序章 ユキとハル ②再会

「──来たよ、ユキ」

「ハル……」

 彼女の姿を見た途端、私の心臓は今まで以上に不規則な鼓動を見せた。胸が苦しくなって、胸元を押さえる手に力が籠る。

「久し振りだね」

 そう言って、ハルははにかんだ。

「うん、久し振り。何年振りかな」

 冷たく吹き抜ける風。さっきよりも寒さが厳しくなったような気がする。

「中学卒業して以来だから、十年振りだよ」

「そっか。もうそんな経つんだ」

 それもそうか。成人どころか、二十代ももう折り返しだ。私が怖がったりせずにもっと頻繁に会おうとしていれば、こんな形の再会をせずに済んだのかな。

 タイムマシーンがあったらいいのにと、私はかじかんだ唇を噛み締めた。

「ところで、ユキは今なにしてるの?」

「え? なにって……」

「仕事。久し振りなんだし、色々聞かせてよ。ちなみに私は──」

U―TUBERユーチューバー、でしょ?」

 思わず答えてしまったけれど、仕事の話をしに来たわけではない。ないのだけれども、私の答えを聞いたハルがとても嬉しそうに目を輝かせていることだし、もう少し雑談してから本題に入ってもいいかもしれない。その方がリラックスもできて、腹を割って話せるだろうし。

「見てくれてるの?」

「うん。チャンネル登録もしてあるよ」

「うわぁ、うれしい! でも、よく見付けたね、私のチャンネル。誰かに聞いたの?」

「いや、たまたまだよ。ハル、ユージって人と一緒に活動してるでしょ?」

 U―TUBER。ピンで活動する人もいれば、そんなにいらないでしょって突っ込みたくなるくらい大人数のグループもある。また、一見すると一人だけど、動画には出演しない裏方担当がいたりもする。

 ハルは、トリオで活動していた。【ユージと愉快な仲間達】というグループ名だ。その名が示すように、ユージという人物がリーダーを務めており、もう一人シゲミンというメンバーがいて、ハルは紅一点だった。

「そのユージって人、私の元カレの親友なんだ」

「元カレ」

「そ。高校の時のね。その人から『あいつはU―TUBERになるのが夢なんだ』って聞いたことがあって、そういえばどうなったんだろうって検索したら……」

 学生時代のあだ名のまま活動してくれていたお陰で、動画はすぐに見付かった。もし彼が新たな芸名をつけていたら、私は早々に検索を諦めていたことだろう。

「ハルがいて、ほんとにびっくりした」

「ユージとシゲミンとは高校で一緒になったの。で、意気投合して、いつも一緒にいて、U―TUBEに誘われて。──そうだ、ユキの元カレって、もしかして鮫島さめしまって名前?」

「なんでわかったの?」

 元カレの名前を見事に言い当てられて、私はこの日一番の大きな声をあげた。

「ユージがよく話してるんだよ。『鮫島は一番の親友だ』って」

「それ鮫島君もよく話してた。『ユージは一番の親友だ』って」


 ──あ、そっか。


 ここに来て、新たな後悔の種が芽を出した。

 私はやはり、勇気を出してハルに電話をかけるべきだったのだ。そうすれば、ハルに鮫島君を紹介できた。ハルにユージを紹介してもらえた。それでお互い驚き合って、そのままダブルデートに繰り出して、たくさんの思い出を作ることができた。

 その思い出でハルを支えてあげられたかもしれなかったのだ。

「ねぇ、鮫島さんの写真ないの? ユキがどんな人と付き合ってたか見てみたい」

 私の後悔をよそに、ハルが屈託のない好奇心で目を輝かせる。

「写真? いいけど、ユージに見せてもらったことないの?」

 鮫島君はよくユージの写真を私に見せてくれた。これが修学旅行、これが社会科見学、これが運動会。どの写真も決まって二人で写っていて、本当に仲が良いんだなと写真を見せられる度に感じていた。

「ユージは話すばかりでさ」

「そうなんだ。なら、ちょっと待ってて」

「言い出しっぺが言うのもなんだけどさ、元カレの写真残してるんだね」

「これも大切な思い出だから」

 私は基本的に写真を消すことはしない。一枚一枚が、私が生きた証だから。綺麗な景色に感動したり、あまりの可笑さに笑ったり、隣にいる人を愛したり、『この気持ちを写真に残したい』と、そう思えた瞬間を写した一枚なのだから。

