第56話 身勝手な贖罪
乙葉と京華は全ての段取りを終え、駐輪場まで急いでやって来ていた。ここから目的地である日高商店までは、本来のアルバイト先までと、ちょうど同じぐらいの距離があるらしい。二人はいつもと同じ感覚でサドルに跨ると、すぐに出発しようとしていた。
そこへ——
「——待ちなさいよ……ッ!」
と、聞き覚えのある声が。
『——!』
二人が同時に顔を向けると、そこには自身の弓を持ったまま、肩で息をする美束の姿があった。
それを見て、京華が小声で隣に語り掛ける。
「……やっぱり、こうなったぞ」
すると、乙葉は真剣な面持ちになってから、全ての主導権を求めていた。
「分かってる……あとのことは……私がとりなすから」
この決意に、京華は無言で小さく頷く。同時に、揃って自転車から一旦離れると、そこに美束が迫って来ていた。
「あなた達……いったい、どういうつもり……?」
その顔には、明らかに複雑な感情が垣間見える。だが、乙葉はそれを一切気にせず、事前に用意しておいた言葉を口にしていた。
「……単純な話です」
「……?」
「先輩がご実家でやらなければならない仕事……私達が請け負った方が、全て丸く収まるからです」
ただ、ここまで聞いて——
「——誰が……ッ!」
美束が想像通りに怒り出す。
『——⁉』
その剣幕に、二人とも思わず身を縮こませていると、美束はなおも詰問していた。
「そんなこと……頼んだっていうの!」
「……誰も頼んでいません」
「だったら——」
と、なおも美束が続けようとしていたが——
「——これは……ッ!」
乙葉が急に声のトーンを上げて遮ったため、一方の美束は思わず目を見開いて言葉を失っている。相手の普段のイメージから、こんな行動に出るとは思っていなかったようだ。そんな様子を確認してから、乙葉は声の調子を元に戻していた。
「……私が——いえ、私達がやりたいから、勝手にやるんです。恩着せがましいように見えたのなら謝ります。申し訳ありません」
その言葉と同時に頭を下げていると、それにつられて隣の京華も同様にする。
「……すいません……!」
「な……⁉」
一方の美束が再び言葉を失う中、乙葉は頭を下げたままの状態で、なおも思いの丈を述べていた。
「……実際のところ、これは私達のバイト先を振り替えただけの話になります。本当に、それだけなんです。それで……全てが上手く行くのなら……その方がいいと思います」
「あなた達……」
「先輩は何も気にする必要はありません。どうか……私達に任せてください……!」
「……お願いします……!」
京華からも、再度の同調した声がある。ただ、その後はお互いに沈黙してしまい、重苦しい空気が辺りを包んでいた。
このなんともいえない雰囲気に——
「……!」
京華が、徐々に焦れてくる。
やはり、自分も説得に加わるべきだろうか。そう感じていたが、そもそもこれは乙葉の個人的な問題だ。それに、珍しく能動的に動いている乙葉の想いに水を差したくもない。どうするか迷っていると、そこで美束の方に動きがあった。
突然——
「——あー……もう……ッ!」
自分の頭を掻きむしり始める。
『——⁉』
乙葉と京華が思わず顔を上げて驚いていると、そんな二人への視線は外した状態で、美束は感情のままに口走っていた。
「あり得ない! 一年生がこんな風に、上級生に対してプレッシャーを掛けてくるなんて……!」
この受け止め方は——
確かに、その通りだろう。乙葉には本当のことが話せない以上、どう捉えられても仕方がなかった。
「……すいません……」
故に、再び頭を下げるしかない。それに京華も続こうとしていると、ここで美束の様子が一変していた。
「……なんにしても……私に選択肢はないようね……」
「え……」
と、乙葉が思わず顔を上げている。同時に、訴えかけるような視線を向けていたが、一方の美束はやはり目を合わそうとはしなかった。
「……分かったから。あとのことは……任せるからさ……」
これを聞いて——
『——!』
乙葉も京華も、瞬時にその顔色を好転させている。すると、そこで美束がようやく視線を向けて、二人に迫っていた。
「ただし! 地区予選の結果も、これからの指導にも一切文句は言わせないからね! それでもいい⁉」
この条件提示に——
「——!」
乙葉は一瞬だけ臆したが、すぐに気を取り直す。
「……望む……ところです!」
その明言を聞いて、一方の美束は思わず大きな溜息を吐いていた。次いで、踵を返しながら二人に告げる。
「……今年は、肝の据わった一年生が入ったものね。そこら辺の屈強な男子でも、こうはいかないでしょ……」
「……⁉」
その内容には特に乙葉の方が強く反応していたが、既に背中を見せている美束は何も気づかない様子で歩き出していた。
「……じゃ、あとのことは任せたから。手だけは抜かないでよ」
それだけ言い残して、美束は校舎の影に消える。おそらく、このあとはそのまま弓を持って、弓道場の方に行ってくれるはずだった。
「……日高先輩」
一方の乙葉は、その背中が視界から消えても、しばらく同じ場所に留まっている。これで全ての贖罪ができたとは思っていなかったが、とりあえず心の中で一つの区切りができていた。
今後は何かある度に、その都度美束の心情を慮った行動を取るしかないだろう。必要以上に気負わないように、注意をしながら。そんなことを、密かに胸の内に秘めていた。
すると、ここで京華が急かす。
「……よし、乙葉。行くぞ。遅れる訳にいかないからな」
「あ……うん! 急ごう……!」
乙葉もすぐに同意して、改めて自転車に跨っていた。自分達も、明日は美束と同じ予定が入っている。帰りが遅くなるような事態は避けたいため、とにかく、一刻も早く現場へと向かうことにしていた。
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