第4話 なまえ

 自己紹介をすると彼女の名前は毒島季里ぶすじまきりさん。一五歳。この間までは鳩山町と言うところに住んでいたらしいが、そこを引き払って引っ越してきたという。


 まさか火事で転居先のアパートが消失するとは夢にも思わなかっただろう。そんな時に僕と出会ったのも偶然だし、洋館この家に部屋が余っていたのも偶然。僕が彼女のことを『じゃあ頑張って』なんて放り出すことがなかっとことぐらいは必然かな。さすがの僕もその話を聞いたあとで知らぬふりはできなかったしね。



 改めて毒島さんの容姿を確認してみる。彼女はパッチリした二重に黒目がちな瞳。すっとした鼻梁に柔らかそうな小さめな唇をしている。髪は明るい栗毛でゆるくウェーブした背中まであるロング。背はあまり大きくはないが、明言は避けるが、胸部に強力なモノもお持ちの様子はうかがえた。

 ありきたりで陳腐な表現になってはしまうが、要するに彼女は誰もが眼を見張るような美少女ってわけだ。

 こんな可愛い娘とひとつ屋根の下で暮らすとなると間違いも起こりそうだけど、僕もそこまで理性の箍がぶっ飛んでいないので問題を起こす気はさらさらない。僕だって何度も警察のご厄介になるのはご勘弁だしね。


 下宿とは言ってもカタチ的にはルームシェアと何ら変わらないんじゃないかなと思う。大家の僕がシェア相手ってだけな気もする。下宿だシェアだのの定義だってよくわからないしね。


 だから、ひとつ屋根の下に二人で暮らしていく以上はルール作りが大切だと思う。行き当たりばったりは愚の骨頂。


「ということでルールをある程度は決めたいんだけど、いいかな?」

「急にルールって言われてもぜんぜん思いつかないよ」


 だよね。僕にもさっぱりだ。舌の根も乾かぬうちに愚の骨頂おおバカぶりを発揮してしまったみたいだ。


「じゃあ取り敢えず、部屋割りは説明するね。あっちの玄関を入ってすぐの部屋が僕の部屋だ。で、毒島さんに使ってもらうのは、一番奥の部屋。あとのリビングや風呂等々は共用になるけど、そこは大丈夫だよね?」


「うん。私は部屋を貸してもらえるだけで御の字以上だからね」


 毒島さんの部屋のほうが少し狭いけど、こればっかりは我慢してもらうしかないな。ベッドはないけど布団も圧縮袋に入って押し入れにあったので今のところ無問題。テーブルも余裕で置けるから許して欲しい。たしか納戸に折りたたみのものがあったはずだ。


「あと、部屋には鍵が掛からないから必要なら建具屋さんを呼んで工事してもらうから。家の合鍵も明日作ってきて渡すね」


「部屋の鍵なんていらないよ。桒原さんは理性の塊なんだよね。なら大丈夫。合鍵の方はよろしくお願いします」


 さすがに理性の塊とは言っていないけど、部屋に侵入するようなことは絶対にしないので安心して間違いないと思う。


 あとはなんだろう。家事の担当とかかな? 負担割合で喧嘩とかしたくないしね。


「家事の分担なんだけど――」

「あっと、その前に桒原さんに聞いておきたいことがあるんだけど」


「ん、なに?」

「ここのお家賃ってどれくらい支払えばいいかな? あまり高いと予算的に苦しくなるんで……」


「家賃はいらないよ。別に家賃収入が欲しいわけでもないからね。どうせ余って使うことのない部屋だったんだし……。そうだな、水道光熱費は折半ってことにしようか」


 一人暮らしのつもりだったから、二人で暮らすとなると水道光熱費は単純に倍とまではいかないだろうけど増えるだろうからね。それくらいはいただこう。


「え? そんなの悪いよ! 普通のアパートの家賃ぐらいは払うよ」

「ほんといらないから。そんなの貰っても困るし」


「じゃ、じゃあ、さっき桒原さんが言い掛けた家事の分担だけど、それを全部私にやらせてちょうだい。私、料理も家事も得意だし、それくらいやらせてもらえないと私の立つ瀬がないよ」


