第8話 リベルタ共和国構想
〈1〉
ウロボロスエンターテイメント社長カン・へウォンは社長室で内心で溜息をついている。
WRA理事会でへウォンのWRA総裁が認められたとクリスチャンからメールがあった。
――WRAがあまりにもあんまりすぎる――
WRAの前総裁はクリスチャンだ。理事はといえば名門と言われるチームの古参のライダーばかり、言ってしまえば脳筋集団で特に何か考えを持っていたようには思えない。
そもそもWRAの日常の業務は警察からのアウトソーシングだ。
組織としてよりランクの高いライダーの方が権威がある事になっているのだから、カーニバルライダーが理事をつとめるのはそれはそれで理に適っている。
――それも50年前に岸がヴァルハラと接触する前までの話よね――
世界は平和でWRAは警察のアウトソーシングと言ってもランナー免許の発行や大会の許認可、カーニバルの運営くらいしていれば良かった。
それがヴァルハラと岸の登場で世界は一変した。
それまで徳と愛という二つしかなかった法では捌き切れない様々な犯罪が発生するようになり、犯罪者の種類も数もそれだけ増えていった。
それを取り締まるべくWRAの役割と権限は拡大されていったが、現状ではWRAの職員たちが時代の変化に追いついていない。
WRAが基本的に州単位で存在していたという事情も大きい。
全体を管轄する中央組織があれば幾らかは違っていたのだろうが、それぞれが独自の基準と組織で動いていたために各州が抱える問題を共有できなかったのだ。
ヨークスターのように治安の悪いエリアもあればロワーヌ天后や大韓六合のように平和なエリアも存在する。
――危機が共有されていなかったのも問題だった――
現在グロリー、アルザス、ヨークスターのWRAは警察権をはく奪され、完全にランナーの免許とランナバウトの許認可だけの組織になっている。
これら三国がクロワのようにWRAを追い出してしまわないのは、ランナバウトやカーニバルをやりたいという欲があるからだろう。
この三国にヴァルハラを加えてフリーダムでカーニバルもどきをやったとしても有名なチームはラグナロクとシューティングスターくらいなもので全く盛り上がらないのは明白だ。
――都合のいい所だけこっちを利用しようとするんだから――
何はともあれWRAを統括運営する中央組織を作らなくてはならない。
これまでのように州単位で動いていたのではどうにもならない。
警察権をはく奪されたグロリー、アルザス、ヨークスターにもいつまでもライダーを張り付かせておく必要はないだろう。
三か国のライダーは治安の悪化が深刻なサンタマージョ白虎に配属すべきだ。
流入する難民にも管理番号を振り、支給する物資にも管理番号をつけて出入国と物資の流れを徹底管理しなければならない。
当然抜け道を探す人間は出て来るだろうが、割に合わない商売になれば多くの人は手を引くのだし、細かな抜け道を一々潰すほどの余力はWRAには存在しない。
一度フリーダムに帰国した難民は再入国を認めない、物資の配布は個人番号に紐づけ越境を許さない。
これだけでも偽装難民を相当数弾く事ができるはずだ。
後は違反者の処遇についてだ。これまではクロワが聞き取りをして相応しい社会奉仕活動や場合によってはカウンセリングを義務付けていた。
しかし偽装難民、転売を行う者の数は膨大だ。
従来の法執行官であるクロワで捌き切れる数ではないし、彼らが再犯を繰り返す可能性は大きい。
へウォンは雑にファイリングされているWRAのデータを確認する。
――黒鉄衆――
ヴァルハラ以前、殺人を厭わない惑星唯一の集団。
彼らに犯罪者の管理を行わせる事はできないだろうか?
そもそも手に負えない犯罪者を断罪する為の集団であったはずで、現在ではそのような犯罪が跋扈し始めているのだ。
犯罪者に対してはフェーデアルカの法を用いるのが最も正しい方法だが、それが追いつかないなら劇薬を使用するしかない。
――忌島沖に犯罪者だけを集めた絶海の人工島を作る――
偽装難民はその建設に従事させ、そこから出る事を許さない。
善意の物資を転売するような輩には墓穴を掘らせて蹴落とすのが適切な対応というものだ。
――そうなると黒鉄衆だけではマンパワーが足りなくなるわね――
VWCはバイオロイドに殺しを教えて組織化しているのだし、WRAには従来の治安維持部隊を超えた力が必要になる。
WRA治安維持特殊部隊SMS(Security Maintenance Specialforce)の創設。
――まずは全支部に正確なデータを提出させないと……――
現役で活動可能なライダーは何名いるのか? 大会やカーニバルの収支はどうなっているのか? 年金受給のライダーは何名か? 共済組合の収支は健全なのか?
