第9話 イェジとオルソン

〈1〉



 VCBのゼロ金利と量的緩和が止まらない。

 食料品や衣料品、家賃といった生活に必須なものの価格が千倍になった。

 リッシモンはその様に戦慄する。

 もはやトラックに札を詰め込んで来ても大した額にならないのだ。

 ほとんどがクレジットカードに変わったが、年収一万ドルがせいぜいのヴァルハラの庶民はパンを一斤買うのに一億ドルを必要とするのだ。

 一方で大して需要の無いバイオロイドの価格は横ばいだ。

 子々孫々まで借金をしてパンを買う庶民の金で楽市楽座がバイオロイドを購入する。

 リッシモンはVWCオーナーズクラブを訪れている。

 贅の限りを尽くした室内にはA級のバイオロイドが並べられている。

 その中には事前に名指ししておいたヴィッシュとシルヴァの姿もある。

「お好きなものをお選び下さい」

 低姿勢で楽市楽座の三樹矢が言う。

 常識的に言えば一番強いバイオロイドを買うのが妥当だ。

「ヴィッシュ・クリシュナとシルヴァ・マリア」

 リッシモンが言うとVWCA級特装に身を包んだ少年と少女がやって来る。

 今なら簡単に買えるが最高額のネメス・ギルフォードは売りに出されていない。

 二人の次はレッド・ローハンだ。

「オーナーさんお願いがあんだけど」

 ヴィッシュが声をかけて来る。

 アリアがヴィッシュに怪訝な表情を向ける。

「何だ? チームメイトを選びたいのか?」

「ジェイドを選んで欲しいんだ」

 ジェイドという選手はA級に存在しない。

「お買い得なのか?」

「要領が悪すぎてライダーにはなってないんだ」

 ヴィッシュの言葉にリッシモンは首を傾げる。

「身体能力ではA級、戦闘能力も高い。でも、Dr東條とヴァルハラを憎んでてそれを隠そうとしないから見せしめにされてる」

 シルヴァの言葉にリッシモンは頭を巡らせる。ここでランク外の選手を自分が選んだのでは怪しまれるだろう。 

 どうせなら奇矯な素封家の仮面を貫いた方がいい。

「そうだな、三人目はヴィッシュとシルヴァに選ばせる。どうせならチームメイトは仲がいい方がいい」

 リッシモンはこれ見よがしに言って三樹矢に顔を向ける。

「ジェイドがいい。アイツはとにかく強いんだ」

 ヴィッシュの言葉を受けてVWCオーナーズクラブの役員が選手を検索する。

「ランク外ですが……よろしいですか?」

「折角だ。レッド・ローハンとセットで」

 リッシモンは言う。A級特装の赤い髪をしたレッドが現れ、手足を鎖で繋がれ、ボロ布をまとった少年が追い立てられるようにして連れて来られる。

「俺レッド、コイツはジェイド」

 陽気なレッドが汚れたジェイドの背中を叩く。

「俺はジェイドだ。苗字はまだない」

 昏い目をしたジェイドが言う。

 身体には痣が浮き、ボロ布には血が滲んでいる。

 危うさと鬼気迫るものが同居した印象だ。

「まずはバスタイムだ。食事をして、着替えよう。エクレールはひとまずこの四人で充分だ」

 リッシモンはアリアを含めて五人の少年を連れてVWCオーナーズクラブを後にした。



〈2〉



「エクレールというチームは存在しない。その気があるならデビルキッチンに来い」

 ヴァルハラのホテルでアリアが四人に向かって先輩風を吹かせる。

 話によればこの四人は初期のバイオロイドで、Drシュミットが設計したものだ。

 ジェイドはDrシュミットと弟子のDrゴードンの合作で、身体能力ではネメスをもしのぐのだと言う。

「全員デビルキッチンに行ったら怪しくなるだろ」

 ヴィッシュが誰もが考える事を口にする。

 エクレールはカーニバル予選にも落選したチームだ。

 今季のカーニバル出場も不可能だ。

「ゴードン博士が殺された、俺はVWCを許さない」

 本人が欲しいというので着せたライダースーツのジェイドが言う。

「許せない気持ちは分かる。でもいきなりは無理だ」

 リッシモンが驚愕したのは、買い取られた時ジェイドが手足の鎖を自らの力で引きちぎった事だ。

 アリアと同等のパワーを持っている事に違いは無い。

「で、あたしたちはどうしたらいいの?」

 ベッドに寝そべりながらシルヴァが訊ねて来る。

「海で泳いでもいいし、山で橇をして遊んでもいいし、好きにすればいいよ。もう自由なんだから」

 リッシモンは四人に向かって言う。

「俺たちが出てきて、それでお終いなら兄ちゃんは偽善者だ」

 ヴィッシュが片方しかない瞳を向けて来る。

「偽りでも悪より善の方がいいよ。でも、そう言うからにはヴィッシュには何か考えがあるんだろう?」 

 リッシモンの言葉にヴィッシュがシルヴァに顔を向ける。

