第五章 先輩と後輩

第48話 帰郷

 一泊二日のオリエンテーション合宿を終え、碧央学園の一年生達は地元へと帰ってきていた。バスの車内からは見覚えのある景色が多くなり、生徒達の顔には、どことなく安堵の色が増え始めている。それは乙葉も同じで、穏やかな表情になりながら車窓を何気に眺めていた。


 すると、隣の京華がその様子を見て何気に呟く。

「ほんと、昨日の急な体調不調が嘘みたいだよな。一晩寝たら、すっかり調子が戻りやがって。まったく、人騒がせな……」

「……何度も言うけど、ご迷惑をお掛けしました……」

 一方の乙葉が顔を向けてから、敢えて慇懃に言葉を並べていると、親友はいつもの真顔で続けていた。


「俺としては……もうちょっと、病人のままでも良かったんだけどな」

「は?」

「その場合は……俺が医者の代わりになって、お前の全身を色々と触診したり、触診したり、触診したりできたんだが」

 その言葉と同時に、両手がいやらしい動きを始めている。それを見た乙葉は、瞳から蔑んだ色を隠すことができなかった。


「……うん。今後、京華の前では絶対に健康でいることに決めたよ。青汁やサプリメント……パック買いしておこうかな。もちろん、京華の支払いで。あ、そうだ。マリーさんに言って、給与天引きにしてもらおう」

「ああ! そんな高度な嫌がらせを思いつくな! てゆーか、陰湿だぞ!」


 そんな、日常のやり取りをしていると——

「——うん?」

 と、京華が不意に外の様子を気にする。


「あの公園……何かの準備をしてるよな」

「?」

 乙葉もそちらへ視線を向けると、バスがちょうど公共の広場の横を通り掛かっていた。その敷地内に、何やら人だかりができている。正確な日取りは不明だが、大きなテント等を設営するようで、その準備が進められていた。


 京華はそんな光景を見て、首を傾げながら隣に聞く。

「直近で、なんかあったっけ?」

「……あー、もうすぐゴールデンウィークだからね。こどもの日のイベントがあるんだよ。確か、そんな話を聞いてる」


 乙葉が記憶を辿りながら何気に答えていると、一方の京華は視線を車内の前方に向けてから、その瞳に悪戯な色を宿していた。

「そうか。ここは……委員長にも教えてあげないとな」

 ただ、この言動には、乙葉が声を抑えながら慌てる。

「……ちょっと。もし聞こえてたら、きっと怒るよ。子供扱いするなって」


 前方に座っている当人のことを気にしていたが、どうやら、その耳には届いていなかったようだ。それは良かったのだが、今のその発言を聞いた京華が、何故かニンマリと笑っていた。


「俺が言いたいのは、そういうことじゃないぞ」

「え……?」

「大人のお姉さんとして、委員長が近所の子供達を連れて行けたらいいなって」

「……⁉」


 その指摘に乙葉が絶句していると、親友はなおも揚げ足を取ろうとする。

「いったい、どっちが子供扱いしてるのかなー?」

「……なんかもう……根本からの性格矯正が必要だよね……」

 一方の乙葉は頬を引きつらせながら、小声でそう呟くしかなかった。


 ふと——

「——あれ?」

 再び、京華が外の様子を気にする。

「なぁ、あれって……」

「今度は何……?」

 一方の乙葉が不機嫌そうにしていると、京華は人差し指を向けながら、意外な固有名詞を口にしていた。


「あれって……日高先輩じゃないか?」

「え……?」

 乙葉が敏感に反応して、すぐに顔を向けている。すると、確かに見覚えのある上級生が自転車に乗り、バスの真横を逆方向に通り過ぎて行った。


「……ほんとだ。あの公園に向かってる……?」

 その目的地もすぐに判明していたが、これには京華が首を傾げる。

「今度のイベントに、何か関係でもあるのか? 先輩って、ボランティアとかやってたっけ?」

 この疑問に、乙葉は少し考えてから自身の見解を語っていた。


「そうだとしても……さすがに、今はないと思うよ。県大会の地区予選が間近に迫ってるからね。そんな暇はないはずだよ」

「今は放課後の時間帯だけど、今日も部活はあったはずだよな?」

「そのはずだけど……?」


 乙葉も首を傾げるしかない。そのままお互い見合っていたが、ここでどんなに思考を重ねても、答えに辿り着くことはなかった。



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