「はい、鮫島君」

「うわぁ、ツーショット」

「仕方ないでしょ、付き合ってたんだから」

「この人が鮫島さんかぁ。なんか、素朴で優しそうな人だね」

「実際、優しかったよ。喧嘩もしなかったし」

「そうなんだ。いいなぁ」

「いいなぁって、ユージは優しくないの?」

「優しいんだけどね、撮れ高目的の無茶振りが多いんだよね。心霊スポットを梯子したり、心霊スポットでソロキャンプさせられたり、廃旅館で一人かくれんぼやらされた時は死ぬかと思った」

「……U―TUBERも大変だね」

「競争率も激しくなったしね。他と違うことをして目立たなきゃいけないし、かといって過激なことはできないし……」

 過激なことはできない。

 過激なこと。

 すぐに浮かぶのは、法律違反。次に浮かぶのは、法律には違反していないけど人として間違っていること。

 あの日、私が見たハルの姿。法律違反なのか、法律違反じゃないけど人として間違っていることなのか、それとも私の見間違いか。今現在、答えはまだわからない。

「──それよりさ、そろそろユキのこと聞かせてよ。仕事、なにしてんの?」

「ああ、忘れてた」

「とか言って、実はニートとか? あ、あとさ、今は彼氏いるの?」

「仕事は家庭教師で、彼氏は……今はいない。つい最近、別れちゃった」

「ありゃ、そうなんだ。でも、ユキならすぐに新しい人できるよ。切り替えていこ?」

「うん、そうだね」

「にしても、ユキが家庭教師かぁ」

「高校受験限定だけどね」

 家の都合で大学に行かなかった私は、個人塾で働かせてもらった。その塾の経営者の伝で家庭教師として採用してもらい、今に至る。

 嬉しいことに、生徒や親御さんからの評判は今のところ上々だ。まぁ、私が請け負うのが出身校のブランドに拘りのない家庭ばかりだから、という理由もあるけれど。もっとも、そういう家庭は高卒の人に家庭教師を頼まない。