「俺たちを試合に出してくれよ。みんなが俺たちを欲しいと思えばみんなヴァルハラから出て来れる」

 恐らく四人で相談したのだろう、レッドが言う。

「分かった。それじゃあ、一仕事終わったら当たってみるよ」

 リッシモンは答えて四人に紅茶を淹れ、ルームサービスのケーキを食べさせる。

 楽市楽座がバイオロイドを落札したら、三樹矢と木戸は裏協定で狂気のインフレを急停止させる。

 更に三樹矢が木戸を裏切って楽市銀行券「円」を発行する。

 エクレールと楽市楽座に餌付けされた木戸は円を取り締まれない。

 と、なれば木戸は楽市銀行とVCBの合併後を見越して自社資本比率を個人で増して合併後の権限強化を目指すだろう。

「兄ちゃん悪い顔してるぞ」

 ヴィッシュの言葉にリッシモンは笑みを向ける。

「凶悪な顔の間違いじゃないのかい?」

 インフレが急停止すればヴァルハラは債務不履行状態に陥る。事実上の政府瓦解だ。

 ――リチャード・岸、どう出る?――



〈3〉



 オルソンはベーグルを焼いてサーモンとアボカドを挟む。

 サラダを作り、オニオンスープにチーズを浮かべる。

 ――朝だしこんなものでいいか……――

 ヴィオネットと会ってから、エイミーにどう別れを告げるべきかずっと考えている。

 オルソンにとってエイミーは負担でしかない。

 本来仕事は自宅でやっていたのだが、エイミーがいたのでは社外秘の仕事はできない。

 どこかに出勤すればいいのだろうが、どうして自分が出ていかなくてはならないのか。

 食事を作ったり掃除をしたりしているうちに、日にちばかりが過ぎていく。

 オルソンはエイミーの部屋をノックする。

「エイミーさん朝ごはんですよ」

 しばらく待ってみるがエイミーは出てこない。

 ドアのノブに手をかけてみると何かで固定されているようだ。

 嫌な予感がして強引にドアを開けようとする。

 ドアの隙間にはドアノブを固定している紐が見える。

 オルソンはキッチンから持ってきた包丁で紐を切る。

「エイミー、入るよ」

 電気の消えた暗い部屋の中にサビ臭い匂いが充満している。

 ――まさか……――

 ソファーの下に血だまりができ、その上でエイミーが横たわっている。

「エイミー!」

 ――……やってしまった!――

 無数の傷の刻まれた手首に深く新しい傷が刻まれている。

 息はまだあるがかなり呼吸は浅くなっている。

 テーブルの上には夥しい量の向精神薬の包装が散らばっている。

 オルソンは端末を立ち上げる。

「自殺です! すぐに救急車を呼んで下さい!」

 オルソンはドアを固定していた紐をエイミーの腕に巻きつけて止血を試みる。

 ――どうしてこんな事になってしまったんだろう――

 エイミーの肌は青白く、意識はかなり前から失われているようだ。

 ――仕事がエイミーの生き甲斐だった――

 それを奪ってしまったのは自分ではないだろうか。

 救急車のサイレンを聞いてオルソンは部屋を出る。救急隊がやってきて自分が倒れたら二次遭難だ。

 オルソンは両手を血で濡らしたままキャンピングカーに向かう。

 やって来た救急隊があけ放たれたドアから家の中に入っていく。

 担架が運び込まれ、点滴をしたエイミーが運び出される。

 救急車が走り出し、オルソンはキャンピングカーでその後をついて走る。

 ――エイミーは無事だろうか?――

 オルソンが発見した時に息はあった。しかし脳に深刻な後遺症が残ったとしたら?

 一生誰かの助けが必要な身体になったとしたら?

 ――一生僕が面倒をみないといけないのか?――

 別れを切り出すつもりだったのに、否、このような事態で自分の事を考える方がどうかしている。

 オルソンはセバスチャンをコールする。

『……オルソンか』

 非友好的な声が端末から聞こえて来る。

「エイミーが自殺しようとした。病院に行って欲しい」

 端末越しに卑屈な笑い声が響いてくる。

『そっか、お前は病院にも入れないもんな』

「発見が遅かったかもしれないんだ。頼む」

 オルソンは救急車を追いながら言う。

『俺はマイスターとしての仕事の口が欲しいんだ』

 ――こんな時に何を……―― 

「君は何を言っているか……」

『俺は本気だ。それに病院に行ったら……』

 セバスチャンの声が暗さを帯びる。

「病院に行ったら何なんだ」

『エイミーから何も聞いてないのか? 聞いてないだろうな。お前はエイミーを避けてたもんな』

「何か知ってるならもったいぶらずに言えばいいだろう」

『エイミー妊娠したんだよ。お前の子をな』

 セバスチャンの声にオルソンは目の前が暗くなるのを感じる。

 ――エイミーが妊娠?――

 セバスチャンが嘘をついている可能性は?

