第57話 実弟の暗躍
その日の夜——
結局、遅い時間まで働いてから帰宅することになった乙葉は、自室のベッドの上でずっと悶え苦しんでいた。
「……あー……ダメだ。明日は……筋肉痛だよ……」
日高商店でのアルバイト。その仕事で、思いもよらない重労働が発生していた。本来ならそれは男性の役割なのだが、数少ないその男手達は、この卸業者の責任者も務めている。彼らはトラック事故で失った貨物の代替品を求め、市内や市外を駆け回っているところだった。
そのため、イベントで扱う他の商品を自社の倉庫から出荷する作業は、必然的に残っている者の仕事となる。その中で、どうしても発生してしまう一部の重労働は、比較的若い乙葉や京華が担当するしかなかった。
「……明日は……苦行になるかもしれない……やっぱり、京華は巻き込まない方が良かったかな……」
同じ状態になっている親友の姿を想像しながら、なんとか目を閉じようとする。だが、既に全身の筋肉が痛み始めており、寝返りを打つたびに目が覚めていた。
「……眠れないし……」
やむを得ず、ベッドから起き上がる。同時に気づいたのだが、かなりの寝汗も掻いていたため、下でシャワーでも浴びることにしていた。
「なんかもう……さすがに慣れてきたしね……」
自身の裸体。しばらくは目を逸らしていたが、いつの間にか気にしなくなっていた。だが、それを素直に受け入れていいものなのか。思い悩んでいたが、疲労を抱えた脳では答えが出ない。そのため、とりあえず風呂場に行って全身を冷やすことにしていた。
ただ、就寝中の家族の迷惑にならないよう、静かに一階へと下りた時のことだ。
「……うん?」
妙な灯りを、目的地とは反対の一室に発見。家族は既に寝ているはずだが、リビングに誰かいるのだろうか。
「……まさか」
泥棒の類だろうか。そんな悪い想像をしながら、足音を立てずに近づいていく。そして、顔だけで中を覗き込んだところで、すぐに状況を理解していた。
「!」
そこにいたのは——実弟の拓次だった。照明も点けずに、こちらに背を向けて実家のノートパソコンと睨み合っている。最悪の展開ではなかったが、いったい何をしているのだろうか。乙葉はなおも足音を消して、その背後に忍び寄っていた。
そして——
「——!」
見てしまっていた。
それらの画像ファイルが、ディスプレイの一面に展開されているところを。
こんな夜中に、一人で密かに閲覧するもの。その内容は想像通りであり、年頃の男子であれば健全な行動でもあった。
問題は——
「——ッ……⁉」
そこに写っている女性に、見覚えがあることだ。
いや——
そこに写っているのは——確かに、乙葉自身だった。
何故か目元が黒い目線で隠されているが、見紛うはずはない。自身の姿なのだから。どうやら、洗面所での盗撮写真のようだった。
同時に、乙葉は先日の記憶を思い出す。実弟が、その場所で何やら妙な反応をしていたことを。ただ、幸い角度や位置が甘かったようで、仕掛けられたカメラでは、恥部まではギリギリ写っていなかった。
一方の拓次は画面に集中している様子で、背後にいる者の存在には全く気づいていない。乙葉は思わず顔面を片手で抱えていたが、この状況をどうするべきか迷い始めていた。
急に——
兄貴が姉貴に変わったのだ。普通だったら、頭がおかしくなるだろう。もしかしたら、この行動も仕方がないことではないのだろうか。自身も元男であるため、理解できない話でもない。そう思い始めると、怒りよりも、むしろ憐憫の方が大きくなっていた。
自分だけで使用するのなら——
ここは見逃そうか。
乙葉がそう思った——次の瞬間だった。
「……やっぱり、これだと物足りないかもしれないよな」
拓次のこの妙な独り言に、姉は思わず首を傾げる。
「……?」
すると——
次の瞬間、実弟がその本音を漏らしていた。
「もっと……はっきりした画像じゃないと、ネットの住人には売れないよな。今度は……ちゃんと写るように仕込むか。何を……とは言わないが」
これを聞いて——
「——⁉」
乙葉が絶句している。一方の拓次は、そんな背後の様子には全く気づかず、なおもうっかり発言を続けていた。
「……とにかく、こいつで小遣い稼ぎをさせてもらうよ、姉ちゃん。そのうちいなくなる女だったら、どこかにデータが残っても何も問題ないしな。これぞ……完全犯罪だ……!」
自信たっぷりに、そう断言している。また、自分の懐が潤っている姿でも夢想しているのか、笑いが堪えられない様子だった。
一方の乙葉は——
ここで、一気に無表情になる。
そして、背後から静かに実弟へ近づくと——
その肩の上に、ポンと手を置いていた。
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