へウォンは仕事量の多さに眩暈を感じる。
いずれにしても信頼できるメンバーでWRA本部を立ち上げなければならない。
――信頼できるかどうか分からないけど……――
2.0に参加した企業のトップたちなら理事としての資格は充分であるはずだ。
そこから人材をリクルートするのであれば相応の組織を作る事も相応の資金を集める事もできるはずだった。
〈2〉
ミチエーリ玄武グランプリ参加の有力チームはホウライ、キングダム、ジュラシックス、ドラゴン、黒鉄衆だ。
ソ・ミニョンはメインスタジアムのVIPルームで開会式を眺めている。
全天候型のスタジアムでなかったらダウンを重ねて着ていても厳しい寒さだろう。
「いよいよね」
ブラッドがオペラグラスを手に言う。
開会式が終わり、ドラゴンの出る第一試合までの会場の整備時間。
それがサイクロンが購入できた枠の一つだった。
長い開会式に飽きて途中で見るのを止めた観客もいるだろうし、開会式が終わってトイレに立つ観客もいるだろう。
しかしまとまった時間でそれなりに観客もいる時間となると後は三位決定戦と決勝戦の間の時間しかない。
「ランナバウトの客の全部を掴もうなんて最初から思ってないわ」
メインスタジアムが暗転し、フィールドの中央の2本のランウェイが照らし出される。
スクリーンにスポーツブランドAddrasのアウターを羽織ったモデル風の女性たちの姿が映し出される。
迷宮少年のアルバム曲が流れ、観客たちが何事かと思う間にも二組の女性がランウェイをモデル歩きで歩いていく。
ファッションショーが始まったのだと言っても誰も疑わないだろう。
当然ながらファッションショーであるのは事実でAddrasとのタイアップ企画でもある。
スポットライトが一斉に向けられランウェイの先にリングが現れる。
ジェーン、アグネス組とスジン、キャサリン組が颯爽とリングに上がる。
光と音楽が乱舞し、観客のボルテージを高める。
『Addras&サイクロンプレゼンツ! スペシャルエキシビジョンマッチ!』
アナウンスが流れ、巨大スクリーンに四人の姿が交互に映し出される。
『It´s SHOWTIME!』
ゴングが鳴り響いて激しいビートが会場に響く。
アナウンサーはプロレス実況ではなく、敢えてDJを使っている。
激しく華麗なステージがリングの上で繰り広げられる。
改めて見ると大技が連続で繰り出される様は人間技とは思えない。
観客がある者は呆然と、ある者は食い入るようにリングを眺める。
これからランナバウトを見ようとしていた観客に激しい肉体同士のぶつかり合いは刺激になるだろう。
あっという間に十分のステージが終わる。
『The show is over! サイクロンとAddrasの提供でお送りしました! Thank you!』
観客席からの大歓声を受けながら四人のレスラーが疲れを見せずに、打合せ通り手を振ったり投げキスをしたりしながらランウェイを引き返していく。
「盛り上がったんじゃない?」
ブラッドの言葉にミニョンは頷く。
パフォーマンスも良ければカメラワークもDJも完璧だった。ミチエーリのSNSでは検索上位にサイクロンが上がっている。
――ロビンの入門先にサイクロンを選んだのは正解だった――
これでサイクロン単体でもウロボロスエンターテイメントの傘下としてやっていけるだろう。
〈3〉
オルソンは自室の床に掃除機をかけている。ソファーではエイミーが動画を観ている。
――今日の昼食は何を作ったらいいんだろう?――
エイミーは何を食べたいのだろうか? 聞いたら主体性がない人間だと思われやしないだろうか? 決断力がないと思われるかもしれないし優柔不断だと思われるかもしれない。
しかし勝手に決めて身勝手で自己中心的な男だと認定されたらどうするのか?
幾つか案を出してそこから選択してもらうべきだろうか。
選択制というのは中々に良いアイデアのように思える。ではどんな選択肢を設けるべきだろうか?
刺身とチキンとピザとカレーのどれかを選択させるのだとしたら?
候補が散らばりすぎていて分裂気味の男だと思われはしないだろうか?
八宝菜と干焼蝦仁と回鍋肉と青椒肉絲と麻婆豆腐と酢豚から選んでもらうのはどうだろうか? お前は定食屋かと言われるだろうか?
