俺だけにせまってくる妖怪娘の倒しかた。絶対零度の姫様が最初から液体レベルで甘く溶けているんだが、どうすればいい?

おいげん

Case0 絶対零度の姫君と愛しのわんこ

第1話 プリントだと思ったら婚姻届だった

 桜の季節も過ぎ、花粉症もおさまった四月後半のある日。

 俺、氷室澪ひむろみおは立て続けにバイトをクビになった腹いせに、学校を休んで不貞寝を決め込んでいた。

 春休みから働いていた本屋に、昨日の夜に解雇を告げられたばかりだ。


 確かに俺が悪かった。誤認逮捕なんて洒落にならないことはわかってる。


――

「はい、そこのお爺さん。ちょっと袋にしまったもの見せてもらっていいですかね」

「ふぉ、な、なんじゃっ!?」

「今入れた本を出してくださいよ。警察はめんどくさ……いや、考えるから」

 そう言ってオラつきながらお爺さんに警告し、ひっくり返したエコバッグから落ちたのはスーパーのレシート一枚だけだった。


「すみませんでしたあああああああああっ!!」

 なんなら頭も踏んでくださいと言わんばかりに、床に土下座る。

「あ、いや、そこまでせんでも……」

「うっ、ぐすっ。ずびばぜんでじだぁ……」


 何とか許してもらえたまではよかったのだが、問題は別のところにあった。

 俺が平謝りしている間に、店内に潜んでいた本物の万引き犯が動いた。

 結果大量盗難発生。

 はい警察。責任者だれ? 君やる気あるの? 