「ユキは頭よかったもんねぇ」

「うん、否定はしない」

 自慢ではないけれど、定期テストはいつも九〇点台だった。悪くても八五点以上。お父さんの助けになればと、勉強を頑張ってきた結果だ。

「身長も高いしさぁ、ほんと羨ましい」

 ハルは唇を尖らせながら、警察の敬礼みたいに手をちょこまかと動かした。

「いやいや、伸び率で言ったらハルの方が上でしょ。全校集会のとき、いつも一番前だったじゃん。それなのにこんなに大きくなっちゃって……」

 あの頃のハルはクラスの女子全員から可愛がられていた。まるで、姉の教室に迷い込んだ下級生の妹のように。

 今目の前にいるハルに、あの頃の面影はない。身長だって私と大差ない。私だって結構大きい方だったのに。

「ふふん、でしょう? 高校三年間で、ぐんぐん伸びたんだぁ」

「大分感じ変わったよね。今の髪もすごく似合ってる」

「そう? ありがとう」

 中学時代のハルは、肩を越す長さの黒髪をツインテールにしていた。今はショートボブ。色も明るくなっていて、あの頃とは違う可愛らしさが誕生している。

「って、ハル? なに?」

 ハルが私のことを舐め回すように見ている。むず痒い視線が全身を這いずり回った。

「ユキは変わらないね。ほんと、そのまま大きくなった感じ」

「そう……かな」

 確かに髪型も髪色も変えてないけど、そのまま大きくなったって言われるのは何だか複雑な気分だ。果たして、今の私が童顔なのか、それとも昔の私が更け顔なのか。

「そうだ! ユキも同窓会来なよ」

「ど、同窓会?」

「何回かやったんだよ? でも、ユキは携帯持ってなかったし、住所も教えてくれなかったから……」

 誘いたくても誘えなかったのだと、ハルは悲しそうに眉尻を下げた。

「そういえば、連絡網にも載ってなかったよね?」

「ああ、そうだったかも。なんか、ごめん」

「ううん、今は携帯持ってるんだよね? あの番号、ユキの携帯でしょ? 次のときはちゃんと連絡するから」

「うん……」

 同窓会。中学校の皆が一堂に会する場。それを想像すると、嫌な思い出が目を覚ます。歯切れだって悪くなる。

「ユキ、もしかしてまだ忙しい・・・?」

 ハルの心配そうな声に、私は首を横に振った。

「ううん、今はもう平気なんだけど……」

「そう? なら、付き合いが悪いって言われてたの、まだ気にしてる?」

 その問いは、私をゆっくりと頷かせた。

 思い出されるのは、私が十歳の頃のこと。家の事情が重なり、私は家事の一切を担うことになった。子供ながらに状況は理解していたし、そのこと自体は何も嫌ではなかった。

 けれど、友人達はそうは思わなかった。私が家事を優先して遊びの誘いを全て断るようになってしまったからだ。仕方のないこと。まだ幼かった私には、上手な時間の作り方がわからなかった。

 友人達は「付き合いが悪くなった」と言って、私から離れていった。遊びに誘われなくなり、休み時間の雑談に混ぜてもらえなくなり、気が付けば私はクラスで孤立していた。

「同窓会なら、ハルがいれば……それでいいよ」

 中学校に行っても、私の孤立は変わらなかった。別の小学校からも入学してくるから密かに期待していたのだけれど、私の友人だった子達を通じて私の付き合いの悪さが広まってしまったのだ。私は一人ぼっちの三年間を覚悟せざるを得なかった。

 そんな私の寂しい覚悟を打ち砕いてくれた人こそ、ハルだ。


 一人ぼっちで寂しそうにしているから、放っておけない。


 それが、ハルが私に話しかけた理由だそうだ。ハルは、いつも私の側にいてくれた。付き合いの悪さを受け入れて、私が遊びに行く時間を作れるその日をずっと待ち続けてくれた。

 ハルは、間違いなく私の親友だ。私の“初めての”親友なのだ。

「ユキは知らないと思うけど──」

 いつの間にか、私は俯いていた。ハルに下から覗き込まれて、驚きのあまり二、三歩後退り。一際大きな白い息がもわもわと上っていった。

「知らないって、なにを?」

「ユキってね、実は意外と男子から人気あったんだよ。私、何度か頼まれんだ。ユキの電話番号教えてくれとか、この手紙届けてくれとか、放課後に中庭に来るよう伝えてくれとか」

「……知らなかった」

「だろうねぇ。その頃のユキは携帯持ってなかったし、手紙は自分で渡せって私が突っぱねたし、放課後は私でも足止めは無理だったし」

「なんか、申し訳ないことしたかな……」

「全然。自分で告れない方が悪い。だから、気にしなくていいんだよ。それより、理解した? ユキは、嫌われてないんだよ」

「そう……なの?」

「男子はともかく、女子達。同窓会でみんな言ってたよ。ユキが付き合い悪くなったのは、なにか事情があったんだよねって。仲間外れにしたことを謝りたいって話してる子もいるんだよ」

「事情……」


 ああ、そういうことだったんだ、私が一人になってしまったのは。


 胸に支えていたもやもやが、ストンと喉元から落ちていった。

 私は、自分の事情を誰にも打ち明けなかった。たった一人で背負い込んだ。私の付き合いが悪くなったという印象を皆に抱かせたのは、誰あろう私自身。

 小学生は、良くも悪くも知らないことが多い年代。自分の側にあるものが全ての基準値となる年代。家と学校が世界の全てを占める中で、何も話さなかった私の事情を察することなんてできるはずがないのだ。できたとしても、ほんの一握りだろう。


 つまり、誰も悪くない。


「また、みんなと友達になれるかな?」

「なれるよ。ユキなら絶対に」

 そう言って、ハルは笑った。冬を暖めて、雪を融かすような温かい笑顔だった。

 私は、ハルに釣られて笑った。目頭が熱くなる、久しく味わってこなかった笑顔だった。

「ねぇハル」

「ん?」

「今度の同窓会は、私にも連絡して」

「うん、絶対連絡する。ほら、番号も登録したし──」

 不意に、ハルの声が途切れた。

 ハルは、携帯の画面を見詰めたまま、凍り付いたように固まっていた。

「ハル?」

「ねぇ、ユキ」

「なに?」


「どうして、今頃になって電話してきたの?」

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