『チャンスじゃないのか? エイミーが気付かないうちに堕ろしちまえばお前は自由だ』

 セバスチャンの言葉にオルソンの心が揺れる。

 エイミーの性格を考えるなら堕ろす気なら妊娠が分かった時にすぐに行動に移していたはずだ。

 ――それをしなかったのは……―― 

『俺が父親だって事にしといてやる。母体が心配だから堕ろすって言えば医者も止めないさ。まぁ、俺もへその緒くらいは保険に持たせてもらうけどな』

 エイミーの意志はどうなる……

 でも僕に父親になる事もできない。

『お前の所が無理ならいい所を紹介してくれよ。お前が孕ませてエイミーが自殺した事は黙っといてやるよ』

 無性にイェジの声が聞きたい。

 イェジなら何と言うだろうか?

 イェジなら……

「断る。お前が病院に行く必要はない」

 言ってオルソンは通信を切る。汚い取り引きに関わるべきではない。

 弱みを握られたら一生強請られるかも知れない。

 ――でもどうすれば……――

 エイミーの親族が来て責任を取れと言ったら?

 エイミーの意識が戻らず意思確認ができない事態に陥ったら?

 オルソンの頬を涙が伝う。エイミーを思ってではない。

 利己的な自分の為に自分が泣いているのだ。

 ――デリカシーのないオジサン……――

 バスチエならデリカシーの無さで何とかしてくれるかもしれない。

 ――僕は……最低の人間だ――

 オルソンはバスチエをコールする。

 この際ウロボロスからの報酬は手放してもいい。

 ――エイミーの親族をそれなりに納得させ、子供を堕ろさせる為に――



 〈4〉



 深夜の病院の駐車場、オルソンのキャンピングカーに疲れた様子のバスチエが入って来る。

「エイミーが意識を取り戻すかどうかは五分五分って所だそうだ。何でも失血で脳に血が行っていなかったそうでな。身体にも後遺症が残る可能性があるんだそうだ」

 バスチエがキャンピングカーのソファーにもたれて言う。

「……そう……ですか」 

 オルソンはハンドルに突っ伏したまま言う。

「一応だ。エイミーに病気があった事は親御さんも知ってたし、それなりの額は包んで来た。自殺についちゃ半分カタはついたようなもんだ」

 バスチエの言葉にオルソンは内心でホッとする。

「でも子供についちゃあ……最悪の場合でも向こうの親御さんが孫を育てたいって話でな。お前の親権がどうこうって話にゃならんだろうが……エイミーが意識を取り戻した時に子供がいると厄介じゃねぇかと」

