第41話 委員長との調整

 その日の放課後はアルバイトの予定が入っていたが、乙葉と京華はすぐに下校せず、瑠理愛の元へと足を運んでいた。無論、お昼に生徒会室で決めた方針を伝えるためだ。ただ、一方の学級委員は二人からのその申し出を聞いて、小さく驚くことになっていた。


「え? 水城浦さんと和泉さんが……お手伝い係をやってくれるんですか?」

 既に帰り支度をしていたようだが、その手を止めてポカンとしている。それは特に気にせず、乙葉は大きく頷いていた。


「はい。京華と相談したんですが、私達も何かクラスのお役に立てればいいのかなと」

 この本心を偽った詭弁に、隣の京華は何かものを言いたげだ。だが、その方法しかないことは分かっていたため、結局は口を噤んでいた。一方の乙葉は、そんな様子には全く気づかない。それよりも、目の前の女子がなおも硬直していることに首を傾げていた。


「……敷嶋さん?」

 改めて声を掛けると、ようやく瑠理愛も反応する。

「……あ、すいません。ちょっと意外だったので。特に、水城浦さんの方は……」

「うん? なんだ?」


 そこで、京華本人に視線を向けられて——

「——!」

 学級委員がひどく動揺していた。そこには、明らかに脅えの色が窺える。その様子を見て、乙葉は思わず小さく頭を抱えていた。


 入学式の日以降——

 京華の女子としての評価は芳しくなかった。初日に掲示板の前で好感度の最大値を記録してから、一気にその坂を転げ落ちている。まだ数週間しか経過していなかったが、あまりにも男勝りが前面に出ているからか、クラスメイトがほとんど寄り付かなくなっていた。


 特に、男子にその傾向が強い。そんな現実に乙葉は何やら複雑な感情を抱いていたが、なんにせよ、これは本来の目的とは大きくかけ離れた状況だ。この是正のためには、他の女子の協力も必要になってくるかもしれない。乙葉はそんな判断を瞬時に行うと、目の前の瑠理愛に向き直っていた。


 とにかく——

 まずは、誤解を解く必要がある。乙葉は隣にいる親友と一緒にいて、心から安心しているような表情を作ってから口を開いていた。

「そんなに構えないでください。京華は別に怖くないですよ。あなたのことを取って食べたりはしないので」


 ただ、この物言いは当の本人にとって、まるで猛獣扱いにしか聞こえない。

「……いや、おい……」

 すぐにジト目を向けていたが、一方の乙葉は一切気にせず、学級委員の頭を優しく撫でていた。無意識な様子で。


「だから、安心してくださいね」

「……まぁ、好きにしてくれよ……」

 隣の京華が思わず投げやりに呟いているが、乙葉はやはり気にしない。引き続き、学級委員の頭頂部を無意識に撫で続けていた。


 ただ——

 その行為が、瑠理愛の癇に障ってしまう。

「……なんか……ちょっと不愉快になってきたんですけど……」

「え……?」

「……私のこと、なんか子供扱いしてませんか?」

 上目遣いでのその反応を見て——

「——!」

 乙葉は、ようやく思い出していた。


 そうだった。瑠理愛は見た目に反して、大人扱いをされたい人間だったのだ。なのに、自分は思わず小さな子供でも扱っているかのように、その頭を撫でてしまっている。乙葉は全く意識していなかった自分のその行動に驚き、慌てて手を引っ込めていた。


 だが、瑠理愛の機嫌は直らない。

「なんか……そんな風に見えるんですけど?」

 この小さな抗議に、一方の乙葉は慌てて弁解しようとしていた。

「……ち、違いますよ! 敷嶋さんのことを、ちっちゃくて可愛いだなんて、これっぽっちも——!」

 が、なおも口が滑っている。慌てて口を塞いでいたが、目の前の学級委員は完全に拗ねてしまっていた。


「……うー……」

「……は……あわわわ……!」

「……おいおい……どんな展開だよ」

 京華が呆れ果てていたが、とにかく、これ以上は時間の無駄だと悟ったようだ。すぐにその場の主導権を奪うと、話を元に戻していた。


「……それで? 俺達が手伝いをやるってことでいいのか? どうなんだ?」

 この問い掛けに、一方の瑠理愛もようやく気を取り直して小さく頷く。

「それは……他に立候補者もいないんで、構いませんが……」

「その場合って、風呂が他の皆とは別になるんだよな? 改めて確認するけど、それって俺と乙葉だけってことでいいのか?」


 立て続けに聞かれて瑠理愛は少し困惑していたが、それにも素直に答えていた。

「そこを気にする理由がよく分かりませんが……確かに、そうなるでしょうね。お二人で入ることになると思います」

 ここまで聞いて、京華は満足したように頷く。

「……よし。条件はクリアだ。じゃ、そういうことで」


 次いで、片手を前に出して握手を求めていた。一方の瑠理愛は、その意外な行動に戸惑う。だが、恐る恐る握り返すと京華が満面の笑みを浮かべたため、そこで相手のことを少しだけ理解できたような気がしていた。


