第2話 名前で呼んで

 あーちょっとまずいかな。近所のおばちゃんたちが見てる。

 なんか髪の毛真っ白の娘さんが、勝ち誇ってる姿とかご近所に火種ぶち込むようなもんだよな。とにかく雪乃宮さんの姿を隠さないといけない。


「まあ、とりあえず上がってください。ちょっと事情聴取をさせ――」

「お邪魔します」


 はっや。

 玄関閉めた瞬間に靴脱いでスリッパはいてたよ。我が家の玄関、そんなに素早い行動できるほど広くないんだけどなぁ。


 雪乃宮は端的にしか言葉を発しないようだ。しかも見た目は完璧なお嬢様なので、ものすごい威圧感を感じる。目力が強いと言うのだろうか。人に否と言わせない圧が尋常ではない。


 ふわりと黒地の校指定の制服が翻る。女子は黒いブレザーに赤いリボンタイ。スカートのポケット部分に渡って赤いラインが入っている。少しゴシックな感じがして、近隣でも評判のいい制服だ。

 雪乃宮さんの白い髪が、制服の黒とないまぜになって絶妙なコントラストを映し出していた。


「じゃあとりあえず居間の……」

「氷室君のお部屋は二階?」

 割と食い気味にきた。OK、降参。氷室澪、強い人には逆らわない。


「そうだよ、行く?」

「ぜひ」


 ほぼほぼ初対面で、なんなら会話するのも初めての女子を、自分の部屋に上げていいものなのだろうか。これ誰か動画撮ってんじゃないだろうな。実はユーチューバーでしたとかワンチャンあるかもしれないぞ。


 おこげを抱いて、そのまま二階の自室へと案内した。黒いPCと黒いデスク。ポスターなんかは飾っていない、殺風景な部屋で悪いが我慢してもらいたい。

 おこげを肉球マークのついた緑のクッションの上に乗せ、何か飲み物でも用意しようとドアに手をかけたときだった。


「こんにちは、【おこげちゃん】」

「こんちゃー」

「…………ん?」


 お気づきになっただろうか。

 

「ねえ、待って。今ちょっと幻聴が。俺やっぱり体調悪かったのかも」

「平気そう」

「そうだろうか。いやそこじゃない。違う、そうじゃない」


 俺の目に入っているのは、焦げ茶色の背中が目立つダックスフントミックスのおこげと、真っ白い髪をした雪乃宮さんだけ。

 他には母親が置いてった観葉植物だったり、親父がぼったくられて買ってきた運気が下がりそうな絵画があったり。どこにでもある普通の部屋だ。


 雪乃宮さん。さっき誰と喋ったの?


「おこげ、大丈夫か? 何か聞こえたか?」

「だいじょうぶだよー。おいら元気」

「そうか、ならよかった」


 よくねえよ。


「なんで喋れるんですか」

「なんでご主人は敬語なのん?」

 …………。


 待ってほしい。この状況に即座に対応できるほど、人間の脳は頑丈にできていない。突っ張っている顔面を元に戻し、俺は恐る恐る訊ねてみた。


「おこげ、一体どういうことなんだ?」

「おいらも妖怪だからね」

「ね」


 いえーいとハイタッチするお二人。俺完全にアウェイですわ。ワンチャンどころかワンちゃんがアウトだったよ。


 一度大きく深呼吸し、気を取り直しておこげを観察してみる。だが、ベッドの上で大きく伸びをしたり、後ろ肢で首筋をボリボリとかいたりしている姿は、どこからどう見ても今まで接してきた愛犬と変わらない。


 おこげがこちらを向いて座り直し、俺の事をじっと見つめてくる。愛嬌のある面立ちは普段通りである。


「ちょっとごめん」


 気持ちを落ち着かせるため一度一階に戻り、トイレで踏ん張った。出るものは出たが、肝心の打開策は一ミリグラムたりとも出てこなかった。

 しょうがないので、おこげ用のペットミルクと、雪乃宮用のコーヒーを持って自室に戻る。

 