 本来自分で解決しなければならない問題ではあるが、オルソンはバスチエの言葉に不安を感じる。

 エイミーが無事でオルソンに認知を求めた場合。

 慰謝料と養育費で済むだろうか。

 ――こんな時にこんな事で悩む僕は……――

「いざって時は弁護士を雇やいいだけの話だ。お前にゃ金があるんだしな」

 バスチエの言葉にオルソンは驚きを感じる。

 こんな問題を起こしたのに怒っていないのだろうか。

「……僕は……問題を起こしすぎですよね。どうして助けてくれるんです?」

「俺は形の上だけでもお前の雇用主だ。それにお前、病院に来なかっただろ?」

「発作を起こすのが目に見えてますから」

 病院のように人の多い所に行ったら発作を起こす事になる。

 ただ自分を傷つける事になるだけで何の生産性もない。

「お前、イェジが役員会に来た時は血相変えて来たよな。結局そういう事なんじゃねぇのか?」

 あの時は無我夢中だった。イェジがエイミーを止めるのは不可能に近かった。

 自分が盾にならなければ、自分が立たなければと思った。

 ――結局発作を起こしたんだけど――

 でも、エイミーが救急車で運ばれる時、自分はキャンピングカーにいたし、今もキャンピングカーにいる。

 病院に行ったとしても発作を起こすだけで無意味な行動だ。

 でも同じだけの理性がイェジの時にあっただろうか。

 ――エイミーの事はきちんとケリをつけないと――

 このままではイェジに向き合う事もできない。

 エイミーが意識を取り戻して、できるなら無事であってくれればいい。

 そうでなければオルソンは最後の行動の機会を失ってしまうだろう。



〈5〉



 空を飛ぶのは慣れそうにない。

 へウォンはクリスチャンのコクピットのタンデムシートに座りながらアルカディアの街の上を飛んでいる。

 アルカディアの技術は現代の技術では解明できない。

 大勢の科学者を投入すれば解明できる部分もあるのかも知れない。

 しかし、大平原以外からの入口はグランダルメとガリィのコクピットにしかないのだ。

「会長、どうしてグランダルメのコクピットからアルカディアに来れるんですか?」

「量子転送装置というものです。詳しい事は私には分かりません」

「すごく便利な気がするんですが私たちには自由に使えないんですね」

 へウォンは言う。こんな技術があるなら、世界を移動するのに電車や車で何日もかける必要がない。

「悪用されると危険だからでしょう。銀行強盗だって簡単にできてしまいます」

 確かに瞬間移動ができるなら悪意がある者なら社会に大きな害をもたらすだろう。

「でも、アルカディアでは普通に使われていた技術という事なんですよね?」

「普通ではないかもしれません。アルカディアからの移動もグランダルメに帰るだけになりますし。トンネルのように行先が決まっているからできる事なのでしょう」

 クリスチャンの言葉にへウォンは半分ほど納得する。

 コクピットが公文書館の前に着陸する。

「それにしても会長、どうして私をここに連れて来るんですか? 学者は呼ばないんですか?」

「私のコクピットに赤の他人を乗せろと言うんですか?」

 気分を害した様子でクリスチャンが言う。

「あ、いえ。科学者は陸路だから時間がかかると思っただけです」

「人の心には旅行を楽しむ余裕が必要です」

 どことなく嫌味に聞こえるのは気のせいだろうか。

 人気のない公文書館の中を歩いていると、向こう側から長身の女性が歩いて来た。

 華やかな印象のグラマラスな女性が記憶の通りならフレートライナーのエース、カーラ・アーシェスだ。

「クリスチャン、何日ぶり?」

「ごきげんようカーラ。半年ぶりですよ」

 クリスチャンが親し気な様子で言う。

「あんたは歳を食ったねぇ」

「あなたが寝ている間働いていますから」

 へウォンには二人の会話の意味が分からない。

「随分若い子を連れてるじゃないか。どういう心境の変化だい?」

「余計な事を言うと口に針を詰めて縫い合わせますよ」

 クリスチャンが言うとカーラが笑い声を上げる。

「カーラさんの方がお若くないですか?」

 へウォンが言うとクリスチャンが眉間に皺を寄せる。

「カーラは必要な時以外はコールドスリープで寝ているので歳を食わないのです」

「悔しいだろう?」

 カーラの言葉にクリスチャンが舌打ちする。

「ヘクターが現れるまでの約束です」

「ヘクターってヘクター・ケッセルリンクですか? 死んだって話でしたよね?」

 へウォンは訊ねる。リチャード・岸がメルキオルを使って殺したという話では無かっただろうか。

「三大ランナーの中では歴代のライダーが生きているという話をしましたよね? 現在のグランダルメのUIは最後のライダーであるヘクターなんです。しかも起動履歴もあるんです」