分からない。どうすれば良いのか分からない。
床掃除が終わり窓の掃除も終わる。
「あの、エイミーさん」
「何?」
「その、晩御飯どうします?」
オルソンは思い切って口にする。
「別になんでもいいけど」
ソファーに横になったエイミーが動画でプロレスを観ながら言う。
――どうでもいいっていうのが一番困るんだよな――
せめてあっさりしたものとかがっつりしたものが食べたいとか方向性だけでも示して欲しい。
「そ、そうなんだ。適当に作っても構わない?」
「好きにすれば?」
今日のエイミーは特に食べたいものがないようだ。
オルソンはキャンピングカーで近くのスーパーに向かう。
――パスタかクスクスでも作るかな――
軸が定まらないとメニューが全然決まらない。
乾麺のコーナーでイェジと目が合う。
「あ、オルソン買い物? 昼間出て来て大丈夫なの?」
「誰も僕に関心を払わないからね。互いにモブなら平気だよ。君も買い物?」
オルソンが言うとイェジが険悪な表情を浮かべる。
「ラーメンくらいしか作れないもん」
イェジの買い物かごにはラーメンに入れるらしいチーズと卵が入っている。
「パスタでもいいんじゃないか」
湯で時間が長いくらいでパスタも手軽に色々な味が楽しめる。
同じ卵とチーズを使うのだとしてもパスタならカルボナーラだ。
「パスタなんて作れないもん」
「茹でて和えるだけで焼きそばとそんなに変わらないだろ」
「焼きそばも作れないもん」
「……焼きそばはラーメンより簡単だと思うけど……」
オルソンはイェジの調理レベルに戸惑いながら言う。
「私は料理はできないの!」
頬を膨らませてイェジが言う。
「練習くらいしたら?」
「誰も教えてくれないもん」
「エイミーに教えてもらったら?」
「あの人下手じゃん」
「百かゼロかだとそうなるけどゼロじゃないから」
「ラーメンだって料理だもん」
「君も5くらいはあるんだね」
「目玉焼きだって作れるもん」
「それも5に含まれると思うよ」
「オルソンはどれくらいなのよ」
「18~20くらいかな。できる人って調味料も自分で作るよね」
「それ料理人って言わない?」
「僕はデリバリー以外外食はしないから料理人のレベルは分からないね」
「……デリバリーを外食って言うんだ」
どこかうんざりした様子でイェジが言う。
「玄関前に置いて行ってくれればいいけど話しかける人もいるからね」
「あんたって良く今日まで生きて来れたよね」
呆れた様子でイェジが言う。
「僕も驚いているよ。それより君、今食べたいものってある?」
「ハンバーグとオムライス」
「小学生に聞いた方がまだ建設的だったかもね」
オルソンが言うとイェジが頬を膨らませる。
「おいしいじゃん! あんたは何が食べたいのよ」
「君が食べたいものかな」
イェジが美味しそうに食べているのを見ると幸せになる。
「あ、あ、あんた! エイミーと付き合ってんじゃないの!」
「付き合ってるけどエイミーと食べる食事は不味いからね」
エイミーが沈黙していると気まずくなってくる。とはいえ自分から話しかけるのは難しい。
「エイミーと食事しても楽しくないんだ」
「食べないと死ぬから食べるけどね」
「オルソンってエイミーのことが好きなの?」
イェジの言葉にオルソンは斜め上に目を向ける。
肉体関係を持ってしまったから責任を取って付き合う事にした。
全く好意がなければそもそも肉体関係には発展しないはずだから好きか嫌いかで言えば好きなはずだ。
でもエイミーといると恐ろしく疲れるし、外に出ている方が楽な気がしてくる。
「交際って好きか嫌いかでするものかい?」
オルソンは訊ねる。
「好きでもないのに付き合わないでしょ!」
「そういうもの? 付き合っていても散々愚痴を言う人や喧嘩ばかりの憎みあってるとしか思えない人もいるよね」
オルソンが言うとイェジが拳で頭を叩く。
「ああ言えばこう言う~」
「君が短絡的なだけだよ」
「でもさ。そうやって楽しくない事に人生の時間って使っちゃっていいのかな? 歳を取ったら嫌でもできる事は減って行くんだし。その時にあの時不幸だったって思ってそれっていい人生なのかな?」
イェジの言葉がオルソンの胸の隙間から滑り込む。
エイミーと一緒にいて後悔しないのか? エイミーと交際する事と一人で過ごす事のどちらが快適なのだろうか? 食事の心配では少なくとも後者が楽だ。
――エイミーが健康ならな――
オルソンを必要としないくらいなら、自分の心を疑う事は無かっただろう。
「苦労をしたから幸せの意味が分かる事もあるんじゃないかな」
苦しみを知らなければ幸せがあってもそれを幸せだと気付けない。
苦しみは幸せを感じる為の指標でもあるはずだ。
