帰郷

 柳川町、東の方角。鬱蒼とした木々などが伐採され、新しくできた街がある。そこの二階建ての一軒家に、前川裕也まえかわゆうやという少年が住んでいた。家族は彼を合わせて4人。しかし、ついこの前までは5人であった。

 夏はとうに過ぎ、月の美しい秋がすぐ側にいる。が、裕也は季節の変化など気にしていないのか、気にならないのか、とにかくぼんやりとしている。まるで、夏に魂を置き忘れてきたかのよう。

 なぜか。

 今の裕也の心を包むのは、深い喪失。家族が4人になってしまったことが受け入れられぬ彼は、過ぎゆく日々をただ過ぎゆくがまま、見つめるだけである。

 あるときの休日。裕也が外にも出ず、いつものように茫洋たる顔のままでいると、幼なじみである森下美空虹もりしたみくにが家を訪ねてきた。

「裕也っ! ねぇ、聞いてる?」

 インターホンも鳴らさず、玄関で声を上げている。

「……なに?」

 渋々といった様子で外へ出る裕也。久々に太陽の光を浴びた気がしている。逆光で美空虹の表情は見えないが、どことなく怒っているような気配がする。

「どうしたの……?」

「これ」

 美空虹が突き出したのはクリーム色っぽい封筒。表に書かれた文字に見覚えがある。いや、忘れたくても忘れられない文字の形。

 手紙を受け取る手が震えた。

「渡してって、言われたの……」

「こ……これって……」

「いい加減、元の裕也に戻ってよ……。そんなにあからさまに落ちこんだままだと、わたし……また嫌な女になっちゃいそう……」

 美空虹は俯き加減でそう言い残すと、去っていく。

 残されたのは、封筒を持った裕也。おぼつかない足取りで家へ入ると、開封した。

 封筒と同じ色の便箋が数枚、丁寧に折られている。

 靴も脱がず、玄関で立ち尽くしたまま、裕也は自分に宛てて書かれたその手紙を広げた。





前川 裕也 様へ

 

 はじめに、このお手紙だけを残し、裕也様のもとを去っていったこと、お許し下さい。

 鳥の子色の便箋と封筒は、美空虹様に選んでいただきました。この件について美空虹様を責められるのはご勘弁いただきたく存じます。裕也様に内緒で、とわたしが申したのですから。

 ちょっと、かしこまり過ぎていますか? きっと裕也様なら「硬いなぁ」なんて笑ってくれるのかもしれません。あなたの微笑みを、あなたの側で見ることができなくなると考えると、冬の空のように、心がくっと辛くなります。

 寂しいことばかり、書きたくありません。わたしがこうして手紙を書くのは、あなたに、わたしを忘れて欲しくないからです。

 少し、永くなるかもしれません。裕也様と過ごした日々を、ここで綴らせてください。


 おじい様とおばあ様を頼り、地球へとやってきたのは、およそ三年ばかり前になるでしょうか。辿り着いた星に、わたしを愛し育ててくれていた方々はおらず、その屋敷もなく……。それどころか、辺りに並ぶ他の屋敷も、わたしの知らない形のものばかり。変わり果てた故郷と呼ぶべき、異郷の地。どうしていいか分からず泣いていたところ、声をかけてくださったのが、裕也様でしたね。

 今思えば、きっと裕也様はわたしの姿形にたいそう驚いたことでしょう。藤の袿と、梅重の襲色目。月紋様の檜扇を持ち、髪を長く垂らして、ひとり狼狽えているその様たるや。面妖なことこの上なしですね。

 あのとき、お優しい裕也様の声に、どれほど救われたことか筆舌に尽くしがたく思います。泣きながらお尋ねしましたおじい様とおばあ様のことにも、あなたは正直に「ちょっと、わからないなぁ……」とだけ答えていただきました。あのとき、あなた様以外の方に出会っていたのなら、その夜、警察という者たちにこの身を渡されていたことでしょう。

