第60話 母と娘

 先日、京華を普通の女の子へといざなうための計画を立てた乙葉だったが、それは既に手詰まりの状態になっていた。あのあとも何度か親友をアパレルショップへ誘導しようとしたが、その度にかわされてしまっている。だが、乙葉はその目論見自体が完全に潰えたとは、まだ思っていなかった。


 第二弾の手段として考えたのは、先日、コンビニでの会話の中に出てきた誕生日プレゼントだ。それを利用して、化粧品一式を送ろうと画策していた。


 今の京華は当然の如く二十四時間すっぴんであるのだが、年相応のナチュラルメイクでも施せば、間違いなく自身のカワイイを獲得できることだろう。鏡に映る自身のその顔と相対すれば、女子としての自覚に目覚めてくれるかもしれなかった。


 ただし——

 それには、二つほどの難関がある。一つは、乙葉にメイクの知識が全くないことだ。つい数か月前まで普通の男子だったのだから、無理もない。ただ、これは素直に母親から教えてもらうことで、ほぼ解決ができた。


 もう一つは、どうやって京華をその気にさせるか。服装と同じ問題だ。好意で渡した品であれば、普通は無駄にする可能性も低いのかもしれない。だが、長い付き合いだ。その性格は熟知している。素直にお化粧をして、自分の前に出てくるとは到底思えなかった。


 そのため、リビングで母親から奇麗にラッピングされた化粧品一式を手渡されても、難しい顔になって唸るしかない。

「……うーん……ここからが問題……だよね」


 すると、若菜が急な提案をしていた。

「やっぱり、ここは乙葉ちゃんがお手本になってあげましょうか」

「え……?」

 娘がキョトンとする中、一方の母親はなおも説明を続ける。


「乙葉ちゃんの方から先に奇麗になってみせれば、京華ちゃんの方も心が動くんじゃないかな? あの子、負けず嫌いなとこもあるし」

 だが、娘は難しい顔を崩さなかった。

「……それ、前にやろうとして失敗したんだけど」


 すると、若菜が真剣な表情になる。

「一度の失敗で諦めるのは、まだ早いでしょ」

「!」

「やれることがあるのなら、全部やってみないと。後悔は先に立たず。お母さんは、そう思うけど?」


 なおも柔和な口調で続けていたが、一方の乙葉は視線を泳がせるだけだった。

「……言いたいことは分かるけど……母さんのを使うのも気が引けるし……」

 ただ、既にその本音に気づいていた若菜は、ここで意外なことを告げる。


「そう言うだろうと思って、乙葉ちゃんの分も買っておきました。メイクセット」

「な——⁉」

 乙葉がその言動に絶句していると、一方の母親はここで娘の背中を強引に押していた。


「じゃあ、早速試してみましょうか」

「ちょ——か、母さん……⁉」

 乙葉が慌てふためいているが、若菜は構わずにそのまま自室へと押し込む。次いで、娘を自身の化粧台の前へと強引に座らせていた。


 その後、乙葉が逃げようかどうしようか迷っているうちに、母親は一気に準備を整える。娘の目の前には、ベースメイクのためのクリーム、フェイスパウダー、コンシーラーパレット等が一気に展開されていた。


「よし。じゃあ、やりましょうか」

「——⁉」

 そして、有無を言わさない様子で娘をそこに固定。そのまま簡単なナチュラルメイクを施し始めていた。


 一方の乙葉は、もう流されるがまま。思わず歯を食いしばると、全てが終わるまで目を閉じていた。


 やがて——

「——さぁ、できました……!」

 若菜がそんな言葉を発した直後のことだ。


 乙葉が恐る恐る目を開け、自身の顔を改めて鏡で確認すると——

「——!」

 そこで、思わず息を呑んでいた。施されたのは簡素なメイクであるのに、明らかにその印象が違う。乙葉はこのマジックのような効果に感嘆すると、自らの計画に間違いがないことを悟っていた。


「……なんていうか……自分じゃないみたいだ……これなら……確かに……」

 京華でも、その心境に変化があるかもしれない。そう思いつつも、内心では複雑な感情の起伏を何度も繰り返していた。


 とにかく、場合によっては、この状態で京華の前に立つ可能性も考慮しておく。そんなことを頭の片隅に置いていると、ここで母親が妙なことを口走っていた。


「さて、あとはこれに見合ったお洋服の準備ね」

「え……?」

 と、娘が振り返ると、若菜は何やら勝手な妄想を口にする。


「……うふふ。どれがいいかしら? 乙葉ちゃん、何を着せても似合いそうだし」

 これを耳にして——

 乙葉は、一気にひどい不安に駆られていた。

「あの……母さん? そもそもの趣旨……ちゃんと分かってるよね?」

 この問い掛けに、実の母親は自信満々で頷く。


「もちろん。乙葉ちゃんと京華ちゃんを立派な淑女にすることでしょ?」

 ただ、この認識に——

「——⁉」

 乙葉は完全に返す言葉がなかった。


 いつの間にか——

 息子——いや、娘もその対象になっていた。知ってはいたことだが、やはりこの母親はどこかズレている。それを敢えて指摘しても、全くの無意味であることも。そのため、乙葉はここでひどい徒労感を覚え、鏡の前で小さくうな垂れることになっていた。



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