがあるかどうかで午後のモチベーションが大きく変わる。


「おーい、ミオ。こっちだ」

 友人の陽介が手を挙げている。いつものメンツでいつもの午餐。かわり映えはしないけれど落ち着ける。


 あの子が来る瞬間まではね。


「氷室澪」


 教室がざわりと泡立つ。あの雪乃宮杏が喋った、だと。皆が信じられないような顔を俺に向けている。数多の男子学生を絶対零度の視線で退け、一言も言葉を発せずに振り続けている撃墜女王が、あろうことか名前を呼んだ。


「氷室澪」


 冷厳にして極寒。何の感情も込められていないような声が、再び木霊した。

 おい、早く返事しろよ。そう責め立てられている気がするのは、誤解ではないだろう。声の主に振りかえると、杏は大きめのランチバッグを下げて待機していた。


「ひむ――」

「ちょっと待とうか」


 陽介たちの刺すような視線が背中を痛める。俺に何か用があったとしても、どうして人が一番自由に動き回っている時間に話すのだろうか。


「おいミオ、お前何したんだよ?」

「ちょっとわけありで……」

「まさか陰なお前が告ったとか? いや俺らも同族だけどよ、マジか、やるなぁ」

「ちげーよヨースケ、ちょっと書類関係の話だから気にすんなし」


 冷やかすという言葉がある。滾ってる相手に冷水をぶっかけて、調子狂わせてやるっていう茶々の一つだ。でも今俺が感じてるのはその程度の冷気ではない。


 陽介の声はデカイ。なので必然的に教室全体に状況が伝わる。


「マ? 氷室っち女王に凸っちゃったの?」

「あいつ当分立ち直れないぞ。今までの惨劇を知らないわけでもないだろうに」

「うわ……窓から飛び降りるんじゃね。ちょっと男子止めてあげてね」

 教室冷えっ冷えですよ。

 誰もが俺の無謀な行動を悲しむように見ている。あのバカ、無茶しやがってと。


「告った」

「え」


 アンズ・サイレンス。教室が静止する。これから語られるであろう内容を、一言一句聞き漏らすまいとして、みんな身じろぎ一つしていない。


「私が告った」

「ちょっと待………」

「一緒におべんと」


 首をにわかにかしげて、黒いつややかな髪を手櫛で整えている。軽く見せるために梳いているいる前髪が、窓から吹く風にふわりと揺れた。


「おいおいおい、ミオ。お前やるじゃねえか!」

「ふひひ、氷室氏戦功一番ですな。この江戸谷学園の軍師にも展開がわかりませんでしたぞ。とんだ伏兵見事なり」

「やば、ちょっとこっち向いて。インスタ更新すっから」

「悲報:ワイ、目の前で想い人を寝取られる……と、スレ書き込みっと」


 肩をバシバシ叩かれ、うぇーい衆に自撮りされまくる。

 このありさまでお弁当は無理があるでしょ。


 俺は矢も楯もたまらずに、杏の手を引いて教室からガンダッシュを決めようとした。公開処刑はこれ以上ごめんだよ。


 別に手をつなぐ必要はなかったのに気づき、急いで離そうとしたのだが、ものすごい握力でガッシリとつかまれていてほどけない。


 それどころか、杏は一向に動かない。

 俺が全力で踏ん張ってるのに、地面に根っこが生えたようにびくともしないのはどういうことだ。


「なあ雪乃宮さん、ここだとちょっとアレがアレだから、場所移動しませんか」

「あんず。名前で呼ぶ約束」

 してないよ、そんな約束。着々と既成事実を積み上げていくスタイルは、他に何か生かせないのだろうか。

「あ、あんず。場所を……」

「や」


 や、って。語彙力が乏しい返答をされると、断る方が悪者に見える説。

「ここで食べるの」

 宣言されて、逆に引きずられるように教室の後ろへと進む杏さん。忘れてたけどこの子妖怪なんだよね。人間の力じゃ太刀打ちできないのか。


 ~♪

 杏は嬉しそうにランチバッグから、薄桃色のビニールシートを取りだした。名残惜しそうに俺の手をほどくと、床に広げ始めた。


 まさかの遠足スタイル。

 上履きを脱ぎ、黒いニーソックスをはいた足を、女の子座りに折りたたむ。

 お弁当をぱかりと開け、次々とおかずを紙皿によそっていく。もはや誰も何もしゃべれない。この空間で口を聞いた人は、よってたかって後でしばかれるのかもしれない。

 

「どうぞ」

「…………いた、だきます」

 流石絶対零度の女王。断ると言う選択肢事態を凍結させるとは思いもしなかった。

 仕方がない。早くご飯をかきこんで、この事態を収拾しよう。弁当をのぞいてみると、ガッツリでかい唐揚げにフレッシュな葉物のサラダが美味しそうに並んでいる。

 ひじきの煮物と厚焼き玉子が、俺好みの和風感を出していて、思わず腹が鳴る。

 

 早速割り箸を手にして一口と思ったら、すっと弁当箱を横にずらされた。


「え、何を……?」

「あーん」


 杏は普段無口で、表情も乏しいから何を考えているのかまったく読めない。自惚れでないといいのだが、多分これは純粋な好意……なのだろう。

 でもやっていいことと悪いことはあると思うんだ。


「あーん!」

 怒っている……のかな。わずかに声のトーンが下がった。唐揚げを摘まんだお箸が、不機嫌そうに震えているし、座っている足をじたばたと動かしていた。



 ぱくり。

「おおおおおおっ!」

 なぜか上がる歓声。固唾をのんで見守っていてくれたみんなが、手を叩いて喜んでいる。もう絶対逃げられないやつだよね、これ。


 脳裏によぎるピンク色の用紙。あれだけは回避しなくてはならないと、心に誓って口を動かし続けた。 

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