 その後、お食事もいただきましたね。お腹が鳴ってしまったのを聞かれたのは、今思い返しても、頬が熱くなってしまいます。

 裕也様の母君である由美子様。あれほど竹を割ったようなお人には、お会いしたことはありません。陽のような明るさで皆を照らし、月のような優しさで皆を包むような方。わたしの実母とは正反であり、それだけに少々甘えすぎたかもしれません。もしそうなら、申し訳ございません。

 そんな由美子様のご主人であられる慶二様も、わたしにとって忘れがたいお人になります。お世話になったその日、腰を抜かして驚かれたすぐあと、嬉しそうにわたしの手を握り「裕也をよろしくな」とおっしゃられたこと。そのときの満面の笑みは、わたしをいっそう安心させました。はじめてお目にかかったとき、野武士のように思え、正直なところ、恐ろしく感じていたことは、この手紙の中だけの秘密です。

 ご令妹であられる遙花様。思い出しては頬が緩んでしまうほど愛らしいお方でした。わたしの袿や打掛を「かわいい」と、わたしの髪や目を「きれい」とおっしゃられたこと。お屋敷にお邪魔させていただいたとき、真っ先にそう声をかけていただいたのは、遙花様でした。

 育ての親を失ったわたしにとって、慶二様、由美子様、そして遙花様の存在は、恐れ多いことではありますが、真の父、母、妹のように思っておりました。ですので、きっと、わたしの話も信じていただけるだろうと思い、身の上のことをお話できたのです。

 わたしが「ツキ」という星から来たという話です。ツキで起こったひょんな手落ちにより、生まれる前のわたしは、身を守るコリルの殻に包まれたまま地球へとやって来、竹に擬態したところをおじい様に拾われました。まさか、その話が地球で「かぐや姫」という名で語り継がれているとは思いもしませんでした。

 また、驚くべきことは他にもあります。わたしたちの星であるツキが、まったく同じ音で異なる意味をもつ「月」ということばと勘違いされていたことです。裕也様にご指摘いただくまで気づかず、おじい様とおばあ様が、寂しそうに、まあるく黄色い「月」を見つめていた訳を知りました。たしかに、その方角にツキはあるのですが……。

 ふと、おじい様とおばあ様の顔が思い出されます。幼いわたしに「カグヤ」という名を付けてくれた二人。あの満月の夜が、今生の別れになったのだと思うと、悔やんでも悔やみきれませんでした。わたしにとってはほんの二、三年前のこと。しかし、その実は幾千年も前のことでありました。地球からツキまでの距離はあまりに遠く、それがために流れている時も常ではないのでしょう。

 ツキの姫として過ごしてきたわたしは、父と母、従者たちに隠れて地球へとやってきました。いつ、ツキの者たちがわたしを連れ戻しにくるかわかりません。彼らが地球へやってきたとき、力の無いわたしは、この星を離れなくてはならないのです。そして離れてしまったら最後……。

 哀しくて、寂しくて、むせび泣くわたしに裕也様はおっしゃられました。「帰るまで、ここにいたらいいんじゃないの?」と。あのときの裕也様は、ツキの兵長に負けぬほどたくましく、凜々しいお姿に見えました。


 日ごろ、裕也様が通われていた「学校」というところ。そこが「高校」とまた別の名を持つことなど、この時代では当然といえることばの多くを、わたしは知りませんでした。しかし、そのほとんどを、遙花様から教わりました。わたしに姉はいません。が、そのときの遙花様はまるで、わたしのお姉さまのような口ぶりでした。とても微笑ましく、懐かしいひとときでした。

 由美子様からは、いくつかのお着物をいただき、家事と呼ばれることの多くを学びました。由美子様はわたしに「家族の一員として、しっかり働いてもらうよ!」と、あのいつもの笑顔で、おっしゃられていました。由美子様は手取り足取り、覚えの悪いわたしに、根気強くお教えくださいました。上手くできると、頭を撫でていただき、そんな由美子様に褒められたい一心で、日々精一杯、家事に勤しみました。

 このあたりで、裕也様に謝りたいことがひとつございます。裕也様のお部屋をお掃除させていただいたところ、奇妙な書物を見つけてしまいました。後に遙花様にそれが「写真集」というものであるとお教えいただきましたが、それをわたしは、ちりあくたと共に、まとめてしまったのです。誠に申し訳ございません。