 立つ瀬がないとまで言われてしまうと僕も強くは出られない。全部任せきりではなくて、その場その場で僕も手伝えば角は立たないだろう。僕だって家事は一通りできるのだから。むしろ洗濯ぐらいは自分でやったほうがいいだろうしね。


「……うん。わかった。じゃあ、基本家事は毒島さんにお願いするね。でも無理はしないで欲しい。これは本音ね」


「大変な時はちゃんと桒原さんを頼るわ。じゃあ、家事は私に任せてね!」


 他にもなにかありそうだけど、今のところ何も思い浮かばないのでなにか問題が発生した時点で協議して決めるってことにしておいた。


 🏠


「桒原さんはこんど高二だよね。どこの高校に行っているの?」

「僕? 稜秀りょうしゅう学園だよ。ここから歩いて二〇分ぐらいのところにある学校だよ」


 キャリーケースに入っていた日用品やら化粧品、衣類などを片付け終えたら、早速毒島さんにお茶を淹れてもらってリビングでのんびりと寛いでいる最中だ。


「え? 本当に?」

「うん。どうして? やっぱり僕って稜秀っぽくないかなぁ。なにしろ生まれが山に囲まれた田舎の出なんでね」


 稜秀学園は数年前に学生ウケを狙ったのか、学園内のリノベーションと学生服の刷新をしてハイソな感じに生まれ変わったんだよな。たしかに田舎者にはおしゃれすぎるのは否めない。


「ううん、違うの。私も稜秀学園なの? だからびっくりしちゃって」

「毒島さんも稜秀なの? それは驚きだな。じゃあ、僕たち先輩後輩の仲になるんだね」


 なるほど。だからあのアパートに住む手筈だったんだな。あそこなら学校まで徒歩で通えるし、コンビニもスーパーも近いから普段の生活がし易いもんな。


「だね! あ、じゃあ言葉遣いも改めないとかな? じゃなかった。改めないとですね?」

「もう今更だし。毒島さんはタメ口でいいよ」


「ほんとに? ありがとう。じゃぁそれで。あ、違う話だけど桒原さん、その毒島さんっての呼び方を変えてもらえないかな?」

「ん? なんで」


「あ……いや。中学まで女の子には季里ちゃんって呼ばれていたんだけど、男の子の中には『やぁ、ブス!』なんて呼ぶ人がいたりして苗字があまり好きじゃないんだよね」


「え? どこが醜女ブスなんだよ?」

 毒島さんはめっちゃ可愛いのに。あれだな、中学生男子特有の照れ隠しってやつだな。


「え? 何か言った?」

「いや何も」


「そう。だもんで、毒島はナシの方向でよろしく」

「ん~、じゃあなんて呼べばいいんだい。季里ちゃん。いや季里さん?」


「私のほうが後輩なんだから、季里って呼び捨てでいいよ」

「そっ。じゃあ僕は季里って呼ぶことにするよ」


「あれ? 桒原さんって案外と女の子の名前呼びに躊躇がないんだね」


 ああ、漫画とかで男の子が女の子の名前呼ぶのにめちゃくちゃ照れちゃうやつのこと言っているのかな?


「いや。僕の住んでいたところって同じ苗字の人が多いから名前で呼ばないと誰だか判別できないんだよね。だから女の子相手だろうと名前呼びには慣れているんだ」


「なぁんだつまんないの。そこは童貞っぽくどもるとこでしょうが」

「え? なんか言った?」


「ううん。なんでも。じゃあ私も誠彦さんって呼ぶことにするね」

 誠彦。それはそれで慣れないというか、なんというか……。

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