第61話 給料日

 喫茶あねもね。碧原市の住宅街に居を構えるその個人経営の店舗は、今までマリーが一人で切り盛りをしてきた。そのため、基本的に給料日という概念がない。だが、今はアルバイト二名が入ったことで、初めてそれが発生していた。


 ただ、店長も社会人としての経験は長いため、すんなりと支払日は決まったようだ。その日は翌月の二十日頃の平日となり、それぞれの従業員に通達されていた。


 真っ先に反応したのは、京華の方だ。以前まで自由に使っていたカードを親に止められてしまったため、ここまでの期間をギリギリの財政状態で凌いできている。すぐさまその懐を潤すため、登校の前にコンビニのATMへと立ち寄っていた。


 そして、現金を握り締めながら、ホクホク顔で出てくる。

「……母さん……お金の有難み……やっと分かったよ……」

 しみじみと呟くと、すぐに通学を再開していた。


 ただ、そのあとに教室で乙葉の顔を見て、ふと思い出したことがある。先日、お互いの誕生日の前後で、プレゼント交換をする約束をした件だ。資金は無事に確保できたのだが、その内容をまだ考えていなかった。


 また、ここで難問があることに気づく。

「……あいつの昔の趣味はよく知ってるけど……今は、お互いこんな状況だからな。以前と同じ感覚でいくと、渋い顔とかされそうだよな……」


 今日の授業が始まる直前。教室内を無作為に歩き回りながら唸っている。

「……自分から言い出したことだけど……実際、どうすればいいんだ? 直接本人に聞くのは……なんか面白みに欠けるし……」


 そんな様子に——

「——うん? どうしたの?」

 当の乙葉が気づき、声を掛けてきた。だが、密かにサプライズを狙っている身としては、素直に本音を語る訳にもいかない。


「……いや……なんでもない……」

「?」

 乙葉が首を傾げるが、一方の親友は黙して語らず。結局、京華はここでのこれ以上の思考はやめ、帰宅をしてから考えることにしていた。


 ただ、一晩が経過しても、良いアイデアはなかなか思い浮かばない。そこで、翌日が休日だったこともあり、単独で街中へと繰り出すことにしていた。


 その時の服装は、相変わらず男物に近い。それを見た晶乃が渋い顔をしていたが、構わずに自転車に跨って外出していた。


 そして、とりあえず繁華街の方に向かう。色々と街中を散策していれば、何か良いアイデアが思い浮かぶのではないか。そんな適当な方針で、何気に自転車を走らせていた。


 そんな折——

「——あ……! 水城浦さん……⁉」

 と、急に歩道の方から声が。

「?」

 京華がすぐに自転車を停めて、真横を振り向く。すると、そこには見知った顔があった。


「……奇遇です……こんなとこで」

「委員長? どうしたんだ? こんなとこに突っ立って」


 クラスメイトの瑠理愛だった。いつもは学園内でしか顔を合わせないため、私服姿が新鮮に感じる。ただ、その大人っぽい服装が明らかに身の丈に合っておらず、無理に背伸びをしようとしているお子様にしか見えなかった。


 ただ、一方の瑠理愛は相手のそんな心境には全く気づかない。それよりも、最初の質問に何故か戸惑っていた。

「えーと……」

「?」

 京華がその反応を訝っていたが、とりあえず自転車を路肩に停める。次いで、何気に相手へと近寄っていた。


 すると、ここで瑠理愛が立ち止まっている場所がどこなのか、ようやく気づく。

「あ……この店って……」


 繁華街の一角にある高級感漂う店舗。その真正面だった。そういえば、どこかで耳にしたことがある。外からではよく分からなかったが——確か、ここは比較的大人向けの下着を扱っているランジェリーショップのはずだった。


 同時に、理解もしていた。瑠理愛がどんな気持ちで、この店舗の前で立ち往生しているのかを。故に、京華は保護者のような視線を相手に向けるしかない。すると、それを見た瑠理愛が急に頬を膨らませていた。