「オルソン、今、幸せじゃないの?」
イェジの一言でオルソンの感情が揺さぶられる。
今が幸せか不幸かで言えば不幸だ。四六時中エイミーに気を使っているし、遮那王の設計図を見る度に後ろめたい気分になる。
――今のままで遮那王を作りたくない――
今は作る事のできる精神状態ではない。仮に形だけ完成させても傑作だと胸を張れるものにはならないだろう。
「相談あるなら乗るよ?」
「ハンバーグとオムライス以外で食べたいものは?」
「オルソンの料理は何でも美味しいからなぁ~。でもオルソンって魚料理が得意だよね? パエリアとかカルパッチョとかあと揚げたりもするよね?」
イェジの言葉にオルソンは目明しされた気分になる。
オルソンの得意料理は魚介類だ。エイミーの好みを考えていたから訳が分からなくなっていたが、自分の強味を生かすなら魚介以外にはないはずだ。
「今日はサーモンのスープとカルパッチョとエビの香草焼きとあさりのパスタにするよ」
「はいはい、エイミーと食べるんですよね~ごちそうさまです。私はラーメンでも食べますよ~だ」
ラーメンを買い物かごに入れたイェジがすたすたと歩いて行ってしまう。
――メニューが決まって良かった――
オルソンはパスタをかごに入れた瞬間、胸の奥が痛むのを感じた。
〈4〉
ヴィオネット・カイエンはバレンシア朱雀の郊外にウロボロスが用意した一軒家のリビングで、焼いたばかりのクッキーのできに満足している。
ヴィオネットの料理は完全オーガニック。なぜかと言われればベジタリアンだからだ。
フレキとゲリのドッグフードやおやつには肉が入っているが、犬は元々肉食なのだから仕方がない。
玄関の呼び鈴が押される。
ヴィオネットがモニターを覗くとバスチエとオルソンの姿がある。
オルソンに直接会うのは初めてだ。リモートでも緊張するという話だったが顔を出すとは大きな心境の変化でもあったのだろうか。
「どうぞ」
ヴィオネットは二人を招き入れいる。
「いやぁ、押しかけちまって悪ぃなぁ」
バスチエが言うがカイエンもできる事なら人の多い工場は避けたいから利害の一致でもある。
「お邪魔します」
オルソンがバスチエのおまけのようについてくる。
ソファーを勧めハーブティーを淹れる。
ヴィオネットはクッキーを勧めハーブティーの香りを吸い込む。
「このクッキーは甘くねぇな」
「アーモンドプードルとココナッツオイルが入ってますね。奥行きのある素敵な味です」
オルソンは一発でベジタリアンクッキーである事を見抜いたようだ。
「で、今日はウロボロスファクトリーの設立調印という事でいいのですね?」
ヴィオネットは本題を切り出す。
本来ならば工場の落成式と一緒に華々しく行うべきなのだろう。
だが、工場の建設はまだ土地の選定段階だし、そもそもヴィオネットは騒がしい所が好きではない。
パーティーに出ろと言われたら挨拶のビデオメッセージだけ送って終わらせるだろう。
「何か……もっと派手に祝いたかったんだがな。本社の方ではそれなりに会食くらいはするんだろうが……お前さんも食のえり好みが激しいしな」
ベジタリアンを食のえり好みと言うのは納得行かない部分があるが、バスチエは良くも悪くも標準的な中高年男性なのだ。
ベジタリアンだと言えば無理解どころかあからさまに嫌な顔をする中高年男性も少なくないのだから、マシな部類である事に違いはない。
「人を呼ぶなら出席しませんよ」
オルソンが言う。オルソンは雰囲気がフレンチブルドッグに似ている。
心優しいが人一倍の傷つきやすさも持っている。
「お互い人払いされた方が楽という事なので良い事ですね」
ヴィオネットは言って契約条件を確認する。
社長はヴァンサン・バスチエとなっているが、中高年の押しの強さで外向きの交渉をやってもらえるなら結構な事だ。
所属マイスターはヴィオネットとオルソンでそれぞれ開発一課、二課となる。
基本的にマイスターは仕事を選ぶ事が可能で、受注が避けられない場合優先権はヴィオネットに存在する。
給料は年俸50億プラス出来高で申し分ない。
「最初の依頼なんだがギャラクシーのキム・ヘジンにランナーを作って欲しい」
バスチエが端末を操作して個人情報を表示しながら言う。
キム・ヘジンはギャラクシーのエースでリーダー。元々ファイターに乗っていたがリーダーになると同時にチームの伝統でアーマーのファヌンシリーズに乗る事になった。
ヘジンは落ち着いた芯のある女性でサルーキに似ている。
頭が良く独立心の強い大型犬で、一人で大人しくしているかと思えば、実は犬の中でも屈指の俊足を誇るという特徴を持っている。
ヴィネットの脳裏で快活に走り回るサルーキの姿がランナーに重なる。
「サルーキですね」
OKの印でヴィオネットは言う。
