第33話 勝負の結末
さらに翌日の放課後。乙葉と京華は教室で自分の荷物をまとめると、即座に弓道場に向かっていた。今日は約束通り、美束との勝負がある。仮に京華が負けたとしても、これからの学園生活にさほど影響は出ないだろう。ただ、志貴崎兄妹のサポートは確かに有用であるため、できれば勝っておきたいところだった。
それは主に京華の腕次第になるのだが、一方の乙葉自身も観客以上の緊張感を持っている。少々迷ったが、ここは例の念動力で結果を密かに改ざんするつもりだった。だが、前日に行われた京華の特訓では、実際にその効果が検証できていない。昨日は基礎的な射形を整えるだけで、あっという間に下校時間になってしまっていた。
そのため、ここからはぶっつけ本番だ。京華の運動神経を信じるしかないだろう。乙葉も自身の念動力がどこまで通じるのか理解できていなかったが、とにかく、やってみるしかなかった。
弓道場の射場。両名の準備が整い、まずは美束がそこに入って来る。勝負の形式は実際の競技と同じで、彼女の方は一般的な弓道着姿だ。京華の方はまだ全てが借り物であり、体操着に胸当てだけをつけている。髪の毛は後頭部でまとめており、その瞳は前をすり足で進む二年生の背中に固定されていた。
やがて、美束が
足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け——
そして、会で的に狙いを定める。
静寂がその刹那を包み込む中——
『——!』
そこで、弓道場内にいた全員が息を呑んでいた。
離れによって、矢は真っ直ぐに的へ飛ぶ。美束も残身を保ちながらその行く末に注目していると、直後に乾いた音が的場から響いていた。
『!』
周囲で小さなどよめきが起きる。現在、ここにいるほとんどの部員が、二人の勝負の詳細までは知らされていなかった。それでも、ただ事ではない空気だけは感じている。そのため、誰もがこの雰囲気に呑まれていた。
結果は——
もちろん、的中。問題は、中心からの距離だ。ここからでは詳しく分からないため、着的所に詰めている部員がその的を持ってきていた。
それを見て——
「……こんなものね」
美束が小さく呟いている。
こうなってくると、ド真ん中の中白か、すぐ外側の一の黒に中てないといけない。素人には明らかに荷が重かったが、京華にはやる前から降参する気は毛頭なかった。
一方の美束は、背後の様子など一切確認しない。そのまま大前の場所で膝をつき、後輩の結果を待っている状態だ。その余裕に京華は小さな苛立ちを覚え、すぐさま自身の動作に移っていた。
が——
誰がどう見ても、それは様になっていない。
「……京華……」
弓道場の端で親友のことを見守る乙葉が、思わず渋面になっていた。やはり、自分が手助けをするしかないと強く思う。その場で密かに自身の深奥に眠る力に意識を向け、京華の射と共にその力を解放していた。
しかし——
『——!』
乙葉も京華も、同時に愕然とする。放った矢は的場に到達することもなく、途中の矢道に突き刺さっていた。これでは、念動力が効果を発揮するか否か以前の問題だ。その事実に乙葉が歯がゆさを感じていると、一方の京華もすぐに修正をしていた。
「まずは……届かないと……!」
続いて、二射目を放つ。今度はやや上に向けているため、充分に届く可能性があった。それに合わせて、乙葉も再び念動力を解放。
だが——
『——ッ!』
再び、二人は同じ反応をすることになっていた。
二の矢は——確かに、的場まで届いている。だが、刺さっている場所は全くの見当違いだ。この結果に、京華が歯噛みをしていた。
その一方——
「——これって……!」
乙葉は、それ以上に焦っていた。
念動力は——
確かに、発動していたのだ。だが、あの速度とこの距離では、能力の方が追い付いていなかった。問題は練習不足なのか、そもそも困難なのか。こちらもまだ不慣れなため、その判別もできなかった。そのため、内心でどうするか必死に考えている。ただ、それによって、さらなる過失を重ねてしまっていた。
京華が——
『——!』
いつの間にか、三射目を放っていたのだ。だが、それは再び矢道の途中に落ちている。明らかに、結果を急いでいた。
「……くそ……ッ!」
京華が思わず舌打ちをしている。一方の美束は、背後のそんな無様な様子に、思わず本音を漏らしていた。
「……ここまでのようね」
それを聞いて——
「——!」
京華がさらにムキになる。もうやぶれかぶれで弓に矢をつがえており、そのまま感情の赴くままに放とうとしていた。
が——
「——京華!」
そこで、乙葉の声が届く。
『!』