「な、なあ、おこげ、言葉なんてどうやって覚えたんだ?」

 当然の疑問をぶつけてみる。


「んあ、言葉は最初から『知って』たんよ。店員や客が喋っているのを聞いて話し方のバリエーションを広げて行ったって言う感じかな」

「そんな、バカな……」

「それに営業時間中はテレビ点いていたからね、いい勉強になったさ。おいら『バイキング』が好きだったなぁ」


「どう考えてもおかしいだろっ! ペットショップにいた頃なんて、まだほんの仔犬だったじゃないか。それに、犬は人間の言葉を喋る事ができないだろ!」


 そう、人間と犬とでは発声器官が違う。

 仮に日本語の知識をすべて詰め込んだ犬がいたとしても、それを音声として発信出来るはずがない。


 そんな考えは次の一言であっさり覆された。


「ああ、それはね。おいらは『犬又』って言う妖怪だからなんよ」

「いぬ、また……?」


「聞いた事無いかな? 似たようなお仲間だと『猫又』って妖怪がいるんだけれど。結構メジャーだと思うんだけどなあ」

「いや、まぁ猫又ならわかる。だがそう簡単に現実をぶっ壊すわけにはいかんだろ」


「んあー……そうだ! せっかくパソコンが点いているんだ。ちょっちググってみたらどうさね」

「意外と現代用語に馴染んでいるのな……」


 言われた通り、インターネットを使って猫又を調べてみた。

 それによると、次のようになる。


――猫又。山の中にいる獣のような猫の事。もしくは、人家で飼われた猫が歳を経る事によって尾が二つに分かれて妖怪化したものの事である云々――


「と言う事はおこげ、お前は何年も歳を取った妖怪なのか? いやそれはないか」

 俺はすぐに発言を取り消す。なぜなら、家におこげが来た時は、生後三か月だったはずだ。その時の写真も家に飾られている。山育ちであると言う事もまず無いだろう。


「それは解説の方が間違っているんよね。おいら達のような犬又、猫又は、そもそも生まれつき妖怪なんよ。そりゃ歳取って妖怪化するような秀才もたまーにいるけれど、基本的には生まれつきのものなんよ。だからおいらみたいに、ペットショップにいた犬でも犬又である可能性はあるんよね」


 全国のペットショップが知ったら大参事である。

 なんということだ。これまで喋ってたこと、全部おこげは理解していたのか。


「ゆ、雪乃宮さんもその……元から雪女でいらっしゃる?」

アンズ

「杏さん」

「あんず!」


 怒ってらっしゃる。今気がついたけど、微妙に杏の周囲に氷の塊みたいなのが浮遊してるんだよな。切れたらぶつけてくるんだろうか。


「あ、あんず。えと、雪女の皆様はどちらにお住まいで」

「私はここから13分11秒歩いた場所に家がある」


「かまくら……ですか?」

「本当にそう思う?」


 氷がメキメキッと音を出して、俺を威嚇し始めた。杏は割と怒りっぽい。覚えた。


「雪女は隠れ里にいる。結婚適齢期になると人間のところに来る」

 いっぱいいるんだ、雪女。ちょっともう処理速度が追い付かなくて、脳がトロロみたいになってるんだけど。


「で、その……俺と結婚しようと?」

「そう」

「なんでまた急に。今まで一切絡みなかったよね。なんなら今日初めて話すレベルなんだけども」


「好き」

「あ、はい」


 はいじゃないが。


 流されるな、俺。こいつやっぱりおかしいぞ。一目ぼれをしてもらえたとしても、段階をすっ飛ばしすぎだし、おまけに人間じゃないときてる。単純に好きっていう感覚だけで正体を明かすものなんだろうか。


「杏……いや雪乃宮。お前俺に何か隠してないか。なんでそもそも一発でおこげのことを見抜けたんだ? いろいろと喋ってもらわないと納得できないぞ」

「わかった、話す」


 謎の雪女、雪乃宮杏は、俺と犬又のおこげが待ち受ける試練について、訥々と語り始めたのだった。

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