「そういう名前にしちまうのか? 向こうは伝統的にファヌンだと思うんだが……で、だ、三か月後に今オルソンが作ってる遮那王とエキシビジョンマッチをやらせてもらいてぇ」
バスチエが寝言を言う。ランナーの開発に普通は一年かけるという事を知らないはずがない。
「三か月はさすがに無理です」
「半年後の朱雀グランプリじゃ六チームに二機づつくらいは卸さなきゃならねぇ。ウロボロスの機体だけ作ったんじゃ顰蹙もんだし、ウロボロスの機体を作っても会社は儲からねぇ」
バスチエでも分かる計算くらいはヴィオネットにも分かる。
状況も理解しているつもりだ。メルカッツェや他のマイスターが作るにせよ、ヴィオネットだけでデビルキッチンの二機は確実に回って来るし、ホウライからも依頼があるだろう。
このラッシュで受注した機体はその後のメンテナンスでも付き合いが続く訳だし、ファクトリーにとって太い客という事になる。
反対にこの2.0ラッシュで受注できる仕事が少なく、他の工房や工場に取られればウロボロスは持ち出しの方が大きくなるだろう。
そういった事情込みでの年俸50億なのだ。
二年後のカーニバルを戦い終えてようやく投資がプラスに転じるかどうかという社運をかけた時期でもあるのだ。
――とはいっても機体に妥協はしたくないし――
「三か月後だと試作という形になりますがそれでいいですか?」
どの道同時並行で四機五機と進めなければならない。
「構わんさ。会社の人間は形になってるモンを見りゃあ満足するんだ。完成品と性能が違ってもそれはそれで意表をつけていいじゃねぇか」
バスチエがハーブティーを湯のように飲みながら言う。
「オルソンは私の下請けみたいな仕事もあるだろうけどそれでいいの?」
「修行にはなると思っています」
オルソンがどこか心ここにあらずといった様子で言う。
「遮那王は順調じゃないの?」
エイミーによる遮那王のプレゼン、ロビンとの独占配信によるエイミーのスキャンダル暴露。
機械とは無縁の部分で問題を抱えすぎた機体ではあるが、開発とは関係がないはずだ。
少なくともヴィオネットであれば勝手にプレゼンされた事を訴えはすると思うが、それで作業の手が止まるという事はない。
「いえ、個人的な事なので」
オルソンがハーブティーに口をつける。
良くも悪くもオジサンであるバスチエがいたのでは話しづらい事もあるだろう。
「バスチエさん。暖炉の薪を持ってきてもらっていいかしら。できれば斧で割って欲しいわ」
「男手なら若いオルソンを使えってんだ」
文句を言いながらもバスチエが出ていく。
ヴィオネットはオルソンに向き直る。
「話したくないならいいんだけど、問題を抱えているなら解決の方法を探したいの。今後ランナーの受注が来た時にあなたが作れない事になったら私も困るもの」
ヴィオネットはハーブティーを淹れ直しながら言う。
「エイミーと交際する事になったんです」
オルソンが溜息と共に言う。
「その交際がマイスターとしての仕事に影響していると?」
ヴィオネットの言葉にオルソンが頷く。
「彼女が仕事に関わりたいという気持ちは分かるんです。でも会社もあるし仕事に関わらせる訳には行かないし、元々彼女はマイスターとしては充分な能力があるとは言えませんし」
ヴィオネットはオルソンの言葉を聞きながらエイミーの人となりを考える。
一度はマイティロックを奪って裏切った。遮那王についても自分のものであるかのようにプレゼンを行った。
仮にエイミーに恋愛感情があったとしてもそれは独善的なものではないのだろうか。
オルソンが自閉症であるという事だけで彼を支配して良い理由にはならない。
「彼女のマイスターとしての能力にあなたは疑問を抱いている。それで彼女の熱意との板挟みになって辛い訳ね」
ヴィオネットは言ってハーブティーを口に運ぶ。何でも思った通りに言えばいいというものではない。
「そうです。それに僕には彼女が何を考えているのか分からなくてひどく疲れるんです」
オルソンが苦悩を滲ませる。
「他人の心が分かったらエスパーよ。意思の疎通を取ろうとしていてそれが上手く行かないなら相手にその気がないからよ」
「エイミーは僕に関心がないんでしょうか?」
「あなたの才能に関心があるのは事実じゃないかしら。遮那王のプレゼンの時は生き生きしていたし、本当に良いものだと思っていたからこそあんなプレゼンができたのだと思うわ。でも才能を愛する気持ちと人を愛する気持ちが一緒だとは限らない。ビジネスパートナーとしていい相手と、一緒にいて居心地のいい相手って違うでしょ?」
ヴィオネットが言うとオルソンが心当たりのあるような表情を浮かべる。
