第3話 お腹に欲しい

 人間社会にルールがあるように、妖怪の世界にも決まりごとがあるらしい。

 すなわち、婚姻以外で人間と関わってはいけない。徹底して正体は隠すべしと。掟に逆らえば、生涯にわたって自分たちの種族の里に監禁され、子孫を残すことができなくなるそうだ。


 2000年以上にわたる間、長年守られてきた鋼の約束により、今まで世界は人間のみが支配するように見せかけてきたということだ。


「それ君たちが言うかな。割と速攻でバラしてきたよね」

「仕方なく」

 その仕方なくの理由が知りたい。


「なんで俺なんだろうか。言い方がゲスくて引かれるかもしれないけど、杏だったら他の男子が放っておかないだろ。能力値平均な俺に言い寄る必要あるのかなって」


 自慢じゃないが俺はゲームで言えば完全なモブ。よくあるような、教室の一番後ろの席で寝てる感じの人だ。それなりに友人はいるが、バイトブレイクしまくってて最近遊べていない。


「お腹が、言ってる」

 黒いブレザーの前ボタンを外し、真っ白なブラウスをのぞかせる。杏はボディラインをなぞるように両手をおへその辺りに降ろし、きゅっと拳をにぎっていた。

 それが妙になまめかしくて、目をそらしてしまいそうになる。


「ここに、欲しい」

 にぎっていた手を開き、ゆっくりとお腹をなでる。一瞬両手でハートマークを作り、上目遣いで俺を見つめてきた。

 指を立て、自分の首元に持ってくると、プチプチと音を立ててブラウスのボタンも外しはじめた。新雪のように純白で、丸みを帯びた体が徐々にあらわになる。

 

 小指の爪くらいのくぼみ。まだ誰にも見せたことのないだろう、杏のおへそだ。

 はだけたブラウスからは薄緑色のブラが見えている。


「ちょうだい」

「ちょ、今? 今なの?」


 なんなんだよこの童貞殺しは。完全に狩りに来てるんじゃないか。

 口を半開きにして物欲しそうにこちらを眺めている姿は、あどけなさと欲望が絡み合って甘美な表情を浮かび上がらせている。

 


「ね、しよ――」

「う、うん」


「じゃあおいらも」


 そうはならんやろ。

 犬参加はちょっと難易度高すぎるわ。


 あっぶね、今完全に流されてたわ。落ち着け、こいつらは妖怪だ。人理を超えた存在が何の対価もなく身を差し出すとは思えない。


「ちなみに杏。具体的に何をするつもりだったの?」

 ある意味羞恥心をあおる物言いだけど、確認は大切だ。そういう意味ではおこげの発言に助けられたかもしれない。


「血が欲しい」

「それは子孫的な意味で? それとも血液的な意味で?」

「両方」

「……左様でございますか」


「続き」

「待て。その前に色々説明が聞きたい。なぜ俺なんだ。ああ、もうこれを羽織ってくれ」


 俺はそこら辺にあったグレーのパーカーを渡して、着るように促す。危険物を露出させたままだと、理性君が戦死しちゃうからね。


「ご主人ご主人、いい機会だからおいらから教えてあげるよー」

 おこげが顔をぺろぺろと舐めて、尻尾を大振りしている。まさかおこげも血液を欲しているのだろうか。一緒に暮らしているのだから、吸血するにせよチャンスはたくさんあったはずだが。


「ご主人の血、特別なんよ。ご主人は珍しい【純血】の人間なんよね。おいらたちと交わってないっていう貴重な存在なんよ」

「どういう意味だ? 交わってないって、そんなの当たり前だろう。俺はちゃんと人間だ……と思うが」

「うん、ご主人は人間だよん。ご先祖様が一度も妖怪の血が入った人間と結婚してこなかったんだよねー。この国に人間が来てからずーっと、ご主人の家系は【純人間】なんよ」


 普通そうなんじゃないのか。純粋な人間ってことは、純粋じゃない人間もいるわけで。その辺を歩いている子供たちも、ランチを楽しんでるママ友さんたちも、企業戦士の大人たちも、みんな純粋では――ない?

 俺は実はマイノリティだったのか。


「え、学校の友達も、先生も、まさか……」

「そう。不純物」

「みんな、妖怪と交わっている家系なのか」

 陽介も和弥も翔も。友達みんな人間じゃない……のか?


「うーん、何か勘違いしてるかも。あのねご主人、実は妖怪の血ってのは珍しいものじゃないんよ。長い時代を経て、それぞれどこかで交わっているんよね。でもご主人の周りでおかしな行動をする人はいなかったでしょ? それは人間の血の方が強いってことなんよ」

「その理論だと、妖怪はとっくの昔に消滅しててもおかしくないんじゃ」


「みんながみんな血が薄いわけではないんよね。おいらみたいに兄弟は普通に犬として過ごしてるけど、たまたま血が濃い場合には妖怪としての能力が発現するんよ」


 結局のところ、俺のご先祖様は神的なセンサーの持ち主で、妖怪との結婚を回避してきたらしい。おこげを膝の上にのせて、頭を優しくなでる。気持ちよさそうにめをすうっと細める顔は、いつもと変わらない。


「ちなみに純血の人間、つまり俺が妖怪と子供をつくるとどうなるんだ?」

「超強い。いずれ長になる」

「でも失敗したら、おいらたちは残念だけどご主人の前から、消えることになるんよね」


 おい、冗談じゃないぞ。


 おこげは俺にとってすべてだ。夏場はクーラー前の陣取り合戦を譲らず、かえって汗だくになってしまった。風呂に入れたときにはあちこちでぶるぶると毛を乾かして、氷室家の被害が尋常ではなかったことを覚えている。

 そのどれもが俺にとって忘れない出来事だ。よく抜けて掃除が大変な毛も好きだし、可愛がってほしいとお腹をみせてくれるのも癒しなのだ。


 それに雪乃宮杏も連座になるのは心苦しい。リスクとリターンが釣り合っているかは謎だが、相応に覚悟をしてここに来てくれたのだ。流石に放置するのは忍びない。


「—―教えてくれ。俺はおこげと一緒にいるにはどうすればいい」

「そりゃあアンズと結婚すれば解決さね」

「それ以外でだ。いきなり重すぎると両親が心臓発作で死ぬぞ」


「うーん、となるとあそこかなぁ」

「YSKでお仕事」

 

 杏とおこげに心当たりがあるらしい。なんでこんなに妖怪のネットワークが発達してるんですかね。闇の組織とか影の集まりとか、そういうのってフィクションの世界だけだと思ってたよ。

 謎の集団YSK。いったい何があるというのか。


「妖怪の正体を知った人間は、その正体を内緒にしてくれるかどうかを問われるんよ。内緒にすると応えた場合、妖怪側からその人間に対して、仕事が与えられるんさ。仕事を通じて妖怪の信用を一定以上集めた場合、晴れて妖怪と同居してもいいって認められるんよ」


 なるほど、自分の信用力を高めるには誠意ある行動が大切ということか。ならば一つ一つ問題を解決していき、氷室澪という人間がおこげと一緒にいるに相応しいと証明していこう。


「わかったよおこげ、杏。やってやろうじゃないか」

 お湯でふやかしてある、七面鳥のアキレス腱ジャーキーをおこげに食べさせつつ、俺は静かに覚悟を決めた。

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