「じゃあ生きていて話もできるって事ですか?」

「グランダルメに選ばれたライダーがグランダルメに乗っていればその可能性があります。しかし、それがどこの誰なのかが分からないのです」

 クリスチャンが説明する。

「カーラさんがヘクターが現れるまで寝ているって話は?」

「私がヘクターの妻だからだよ」

 カーラの言葉にへウォンは驚きを感じる。カーラは夫の為に歳を取る事をやめて眠りにつき、夫の親友たちは彼を探し続けているという事なのだろうか。

 ――ヘクターってよっぽど慕われてたんだ―― 

 岸と決裂したというのはその辺りにも理由があるのかもしれない。

「クリスチャン、あんたも歳を食いたくないって気持ちが分かってきたんじゃないのかい?」

「大きなお世話です。実験大失敗でその長い髪をチリチリにしますよ」

 クリスチャンが言うとカーラが肩を竦める。

「まぁいいさ。お嬢ちゃんはこいつとはどういう関係なんだい?」

「私はカン・へウォンと言います。会社とWRAを任されています」

 へウォンが言うとカーラが笑い声を立てる。

「へぇ~この自己中心的で神経質な人間が全部任せたって訳かい。へウォン、こいつは意外と奥手だからその気があるなら押さなきゃ駄目だよ」

 言ってカーラが去っていく。

「カーラはコールドスリープで脳がしもやけになっているのです。気の毒な話です」

 カーラの背を見ながら咳払いしたクリスチャンが言う。

「カーラさんとは友達だったんですか?」

「同門です。オーレリアンと私とカーラはヘクターの弟子でした。奥義を教わる前にヘクターが死んでしまったので最後は三人とも自己流になってしまいました」   

 天衣星辰剣のリーダーであるクリスチャンが自己流というのは初耳だ。 

「剣術に本当に奥義なんてものがあるんですか?」

 へウォンは訊ねてみる。人体という限界がある以上奥義と言っても特別という程の事ではないはずだ。

「剣術の奥義とは異なるかもしれません。星の怒り、竜声剣をその身に宿すという方が正確かも知れません」

「星の怒りというと以前話していた高収束プラズマとかいうものですか?」

 それがヴァルハラと衝突して星が焼野原になりかけたのではなかったか。

「それに似たものです。どうして人体がそれを使えるのかは分かりません」

「ヘクターはそれを使って岸をどうにかしようとは思わなかったのですか?」

「ヘクターの下にいた頃は岸はそれでも大人しかったのです。それに竜声剣は究極の力です。使えるという事すら一般の人に知られてはならないのです」

 クリスチャンが言う。

 確かに個人が惑星を焼野原にできる力があるのだとしたら、本人にその気がなくても恐怖の独裁者になってしまうかもしれない。

 ――ひょっとして岸はヴァルハラ側の……――

 そう考えると納得が行く。ヴァルハラ側にも同じ力があり、岸がそれを使えるのだとしたら圧倒的なカリスマというだけではない事になる。

「へウォン、何を考えているのです?」

「いえ。岸もそれと同じものを使えたのではないかと」

 へウォンが言うとクリスチャンが思案顔になる。

「だとしてもヘクターが死んだ後でしょう。ヘクターはヴァルハラとの接触を許しませんでしたから」

 ヘクターの死後、岸は暴走を開始した。

 金や暴力や法や権力、それらの裏付けがその力だとするならヴァルハラの価値観の急激な拡大にも一定説明がつくのではないだろうか。

 ――でもそれが分かった所で現状の追認にしかならないか――

「会長は昔の事を見て来たようにお話になられますね」

「もうすぐ50才のオジサンなのです。老兵は去り行くのみです」

 クリスチャンの言葉にへウォンは驚きを感じる。年齢不詳だが、見た目では二十代とも三十代とも言える姿だ。

 想像を絶する苦労をして美貌を保っているという事なのだろうか。

「老兵は去り行くのみって、会長は若いですよ」

「残念ながら消費期限は過ぎているのです」

 いつになく弱気な様子でクリスチャンが言う。

 コールドスリープしていたカーラと会った事でナイーブになっているのだろうか。

「会長が何歳でも私には関係ありません。私が会長を好きになったのは歳が半分の時からですから」

「私はへウォンのお父さんのようなものですね」

「十代の子は父親を見て推しが尊いとは思わないですよ。私は会長がいるから十代の頃と同じ気持ちでいられるんです」

 へウォンが言うとクリスチャンが顔を背ける。

「年寄りをからかうものではありません」

 クリスチャンが拗ねた口調で言う。

 ――会長が可愛い―― 

 完璧な美貌だからそう思うのかも知れないが、自分の年齢を気にするクリスチャンというのは新鮮だ。

 ――会長にもそれなりに悩みがあるんだ――

 岸やヘクターや星の事を心配していたかと思えば……

 ――自分の年齢を気にしていたりして――

「会長が100才の頃には私も80才のおばあさんですよ」

 へウォンが言うとクリスチャンが頭を振って速足で歩き出す。

「大言壮語をするのであればあなたも80を過ぎても今の美貌を失わないで下さい」

「会長は今の倍の時間が過ぎても老けないんですか?」

「老けません」

 きっぱりとした口調でクリスチャンが言う。

「何故なら老けたクリスチャン・シュヴァリエはもうクリスチャン・シュヴァリエではないからです」

 さっきまで自分の年齢を気に病んでいたとは思えない断言っぷりだ。

 ――この徹底した美学がクリスチャンなんだよなぁ――

 へウォンは小走りでクリスチャンに追いつく。

 こんな人物を推しに持てた自分は幸せな人間なのだろう。



〈6〉



 リッシモンは元VCB議長のステラ・ヴァン・パーレスの設立したヴァルハラの投資銀行を訪れている。

 ヴァルハラのドルに対抗して楽市銀行は円を発行した。

 このまま推移すればドルと円の価値は入れ替わる。

 その時、ヴァルハラにはハイパーインフレ以上の社会の混乱が生じるだろう。

「VCBはどうして利上げや財政規律の引き締めを行わないんだ?」

「岸には意見するだけ無駄だからでしょう。逆らった所で命を無駄にするだけです」

 防壁を張り巡らせた情報室でジョナサン・パーカーというヨークスター出身の男が端末を叩きながら言う。

 ジョナサンは元々VCBの出身でステラの部下でもあった人物だ。

「僕はVCBと楽市銀行の合併に乗じて有能な人材を引き抜き、可能であれば事業もまとめてヴァルハラの外に移動させたい」

 リッシモンの言葉にジョナサンが軽く顎を摘まむ。

「今のVCBなら人材を引き抜く事は可能ですね。ロベールが言いたいのは合併した新銀行に爆弾を仕掛けておきたいという事でしょう?」

「動きを見る限り新銀行の為に木戸が楽市銀行の資本比率を上げている。楽市銀行がVCBと合併したら資本比率は岸を超えて二位に浮上する可能性がある」

 リッシモンはデータを表示する。

 岸は気づいているか分からないが木戸は持てるコネクションを全て使って買収に走っている。

「ロベールは気づいているかどうか……楽市がドルの暴落を仕掛けるタイミングで両者は最期の買い増しを行う。今ここでドルを売っておいたらどうでしょう?」

 ジョナサンが提案する。

「どういう事だ?」

「信用売りです。今はまだドルが円に対して僅かながら高い。楽市銀行と木戸はチキンレースをしていますから、今は僅かでもドルが欲しい、と、言うのも競っている以上暴落後に買い増しすれば一気に値上がりします。役員や理事の権利を守る為に銀行の資本金は無制限に積み上げる事ができませんから、この金額は楽市銀行と木戸の折衝になるでしょう。その限られたパイを奪うには高い今が好機なのです」