道場内の注目が一斉に集まっていたが、当の本人は一切気にせず、声を大にしていた。
「とにかく……向こうまで届かせて……ッ!」
初めて見たこのなりふり構わない様子に——
「……!」
一方の京華は、そこで冷静になる。一度深呼吸をしていると、ここで背後から部長の声が届いていた。
「——和泉さん……! 静粛に!」
「——すいません……!」
と、何やら乙葉が必死で頭を下げている気配が届く。
こうなることは——分かっていたはずだ。
余計な口出しをすれば、恥をかくことも。
それでも——自分に声を届けたかった。
その本心は——京華にも充分届いていた。
「……あいつが——信じてるのなら……!」
京華はまだ射形も整っていない自身を、ここで未熟者と認める。そして、とにかく乙葉の期待に応えることだけを意識していた。
次いで——
二射目の感覚を思い出しながら、修正も施して矢を放つ。
だが——
多少は的に近づいたものの、その方向ではとても命中しないはずだった。
が——
「——これ……で——ッ!」
そこで、乙葉も集中力を全開。自身の深奥に眠る力を限界まで引きずり出していた。
その結果——
『——ッ⁉』
あり得ないことが起きる。誰の目にも矢の軌道が急に曲がったように見えたのだが、風の影響でも受けたのだろうか。
とにかく——
「——な……⁉」
その結果には、美束も驚愕していた。
京華の最後の矢が命中したのは、誰もが認識している。
問題は——この遠目でも、その矢が的のド真ん中に命中したように見えることだ。
その光景には京華自身も驚くばかりで、反応はむしろ小さなものだった。
「あ……れ……? これって……」
一方の乙葉は——
「………………は……」
そこで一気に全身の力が抜ける。隣には他の部員達もいたのだが、この結果に目が釘付けになっており、その様子には誰も気づいていなかった。
しばらくの静寂のあと——
「……あ! 確認を——」
と、文奈が慌てて仕切り直そうとする。
しかし——
「——必要ありません……」
『——ッ!』
美束のその一声で、道場内が再び静まり返っていた。
そんな中、大前に膝をついていた彼女はそこで不意に立ち上がり、作法に則って退場していく。
その途中——
「……こういうこともあります。勝負ですから……」
「日高さん……」
「……では、失礼します……」
部長にそれだけ告げると、そのまま弓道場の扉を開けて外に消えようとしていた。
ただ——
『——⁉』
そこで美束が感情に任せて扉をおもいっきり閉めたため、道場内に残っている全員が言葉を失っている。そんな中、幼馴染の稲場だけは急いで彼女の背中を追っていた。
そのまま、しばらく重苦しい空気が場を支配していたが、徐々に他の部員達も緊張を解く。先程までの勝負を各々が何気に語り合う中、乙葉は美束の様子がどうしても気になり、部長の元に近寄っていた。
「……あの……」
同時に、視線を弓道場の出入り口に向けていると、その心境を文奈も正確に読み取る。そして、美束の事情を正確に伝えていた。
「……彼女、部活一筋でここまでやってきてるからね。頭では理解できていても、心まで納得は……ね」
これを聞いて——
「——ッ!」
乙葉の内心では——罪悪感が一気に高まっていた。自分がしたことの意味を、充分に思い知ったからだ。今まで美束がどんな想いで、どれほどの努力を積み重ねて、この部活動に取り組んできたのか。それらを何も知らない自分が、ズルをしてその心を踏みにじってしまったのだ。
故に——
そこで、顔を真っ青にしながら俯く。
「……和泉さん?」
その様子を文奈が心配する中、乙葉はなんとか言葉を絞り出していた。
「……いえ……あの……ほんとに……すいません……」
「?」
その反応に部長は首を傾げていたのだが——
「——あ!」
と、ここで京華の声が届く。
『?』
二人が揃って顔を向けると、一方の京華は胸当てを急いで外しながら、相手を急かしていた。
「乙葉……急ぐぞ! もう、こんな時間だ……!」
これを聞いて——
「——あ……!」
乙葉も思い出す。このあとは、アルバイトの初日が控えていることを。とにかく、急がなければならないのだ。先程の一件は、とりあえず後回しにするしかなかった。
一方の京華は、後頭部でまとめている髪も慌てて振り解きながら部長に迫る。
「あと……お願いできますか……⁉」
この要望を、文奈は快諾。
「……うん。任せておいて」
「すいません! お願いします……!」
一方の乙葉も最後にそう言い残すと、親友と共に急いで駐輪場へと向かっていた。
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