「私がバスチエさんのオファーに答えた理由って分かる? バスチエさんってランナバウトへの熱意はあるけど、ちょっとデリカシーがなさすぎるオジサンよね? でも私に対するリスペクトはきちんと持っている」
ヴィオネットの言葉にオルソンが頷く。
「この業界に限らずデリカシーのないオジサンは多いし、完全に避けて通る事はできないわ。そんな中で私が今後ランナーを作る時に……仕事を受けるか受けないかを含めて、なみいるオジサン相手に強気で交渉できて私が落ち着いて作業できる環境を整えてくれるという点で判断するなら、彼は有益なオジサンだわ」
ヴィオネットはそこで一旦言葉を切る。
「私は彼の熱意や外向きのアピール力や交渉力をリスペクトしているし、いいビジネスパートナーになると思っているわ。でも彼を異性として見られるか、プライベートで付き合えるかと言えば全く別の話。あなたたちの場合そこの線引きが曖昧なのね」
「僕もどう考えていいのか分からないんです」
オルソンが新しいハーブティーに視線を落としながら言う。
「人生の先輩として一つだけ言える事があるとするなら、恋に落ちたばかりの人はそんな表情はしないわ」
ヴィオネットが言うとオルソンがハッとした表情を浮かべる。
オルソンが口を開きかけるのを片手で制する。
「バスチエさんが戻って来るわよ。私生活には触れられたくないでしょ?」
ヴィオネットが言うとオルソンが頷いてハーブティーに口をつける。
彼なりに思う所はあったようだ。
――エキシビジョンは三か月後――
それまでに遮那王が完成しないという事はオルソンのマイスター生命が断たれるのと同じことだ。
――チャンスは作ったつもりよ――
ヴィオネットがハーブティーを傾けると薪の束を抱えたバスチエが室内に入って来る。
「冬場でも身体を動かすと暑くなるもんだな。冷えたもんを飲ませてくれ。できればアルコールの入ってるやつがいい」
「うちに消毒用以外のアルコールはありませんよ」
ヴィオネットはバスチエに向かって言う。
――私は私でサルーキを作らないとね――
〈5〉
キングダムと黒鉄衆で争われたミチエーリ玄武グランプリの三位決定戦はキングダムの勝利で終わった。
決勝戦はホウライとドラゴンが争う事になる。
ロビンはメイクの仕上げを受けながら控室のモニターを見て考える。
ドラゴンは龍山グランプリ準決勝で圧倒的な力を見せつけてウロボロスを破った。
――でもオーダー次第だ――
クリスチャンは呂偉に敗北したが、相性が悪かったように見える。
剣術として圧倒的な手数を誇る天衣星辰剣と高速の打突を持つ呂偉の拳法ではどうしても手数では拳法が勝る。
一方で流水明鏡剣は受け流しに特化した剣術だ。
――見どころのある試合になるだろうな――
「選手はランウェイに出て下さい」
スタッフが声をかけてくる。ハンナが少しだけ固い表情を浮かべている。
「ハンナさん、いつも通りやればいいんですよ」
「分かってるんだけどさ。八十万人も観客がいるとか初めてだからさ」
「そんな事より僕はハンナさんのカッコいい所を見たいな」
ロビンが言うとハンナが口元に笑みを浮かべる。
「私がカッコいいって事はいつもより少し痛いって事だよ?」
「ハンナさんの技には愛があるから」
ロビンが言うとハンナが頬を掌で叩く。
「あんた、まさかそういう趣味じゃないよね?」
「まさか。痛いのも痛くするのも苦手です」
ロビンが言うとハンナが笑みを浮かべる。
「私ってば何言ってんだろ。最高のステージにしようね」
ハンナの言葉にロビンは笑みで答えてランウェイに出ていく。
熱を感じる強いライトの光を浴びながらリングに向かって歩いていく。
前回のジェーンたちのステージが良かったせいか注目度は前より高い。
反対側からハンナとヒルダが歩いてくる。
モデルと呼ぶには背が高すぎるが、縮尺が違えばスーパーモデルなのだと言っても分からないだろう。
ロビンがリリーと共にリングに上がるとハンナとヒルダもリングに上がる。
『Addras&サイクロンプレゼンツ! スペシャルエキシビジョンマッチ!』
アナウンスが流れ、巨大スクリーンに姿が交互に映し出される。
『It´s SHOWTIME!』
ロビンはハンナに向かって走る。パターダ・コンヒーロ――ニールキック――を繰り出す。
空中のロビンをハンナが受け止めケブラドーラからクロチートでマットに叩きつける。
ロビンは受け身を取って転がって距離を取る。
突っ込んで来るハンナを躱すようにトップロープに駆け上がって背面飛びのトペ・レベルサでハンナに体当たりする。
倒れたハンナを引き起こしロープに振る。
ティヘラで飛んでフランケンシュタイナーの要領でハンナを投げ飛ばす。
ロビンはリリーとタッチして一息つく。