 その絵とは思えぬほど鮮明に描かれた美しさ。よりもむしろ、あられもないおなごの姿に驚いてしまいました。裕也様はあのような程のおなごがお好みなのですね。この身の形が、口惜しく思えてなりません。

 ちなみに、由美子様にいただいたお着物ですが、この時代では「お洋服」と言うのですね。触れると、裕也様たちと過ごした日々が思い出されます。後生大事にしていくつもりです。


 わたしがお屋敷の家事のほとんどを、覚えたころでしょうか。由美子様が「お下がりばかり着ていては、もったいない」とのようなことをおっしゃって、わたしにデパートという場所で、お洋服を買いに行くよう命じられました。

 そのとき、裕也様が共にしていただいたこと、わたしは昨日のことのように覚えております。はじめて見る街というものを前にして、わたしは童のようにあれこれと指さしては訊ねましたね。なんとはしたなく、ご迷惑ではなかっったかと、ずっと考えておりました。でも、裕也様はその都度、わたしにお教えくださいました。裕也様はやはり、とてもお優しいお方です。

 お洋服を選んでいた際のことです。手に取ったお洋服を身に合わせ、裕也様にお見せすると、裕也様は「かわいいよ」とおっしゃってくださいました。あのとき、どれほど嬉しかったことでしょう。わたしは、あなたにそう言っていただくだけで、この先を生きていけるような心地がするのです。

 少し、失礼なことかもしれませんが、そのとき顔を赤くして恥ずかしそうにおっしゃる裕也様も、とてもとても、可愛らしかったですよ。

 美空虹様と出会ったのはそのころでしょうか。デパートでわたしが裕也様とご一緒していたところを見られたそうです。後にそう、お話し下さいました。

 わたしのことで、美空虹様が裕也様にきつくあたられていたことも、存じております。裕也様と幼なじみであられるご縁が故でしょう。この星ではない、別の星からやってきたと話す、見ず知らずのおなごなど、怪しく思われて当然でしょう。

 裕也様はいつも、わたしと美空虹様が二人きりにならないようご配慮されておりましたね。確かに、正直に申しますと、そのころ、わたしは美空虹様が少々恐ろしく感じておりました。

 美空虹様に見つめられると、何かを咎められているような気がしたのです。はじめは、裕也様のお屋敷に厄介になっていることについて、苛まれていらっしゃるのかと思いました。しかし、そのために何かと張り切ると、その瞳はいっそう険しくなるのです。あぁ、これは違うなと思い、しかし、それでも美空虹様の瞳の真意を図りかねておりました。

 美空虹様に訊ねてみたことがあります。なにゆえ、そのようにお怒りになられるのかと。すると美空虹様は「怒ってないよ」とおっしゃれました。そのときの微笑みが、わたしの心を、新雪に触れたようにきゅっと締めつけました。裕也様を一心に思われる美空虹様に、そのようなお顔をしてほしくありません。

 到らぬところがあれば、なんなりとお申し付けくださいと。裕也様の大切なお方である美空虹様は、わたしにとっても大切なのですと。美空虹様の胸中の寸分も知らぬわたしは、不躾なことに、そう申したのです。

 すると、美空虹様は小さく笑いますと「わかった」と頷かれました。不思議なことではありますが、そのときにはもう、あの恐ろしく光る瞳はありませんでした。

 その後、美空虹様にお声をかけていただく機会も多くなり、この時代の書物を、多くお貸し下さいました。ことばの意味のほとんどをまだ知らぬころゆえ、読み終えるのに骨を折りましたが、そこで得られたことばや文のおかげで、こうして筆をとれております。

 美空虹はわたしを「親友」とおっしゃられました。わたしにとっても、美空虹様は親友です。


 思い出深いことと言えば、夏祭りにもご一緒させていただきましたね。月の美しい夜に、ちょうちんの灯りが連なり、小さな屋根やのれんをかまえた小屋が立ち並んでおりました。

