第9話

その恋心…じみたものが、あの日、そうマリーが囚われの身の僕を外の世界に連れていってくれた運命のあの日、マリーの双房の瞳に乗り移った。

美しいと思った。

どんな映画の登場人物の瞳よりも、真夜中の空を彩るオリオンのベルトよりも天の川よりもベガよりも、これまで見てきたどんなものも敵わない、人生をかけて愛で崇めたいほどの美しさ。

その美しさに狂わされたのか、導かれたのか、誑かされたのか、試されたのか。

それは未だに理解できない…いや違う、いつかは理解したいと心から望んだから、望んでいたから僕はあの日無言で差し伸べられたマリーの手を取りここまでやってきた。

それに対する感謝を、僕の人生に意味と光を与えてくれた感謝を僕はまだマリーに伝えられていない。

そしてその万感の念を仮に伝え切れたとしても、結局なぜ僕がマリーに惹かれたのかという謎は永遠に解かれない心残りとなるだろう。

なぜならマリーと一緒にここから逃げるというプランは安全で平穏かつ暗愚で平凡な人形としての人生を再生産して逆戻りするだけな気がするからだ。

マリーはいつまでも僕を子守し続け、僕はそれに対して何の対価・報酬も払わず払えず只々それを享受し続け一生成長しないだろう。

そんな人生は「自由」とは言えない。

易きに流されて一瞬一瞬の快楽に入り浸っているだけで、そこには僕が一人の人間となるために心底から欲した「責任」や「挑戦」がない。

犬というものを飼ったことがないので正確な例えなのかは分からないが、それは多分犬の一生にも似ている。

屋根も壁もあるが大して快適でもない寝床と一応は満腹にはなるが大して美味くもない餌を与えられ死ぬまでの安泰が口約束される代わりに、死ぬまで首輪に束縛される確約を半ば強制的に取り付けられる諦念と妥協が渦巻く一生。

嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。

大人達は馬鹿だと言うだろう。

「俺達はその安泰が欲しくて毎日必死で頑張っているのに。いい加減現実を見ろ」と怒られもするかもしれない。

でも、それでも僕はひりつきたい。



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