 なんというコンボ。そして現在に至る。

――

 どのバイト先も長続きしない。

 スマイルや根性、そして人一倍のやる気には自信があった。

 だが、そんな俺の熱意は空回りし続けたのだった。


 ファーストフード店、ガソリンスタンド、スーパーのレジ打ち等々。

 どれも長く持って二か月だった。


 ポテトを黒炭になるまで揚げてしまう。

 窓ふきをしていたらミラーを折ってしまう。

 そして俺の打つレジは必ず金額が合わない。


 俺は焦っていた。これでは立派な社会不適合者ではないか。

 学力に自信があるわけでもなければ、体力に優れているわけでもない。中肉中背、容姿だっていたって普通。

 つまり、やる気以外なんの取り柄も無いのである。


 俺は今の学生と言う立場、そして共働きである両親の庇護の枠から一歩外に出れば、どこにも行くあてが無いのではなかろうか……。

 いかん、本気で心配になってきた。


 あー、もう。

 だからと言って済んでしまったことを、今更どーのこーの考えてもしょうがないんだけどな。

 気分転換にコーヒーでも飲むかと思い、俺は二階の自室から出て、一階のキッチンに向かった。



 ガスコンロでやかんを火にかけ、棚からインスタントコーヒーを取り出した。  コーヒーは大匙一杯。砂糖は大匙二杯。コーヒーは甘くてなんぼであるのが俺の信条だ。


 やがて、やかんが沸騰を告げる音を鳴らす。

 甘いコーヒーを淹れ、新たなバイト探しでもしようかと考えながら、その場でカップに一口つける。

 すると、俺の視界に茶色くて小さな動物の姿が目に入った。


 我が家のマスコット犬であり、俺が愛してやまない家族の【おこげ】である。


 チワワとダックスフントのミックスで、年齢四歳、体長四十センチメートル、体重四.二キログラムの雄である。


 名前の由来は、体毛の背筋部分が、他の場所と比べて焦げたような茶色をしているからだ。安直だが、どことなくお腹がすく名前なので、気に入ってしまった。


 薄茶色の長めの体毛でフサフサの尻尾。

 短い肢に長い鼻先と言う、ダックスフントらしい体型をしている。


 また、チワワの血の影響でパッチリと大きく見開いた目は『強く頭をなでたら、ぽろっとこぼれるんじゃねえの?』と思わせるほどの強い主張をしていた。


 コーヒーの匂いに釣られてやってきたのか、おこげがやや太り気味の体を揺すって、トテトテと俺の方に近づいて来る。


 世間一般の犬の例に漏れず、おこげもまた食べ物、飲み物の匂いに敏感である。

 残念だが、犬に人間用の嗜好品を与えてはいけない。美味しそうに飲み食いするのは、とても愛くるしい姿に見える。だが健康管理は大切。飼い主の責任だ。


 キッチンから出て、淹れたコーヒーを一旦階段に置き、おこげを抱きかかえて話しかける。


「おこげ、まーたアルバイトクビになっちまったよ……」


 階段に腰かけて、おこげを両太ももの間に寝かせる。俺はおこげのうなじから背中にかけて、指を少し立てて優しくなでなでしてみた。

 おこげはこのラインをなでられるのが大好きだ。

 普段はギョロリとしている目を、この時ばかりはスウっと細めて気持ちよさそうにこちらに体重を預けてくる。


 普段、おこげの活動スペースは一階のみである。その肢の短さから、階段を上ってくる事が出来無いからだ。

 たまに二階にある俺の部屋に連れてくるが、おこげの性格なのか、ひとしきり匂いを嗅ぎまわった後、部屋でゴロゴロしてすぐ眠ってしまう。

 誰に似たんだか、全く。


 俺はそのままおこげを抱き上げるのと同時に、こぼさないように慎重にコーヒーも持ちながら、自分の部屋まで戻る事にした。


 癒しが欲しかったのである。


 アルバイトをクビになったばかりの心をなぐさめるため、例え相手が言葉の通じない動物だったとしても、話し相手がほしかったのだ。


 夕方になった。

 ピンポーンと、玄関のチャイムが鳴った。おこげが敏感に気配を察知したのか、垂れている耳をピンと立てる。


 両親ともに働いているので、日中は誰もいない氷室さんのお宅。正直出るのが面倒くさいが、大切な用事だったら洒落にならない。もそりとベッドから抜け出て玄関に向かった。


 ガチャンとドアを外に押すと、そこには一人の女の子が立っていた。

 知ってる。この子はうちのクラスの超有名人だ。


 雪乃宮杏ゆきのみやあんず。絶対零度の塩対応で有名で、誰にも心を開かない子だ。蔑むような目で見られると、誰も彼女に反論できなくなってしまう。

 二年になって同じクラスになったが、まだ一度も話をしたことがない。なんなら、かかわりすらなかった。


 撃墜された男子はえげつない数になっている。孤高にして一匹狼。


 雪乃宮という苗字の通り、まさに見た目は雪女のように白い透き通るような肌をしている。長く、膝裏辺りまで伸ばした黒髪はいつもつややかだ。

 すっきりとした鼻梁と眉はしゅっと音がしそうなほどに滑らか。顎をやや上に持ち上げ、背が低いのに見下ろすように眺める釣り目がこちらを睨んでいる。


「氷室君。プリント」

 挨拶も何もなく、突きだしてきたのは二枚の紙だ。


「あ、ありがとう。わざわざごめん」

「別にいい。記入する必要があるから、書いて」


 それはいかん。きっと学校にこれから持って帰るんだろうか。ズル休みなんてした結果までこのザマとは、本当に俺は何をやってもダメな男だ。


「これは体育祭の参加種目……か。もう決めるのか、早いなぁ」

 特に急ぐようなものでもなさそうだ。明日学校に行ったときに提出しよう。そう思い二枚目に目を通した。


 ピンクの用紙か。書式が整ってるから、これは学校で大切に保管するのかな。

 ところどころ黒い紙で隠されているが、逆に俺が書くところを絞ってくれているのだろう。細やかな気配りに俺はかなり感心していた。


「書くところいっぱいあるなぁ。これ時間かかるけどいいかな?」

「いい」


 OKらしい。確か雪乃宮さんはクラスの副委員長だっけ。本当に申し訳ないな。

「届け出日は、今日でいいのかな」

「今日で」

「らじゃ」


「マイナンバーカードと印鑑も」

「おっと、ちょっと持ってくるから待ってて」

 

 シャーペンで書こうとしてボールペンを使えと注意された。書き間違いしたらやばそうだ。きっと重要な書類なのだろう。


「ええと、夫になる人の名前……と。俺の名前か。ひむろ・みお、と」


 ん?


「生年月日と住所も書いて」

「ええと平成17年6月……ねえ、ちょっと待って?」


「次は住所」

「あ、はい」


「いや絶対おかしいだろこれ! ちょっと隠してるとこ見せてみぃよ!」

「それは拒否。不可侵条約違反」

「別に戦ってないだろ。いいからはがすよ」


【婚姻届】


 まあガッツリ書かれてたね。もう言い訳きかねえよ、このお嬢さん。

「なあ、婚姻届って書いてあるんだけど。なんなのこれ」

「今日提出するから、早く書いて」


 ボールペンをすっと突きつけられる。先をフラフラとさせ、早くしろと言わんばかりに。いや、書かねえから。


「いやいや年齢的に無理でしょ。18歳未満は不受理だよ」

「問題ない」

「ありすぎるよね。仮に良いとしても、どこに出すんだよ。どこの役所も受け取ってくれないよ?」


 大丈夫だよ、とつぶやいた無表情の彼女は、髪の毛が真っ白になっていた。

 心なしか周囲の温度が下がってきたような気がする。いや、吐く息が白い。なんだ、何が起きているんだ。


「問題ない。私、雪女だから」


 むしろ問題しかない事実を、彼女は薄い胸をそらせて誇らしげに謳った。

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