「良く分からないな。今高くて、安くなって、また高くなるんだろう? で、安い時に買えば競争になってすぐに値上がりするから僕たちは勝てない」

「そう、その通り。だからXデーに返すという制約付きで今高い状態のドルを買うんです。そのドルで円を買う。今はドルに対して円の方が安いから多くの円を手に入れる事ができます。Xデーには円の方が高くなっているので、安いドルを買って返せば差額が懐に入る事になります」

 ジョナサンが説明する。

「で、その円を使って楽市銀行を買収しておくと」

 リッシモンは頭を働かせる。中央銀行であるVCBはドル建てだ。これは岸が実権を握る為にしている事だ。

 楽市銀行の裏付けはグルメロワーヌの食料で資本金は円だ。

 楽市銀行は円を発行しながら、VCB買収の為に大量のドルを集めている。

 そしてドル暴落の直後、ドルの買い増しで円を放出する楽市銀行はもっとも脆い状態となる。

「仮に楽市銀行とVCBが合併する場合、エクレールが楽市銀行の筆頭になってしまえば岸と木戸は合流しなければ対抗できなくなる。ですが岸と木戸は互いの動きを知らない。そこで他の出資者を楽市に合流させます」

 岸と木戸は互いに自分が新生VCBの筆頭だと思っているだろう。

 その隙をついて多数派工作を行うという事だ。

「それには幾ら必要なんだ?」

「今はハイパーインフレなので確かな金額は分かりません。ただ、楽市銀行として26%を保有すれば勝機は大きくなります」

「何故26%なんだ?」

 リッシモンは訊ねる。合流するなら出資者に出資金を求めればいい。

「ヴァルハラには派閥の論理という独自のロジックが存在します。26%を保有すれば残りの74%を説得する時に、残り25%で過半数だと説得できるというものです。明らかに感情論で数の暴力ですが、実際ヴァルハラの社会の権利の多くは26%の保有で左右されています」

「74%は連合すると思わないのか?」

 数の暴力がまかり通るなら、まだまとまっていない方をまとめた方が大きな力になる。

 更に大きな力を削ぐ事で強権を振るわせないという抑止力にもなる。

「ヴァルハラには長いものには巻かれろというロジックがあります。力の強い者には逆らわずに従い、その力を背景に弱い者に対して力を振るうという考え方です」

 リッシモンにとっては反吐の出そうなシステムだが、ジョナサンの理論でヴァルハラの人間の動きを説明できるのも事実だ。

「彼らは臨機応変と表現する事もあります」

「傾向は分かった。26%を掌握したとして、残りの説得はどうする? 僕だと口喧嘩になりかねないけど」

 リッシモンは言う。

「世論を味方に付ける。ルクレールが人気アニメやドラマの続編のスポンサーになればいいんです。ヴァルハラでは人気アニメというのは放映前に決まっていますから、特に内容や出来を気にする必要はありません」

「その……アニメは放映される前に売れるかどうかが分かっているのか?」

「一種の情報操作ですね。大作映画で言うと、人気の監督と脚本家と役者を揃えたら話題になるでしょう? ヴァルハラではその傾向が極端に強いんです」

「即席で作った所で面白くなければ途中で飽きられるだろう?」

「それが逆なんです。我々は五年かかっても良いものが出来れば高く評価する。しかしヴァルハラでは出来が悪くても、次の四半期後には別のアニメやドラマがやっているので過ぎた事は忘れられます。むしろ、出来が悪い方がドリームチームにもう一度やって欲しいと人気が出るんです。作品よりそれを作る側に権威を感じるとでも言うべきでしょう」