一方でハンナもヒルダとタッチして激しいショーを繰り広げる。
三分が過ぎてリリーとタッチして再びリングに立つ。
突進したロビンをハンナが肘打ちのラソで転倒させる。
倒れたロビンをヌカドーラで肩からマットに叩きつけ、両足を脇に挟みこんでジャイアントスイングで振り回す。
放り投げられたロビンは受け身を取って立ち上がると、追い打ちをかけようとしたハンナをケブラドーラ・コンヒーロで投げ飛ばす。
引き起こすようにして芸術的なアンヘリートを決める。
乱入したヒルダがドロップキックでアンヘリートを崩し、リリーがトップロープからプランチャでヒルダに体当たりする。
ロビンを抱え上げたハンナが垂直式ブレーンバスターでロビンをマットに叩きつける。
ロビンをハンナが、リリーをヒルダが背後から抱え同時にジャーマンスープレックスを決める。
肩がスリーカウント着いてショーが終了する。
『The show is over! サイクロンとAddrasの提供でお送りしました! Thank you!』
と、ハンナがロビンを抱え上げて肩車した。
「は、ハンナさん。予定にないですよ」
「少し優しい所見せないとまた炎上するじゃん」
ロビンはハンナに肩車されたまま手を振って控室に戻る。
――サイクロンで舞台に立つのはこれが最初で最後だけど今 の実力でランナバウトに戻っても……――
ロビンは考えかけて頭を振る。
――僕はハンナとヨナと離れたくないんだ――
〈6〉
ウロボロスエンターテイメント社長カン・へウォンはオンラインのモニターを前に緊張を押し隠している。
事前に情報は送っているものの、質の悪いSFだと思われたのではたまらない。
ディスニーならSFは作るかもしれないが、ウロボロスはヒロイックなファンタジーテイストのSF作品はほとんど作らないと思われていると信じたい。
最初に画面に現れたのはヒュンソグループのソン・ジミンだ。
続いて成龍公司アルバート・王、メルカッツェ社長ディートリント・ヴァレンシュタイン、ポセイドン社長レオンティーナ・ファビアーニ、最後にグルメロワーヌのフィリップ・デュノワが現れる。
ことここに至ってもアルセーヌ・リッシモンは出て来る気がないらしい。
「ウロボロスエンターテイメント社長カン・へウォンです。本日お集り頂いた理由は先に送付させて頂いた資料の通りです。我々は早急にWRAを立て直し、VWCに対抗できるだけの組織に成長させなくてはなりません」
「WRAの再建より新たに組織を作り上げた方が早いんじゃないのか?」
ジミンが意見を述べる。
「その根拠を伺えますか?」
ディートリントが訊ねる。
「WRAの内部資料を確認したが負債が大きすぎる。資金の運用も恣意的で州政府からも適切な料金が支払われていない。今から各州と契約更新を行うとしても借金が消える訳ではない」
ジミンが決算書類と共に苦い表情で言う。
「WRAは自治体と深い関係にあります。このインフラを喪失するのは大きな損失です。現状を維持しつつ経営状態を改善していく方が得策です」
レオンティーナがWRAの事業内容を表示しながら言う。
ランナーの免許の許認可、警察業務のアウトソージング、ランナバウトの運営管理。
その他にもライダーたちの年金運用、ライダーに対する共済組合もある。
うち年金と共済組合が経営状況を圧迫する最大の要因となっている。
「何の考えもなく我々を集めた訳ではないのだろう?」
アルバートがへウォンに向かって言う。
「警察業務の上にSMSを設立します。現在サンタマージョ白虎の治安の悪化と物資の流出は深刻です。現状を改善するには強権を発動する必要がありますが、現状の社会の枠組みに該当する組織や団体はありません、そこで強権発動に抵抗のない黒鉄衆を中心とした治安維持特殊部隊を設立し、更に警察の機動部隊を強化して機動警察として再編します。サンタマージョ白虎に物資を送っている諸州に資金を提出させる事で治安回復と資金獲得が同時に図れると考えています」
へウォンは五人に向かって言う。
「強権というのは難民を追い返したり捕らえたりという事か?」
フィリップは賛同しかねるといった様子だ。
「難民であれば保護します。しかし現状はどうです? 物資を転売し、その金を持ってフリーダムに帰り、金がなくなればまたサンタマージョ白虎にやってくる。こういった連中は難民とは言いません。盗人というのです」
「私はカン社長に賛成です。忌島の人間に管理させれば処遇は徹底するでしょう」
ジミンが言う。
「しかし彼らも人間です。人間らしい生活を送れば転売のような犯罪に手を染める事はなくなるのではないですか?」
ディートリントが言う。
