第59話 モーニングの時間

 乙葉と京華が市内の喫茶店でアルバイトを始めて、そろそろ一か月。不定期の就労ではあったが、その効果は徐々に出始めていた。客観的には、可愛い女子高生の店員が二人もいるお店だ。人気が出ない訳はない。ただ、京華の性格や店長の存在感もあり、客の入れ替わりも早かった。


 それでも、以前より店内が賑やかになっている。どうやら、店長はこのぐらいの繁盛がちょうどいいと思っていたようで、最近は非常に上機嫌だった。

「乙葉ちゃーん。三番テーブルに、これ、お願いねー」

「あ、はーい」


 とある休日の午前中。乙葉は店長から注文の品が載ったトレーを受け取ると、年配の女性客二人が座る席に向かう。そこで営業スマイルを自然に作ると、もう慣れた手つきで接客をしていた。


「お待たせしました。ご注文のモーニングセットです。トーストの方はまだ熱いので、お気をつけてお召し上がりください」

「ご親切にどうも。若いのに、しっかりしているわね。あなた、きっといいお嫁さんになれるわよ」


 女性客からのこの誉め言葉に、一方の乙葉は一切の動揺を顔には出さず、いつもの対応をする。

「……ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」

 そのまま急いでカウンターの奥まで戻ると、聞き耳を立てていた京華がニンマリとしていた。


「すっかり看板娘が板についてきたな。てゆーか、良妻賢母という言葉は、お前のためにあるのかもしれないな」

「……冗談はともかく……京華も、これぐらいできるようになってもらわないと困るんだけど?」

 乙葉がジト目になって切り返すと、一方の親友はおどけた様子で呟く。


「無理言うなって。俺の方はレジ打ちが限界なんだよなー」

「……本気で言ってる? ちょっと前、会計をしようとしていたチャラいお客さんにメンチ切ってたの……誰だっけ?」

 この指摘に、さすがの京華もバツが悪い様子で視線を泳がしていた。

「……さぁ……誰だったかな……」


 すると——

「——乙葉ちゃんの言う通りね」

 そこへ、店長が奥の厨房から急に現れる。

『——!』

 二人が慌てて顔を向けると、一方のマリーは自称レジ係に注目しながら、優しく諭そうとしていた。


「京華ちゃん。いきなりは無理かもしれないけど、乙葉ちゃんを見習ってね。期待しているから」

「……はい……」

 京華がなんとかそれだけ反応すると、店長は満面の笑みで満足そうに頷く。次いで、すぐに厨房の奥へと姿を消していた。


 その背中を見送ってから、乙葉がさらに促す。

「……ほら。マリーさんも、ああ言ってるんだし」

 すると、ここで京華が急に話題を逸らしていた。


「……店長って、なんであそこまで俺達のことを親身に思ってくれるんだろうな」

「え……?」

 乙葉が小首を傾げる中、京華はさらに疑問を口にする。


「なんか、ただ優しいだけで、ここまでしてくれてるようには見えないんだよな。先日、バイトをドタキャンした時も、笑って許してくれたし」

「それは……」

 と、乙葉が晶乃との繋がりを思い出して口を濁す中、一方の京華はなおも訝っていた。


「お前は、どう思う?」

「……ッ!」

 その問い掛けに、乙葉はどう答えたらいいのか分からない。ただ、適当でもいいから、何か反応をしようとした直前のことだった。


 カウンターを間に挟んだ向こう側から——

「——それは多分、親心よ……」

 急に女性の声が掛かる。

『——!』

 二人が慌てて視線を向けると、そこにはもう顔を覚えた常連客の姿があった。


「私は長いこと、ここに通ってるからね。マリーさんの事情も色々と知っていてね……」

「それって……?」

 と、京華が少々不躾に聞いていたが、一方の女性客は気にせず続ける。

「……あんまり大きな声じゃ言えないんだけど……あの人、カミングアウトをしてから、家族と離れ離れになってね」


 ただ、この経緯を聞いて——

『——⁉』

 乙葉も京華も言葉を失っていた。初めて知った事実だ。そのまま複雑な表情で見合っていると、常連客はここでさらに自らの主観を二人に伝えていた。

「だから……自分を慕ってくるあなた達が、自分の子供のように見えるんじゃないかしら」


 これを聞いて——

『……!』

 乙葉にも京華にも、返す言葉がない。何とも言えない表情で相手を見つめていると、そこでその女性客はレジの方を指差していた。

「……さて、余計なお喋りだったわね。そろそろ、お会計の方、いいかしら?」


 この言動に、乙葉が慌てて対応。

「あ……はい! ただいま……!」

 次いで、常連客はすぐに会計を済ませると、二人に微笑を向けながら退店していた。


 その背中を見送ったあと、京華が何気に呟く。

「……そっか……そういうことなんだ」

「……マリーさんからの期待……ちゃんと応えないとね」


 乙葉がついでに成長を促していると、親友は難しい顔をしながらも小さく頷いていた。

「……なるべく努力はする」

「なんか聞き覚えがあるけど……」


 その直後のことだ。

 急に——

「——あ、二人とも! ちょっといい?」

 と、厨房の奥から、再び店長の顔が。

『?』


 乙葉と京華が揃って視線を向けると、一方のマリーは何故かその手にタブレット端末を持っている。そのまま小走りで駆け寄ってくると、いきなりデジタル機器の画面を見せてきていた。


「実は……うちにも店員の制服を導入しようと思ってるんだけど……これなんかどうかしら? 二人の率直な意見を聞きたいんだけど」

 ただ、その画面を見て——

『——ッ⁉』

 乙葉も京華も言葉を失っている。


 そこに表示されている画像は——主に、ゴスロリと呼ばれる衣装であり、あきらかに誰かの趣味と思われる代物だった。


 京華が小声になって隣に聞く。

「……なぁ、乙葉。子供というより……着せ替え人形扱いじゃないのか?」

「……否定できないとこが悲しい……」


 乙葉も、それだけ呟くだけで精一杯。一方のマリーはそんな二人の様子には全く気づかず、なおも満面の笑みで意見を求めるだけだった。


「どうかしら? 二人だったら……絶対、なんでも似合うと思うのよねー!」



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