第53話 朝練
弓道部が参加する県大会の地区予選。それは、ゴールデンウィークの前半に予定が組まれていた。そのため、直前の今の時期は、選抜メンバーが早めに登校して朝練をする。昨日、先輩方がすぐに帰ったのも、このためだ。一年生達は持ち回りでそのサポートをすることになっており、今日は乙葉と京華が当番だった。
その役割は着的所にずっと詰めて、先輩方が放った矢の回収と運搬をすることのみだ。一年生達の練習は放課後だけなので、今はその役目に専念できる。必然的に、選抜メンバーは射の回数を増やすことができるという寸法だ。そんな意図は二人も即座に理解しており、射場との間をもう何度も往復していた。
ただ、今日の朝練が終わる直前のことだ。乙葉と京華が道場内に最後の矢を運び込んだタイミングで、文奈の驚いた声が二人の耳に届く。
「——えッ! それって……マジなの⁉」
『……?』
出入り口付近にいた乙葉と京華が意識を向けると、美束が部長の目の前で、何故か丁重に頭を下げているところだった。
「……すいません。そういう訳で……放課後の部活には出られません」
「もう……明日が本番なのに……」
文奈がなおも困惑する中、美束はさらに恐縮している。
「……急なことで、本当に申し訳ありません……私のことは……団体戦から外しても構いませんから……」
「そういう訳にはいかないよ……日高さんは、うちの部のエースなんだから。代わりなんて、どこにもいないよ……」
「他の皆にも、迷惑を掛ける訳にはいきません。私のことは……メンバーから外してください……」
周囲にも動揺が広がっている中、美束がなおも固辞しようとしていた。だが、一方の文奈は首を横に振る。
「……それでも……日高さんの席は残しておくから。明日は……ぶっつけ本番になるけど、今までの経験から息を合わせるしかない……かな」
「でも……!」
と、美束が反応しながらも、今度は周囲の様子を気にしていた。だが、他の部員達も文奈と同意見のようで、その方針に文句はないようだ。一様に理解の表情をしている。それに気づいた美束は仲間達の配慮に感謝し、ここで周囲にも頭を下げ始めていた。
「……本当に……すいません……」
「大丈夫。あなたのせいじゃないことは、私も皆も充分に分かってるから」
「はい……」
「じゃあ……そういうことで。明日は会場に遅れないように」
文奈のこの最終的な結論と指示に、一方の美束は最後まで恐縮するばかり。
「……はい。では……失礼します……」
それだけ言い残すと、弓袋に入れた自身の弓を持ち、弓道場の出入り口に向かっていた。
そこで——
「——!」
美束は乙葉と京華の存在に気づく。
『——⁉』
一方の二人がその視線に射竦められていたが——
美束はすぐに顔を逸らし、何も言わずに弓道場から去っていた。
その姿が視界から消えると、京華がおもむろに呟く。
「……何か……あったみたいだな」
「そうみたいだけど……?」
乙葉が思わず首を傾げていると、ちょうどその傍を文奈が通り掛かっていた。そこで、何気に尋ねてみる。
「……部長。日高先輩……何かあったんですか?」
すると、文奈は足を止め、少しだけ困惑した様子で語っていた。
「あー、水城浦さんに和泉さんか……ちょっとだけ、厄介なことになってね」
『?』
「実は、日高さんの実家、食料品の卸問屋をやってるんだけどね。今度の連休中に開催される市内のイベントにも、必要な物資を搬入する役割で、一枚噛んでるらしいんだけど……」
ここまで聞いて、京華が先日のバスの車内から見た光景を思い出す。
「あー……その関係だったのか……」
それには特に反応しない様子で、文奈が続けていた。
「でも……昨日の夕方、そのイベントで配られるお菓子を搬送していたトラックが、不慮の事故を起こしたみたいでね」
ただ、これを聞いて——
『——⁉』
乙葉と京華が、同時に思い出す。昨日の夕方、コンビニから出たところで、何やら事故を目撃した時のことを。完全に偶然だったが、何やら因縁めいたものを感じてしまっていた。
それには気づかない様子で、文奈が続ける。
「その一件が原因で、日高さんの実家が今、てんてこ舞いになってるらしいの。だから……彼女も、その手伝いに入らないといけないらしくてね……」
「……そういう……ことですか……」
乙葉が何やら考え込みながら唸っている。その心理は文奈にはよく分からなかったが、とりあえず部長として確認しておくことがあった。
「あ、二人とも今日の放課後はバイトだったよね?」
「あ……はい」
「じゃあ、二人も明日は遅れないように。試合には出なくても、雰囲気だけは体験しておいた方がいいからね」
この指示に、乙葉も京華も無言で頷く。その後は、そろそろ朝練の終了時刻だったため、明日の細かい予定を聞いてから弓道場をあとにしていた。
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