第43話 出発の前に

 入学式以降で、新入生達が最初に携わることになる学校行事——オリエンテーション合宿。それはこの学校法人の教育方針を十全に学び、他の仲間達とのコミュニケーションを円滑に進ませるための手段として企画されていた。


 県外の山間部にある大きな施設を一泊二日で丸々借り上げており、ゴールデンウィークの直前にその日程が組まれている。当日の朝、一年生達は冬用の体操着姿で校庭に集合。その場に全員が腰を下ろしており、出発前の最後の点呼が行われていた。


 既に、学園の敷地の外では、何台もの大型バスが待機をしている。このあと、クラスごとに別れて分乗をする予定だ。ただ、実際どれに乗るのかは分からない。そのため、乙葉が何気に予想を立てていると、ここでふと隣の様子に気づいていた。


「どうかしたの?」

「……うん? 何がだ……?」

 と、京華がどこか覇気のない様子で振り向いている。それを見て、乙葉は心配そうに尋ねていた。


「いや、なんていうか……ちょっと前から、たまに妙な顔をしてる時があるからさ。何かあったのかなって」

「……そうか?」

「うん。バイトの時、店長も気にしてたよ」

「……そっか……」


 京華はそれだけ呟くと、思わず視線を逸らしている。そんな様子を見て、乙葉は眉間を狭めていた。

「……長い付き合いだけど、そんな反応するとこは初めて見たよ。切羽詰まってる様子じゃないみたいだけど、それって一人で抱え込むことなの?」

 この問い掛けに、一方の京華は口を開きかける。


「……それは——」

 だが、そこで周囲の様子を気にすると、全てを先送りにしていた。

「いや……悪い。頭の中で整理ができたら、お前にだけは話すかもしれない。その時は相談に乗ってくれるか?」

 この真剣な様子に、乙葉は小声になって聞き返す。


「……もしかして、今の私達の状況に関すること?」

「半分は……そうだな」

「……分かった。京華のタイミングで話を聞くよ」

「助かる……」

 周囲には気づかれないように、密かにそんなやり取りを行うと、ここで京華が一気に話を変えていた。


「あ、そういえば、母さんからこれを預かってるぞ」

 そう言いながら、懐から何かを取り出す。

「?」

 乙葉も思考を切り替えて注目すると、親友は緻密な装飾が施された小袋を目の前に差し出していた。


「俺も貰ってるけど、旅のお守りだってさ。ほら」

 すると、一方の乙葉は何か妙な緊張感を顔に出しながら、おもむろにそれを受け取る。

「……あー、うん……」

 だが、京華にはその反応の意味がよく分からなかった。


「うん? どした?」

「え……⁉ いや、なんでもないよ……」

「?」

 なおも訝るが、乙葉は目を逸らしてしまう。どうやら、何か隠している様子だ。京華はそれを追及してやろうかと思っていたが、ここで意外な声が耳に届き、その行為を中断することになっていた。


「——はーい! こっちに注目!」

『?』

 二人が同時に振り向くと——

「げ……あいつは……」

 京華があからさまに嫌そうな顔をする。特に、その胸部を見て。


「風紀委員……?」

 一方の乙葉は、親友の言動からも相手を認識している。すると、その風香は一年生全員を見渡してから、唐突な宣言をしていた。


「これから、風紀委員会による荷物の抜き打ち検査をします! 今日からの合宿でしっかりと校風を学ぶためには、余計なものは一切必要ありません! 何か隠していたら没収するので、覚悟するように!」


 この通達に——

『——!』

 周囲でどよめきが発生。中には、あからさまに動揺している生徒の姿もちらほらと垣間見える。ただ、真面目な乙葉には、特に身に覚えがない様子だ。隣の京華も同様だったが、それよりも、このタイミングでのこの突撃に眉根を寄せていた。