「……もしかして……水城浦さんも……まだ早いっていうつもりですか……?」

 へそを曲げているその様子に——

「——!」

 京華がどう反応したらいいのか戸惑う中、瑠理愛はなおも自身の理解で続ける。


「私みたいなお子様には……まだ早いんですか⁉ こういうお店に……入ることは!」

 その憤慨している様子も明らかに子供っぽいが、京華は敢えて指摘をしなかった。


「そ、そんなことはないって! うん! 委員長だったら、きっとなんでも似合うさ!」

 視線を泳がせながらも、何度も頷いている。すると、一方の瑠理愛はここで意外な発言をしていた。


「……だったら……一緒に来てください!」

「……え……?」

 と、京華がキョトンとする中、相手は急にその手を取る。

「さすがに……一人では入りづらいんです……! だから……!」


 次いで、強引にその手を引っ張っていたため、京華は慌てふためいていた。

「え……⁉ いや、ちょっと——!」

 その力に逆らおうとするが、向こうの意志が強いのか、抗うことができない。気づいた時には、二人でその店舗に入店してしまっていた。


 そこは——

『——⁉』

 完全に、異質な空間だった。店内には、カラフルで派手な下着類が整然と並んでいる。そんな中を、瑠理愛は意を決した様子で進んでいた。


 ただ、一方の京華は、思わず気後れをしている。以前に訪れたショッピングモールのテナントが開放的な空間だったのに対して、この店舗は閉鎖的だからだ。その独特な雰囲気を肌で感じており、すぐにでも回れ右をしたい気分に陥っていた。


「……今度は、こんなとこに入ってしまった……俺……本当は男なのに……」

「え? なんですか?」

「……いや……なんでもない……」

 と、京華が頬を引きつらせながら反応している。瑠理愛にその意味はよく分からなかったが、とりあえず意見を求めていた。


「それよりも……水城浦さんはどれがいいと思いますか? 私に似合うもの。なんでもいいは禁止の方向で」

「……そう言われても……な」


 一方の京華は視線を逸らすだけで、まともに商品を正視しようともしない。そのため、瑠理愛は一歩引いて聞き直していた。

「じゃあ、自分だったら、どれを選びますか? 主観で決めてください。私は参考にするだけです。どうですか?」


 相手に丸投げをすることは、さすがに無責任だと思い直した様子だ。だが、一方の京華は、自身の性別をそもそも誤認している。これらの商品を自分が身に着けている姿など、全く想像できなかった。


 故に、適当に語るしかない。

「そう言われても……俺もスタイルには自信ないんだよなー……」

「そうなんですか?」

 ただ、瑠理愛がなおも何気に聞き返してくるため、京華はもう投げやりに答えるだけだった。


「……ああ。俺は乙葉の奴と違って——」

 が——

「——ッ……!」

 そこで、急な閃きが脳髄を貫く。次いで、その双眸に何やら邪な光を宿し始めたため、一方の瑠理愛はそれを見て困惑していた。

「……水城浦さん……?」


 すると——

「……ふっふっふ。そうか、これが神の啓示というやつか」

 京華は、何やら思考をエスカレートさせている。

「……乙葉。最初の買い物の時、俺は見てしまったんだよ……お前の胸のサイズが、いくつなのかを……!」

「……あの……?」


 当事者の瑠理愛が完全に蚊帳の外にされている中、京華は唐突に店内の商品群へと意識を向けていた。まるで、獲物を狙う肉食獣のような雰囲気で。


 そして——

「——!」

 何かを発見すると、それを標的に定める。

「よし……この中で一番エグいのは……あれだな……!」


 そのよく分からない決定につられ、視線を移した瑠理愛は——

「——⁉」

 そこで、完全にドン引きしていた。


 視線の先に飾られていたのは——生地の向こうが透けて見えるような、ほとんど隠蔽効果のないレース状の下着の上下セットだった。瑠理愛は、あまりにも煽情的過ぎるその商品に絶句している。どう考えても、高校生が身に着けていい代物には到底思えなかった。


 だが、一方の京華は迷いなくそれを手に取り、サイズを確かめている。そして、すぐさまレジに直行していた。


 そんな一連の様子を、瑠理愛はただ茫然と見つめるのみ。また、その行為に衝撃を受けたのか、結局何も買わずに退店することになっていた。


 その後——

 十六歳になっていた乙葉と京華はお互いのプレゼントを交換すると、中身を確認してから、しばし絶句。二人とも引きつった笑みを残すと、同時にその場で封印することを決意していた。


 なんにせよ、乙葉の方は頭を抱えるしかない。まさか、京華がこの手を使ってくるとは、夢にも思っていなかった。例のメイクセットに、親友の興味をどうやって向けさせるのか。その対策を色々と練ってきたのだが、これでは全てがご破算だった。


 無論、乙葉には、こんなエロ過ぎる下着を身に着ける気は毛頭ない。だが、自身がそれの装着を拒否するのであれば、こちらからも強くは出られなかった。


 京華を普通の女の子へと導く計画。それは、ここで一時的に頓挫することになっていた。



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