「転売を行う輩は放置すればより大きく重大な犯罪を行うようになります。彼らを我々と同様の人間と見なす事はできません。禽獣の類を躾けるのに言葉を持って成功するでしょうか? それが禽獣どころか害虫であるのなら飢饉や疫病が広がる前に駆逐する。私たちの社会は今、侵略されているのです。侵略者は施しを受けてもそれを情けではなく戦果だと認識します。その思想の根源がヴァルハラにあるのだとしても、ヴァルハラを叩くためにも目の前の問題を排除しなければ前に進めません」
へウォンが言うと五人が五様の表情を浮かべる。
ヴァルハラが岸という人間が考えだし、作り上げたものならまだ他に方法もあるだろう。
しかしヴァルハラは空の向こうから災厄を伴ってこの星にやってきた侵略者なのだ。
「計画に必要な人員は足りているのですか? 押し寄せる難民……侵略者の数は膨大です」
頭を切り替えたらしいレオンティーナが言う。
「黒鉄衆と旧騰蛇、太裳、太陰のWRA職員を集めても到底足りるとは思えません。積極的に人材を獲得するしかないでしょう」
ジミンが予算を表示させる。月給四十万ヘルだとして十万人雇えば一か月四百億ヘルの出費だ。
「無償で供出されている物資と比較してどうなのです?」
ディートリントが言う。
「ギリギリ足りるかどうかといった線だな。難民問題が片付いたあと解散という訳にも行かん」
アルバートは苦い顔だ。
「サンタマージョ白虎が陥落すればリベルタ大陸にこの難民のふりをした盗賊の群れがやって来ます。更にVWCはバイオロイドに殺人を教えています。私たちには現状でこれに対抗する術がありません」
へウォンは訴える。クリスチャンにこの星を救えと言われたのだ。
「この世界があっての我々の商売でもある。フリーダムのやり口を放置していたのでは我々は戦わずして敗北する事になる」
ジミンがへウォンに賛同して言う。
「州政府の財政が耐えられるといいのですが……」
ディートリントが言う。
「中長期的に各州の首脳を集めた評議会を作って予算執行するしかありませんね」
レオンティーナが言う。
「それでは我々も国家になってしまう」
フィリップが言う。
「理想を掲げているうちに騰蛇と太裳と太陰はヴァルハラに飲まれた。市民と州政府の自治を最大限担保しつつ我々の力を一つにまとめあげねばならん」
アルバートが積極姿勢を示す。
「それこそ岸の思う壺ではないか!? 通貨、暴力、国家、これではヴァルハラとやる事が変わらん」
フィリップが言う。確かにその通りかも知れない。
「素手の市民が剣術家と戦う事になったら十中八九敗北します。その剣術家が戦意旺盛で強欲であったなら素手の市民に抗う術はありません。もっと言うならサンタマージョ白虎が我々の側である今だから反撃の狼煙を上げる事もできるのです。サンタマージョ白虎を奪われれば我々には抗う力すら失われます」
へウォンはフィリップに向かって言う。
「自由と平和はどうなる? 我々が守って来た大切な価値観はどうなる?」
「私たちの家の玄関は強盗に蹴破られたのです。家族と財産を守るには戦うしかありません」
へウォンはフィリップに言い返す。
「幸い国力では我々が上だ。で、あればこそサンタマージョ白虎の支援も行っていられる。時を逸しては取返しがつかない事になる」
ジミンが言うと四人が頷きで答える。
大勢は決したと見てもいいだろう。
「焼き払われた畑を元に戻すのに何年かかります? その畑に別人が居座って返さないなら農民はどうなります?」
レオンティーナがフィリップに訴えかける。
「それはそうだが……」
「ヴァルハラの法はフェーデアルカの法とは全く異質のもので、国民はその法に従って生きています。これは単純に物資や治安を巡る戦いではない、価値観を巡る戦いなのです」
へウォンが言うとフィリップが深いため息をつく。
「金で片付くものなら金で片付けてもいいでしょう。しかし、これは異なる文明の衝突なのです。そして私たちは50年間理解に務めてきました。相容れる事がないという結論は得られたのではないでしょうか?」
へウォンが畳みかけるとフィリップが深いため息をつく。
「これが避けられぬ問題であるのなら、せめて速やかに終息させたいものだ。悪夢の時代を次世代にまで引き継ぐことはない」
へウォンはフィリップの発言を受けて方向性の一致を見た事を確認する。
「それでは改めてではありますが、皆さんにはWRAの理事を依頼したいと考えています。辞退されたい方は申し出て下さい」
へウォンの言葉に申し出る者はいない。
――大陸最大、否、リベルタ共和国の最大の経済同盟がWRAの後ろ盾となるのだ――
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