第47話 二人だけの時間

 水城浦家が祈禱師として扱っている秘術——祈呪法環。その基礎的な術式には、健康に関するものがいくつかあった。最も簡易的なものは、その術を小さな木札に仕込む場合が多い。そして、それを肌身離さず持つ者は、自己を健全な状態に保つことができた。


 ただし、この術式は簡易的であるために構造が脆く、木札に破損があった場合は真逆の効果が出るという本質的な欠陥がある。それ故、希望者にはその旨をしっかりと伝えておく必要があった。


 では——

 逆に、これをわざと割ったらどうなるのか。その場合の効果も、水城浦家では既に実証されていた。持ち主に基礎疾患等がない場合、対象者は酷い熱に襲われるという結果が出ている。実は、乙葉はこの性質を利用して、意図的にその場で倒れ込んでいた。


 学園を出発する直前に、晶乃からもたらされたお守り。その中には、この木札が入っていた。実の娘の方は、中身は普通の代物だ。乙葉の方にだけその木札が封入されており、密かに隠し持っていたそれを、あのタイミングで割っていた。


 熱が出ているのなら、もちろん風呂には入れない。京華と一緒に入浴することはできないという寸法だ。こういう不測の事態のためにも、晶乃とは定期的に連絡を取り合っている。今回は、それが功を奏した形だった。


 ただ——

 倒れる直前から、あまりにも頭痛が酷い。事前に聞いていた通りだったが、やはり最終手段としても、これは使いたくなかった。だが、そんな後悔をしても、時既に遅し。なんにせよ、行動の直後から意識が朦朧としてきて、そこから先の記憶が途絶えてしまっていた。


 それから——

 どれほどの時間が経過したのだろうか。

 ようやく意識が回復してきたのだが、ここがどこなのか分からない。頭痛は収まってきているが、まだ全快にはほど遠かった。


 一つだけ分かっているのは、後背部に重力を感じること。どうやら、仰向けに寝かされているようだ。


 しかし——

「……?」

 何故か、頭の位置が異様に高いような気がする。自分が普段使用している枕よりも、頭部の収まりが悪いような気もしていた。


 その反面——

 何故か、安心感が半端ない。

 これは——いったい、どういう状況なのだろうか。


 そんな疑問が脳裏を過ったところで——

「——お。目が覚めたか……?」

 真上から、もう聞き慣れた女子の声が届いて来た。


 その直後——

「——!」

 乙葉は、一瞬で状況を理解する。

 京華に——膝枕の状態で、自身の身体を預けていることを。


 慌てて起き上がろうとするが——

「——おおっと。まだ寝てろって。熱はほとんど下がってないんだからな」

「……京華……」

 優しく制されて、ただただ茫然としている。あまりにも意外過ぎる状況だったため、乙葉はこうなった経緯が全く理解できなかった。


 京華がその心境に気づいたのか、上から一方的に語る。

「急に倒れたから、俺もさすがに驚いたぞ。医者がいうには、ちょっとした過労なんじゃないかって。お前のことだから、きっと裏で色々と走り回ってたんだろ? もうちょっと自分を気遣えよ。今は……正真正銘の女の子なんだからな」


 一気に推測と憂慮を並べていると、一方の乙葉がその言葉尻に反応していた。

「……最後のは……そっくり……そのままお返しするよ……」

 すると、ここで京華が何やら意味深な顔をする。

「……そう思ってるからこそ、こうやって女子っぽいことをしてるんだけどな」

「……!」

「今だけ……だけどな。ま、たまには……こういうのも、悪くないかもな」


 この言動を——

 乙葉は内心で素直に喜んでいた。

「そう……かもね。癖になりそうだよ……」

「だから、今日だけだぞ。今後は期待するなよ」

 京華が釘を刺すが、一方の乙葉は聞いていない。また、少し落ち着いたからか、他のことが気になり始めていた。


 どうやら、ここは宿泊施設にある簡易的な医務室の中らしい。二人がいるのは、その壁際に常備されていた小さなベッドの上のようだ。ただ、それは理解できたが、乙葉はずっと失神していたため、まだ時間の感覚がなかった。


「……それよりも……今って何時?」

 この問い掛けに、京華は室内の一角に目を向ける。

「あー……ちょうど、午後の十時ぐらいだな。キャンプファイヤーも終わって、皆もう寝てるだろうな」

「……ごめん……楽しい時間を台無しにさせたみたいで……」


 そんな謝意があったが、京華は一切気にしていなかった。

「だから、いいって。お前と一緒じゃないと……なんか嫌だからな……」

「……そっか……ありがと……」

 そんな感謝の念も伝えていると、ここで京華が何故か残念そうな顔になる。


「本当は……そろそろお前をお姫様抱っこで、寝床まで運ぼうかと考えてたんだけど」

 この急な戯言に——

「——⁉」

 乙葉が思わず顔をしかめていると、一方の京華はなおも真顔で続けていた。


「これだけは王子様の役目だからな。お前には、もうちょっと眠れるお姫様をやっててほしかったんだけど……そもそも、今の筋力じゃ無理なんだよな。ここまでお前を運ぶのも、先生達の助けが必要だったし……」


 そこまで聞いて——

 乙葉の口からはいつもの修正が出そうになるが、途中で思い留まる。そして、親友のことを優しい瞳で見つめ返していた。


「……充分に……王子様をやってくれてるよ……京華は……」

「うん? そうか?」

「……うん……」

 完全に失言だったが——

 今だけは、それでもいいと感じていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る