「……よく分かりませんが……とにかく、引き受けてくれて、ありがとうございます。確かに、思っていたよりも取っつきやすい人ですね。これからも、よろしくお願いします」

「ああ。よろしくな、委員長」

「はい」


 その和やかな様子に、一方の乙葉は安堵する。

「……とにかく、話がまとまって良かったよ」

 ただ——

 そこで、急に京華が意味深な視線を向けてきていた。


「そうだな。これで……」

「?」

 乙葉が首を傾げる中——

 京華は下心のある中年親父のような顔になって続ける。

「……お前の生まれたままの姿を、完璧にチェックすることもできるようになった訳だ」


 これを聞いて——

「——な……⁉」

 乙葉が絶句していたが、親友は先程決まったことの意味をなおも強調していた。

「そういうことだぞ。一緒に入るってことは」


 ここでようやく——

「——ああ……ッ⁉」

 乙葉は自身の迂闊さに気づき、愕然としていた。京華の戯言も問題だが、それ以上の大問題がある。色々と考えることが多かったため、そういった状況へ至るというところまでは、気が回っていなかった。


 向こうはお互いに男同士だと思っているのだろうが、本当はそうではないのだ。そのまま二人で入浴したら——全てが解決したあとに、地獄が待っている。間違いなく。乙葉にとっては、この方針も到底受け入れることができなかった。


 だが、一方の京華には、そんな事情など知る由もない。

「……ふふふ……入念に調べてやるからな。心してその日を待て」

「……ッ⁉」

 乙葉は、もうどうしたらいいのか分からなかった。脳が完全にフリーズしている。ただ、それを客観的に見ていた瑠理愛は、部外者として適当に呟くだけだった。

「なんか……ほんとに仲がいいんですね、お二人……」


 と——

 そんな時だった。

 突然、京華の懐で電子音が鳴る。


 すると——

「——!」

 何故か、京華の表情が一変。一気に深刻そうな顔つきになると、他の二人をその場に残し、唐突に教室の外へと向かっていた。


「……悪い。メールを返してくる……少し待っててくれ……」

 ただ、乙葉にはこの急変の意味が全く分からない。

「京華……?」

「……なんでしょう? 雰囲気が……」

 瑠理愛も首を傾げていたが、とりあえず素直に待つことにしていた。


 すると、ここで乙葉が状況を思い出す。

「——あ! それよりも……!」

「!」

「敷嶋さん! ちょっと、お願いがあるんですけど!」

 と、一気に詰め寄っていたため、一方の瑠理愛は困惑していた。


「な、なんですか……⁉」

「例のお手伝いのあとも……他にも何か仕事ってないんですか⁉」

 この突飛な質問に——

「え……?」

 瑠理愛がキョトンとしている。それには構わず、乙葉はなおも懇願していた。


「詳しく事情は言えないんですけど……京華と二人でお風呂は絶対にマズいんです! だから、何かないですか⁉ 一人でしかできないこと!」

「き、急にそう言われても……」

「そこを! なんとか……!」

「……うーん……」

 と、瑠理愛は眉根を寄せていたが、そこでふと何かを思い出す。


「……あ、そういえば……先生方が二日目の日程の準備にも、少しだけ人手がいるとか言っていましたね……」

「本当ですか⁉」

「はい。確か、一人だけ手が必要だとか。本来は入浴のあとの私に振られる仕事でしたが、そちらを和泉さんに振るということでいいですか?」

 この救いの手に、乙葉は心から感謝するしかなかった。 

「それで構いません! 恩に着ます!」


 すると——

「——ところで!」

 と、瑠理愛が急に顔を寄せてくる。

「⁉」

 その勢いに乙葉が戸惑っていたが、相手はなおもその距離を詰めてきていた。

「この手際の良さ……大人みたいに見えましたか?」

「え……?」

 その急な問い掛けに乙葉がキョトンとしていたが、一方の瑠理愛は改めて詰問する。


「和泉さん。今の調整……できる大人の女性みたいでしたか⁉」

 どうやら、それが気になるようだ。乙葉にその感情はよく理解できなかったが、なんにせよ、ここは逆らわない方がいいと瞬時に判断する。

「……は、はい! ご立派でした……!」

 何度も大きく頷いていると、一方の瑠理愛は上機嫌な様子で破顔していた。

「……うん! ならば、良し!」


 ただ——

 その無邪気に喜ぶ様は、どう見ても幼い子供にしか思えない。

「……は……はは……」

 だが、乙葉はその本音を一切口には出さず、相手をしばらく暖かい目で見守っていた。



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