 からんころんと鳴る下駄の音。遠くで響く祭り太鼓の音。音たちは道行く人々の顔を明るくさせ、つられてわたしも微笑んでしまう。そんな雰囲気でした。

 もし叶うなら、もう一度夏祭りに、裕也様と行きたく思います。

 はじめて袖を通した「ゆかた」という着物は、実は、美空虹様に選んでいただいたのです。その日、裕也様を驚かせようと、黙っておりました。いかがでしたか? 似合っておりましたでしょうか? 裕也様のゆかた姿、目も文で、とてもお美しいお姿でした。

 裕也様は覚えておいででしょうか。あの日、ほんのわずかではありますが、裕也様とはぐれてしまったこと。あのとき、美空虹様と二人で、お話しておりました。

 話していたのは、美空虹様が裕也様にどうしても聞かれたくなかったことです。もしかすると、このような言い方ですでに、なにかしらの見当がついていらっしゃるかもしれません。

 ちょうど、夜空に花火が咲いたころでした。美空虹様はわたしの目をじっと見つめられ、降りはじめの雨のように、ゆっくり裕也様へのお気持ちを語られたのです。

 あのとき、美空虹様のことば通りであるならば、もう、裕也様はそのおことばを聞かれているのではないでしょうか。

 そう思うと、辛く、哀しいのです。美空虹様にはもう顔向けできないようなことを申しております。この手紙の中だけの秘密です。

 

 この手紙も、そろそろ終わりに近づいてまいりました。ここらで、裕也様にお願いがあります。

 由美子様はわたしが出会ってきたおなごの中で、もっとも気高く、美しく、お強い方です。しかし、そんな由美子様だからこそ、辛いときには笑われる方です。よくよく注意深く、お気遣いなさってください。裕也様にとっても、わたしにとっても、たいせつな母なのですから。

 慶二様は、まるで裕也様と正反対のご性格をなされているように見えます。そのため、世話を焼かれると少々面倒に思われるかもしれません。しかし、男親として裕也様をご心配なされていることは、確かです。これは言うなと言われておりましたが、わたしが去りゆく際に「裕也のことは俺が守るから、心配するな」と、慶二様はおっしゃっておりました。

 遙花様は物知りで、ご聡明な方です。少し傷つきやすく、寂しがり屋な方でもありますので、裕也様、どうかお優しく接していただきたく思います。親しき仲にも礼儀ありと言うように、妹だからといってぞんざいになさってはいけません。妹はいくら生意気だからといっても、兄を慕う心は変わらぬものだと、よくおばあ様から聞かされておりました。

 美空虹様。自らは二の次に、裕也様を考えておられる方です。人の短い生涯の中で、親以外にそのような人と出会うことは、そうそうないことでしょう。いつもはつんけんされている美空虹様ですが、その実、裕也様のお声に誰よりも耳を傾けていらっしゃいます。どうかこの先も、末永く、美空虹様のお側にいらしてください。美空虹様の親友であるわたしからの、お願いです。

 

 裕也様。あなたは、わたしのことをどう思っていらっしゃいましたか? 

 このようなことを、この場で尋ねてしまう卑怯さを、どうかお許し下さい。そして、手紙という形でしか、たいせつな思いを伝えることができない臆病さを、どうかお許し下さい。

 わたしは、裕也様をお慕いしておりました。

 いつから、そのような心へと変わったのかはわかりません。ただ、あの夏祭りの夜、美空虹様とお話させていただいた折に、気づいたのです。

 裕也様のいない時は、いつも寂しく、胸が苦しくなりました。裕也様がいないと、まるで月のない夜に取り残されたような心地がします。

 裕也様にとって、わたしのいない世が常であったはずでしょう。わたしにとってもそうでした。しかしいま、裕也様がいない世が、信じられなくなっております。

 でも、わたしは幸せでした。

 誰もわたしを知らない星で、裕也様に出会えたからこそ、今こうして、哀しむことができるのですから。

 さようなら。どうか、お幸せに過ごされることを願うばかりです。

 いつか、また、導きがあれば。

 どうか、わたしのことを、忘れないで。

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