「……おいおい、もしかして全員の荷物を調べる気か? バスの運転手をこれ以上待たせるつもりかよ」

 その珍しくまともな意見に、乙葉は小さく苦笑してから自身の認識を語る。

「……いや、全員じゃないみたいだ。視線を逸らした人を中心に検査するみたいだよ。なかなかの策士だね」


 ただ、これを聞いた京華は首を傾げていた。

「会長の話を聞いた限りだと、あいつって単純思考の人間じゃなかったか? 俺も何度か見てるけど、こればかりは激しく同意なんだが」

「……風紀委員会全体の活動みたいだから、多分、他に頭脳がいるんだと思うよ。誰かは知らないけど」


 乙葉のこの推測に、一方の親友は答える術がない。代わりに、先程まで話題にしていた物体のことを気にしていた。

「さすがに、お守りは大丈夫だよな?」

「それは当然だと——」

 と——

 乙葉がそこまで反応した時だった。


 急に——

「……あれ? そういえば先日、家でもお守りがどうとか耳にしたような……」

 何か嫌な予感を覚えて、慌てて自分の荷物を漁り始める。一方の京華はその様子を見て、怪訝そうにしているだけだった。

「なんだ? どした?」


 その直後のことだ。

 乙葉は——

「——ッ⁉」

 自分の荷物の奥に、絶対に入っていてはいけない物体を発見。


 それは——正方形にパッキングされたゴム製品であり、絶対に高校生が持っていてはいけない代物だった。


 同時に——

 先日の自宅での記憶が鮮明に蘇っている。犯人も瞬時に悟っていたのだが、このタイミングでこの蛮行が発覚したことに、もう理性の抑えが全く効かなくなっていた。なんとか、声だけは抑えていたが。


「……あんの——クソ親父……ッ!」


 ただ、今の乙葉にはあり得ないこの言動に、一方の京華は動揺するしかない。

「……いや……おい……?」

 恐る恐るその顔を覗き込んでいると、乙葉が激しく動揺していた。


「——え……ッ⁉ いや……別に何も……⁉」

 同時に、荷物の中に紛れていた物体を拳の中で握り潰してから、慌てて後ろ手に回している。だが、その行為は京華にもはっきりと確認できており、当然のようにその興味が向けられていた。


「……全然、そうは見えないけど……あ、もしかして、何か隠し持ってきてるのを、うっかり忘れてたのか? なんだ? 見せてみろよ」


 この最悪の事態に——

「——⁉」

 乙葉は、もう眩暈を覚えるしかない。目の前には、何も知らずに迫ってくる親友。そして、やや離れた場所からは、徐々に近づいてくる風紀委員だ。この絶体絶命の危機を、どう乗り越えたらいいのか。もう発狂しそうなほどに混乱し掛けていた。


 そんな中——

「——あー、そうなの? それって、バッカじゃね?」

 不意に、背後から声が聞こえる。

「!」

 乙葉がなんとか正気を保ちながら意識だけを向けると——

 そこでは同じクラスの例の女子三人組が、こちらに背を向けて何やら談笑していた。


 それを確認して——

「——!」

 乙葉の脳内で、悪魔の閃きが走る。

「……緊急……避難……!」


 小さくそう呟くと、背後で握っている拳を少しだけ緩めていた。すると、その対象物は見えざる力によって虚空へと浮遊する。そして、短い距離を移動すると、女子三人組の誰かの鞄の中へと自発的に潜り込んでいた。


 無論、これは例の念動力による作用だ。先日の事件以降、改めて封印するつもりだったのだが、今後も何が起きるか分からない。やはり、これは有用だ。そんな判断で練習と研究を継続していたのだが、それが功を奏した形だった。


 京華がさらに尋問を続ける。

「おーい。何を隠してるんだ? 見せてみろ」

 だが、一方の乙葉は既に落ち着き払っており、何食わぬ様子で片手を手前に移動させ、開いて見せていた。


「べ、別に何も持ってないよ。ほら……」

 それを確認して、京華は思わず首を傾げる。

「……うん? 確かに、何も持ってないよな……?」

「は……はは……」


 それと同時のことだった。

 背後で——

「——さて……そこの三人組!」

 何やら聞き覚えのある声が響く。

『?』

 乙葉と京華が揃って振り向くと——

 そこでは、風香が例の女子三人組にターゲットを絞っている真っ最中だった。


「……見るからに、素行が悪そうな三人組ですね。ちょっと……それぞれの荷物を拝見させていただきます!」


 この急展開に——

「——⁉」

 乙葉だけがひどく動揺していたが、一方の女子三人組は自分達が置かれている状況に全く気づかない。リーダー格の女子がその場で立ち上がって、相手を睨み返していた。


「あ? なんだよ、完全に偏見じゃねーか。風紀委員様がそんなものの見方でいいのかよ?」

「……そうですか。何もやましいことがないのなら、中を見てもいいですよね?」

「どうぞ。お好きなように」


 自信満々の様子だったが、風紀委員はそれでも中身を確かめるようだ。そんな一連のやり取りを背後に確認して、乙葉は思わず懺悔の言葉を呟く。

「……はは……なんか……ごめんなさい……」

 ただ、一方の京華は、その言動に首を傾げるのみだった。

「誰に向かって、何を謝ってるんだ?」


 その直後——

 背後で急に大騒ぎが始まっていたが、乙葉は耳を塞いで一切振り向かない。結局、最後まで知らぬ存ぜぬを貫き通していた。



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