第54話 心残りの対処

 その日の午前中の授業が終わり、教室でいつものように二人で昼食を摂ったあと、しばらく雑談をしていた時のことだった。

「……ねぇ、京華。ずっと考えてたんだけど」


 不意に乙葉が何かの提案をしようとした直後、京華がいきなり理解を示す。

「……分かってる。日高先輩の手伝いがしたいんだろ?」

「——!」

 その先読みに乙葉が驚いて言葉を失っていると、一方の京華は小さな苦笑をしながら告げていた。


「……何年の付き合いだと思ってるんだよ。お前の考えてることなんて、手に取るように分かるんだからな」

「京華……」

「昨日も言ったけど、俺も参加するぞ。文句はないよな?」


 ついでに、堂々とそんな宣言をしている。一方の乙葉はそこまで聞いて一度思考を整理すると、すぐに大きく頷いていた。

「うん。頼むよ」

 ただ、そこには遠慮の欠片もない。そのため、京華が思わず聞き返していた。


「……もうちょっと恩に感じても良くないか?」

「充分に感じてるけど?」

「……なんか、扱いが雑なのが気になるけど……」

 京華が微妙に納得できない様子で呟いていたが、すぐに切り替える。


「まぁ、いいか。それよりも、実は俺もちょっと調べたんだよ」

「え?」

 乙葉がその発言にも驚いていると、親友はさらに続けていた。


「日高先輩の実家、今日の日付で日雇いのバイトを募ってるみたいだぞ。求人サイトの方に、緊急の募集案件が確かに掲載されてたからな」

「それって……やっぱり、充分に応募が来てないんだよね? まだ消されてないってことは」

 この確認に、京華も小さく頷く。


「昨日の今日だし、連休の前だもんな。さすがに無理がある」

「……だろうね」

「でも、俺達は学校の許可もすぐに取れるからな。体裁は、そういう形でいいんじゃないか?」

「……うん。それがいいかもね。でも、なんにしても……本来のバイト……ドタキャンになっちゃうよね……」


 乙葉がこの懸念に顔を曇らせていたが、一方の京華は自信満々で胸を叩いていた。

「店長の方は俺に任せろ。あの人のことだ。事情を話せば、きっと分かってもらえるさ」

「……また迷惑を掛けるけど……それしかないか」

 乙葉は小さく呟き、最終的な方針を決めようとしている。ただ、ここで京華が何やら妙なことを指摘していた。


「それよりも、お前は自分の問題の方を先に処理しておけよ。どうやら、すっかり忘れてるようだけど」

「え? それって何のこと……?」

 と、乙葉が首を傾げていた時だった。


 急に——

「——あ、和泉さん! ちょっといい?」

 聞き覚えのある声が耳に届く。

「?」

 乙葉が何事かと視線を向けると、すぐ近くまでやってきた学級委員が少しだけ焦燥感を募らせていた。


「まだ動くつもりがないようだから、聞いておきたいんだけど……例の件って、いつやるつもりなの?」

 だが、一方の乙葉は、それを聞いてもピンとこない。

「え……?」

 思わずポカンとしていると、瑠理愛が少々呆れた様子で確認をしていた。


「朝のホームルームで話したよね? 先生達が中間テストの準備で忙しいから、その代行で資料室の片付けができる人を探してるみたいだって。何気にその話を振ったら、すぐにオッケーしてくれたじゃん」


 これを聞いて——

「——ええ……ッ⁉」

 乙葉は本気で驚いていた。完全に記憶にはないからだ。そういえば、朝のホームルームの内容も全て忘れている。そんな現状に絶句していると、ここで京華が呆れた様子で口を挟んでいた。


「あー……お前は朝、上の空だったからなー。朝練が終わってから、色々と考え事があったみたいで」

 この指摘を耳にした直後——

「——今……すぐに……!」


 乙葉はようやく自分の失態に気づき、即座に取り掛かろうとする。だが、一方の瑠理愛が時間を気にしながら制していた。

「え……⁉ もう次の授業、始まっちゃうよ! 今日中にやればいいんだから、放課後にしておきなよ」


 この指摘に——

「……ッ⁉」

 乙葉も、すぐさま現在の時刻を確認する。確かに、今からでは到底間に合いそうもなかった。


 ただ、一方の瑠理愛は相手の事情など全く知らないため、なおも釘を刺す。

「じゃあ、改めてお願いしたから。私も今日の放課後は、生徒会の会合の方に出るからね。手伝えないから、そのつもりで」

 それだけ言い残すと、すぐにこの場を去っていた。


 一方、乙葉は愕然とするのみ。

「……どう……しよう……」

 美束の実家の件は、緊急を要するのだ。少しでも遅れる訳にはいかない。だが、このままだとダブルブッキングになってしまうため、もう右往左往するしかなかった。


 一方の京華にもいい案はないようで、投げやりに呟く。

「安請け合いをするから……あ、無意識だったか。損な性格だよな」


 そんな折——

「——あ! 佐藤君……!」

 ちょうど傍を通り掛かったクラスメイトを、乙葉がいきなり確保。

「!」

 京華が何やら既視感を覚えている中、一方の佐藤君も以前と同じ状況に戸惑っている様子だった。

「……え⁉ 何……かな? 和泉さん……」


 そこへ——

 乙葉が迫る。必死の体で。

「どうしても……お願いがあるの……!」


 それを見て——

「——ッ!」

 佐藤君が動揺する中、乙葉はなおも続けていた。


「朝に……私が請け負った片付けの仕事……代わりにやってくれないかな⁉」

「え……⁉ でも……俺も部活が……」

「お願い……! ダメ……かな……?」


 ただ、その上目遣いでの懇願に——

「——ッ⁉」

 佐藤君の心の中で、何かが弾ける。


「……ま……まぁ……急げば……なんとかなる……かな……」

「ほんとに⁉」

「あ……うん……」

「ほんとに——ありがとう……!」


 そのまま手を握られ——

「——ッ……!」

 佐藤君の内心では、完全に何かが振り切れていた。ただ、やはりその感情を悟られないようにするためか、慌ててこの場を離れている。一方の乙葉は、そんな相手の心情にはやはり何も気づかず、心から安堵している様子だった。


「……佐藤君……ほんとにいい人で良かった……」

 その一方——

 京華は気が気でない。

「……おい、乙葉……」

 と、半眼になって語り掛けるが、相手はキョトンとしていた。


「え? 何?」

「……いや、もういい……」

「?」

 乙葉がなおも首を傾げているが、京華はもう諦めたようだ。それよりも、本題に関する最大の懸案事項をここで示していた。

「とにかく……あとは日高先輩がこの事実を知って、どんな反応をするか、だよな」


 その指摘に——

「——!」

 乙葉も、すぐにある予測が脳裏を過る。もしも、自分が美束の立場だったら、二人の行動がその目にどう映るだろうか。相手が素直な人物なら、自分達の好意をそのまま受け入れてくれるかもしれない。だが、対象の人物がそんな反応をするとは思えなかった。


「もしかしたら……余計なことはするなって怒る……かな?」

 その想像を、一方の京華は肯定も否定もしない。

「……やっぱり、やめとくか?」


 この問い掛けに——

「……!」

 乙葉はしばらく沈黙していたが、すぐに覚悟を決めたようだ。当初の予定通りに事を進める点を告げると、京華も早速勤め先へ連絡を入れるために動き始めていた。



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