 不思議な話だがヴァルハラで長く働いているジョナサンが言うのだからそうなのだろう。

「で、エクレールは信用売りをして……アニメを作ればいいのか?」

 端的に言えばそういう事になるだろう。ドラマはともかくアニメはウロボロスに頼んでも首を縦に振ろうとはしないだろう。

「後は年端も行かない子供を集めてアイドルだと言って宣伝に使えば更に効果は大きくなります。スキルやルックスは優れているものよりそこそこの方が人気が出ます」

 ジョナサンが淡々とした口調で言う。

 ジョナサンにヴァルハラ担当の仕事をしてもらえば物事がスムーズに進むかもしれない。

 どちらにしてもヴァルハラのカルチャーはリッシモンの理解を超えている。

「ジョナサン、ロワーヌ天后の黒鉄屋で働いてみる気はないかい? マネージメントを君に任せたい。君が最高責任者でも構わない」

「渡りに船です。黒鉄屋と言えばグルメロワーヌの外貨運用部門ですよね? ヴァルハラ育ちの腕を見せてやりますよ」

 ジョナサンがリッシモンより細い腕で力こぶを作って見せる。

 今後この件についてはヴァルハラの事はジョナサンに一任した方がいいだろう。

 ――これで黒鉄衆の財政問題も心配しなくて済むか――

 雰囲気が似ている部分もあるし、黒鉄衆はヴァルハラでも人気が出る事だろう。



〈7〉



 寮に戻ったオルソンはキッチンの中で立ち尽くしている。

 エイミーが自殺を図った新居には足が震えて立ち入る事さえできなくなった。

 オルソンはキッチンの包丁に目を向ける。

 血の流れ出すエイミーの腕と部屋の血だまりがフラッシュバックする。

 空腹だと言うのに料理ができないばかりか吐き気が込み上げて来る。

 シンクに身を乗り出すと黄色く濁った液体が吐き出される。

 体中がだるく、腕にも足にも力が入らない。

 オルソンはキッチンのシンクにもたれて座り込む。

 エイミーの意識は戻っておらず会う事もできない。

 ――どうしてエイミーは自殺なんか……――

 仕事をさせなかったのがそれほど苦痛だったのか。

 それとも他に無意識に傷つける事があったのだろうか。

「オルソン?」

 練習上がりらしいイェジが声をかけてくる。

 オルソンは涙が込み上げるのを感じる。前にイェジと話をしたのがなぜか遠い日の事のように思える。

「オルソン、泣いてるの?」

 オルソンの向かいにイェジが腰かける。

「……エイミーが自殺した。未遂だった」

 何故、どうして。病気があったのは事実だった。

 ――僕はそれを考慮しながら生きなきゃいけなかったのか?―― 

 分からない。

「エイミーさん、自殺したんだ……」

「現場には薬が散らばってて……僕は彼女が病気だって事を知っていたはずなのに」

 病気の人間同士が生きるという事を甘くみていたのだろうか。

 ――そもそもエイミーを好きだった訳でもないのに――

「病気だから自殺したんじゃないの? それってオルソンの責任なの?」

「エイミーといる事を選んでしまった僕の責任だ」

 そうなのだ。エイミーを突き放していればこんな事にはなっていない。

 中途半端な態度を取り続けた自分に責任があるのだ。

「エイミーさん生きてて良かったじゃん」

「意識不明で……僕の子供がいる」

 オルソンの言葉にイェジの表情が硬直する。

「……その……オルソンはどうしたいの」

「堕ろして欲しかったよ……でもエイミーはもう意識が戻らないかも知れなくて……ご両親は孫まで奪うなって」

 言っていてオルソンは絶望的な気分になる。

 バスチエが自殺については金銭でかたをつけてくれた。

 しかし、子供についてはエイミーの両親が納得していない。

「エイミーの意識がこのまま戻らなくて、子供が成長した時父親は? って事になったら……僕は……」

 自分が幸せになったとして、それを見たら子供はどう思うだろうか?

 その子供に対してオルソンは責任があるのか?

「ごめんオルソン。私、何て言っていいか分かんないや」

「いいんだ。僕にも何をどうしていいのかさっぱり分からない」

 バスチエが一応の解決はしてくれている。しかし道義的な責任から逃れられた訳ではない。

 しかも子供という禍根が残ってしまっているのだ。

 エイミーが意識を取り戻して子供を育てると主張し、オルソンに認知を求めたら?

 慰謝料と養育費だけ払えば済む問題なのか? エイミーに深刻な後遺症が残っていたら?

「ごめん。オルソン。私行くわ。馬鹿で役に立てなくてごめん」

 イェジが去っていく。

 ――僕にできる事って何だ?――

 深夜に病院に潜入してエイミーに会ったとしてどうなる?

 問題は全てバスチエに任せて自分は見なかった事にして生きていけばいいのか?

 立ち上がりかけて包丁が目に入る。

 胃袋がゴム手袋で握られたようになって膝が砕けて床に倒れこむ。

 包丁は、料理はオルソンの良き相棒、気分転換であったはずだ。

 ――それもできない――

 オルソンは床に倒れこんだままただ時が過ぎるのを感じていた。



〈8〉



 深夜のピザ屋に呼び出されたファビオは九割の悪い予感と一割の恋愛感情だけで足を運んでいる。

 待つこと一時間、顔色の悪いイェジがやって来る。

「待った?」

「一時間待った」

 ファビオはメニューを開きながら言う。

「パイナップルと焼き肉」 

 顔色が悪くても食欲だけはあるのかイェジが言う。

 注文した炭酸ジュースが運ばれてくる。

「エイミーが自殺したんだって」

 唐突なイェジの言葉にファビオは面食らう。イェジの話では厚顔無恥な泥棒猫だったのではないだろうか?

「でも未遂でお腹にオルソンの子供がいるんだって」

 それを自分に聞かせて一体どうしろと言うのだろうか?

 オルソンの立場なら恋愛感情がないなら何とかして中絶させたいだろう。

「エイミーは意識不明で、ご両親が孫まで奪う気かってご立腹らしいのよ」

 ファビオなら手切れ金を渡して処理するだろう。

 一方的に押しかけて自殺するような女と一緒に生きていくなどまっぴらだ。

 問題は子供だが、相手の両親が面倒をみると言っているならそれでいいではないか。

 示談にする時にそれなりの文言を盛り込めば済む事だ。

「そもそも自殺の原因は何なんだ?」

 ファビオはイェジに訊ねる。オルソンの態度がつれないという事が原因ならエイミーの一方的な片思いという事になる。

「分かんない」

 イェジが運ばれてきたパイナップルのピザと焼肉のピザをくっつけて頬張る。

「そこ一番重要だろ。遺書とかなかったのか?」

「知らない」

 イェジがピザを炭酸で流し込みながら言う。

「遺書がねぇって事は衝動的だったって事だろ? 事故みてぇなモンじゃねぇのか?」

 そうなれば問題は子供だけという事になる。

「薬が散らかってどうのこうのって」

 イェジがピザをもりもり食べながら言う。

 客観的に見るなら妊娠していたエイミーは何らかの理由で薬物の過剰摂取を行って錯乱状態に陥った。 

 その前後不覚の状態で自殺未遂をして意識が戻らない。

 薬の過剰摂取が元からの事であるなら本人の責任が大きい。

 ――子供ができた事を相談できてないってのもな――

 オルソンとエイミーは一緒に暮らしていても相当の距離感があったという事だろう。

「それってよ。子供の問題さえ無けりゃ、病人が見境なく薬飲んで、衝動的に自殺したって事だろ? 別に誰が悪いとかそういう問題じゃねぇんじゃねぇの?」

「……う~ん。オルソンすごく悩んでてて気分悪そうだったし」

「目の前で自殺してる人見て平気なヤツの方が気持ち悪ぃよ」

「子供がいるって事はやる事はやったって事よね?」

「他にどういう解釈があるんだよ」

 一夜の過ちかも知れないし肉体だけの関係だったのかもしれない。

 オルソンにその気があったなら、何としてもエイミーの傍にいようとしただろうから、オルソンに強い恋愛感情があった訳ではないだろう。

 と、なると以前のエイミーの押しかけ妻話の延長で、一方的にエイミーが押しかけていたという事になる。

「何とも思ってない人とできるのかなぁ~って」

「聖人君子じゃねぇんだ。状況次第って事はあるだろ」

「ファビオもそういうとこあるんだ」

「お前は正式にオルソンと付き合ってたのか? それでオルソンがエイミーと関係持ったなら浮気になるだろうけど、お前とオルソンは付き合ってた訳じゃねぇんだろ? フリーの男がたまたまフラッとしちまった事を責められる立場か?」

「ファビオだったらどうなのかって話」

「今の俺はフリーだし。状況次第って所はあるんじゃねぇの? 付き合ってみたら案外相性がいいって可能性だってあんだし。問題の大本はオルソンが避妊をしなかったって事じゃねぇのか?」 

 妊娠問題の大本はそこだ。恐らくオルソンはそんな事を考えもしなかったのだろう。

 仮にエイミーが避妊の必要はないと言ったなら100%オルソンが悪いという話にはならない。

 ――これって結局オルソンがガキだったって話だろ―― 

「オルソンの責任って事か……」

「普通なら人生勉強で済む所なんだろうな。オルソンだって相応に金も払うんだろうし。エイミーの両親が孫がどうこう言い出さなけりゃこじれてねぇ問題でもある訳だろ? それってもうオルソンの手を離れてる問題なんじゃねぇの?」

 エイミーの両親と何らかの交渉ができているなら、相応の決着はついているという事だろう。

 ウロボロスも馬鹿ではない。所属しているマイスターの不祥事を片付けるために動いてはいるだろう。

 ――結局はオルソンがどう考えているかだけなんだろうな―― 

 そもそも恋愛感情がなかったとしてそれで同居をOKしたならオルソンの自業自得だろう。

「済んだ問題って事なのか……」

 どこか釈然としない様子でピザを食べながらイェジが言う。

 炭酸が減っているのを見てファビオは追加で注文する。

「本人がカタをつけてないんだとしたら、それで終わった実感ってヤツがねぇんだろうな」

「オルソンは病院みたいに人が多い所には入れないと思う」

 イェジがピザをもりもりと食べながら言う。

 ファビオはピザはトマトソースの方が好きだ。イェジが幾ら好きでもパイナップルと焼肉は邪道だと思う。

「じゃあ会社が話をつけたって事だろ? 会社に丸投げしといて悩む方が迷惑なんじゃねぇの」

「オルソンは心が優しくて繊細なんだよ」

「俺は利己的な人間だけどオルソンほど他人に迷惑をかけて生きてねぇ」

 ファビオが言うとイェジが悔しそうな表情を浮かべてピザを噛む。

 イェジはオルソンの何がそんなにいいと言うのだろうか。

「オルソンって迷惑かけてるのかな?」

「俺にはかかってるよ。夜中にいきなり呼び出されて一時間待たされて一言目も二言目もオルソンだからな。俺みてぇに心の広い人間はそういるモンじゃねぇぞ」

「ファビオは呼んだら来るじゃん?」

 イェジの言葉にファビオは一瞬言葉を失う。イェジは愚痴を聞いてくれるタクシーだとでも思っているのだろうか。

 席を立って帰りたくなるが、それをしてしまったらイェジと同じだ。

「俺は大人なんだよ」

 やせ我慢も我慢のうちだ。

 ――いつかイェジにも俺の良さが分かるはず……はずだ―― 

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